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「地震のおかげで超スピード出産」
9月21日
珍しく9/26で4歳になる長女は10時くらいに寝付く。さて私の時間、と友人に借りていた本をもう少しで読み終わりそうなので頑張って、読んでいた。
12時半くらいに主人が接待が終わって帰ってきて、メールをチェックすると言うので、本の感想を話しがてら一緒にPCに向かう。主人の後輩のHPをチェックしている時に、突然いつものように停電。またか、そのうちに街中が停電。
あらら。
そしてグラグラと大きな地震。私は人の3倍くらい地震が嫌いなので、歩くのもやっとの中寝ている長女を抱きかかえベッドの横にへたりと坐り込んでしまった。何度揺り返しが来たかなど、冷静になれず。次は玄関を開けなきゃと思い付き、パスポートなど必要そうなものをリュックに詰めて、主人に一階に行くようにせがみ、前の住人も下におりるのを聞いて、我家も行く事にした。
臨月の私はまだ赤ちゃんが出てきてないのを幸いに思い、
これはお腹の中にできるだけいてもらおうと、数時間前とは
全然逆の考えに変わってしまった。そして、私達は8階の
我家から余震の中、玄関の一階まで階段で降りる事にした。
一階に着くと同じマンションの住人が続々と降りてくる、
小雨の中栄星花園へ行くと言う家族までいる。
私達は管理人の前のソファにすわり、持参したラジオを聞き、(何もわからないけれど)1時間程過ごした。
少し余震がおさまった頃、隣のマンションに住む、友人Sさん家族が臨月の私を気遣い訪ねてくれた。彼女の家はタイルが落ちたり大変だったようだ。そう言えば、我家は何一つ壊れていないみたいだった。揺れは大きかったけれど、そんなに大変でもなかったんだと反省。でも、これからが心配、とにかく赤ちゃんは産まれないようにしなくちゃ。と、思った。
午前4時くらいにまた階段で家に戻り、暗い中長女を寝かし付け自分も寝る。日本にいる兄弟達は朝のテレビのニュースを見てこちらに連絡をいれてくれいていたが、停電の為ファックス付きの我家の電話は繋がらなかった。主人の会社のもう一人の日本人社員である社長は心配して階段で8階まで見舞ってくださったそうだが、疲れ果てた私達は豪快に寝ていて、分らなかった。香港からの出張者の先輩社員も同じ事をしてくださったが、聞こえなかった。
やっと8時半頃主人の携帯が鳴り、私と主人が起き、主人は目の前のビルにある16階の自分の会社に行く事にした。残された私と長女は家にいて、水をためたり、今後の為にジャガイモやとうもろこしをゆでて食べたりとしていたが、主人はお昼にミラマーホテルにビュッフェを食べに行っていた様だ。大家さんが置いていった普通の電話を取り付けに主人が午前中帰って
来たきり、夕方近くまで母子二人で心細く家にいた。
夕方は香港からの出張者である先輩社員の泊っているヒルトンホテル
は電気が来ているので、夕食を食べに行く事にした。
先輩と社長はもしもの事を考えて、先輩の取った部屋に泊るように
進めてくださったが、娘が寝ない事が一番家族を疲れさせるので
友人Sさんから電気が通った連絡が入った事だし、帰る事にした。
9/22
娘の幼稚園の先生がお迎えにきてくれた。まだ、彼女は寝ているので送って行く事に
する。我家は8階で小さな余震でも揺れるので、Sさん宅に私は日中、寄せてもらう事にした。大きな余震が2回もあったけれど、娘を幼稚園に行かせてしまった(鬼のような母である)。
幼稚園は電気が来ていないようだけれどあずかってくれるので置いてくる。3時にお迎えになった。23日は休園だそうだ。
私はずーっとSさん宅にいて、彼女のお友達もきて3人で今後の事、地震の時の
事を話していた。だんだん、これは、今日明日中に無理矢理飛行機にのって
日本に帰ったほうが良いのではないかと話しが結論に向かっていった。
帰って主人に相談し、中華航空をつかっている私は羽田から救急車で
病院に向かい、出産でも良いかな?なんて考え出した。
日本なら何処でも良い気分になって来た。
とにかく3時のお迎えまでに「そごう」に買出しに行き、保存できる不健康食品の
カップラーメンなどたくさん買い込んで帰ってきた。
9/23
またまた、Sさんとその息子さん、私と娘でマックでお昼を食べ、大安森林公園へ他のお友達親子を誘って遊ばせる事にした。久しぶりに子供達が平日に遊べるとあって、とても喜んでいる。よかった、よかった。 私はマックがとても冷房が効いていて
お腹が冷えてしまって、ギュインギュインととてもお腹が張る。
公園に着いたら、他のママ達と話していて忘れていたが、
ふと気づくと張っている。今日は良く張るナくらいに思っていた。
子供達の遊んでいる様子をベンチに坐らせてもらって、眺めていた。
3時くらいからなんだか定期的に張るような気がしてきた。こんなだったけ?
と、皆に聞くと、どのママも自然分娩でなく、促進剤を入れたり、帝王切開だったり
と
参考にならず、はてと思っていた。ママ達は李婦産科がここから近いのだから
間違いでも良いから行ってきたら?と言ってくれるが、そんな風でもないので
「そごう」にお買い物をして帰る事にした。それでも、定期的にお腹は張っていた。
その日もいろいろ買い込みもしも産まれる事を考えて、主人でも料理できそうな
物を買い、家に帰って、夕食(カレイの素揚げに野菜あんかけ)を作り、
食べる頃になったら、5分間隔で1分くらい痛くなって来た。
主人は地震の後でなるべく早く帰ってきてくれていたので一緒に食事をしながら
ダメモトで李婦産科へ行く事にしようと決め、電話をしたら、いつも診てもらってい
る
李先生はいないけれど、違う先生が見てくれるというので、シャワーを浴びて
友人二人に電話をし、あらかじめ整えて置いた入院セットを持って、家族三人で
タクシーで向かった。
9時15分、いつも見る顔の看護婦さんがいた、初めて会う王先生が診てくれた。
エコーで頭の大きさを見て、すぐに内診、エコーではまだ予定日が10月なんにち
と表示されていた。先生も赤ちゃんは小さいとの事。内診では二指開いているそう
だ。
民権東路の我家は病院からちょっと遠いので、家に帰って産気づいたら大変なので
大事をとって入院して行きなさい。といわれる。私はすこし陣痛が遠のいたみたいで
先生が私を見ている限りではそんなに痛そうではないので明日くらいになるのでは?
と言われる。日本人のように日本語を話す老公「大先生」がいらして、ここに
入院しなさい。何があっても大丈夫だから、先生もいるし。と、日本語で話してくれ
る。
そして、座薬の浣腸剤を渡され、30分待ってトイレに行きなさいと説明される。
10時に病室を決め、座薬を入れて、支給された手術着に着替え、観察室に
はいって、赤ちゃんの心音を聞くベルトを二本巻かれる。
深呼吸して痛みを逃さないと耐えられなくなって来た。そのうちに李先生が帰ってき
た。
少しして、李先生が内診、「破水させよう」と中国語でいっているようだ。
えーっ!!もう産むの?主人がもう産まれるのかと英語で質問すると、二人目だし、
赤ちゃんも小さめなので早いんだとの回答。
私は10時半過ぎていたので、トイレに行って良いんだと思ったら、モヨウしてき
て、
トイレに行きたいと行ってゆっくりトイレに入っていた。途中2回くらい看護婦さん
に
「用力」してはいけないよ。と声をかけられた。そして、分娩台へ。
長女のときは日本の総合病院で産んだので、薄暗い分娩室だったが、李婦産科は
とっても明るい分娩室だった。
李先生がはさみを持ち、助産婦さんが私に点滴をし始めた。
友人Mさんに膜を切られるのって痛いのよ。と聞いていた私は切るの?
と、質問した。それから点滴をされて、これは何?と、聞いたり、クラクラしてきた
ので
こりゃ大変とおもって、「先生、私は貧血がある大丈夫?」と聞いたけれど、
助産婦さんはアタマグルグルネと言ってくれるだけで
先生は大丈夫の顔をしてました。何か注射を点滴に注入しているのを見て
先生が破水させたのだけど、痛くなくて、あ〜良かったと、思った。
げっ、この後グリグリ(ある友人はこの先生と助産婦さんに子宮口を手で
グリグリと広げられたと聞いていた)かと思っている間にクラクラした来たので目を
つぶっていい?
って聞いたら、良いよというので、つぶっている間に、陣痛が来た。
これはいけないと思って、「用力的時候、ガンチライクーイーマ?」と今思うと
全然違う事聞いていた。「閉下來」ビーシャーライだった。でも、目をつぶっちゃ
いけないと友人Mさんに良く言われていたので、結局のところ赤ちゃんが
出てくるところ良く見えた。いきみたいのは4回くらいだったか。
最初の2回はまだ、まだと言われてしまって、足をバタバタした。
その後、いきんで良いよと言われて、確か「ハイリンだ」と言っているのが
分った。あーもう少しなんだなと思って、もう一回いきんで頭が出て
もう一回と言われたけど疲れてしまった。へーとしていたら、いつも検診で
あっている助産婦さんが私の頭をぐいっと起こしてくれて、赤ちゃんが
頭だけ出ている、これはあと一回と思って、頑張った。
でも、その間にも、他の助産婦さんが赤ちゃんの鼻から羊水出す機械用意したり、
寝かすベットを用意したりしているの覚えている。
私って、台湾出産向きだったようだ。
もちろん、会陰切開はあってその前に麻酔は3箇所打たれた。
そして、切ったのだから縫ってくれたのだが、そこが覚えていない。
赤ちゃんを産んだらがっくりと眠ってしまったようだ。自分の産んだ娘(二人目も女
の子)を
見たか見てないか定かでない。覚えているのは移動式ベッドにヨイショと乗せられた
時から
なのである。
主人は良い子でテレビを見れなくなって来た娘にせがまれて、コンビニに娘の好きな
お菓子と
ウーロン茶を買いに行っている間に次女が誕生していた間の悪いパパになってしまっ
たようだ。
結局11時20分3200グラムの女の子を出産した。
全然小さくないじゃないと私は思うのだけれど、どうなんでしょうか?
病院についてから2時間で産んでしまった私の2回目の出産は台湾大地震のおかげで
頼んでもしない8階までの階段ウォーキング、極度の不安、臨月の妊婦にはちょっと
大変だったけれど、だからこそ超軽いスピード出産が出来たと感謝しています。
後で考えるときっと促進剤を使われたのだろうと思うのですが、それを聞けるほどの
中国語力もなく、出産してしまいました。なんと恐ろしい事でしょう。
でも、それでも事が終わってしまうってところが台湾なのかなぁ。
とにかく台湾で産んで良かったと思う私の台湾出産体験記でした。
ところで、病院の料理はそんな食べれない事はなく、特にスープはマズイとは
思わないけれど、頑張って飲んだって感じだった。飲めなくないけど、美味しくも無
い。

料理全般そんなかんじ、なんてったって薬膳料理。でも、まったく手を付けない事は
無かったので、私って凄いです。
朝の五穀米のおかゆだって食べちゃったもんね。
そして、なんと!分らないでウミウシじゃなくてなんだっけ?黒くて乾物街売ってい
るやつ
なまこ、食べちゃった!!最初食べてこんにゃくかな?と思ったの、味が染みてると
か
思っていて、他にもゴロゴロしてるから良く観察したらナマコだった。最初食べたの
で
止めときました。いくら私でもナマコはいただけません。
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