921集集大地震特別報道皆様から「生きてるかぁ」「大丈夫かぁ」といったお心のこもった コメント、メールを頂いております。有難うございます。寝不足を除けば 「一家3人とちょっと」そろっていたって元気です。あの興奮の一夜の思い出を忘れ去る前に、皆さんに体験談をお話しましょう。 9月20日深夜、日曜日から来台しているカスタマーとの接待を 終え、21日の01:30頃帰宅。たまたま寝付かれなかった 家内と話しをしながらPCを起動、そのままシャワーへ。 着信メールを確認し、我が家のHPのコメントを確認、某氏の HPを見に行って「北海道はいいなぁ」などと2人で話していた ところ、突然モニターが明滅、部屋の明かりが消えました。 「なんだ停電かぁ」、当地では比較的頻繁な単なる停電と思った 矢先、小さな揺れが始まり続いて足元をすくうような大揺れ。 真っ暗になった部屋を手探りで、ともかく子供のところへ 行ってみると、そこには出産予定日を1週間後に控えた妻の姿。 母性のパワーに感心する間もなく、第2波が到来。船に乗ってい るかのような大きな横揺れが去り、ろうそくに火を灯し、玄関を 開けて逃げ道の確保をしている間にも小さな揺れは止まりません。 深酒のせいで「そのまま布団かぶって寝てれば大丈夫」とたかを くくっていた私も、やがてマンションの住人達の声が聞こえ始め、 第3の大きな揺れが来たときに、ともかく1階への避難を決定。 子供をあやしつつ荷物を詰め、8Fから非常階段で階下へ。 狭い階段を子供を負ぶって降りる間も、揺れは収まらず「こりゃ ちょっとやばいかな?」と思いながらロビーへ。既に集まって きている人々中に入り、空いていたソファーに座ってみると、 周囲一体が停電しているのに気がつきました。 「ずいぶん揺れたなぁ」「恐かった」などと話しているのだとは 想像はつくものの、興奮した台湾語や北京語は全く理解不明。 泣きじゃくる子を抱えた家内の横でしばし呆然状態。 「携帯電話持って来りゃ良かった」と考えながら小型ラジオを のスイッチを入れてみたものの、聞こえてくるのは興奮した 北京語。挙句には見知らぬパジャマのオジサンに「どれどれ 貸してみなさい」風に取り上げられる始末。
ここから妻登場 不安なまま部屋に戻っても辺りは真っ暗。「TVがみたい」と 泣きじゃくる子供にみかんを食べさせ、懐中電灯で絵本を読む 家内の声がだんだん遠のいて・・・・ 朝がやって来ました。ぼけぼけの頭に 私を呼ぶ携帯電話の呼び鈴。「無事かぁ?」今年になって香港へ 異動になり、久しぶりに出張に来ていた先輩の声。 「やっぱり大きな地震だったんだ」と考えつつ、「ちっと行ってくる」と、ともかく会社へ。 オフィスでは花瓶が割れ、机がひっくり返る始末。日本に電話し 報道内容を聞くに連れだんだん事態が判り始めました。聞けば 社長自ら電話に応えない我が家を訪問、ドアをノックしていたのに、 熟睡していた私はそのまま寝ていたようで、日本からの問い合わせに は「彼は安否不明」となっていたとか・・・。 続く・・・ Sept. 22th 1999
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