「緋寒桜」
心に浮かぶ、一枚の写真があります。
早春のまだ寒い午後、満開の緋寒桜の下で笑う、
車椅子の祖母と自分。
祖母は、パーキンソン病という難病を患う人でした。
手足の自由が利かなくなり、ひどい副作用に
悩まされるような、強い薬を飲んでも
自分の意志で動ける時間は、一日2〜3時間。
その他の時間は、自分の意志とは関わりなく
揺れ動いてしまう体を抑え、行きたいところにも、
トイレにすら、自分ひとりでは行けないような
生活でした。
今はもう亡き祖母は、そんな体であったにもかかわらず、
とても我慢強く、しっかりとして、穏やかな人でした。
毎朝きちんとした洋服に着替え、化粧をし、家の中でも靴を履いて
(はだしでは薬が効いていても歩けなかったので)
隣に住む、私が遊びにいくと、いつも同じ椅子にきちんと座って、
優しく迎えてくれました。
私が大きくなり、祖母を支えられるようになってからは、
よく祖母がトイレにいく手伝いをしました。
トイレにいく手伝いといっても、歩けない祖母の両手を引いて
トイレまで一緒に行き、前で待っていて、また帰ってくるというだけで、
祖母はどんなに時間がかかっても、下の世話を私にさせるということは
ありませんでした。
祖母には身の回りの世話をしてくれる、住込みのお手伝いさんもいましたが、
私が遊びに行ったときは、いつも私の手を借りて歩き、手の引き方が上手で
歩きやすい、とよく褒めてくれました。
私は祖母が大好きで、悩み事や、恋の相談をしたり、親には内緒の話をしたり、
車椅子を押して、一緒に散歩に行ったりしました。
よく行ったのは、神宮外苑。ひざ掛けをかけて、
車椅子を押して、ゆっくりゆっくり歩きます。
たわいもない世間話や、木の名前、花の名前。
祖母といた時間は、いつでも柔らかい、いい匂いのする空気に
包まれていたような気がします。
西日に照らされた、満開の緋寒桜。
私のモヘアのオーバー、祖母の膝掛けの色。
冷たい空気と、かすかな春の匂い。
もっともっと、一緒に散歩に行けばよかった。
もっともっと、いろいろ話せばよかった。
悔いは残るけれど、この幸せな午後の記憶は、
祖母が私に残してくれた大切な宝物です。
つらい日々にも私を照らしてくれるでしょう。