「Kanon」SS

水瀬家のすきんしっぷ

文:藻枝笹峰


 真琴に今一番必要なもの。
 それは人とのつながりの温かさを知るということだと思う。
 方法はいろいろあるだろう。
 これもそのひとつだ。
「真琴、入るぞーっ」
 洗面所から、水の滴る磨りガラスの向こうの真琴に一声かける。
 この家の風呂場はけっこう防音が優れているので、もしかしたら聞こえてないかも知れないが。
 まあ、そんなことはどうでもいいことだ。
 オレは服を脱いで、タオルで前を押さえて入室した。
「………」
 湯煙の向こうでは、湯船に浸かった真琴がぽかんと口を空けてオレを見つめていた。
 オレの肉体美に見惚れている…というわけでもなさそうだが。
「よぉっ」
「………」
 気軽に片手を上げてみせても、真琴はまだぽかんと口を空けたままだ。
 初めて他人と風呂に入るということで緊張してるのかも知れないな。
「ほら、端に寄れ。入れないじゃないか」
「………」
「………」
「………」
「……?」
「…きゃあああああああああああぁぁぁぁぁぁーーーーっっ!!」
 バシャバシャバシャーーーーーーッ!!
 盛大に湯をひっかけられる。
 照れ隠しなんだろうな、かわいい奴だ。
「お、かけ湯か?すまないな」
 きゃーきゃー言いながらお湯をかけている真琴の横に身体を沈める。
「おう、いい湯だ」
「わ、ほんとに入ってきた!」
「あたりまえだ。裸で風呂に入って湯に浸からない奴なんていないぞ」
「あぅーっ、出てってよぅ、えっち!真琴が入ってるのにーっ」
 身体を丸めて少しでも隠そうとしている真琴。
 一人前に恥ずかしがっているらしい。
「はっはっは、心配するな。お前の貧弱なボディーには少しも興味がない」
 そう言いながら、真琴の背中をばしばし叩いてやる。
 スキンシップの第一歩だ。
「いったぁぁい!なにするのよぅ」
「お、痛かったか?すまん、すまん」
「祐一のバカ力…少しは気を使いなさいよぅ。乙女の柔肌に傷でもついたらどうするのよぅ」
「まあそう言うな。今日はお前に耳よりの情報を持ってきてやったんだ」
 思いっきり意味ありげな表情を見せてやる。
 こういうのは得意だ。
「……耳より?」
 案の定、単純な真琴はすぐに乗ってきた。
「真琴、おまえ秋子さんや名雪と一緒に風呂に入ったことないだろ」
「当たり前よぅ。みんなひとりで入ってるじゃない」
「オレはあるぞ」
「えぇっ!?」
 驚いてる、驚いてる。
「ま、まさか……あっ、わかった。それって、祐一のちっちゃい頃でしょ」
「そうだな、小さい頃も一緒に入ったかもしれないが、オレが言ってるのは今年に入ってからの話だ」
 真琴はあからさまに動揺していた。
 あの秋子さんが、名雪が、とブツブツなにやら呟いている。
「言っとくが、オレだって驚いたんだぞ。なんせあの秋子さんが急に入って来たんだからな」
 オレは勿体つけて、真琴を一瞥する。
「そのときの話…聞きたいか?」
「うんっ、聞きたい、聞きたい!」
「よおし、話してやる」
「うん、うん!」
 すっかりオレのペースだった。
 オレはひとつ咳払いして、その話をはじめた。




 秋子さんに声をかけられたのは、ちょうど身体を洗おうと湯船を出てタオルに石鹸を擦りつけているときのことだった。
「祐一さん…ちょっといいですか」
 オレが気づかないうちに秋子さんが洗面所に居たのは多少驚いたが、まあ慌てふためくようなことでもない。
 多分、シャンプーでも切れてたのを補充するのだろうと、オレは気軽に返事をする。
「ええ、どうぞ」
「じゃあ、ちょっとお邪魔しますね」
 石鹸をつける途中のタオルで一応前を隠すと、ガラス戸の開く音が聞こえた。
 なにげに振り返ったオレは、心臓が飛び出るほど驚いた。
 なんと秋子さんは替えのシャンプーどころかタオル一枚持たない全裸だったのだ。
「あ、秋子さん、ど、ど、どうして…」
「お風呂ご一緒しようと思って…いけなかったかしら?」
 いつものように、頬のあたりに左手を添えて軽く首をかしげる。
 そうすると、その左手で隠していた柔らかそうなヘアが丸見えになるのだった。
 反対の手で隠そうとかそういう気はまったくないらしい。
 もちろん、高校生の娘がいるとは信じられないような張りのある綺麗なバストもそのままで、さくらんぼ色の二つの尖りを震わせている。
「い、いや、その、いけなくはないですが、えっと…」
「それとも、こんなおばさんとじゃイヤ?」
 にっこりと微笑む秋子さんに、オレは慌ててぶんぶんと首を横に振った。
「そう…よかったわ」
 秋子さんがオレの前をゆっくりと横切る。
 そして、湯船の横に片膝をつくと、肩から何度か湯をかぶった。
 その間、オレは秋子さんに向きそうになる視線を必死に押さえつけて、難しい顔で天井と壁の間を眺め続けていた。
「祐一さん。今から身体を洗うところなんですか?」
「は、はいっ」
 返事が体育会系のように元気よくなってしまう。
 すごく緊張しているのだ。
「だったらお背中流しましょうね」
「ええっ!?」
 オレは精一杯驚いた声を出したつもりだったが、秋子さんはまったく意に介していないようだった。
 さっきのように「いけなかったかしら」と聞いて来ることさえない。
 まさか止めてくれとも言えず、オレはしかたなく天井の切れ目を見つめ続けていた。
 後ろで秋子さんが液体石鹸のポンプを押している音が聞こえる。
 続いてそれを何かに塗っている音。
 そのあと、いきなり背中にぬるっとした感触を感じた。
「うおっ」
 思わずびくっと肩が震える。
「あら?冷たかったかしら?」
 まったく慌てた様子をみせない秋子さんのおっとりした声。
「い、いえ、いきなりだったからちょっと…」
 感触から、秋子さんが手で石鹸を塗り広げているのだとわかった。
 この風呂場で唯一のタオルはオレの股間を隠しているが、ちょっと手を伸ばせば名雪か秋子さんが使ってるであろうスポンジなどもある。
 なぜそれを使わないんだろうと思いを巡らせていると、秋子さんが手を離した。
「それじゃあ洗いますから…くすぐったかったら言ってくださいね」
「あ、はい」
 つまり石鹸をつけるのは準備段階で、これから洗ってくれるということだ。
 さっきはいきなりで驚いたので、今度はちゃんと声をかけてくれたのだろう。
 オレはようやくリラックスして秋子さんに背中をゆだねた。
「………」
 背中に何か柔らかいものが押し付けられた。
 二箇所だ。
 肩甲骨の下あたりに押し当てられたそれが、二つ同時にゆっくりと円を描く。
 たっぷり塗られた石鹸のぬるぬるした感触でよくわからないが、どうやらスポンジではないらしい。
「………」
 秋子さんの熱い吐息を、すぐ近くに――首筋あたりに――感じた…ような気がした。
 そのうちに、秋子さんがオレの二の腕に手をかけた。
 しかも、両方同時だ。
 軽く体重がかかるが、しっかり座っているオレにはほとんど負担にならない。
 背中の感触はまだ続いている。
 オレは確かな違和感を感じた。
 両手でオレの二の腕を掴んでいるはずの秋子さんが、どうやって背中を洗っているんだろう。
「あ、あの、秋子さん…」
「はい?くすぐったかったですか、祐一さん」
「い、いえ。なんでもないです」
 思った通り、秋子さんの声はオレのすぐ耳元で聞こえた。
 確かめねばならなかった。
 背中に押し当てられているこのぷにぷにと気持ちのいい感触の正体を。
 オレは、ギギギィと音のしそうなぎこちなさで首だけを振り向かせた。
「あら…」
 真正面に秋子さんのいつもの笑顔があった。
 そして、視線を落とすと、背中に密着した秋子さんの胸の谷間が…
「ぐあっ…やっぱり…」
 秋子さんはオレの背中に自分のおっぱいを押し当てて洗ってくれていたのだった。
 いや、洗ってるというよりこれは…
「秋子さん…背中流してくれるのは嬉しいんですが、こういうのはやめてください」
 まるで風俗嬢みたいじゃないですか、という台詞は呑み込んだ。
「遠慮しなくていいんですよ。祐一さんは家族の一員なんですから」
 どうも話が噛み合わない。
 やっぱり名雪の母親なんだなと感じるのはこういうときだ。
「遠慮はしませんが、できれば普通にお願いします」
 できるだけきっぱりと言ったつもりだが、顔には動揺が現れていたかも知れない。
 それでもやっと秋子さんが胸を放してくれた。
 オレはどうしていいかわからず、再び天井の境目を眺めるために視線を上に向けた。
「わかりました…合格です」
 秋子さんが小さな声で付け加えた言葉の意味は、オレにはよくわからなかった。
「じゃあタオルお借りしますね、祐一さん」
「え……」
 あまりにもさり気ない秋子さんの動きだった。
 オレの股間を覆っていたタオルは、あっさりと奪われてしまったのだった。
「…あら」
「う、うわぁっ」
 オレは健全な男子高校生だし、秋子さんは子供をひとり生んだとは思えないほど魅力的だ。
 つまり、覆いを外されたオレの暴れん棒は見事な屹立を見せていたのだった。
「…元気ですね、祐一さん」
「ほっといてください!」
 秋子さんのくすくす笑いを背中に聞きながら、オレはみっともなく両手で股間を押さえるしかなかった。




「…というのが、オレが秋子さんと一緒に風呂に入ったときの出来事だ」
 目をまん丸にして耳を傾ける真琴に、オレは重々しく頷いてみせた。
「秋子さんって……すごいね」
 どう感想を言っていいのかわからないのだろう、真琴が呟くように漏らした。
「このあとオレも秋子さんの背中を流したんだが、そこのところは省略だ」
「祐一も、おっぱいで洗ってあげたの?」
 真琴がにっと笑ってオレの顔を見る。
「そんなわけあるか、バカ!」
 ゴチンッ!
「いったぁぁぁい!なにするのよぅ」
「くだらないことを言うからだ」
 殴られた頭を抱えて、真琴は涙目になりながらあぅあぅ言っている。
 かなり効いているらしい。
「それにこれは他人事じゃないんだぞ。次はお前の番だからな、真琴」
「え……ええっ!?真琴も秋子さんと一緒にお風呂に入るの?!」
「ああ、ちゃんと背中も流してくれるぞ。水瀬家の家族になった以上これは避けて通れない道だからな」
 この家では家族になった以上、いつかは一緒に風呂に入るのだということを強調してやる。
「あぅ〜、きっと緊張するだろうなぁ…」
「それだけじゃないぞ。真琴はいちおう女だからな。おっぱいで背中流してくれって言われるかも知れないぞ」
「えぇっ!?ど、どうしよう…」
 いかにもありそうなことだと思ったのだろう、真琴はかなり動揺していた。
「真琴のおっぱいちっちゃいから……ちゃんとできるかなぁ」
 そう言いながら自分の胸を掬い上げるように持ち上げて、大きさを確かめている。
 横からオレもそれを覗きこんだ。
「う〜ん、確かに小さいが、オレの胸よりはマシだろ」
「そりゃあ祐一は男だから……きゃあああぁぁぁっ、なに見てるのよぅ!えっち!」
 バシャバシャバシャーーーーーーッ!!
 またしても盛大に湯をひっかけられる。
 今度は至近距離なので被害も大きい。
「うわっぷ、こらやめろ。お前が見せたんだぞ、真琴」
 オレが真琴の頭を押さえつけて湯に沈めようとする様子を見せると、ようやく攻撃は止んだ。
「あぅぅ…見られた」
 真琴はまた涙目になっていた。
 さっきまでもずっと見えていたのだが、はっきりと見えた証拠を示されたのがイヤなのだろう。
「オレも真琴の家族になったんだから、一緒に風呂に入ることもあれば、当然裸を見られることもあるさ。まあそんなに気にするな」
「気にするわよぅ」
 そりゃそうだ。
「それより、名雪と一緒に風呂に入ったときの話もあるんだが…聞きたくないか」
「え……ええっ!?祐一、名雪とも一緒に入ったの?!」
「当たり前だ。名雪も家族だからな。どうだ、聞きたいか?」
「う、うんっ。聞きたい、聞きたい」
「よし、話してやる」
 すっかり機嫌を直して目を輝かせる真琴を前に、オレは話を始めた。




 秋子さんに背中を流してもらった翌日のことだ。
 オレは、一日の汚れをすっかり洗い流し、ゆったりと湯船に漬かっていた。
「祐一、ちょっといいかな?」
 名雪の声が聞こえた…ような気がした。
 なんせこの風呂場はえらく防音が優れている。
 昨夜もそれで秋子さんが入ってくるのに気づかなかったくらいだ。
「ん…名雪か?」
 オレは独り言とも取れるくらいの声で呟きながら、入り口のガラス戸を振り返った。
 ガラガラガラ……
「入るよ〜」
 目の前でガラス戸が開き、今度ははっきりと名雪の声が聞こえた…
 …と思ったときには、もう名雪はこちらに一歩を踏み出していた。
「ぐあっ…オ、オレはもう驚かないぞ」
 自分が思いっきり動揺した顔をしているのは、はっきりわかっていた。
 そんなオレの顔を見て、いつものようなのんびりした顔で小首をかしげる名雪。
 いつもと違ったのは、名雪が左手で前を押さえただけの全裸だったことだ。
「…名雪…どうしたんだ?」
 とりあえずこれは聞いておかないといけない。
 昨日の秋子さんと違って、名雪はさっきオレの前に風呂に入っていたはずだ。
 現に、オレとすれ違ったときに、
「祐一、いい湯だったよ〜」
「おぅ」
 と、短いやりとりをしたばかりなのだ。
「さっき入ったときにちょっとね…」
 名雪がなぜかすごく嬉しそうな顔で理由をしゃべりはじめる。
「…身体を洗うのを忘れちゃったんだよ」
 悪びれたような様子はまったく見せず、名雪がこちらに近づいてくる。
「忘れたって……まさか名雪、風呂の中で居眠りでもしてたのか?」
 いかにもありそうだ。
「違うよ…」
 名雪は不満そうに唇を尖らす。
「それよりわたしも入っていいかな?ちょっと寒くて…」
「おう、いいぞ。風邪ひく前に入れよ」
 オレは、名雪が入り易いように、身体の向きを変えた。
「うん。ありがとう」
 湯船の前で屈み込んだ名雪の胸では、思ったより大きなおっぱいが柔らかそうに揺れていた。
 肩から湯をかぶって、名雪が立ち上がる。
 浴槽の縁を跨ぐとき、オレは気を使って目を逸らした。
「ふぅ…いい湯だね」
 狭い浴槽の中で、肩と肩が触れ合う。
 オレが左で名雪が右という教室と同じ配置なのだが、こうして見る名雪の横顔は、教室で見るそれとは別人のようにさえ思えた。
「なあ名雪…ひとつ聞きたいんだが…」
 聞きたいことは山ほどあるような気がしたが、オレはそういう切り出し方をした。
「うん、なに?」
「…風呂に入ってて身体を洗い忘れるなんてことがよくあるのか?」
「違うよ…」
 この答えは二度目だ。
 名雪はやっぱりちょっと唇を尖らせている。
「ぜんぜん洗ってないわけじゃないよ。一箇所だけ洗い忘れたの」
 髪でも洗い忘れたのかと思ったが、見ると名雪の髪にはまだ湿りが残っているようだ。
「一箇所ってどこだ?」
「………」
 名雪は困ったように目線を逸らせた。
「…口では言いにくいところだよ」
 そしてちょっと顔を赤くする。
 なかなかリアクションに困る答えだった。
「………」
「………」
 思いっきり気まずい空気が流れる。
 オレはあさっての方を向いて、別の話題を探した。
「………」
「…祐一はもう洗ったの?」
 オレが考え込んでいるうちに焦れたのか、名雪が先に話し掛けてくれた。
「ん、ん?口では言いにくいところか?」
「…違うよ」
 ちょっとウィットを効かせたフレンチな答えだったのだが、名雪は気に入らないようにまた口を尖らせていた。
「身体なら隅から隅までピカピカに洗ってあるぞ。こう見えてもオレは綺麗好きだからな」
「そうなんだ」
 名雪が意味ありげな笑みを浮かべている。
「…なんだよ」
「ううん。ちょっと残念だと思って」
 ぜんぜん残念じゃなさそうな顔で、名雪が答える。
「まだだったら、祐一の背中流してあげようと思ってたから」
 その胸でか?という言葉をオレは危うく飲み込んだ。
 いつのまにか名雪の胸元を覗きこんでいる自分に気づいて、慌てて視線を逸らす。
 なんせ秋子さんと風呂に入ったのは昨日のことだ。
 まだあの感触が生々しく背中に残っているような気がする。
「そいつはオレも残念だな。こんなことなら手抜きしとけばよかった」
「うん。ホントに残念だよ」
 名雪の顔にまた意味ありげな笑みが浮かぶ。
 妙に気になる表情だった。
「………」
「…ねえ、祐一…昨日はお母さんに背中流してもらったんでしょ」
「ぐあっ…」
 いきなりのストレートだった。
 まさか名雪がこんな球を隠し持っているとは思わなかった。
「な、なぜそれを…」
 言いながら、自分でもバカなことを聞いていると思った。
 同じ屋根の下に住んでいるのだ。
 いくら名雪がのんびりしているとはいえ、気づかない方がおかしい。
「お母さんズルイよね。祐一と一緒にお風呂に入るのは、わたしが先のはずだったんだよ」
「そ、そうなのか…」
 不満そうな顔をする名雪に、オレはバカみたいに相槌を打つことしかできなかった。
「そうだよ…」
 名雪がさらに続ける。
「祐一を駅まで迎えに行ったのはわたしなのに…お母さんったら、おばさんに祐一をお願いしますって言われたのはお母さんだから、って言うんだよ。わたしだって電話を代わった後で、お願いします、って言われたのに…」
 そう言えば、おふくろが電話をしながら何度も頭を下げてたのを思い出す。
 しかし、そんなことでオレと一緒に風呂に入る優先権を奪い合っているとは知らなかった。
 微笑ましいというか、ガキの口喧嘩レベルというか…
「祐一だってわたしが先のほうがよかったよね」
「ま、まあな…」
 多分、逆らうのは得策ではないだろうと、オレは無難な答えを選んだ。
「祐一って優しいね」
 にっこり笑ってこんなことを言い出すから、名雪はあなどれない。
 曖昧にごまかそうとするオレの内心は、しっかり見透かされていた。
「ねえ、祐一…」
「なんだ?」
 ともあれ、名雪の機嫌は直ったようだ。
 すっかり表情が元に戻っている。
「祐一もお母さんの背中流してあげたんでしょ」
「ま、まあな…」
 機嫌は直っても、話題は変わっていなかった。
 オレはまたさっきと同じ無難な答えを繰り返すしかなかった。
「わたしの身体ももちろん洗ってくれるよね」
 満面の笑みをオレに向けながら、きわどい話題に触れてくる。
「お、おう。まかせとけ」
 追いこまれてるのがわかっていながら、安請け合いしてしまう。
 我ながら、困った性格である。
「こう見えても、背中を流すのは得意だからな」
「…違うよ」
 何度か繰り返した同じこの台詞を、今度は嬉しそうな表情でつぶやく名雪。
「背中じゃないよ」
 気がついたときは、もう遅かった。
 名雪が洗っていないのは一箇所だけだったのだ。
「ま、まさか…口では言いにくいところか?」
「…そうだよ」
 名雪は顔を赤くしながら目線を逸らした。




「オレが黙っていると、名雪はおもむろにオレの右手をだな……って、聞いてるのか、真琴?」
 身振り手振りを交えた熱演を中断して隣を見ると、真琴は顔を真っ赤にして目を潤ませていた。
 あまりにきわどい話に興奮している…というわけではないらしい。
「………」
「真琴、おまえ…もしかしてのぼせてるか?」
「………」
「………」
「……わかんない…頭が…ぼーっとする…」
 どうやら本当にのぼせかかっているらしい。
「……あ…祐一がヘンな顔…」
「ほっとけ!……って、おい!真琴!」
 見てる間に、小柄な身体がグラリと傾き、真琴はオレに凭れ掛かりながら目を回してしまった。
「しっかりしろ!傷は浅いぞ!」
 何度か揺り動かしてみるが、真琴が目を覚ます様子はない。
 赤く茹った顔は、一見気持ち良さそうに眠っているようにさえ見えるが、早く短い呼吸がそれを裏切っていた。
「助けを呼ぶ…のはまずいよな、やっぱり…」
 できれば『あうぅ』とか『うぐぅ』とか叫びたいような気分だったが、そんな非建設的なことをしてても始まらない。
 オレは全てをひとりで片付ける決心をつけ、とりあえず真琴を湯船から引っ張り出した。
 それからのオレの苦労は筆舌に尽くし難いものがある。
 洗面所に真琴を運び出し、身体を拭いて、用意した着替えを着せてやり、名雪や秋子さんに見つからないように、こっそり真琴の部屋に運んで、布団まで敷いて寝かせなければならなかったのだ。
 二人にばれなかったのが奇跡のようにさえ思える。
 いや、寝るのが早い名雪はともかく、秋子さんは気づいていたかもしれない。
 まあ…そのことはあまり考えないようにしよう。
「気持ち良さそうな顔で寝やがって…」
 オレは最後にもう一度真琴の顔を見てから、部屋を後にした。
 無意識に額を拭っていて、オレは全身にぐっしょりと汗をかいていることに気づいた。
 もう一度風呂に入りたかったが、言い訳を考えるのも面倒なのでやめた。
「よし…明日はもっと短い話にしよう!」
 オレはドアの前で意味もなく拳を握り締めたあと、自分の部屋に戻った。

(おしまい)



○作品解説

 初投稿の藻枝笹峰(もえだささみね)です。
 えっちぃやつはえっちぃやつなので、とりたてて解説も必要ないかと思いますが、とりあえず経緯などを。
 この作品は「Bright Season5」で「無料配布品」として50部ほど配布したものを若干修正したものです。
 また、同じものを「Reliable Memories」でも再版し「握手ウェア」として10部ほど無料配布しました。
 内容的にかなり不完全燃焼ではありますが、そこは「続編の執筆予定がある」ということで勘弁してください。
 最後に、主宰の雀バル雀さんへ。この作品の投稿を快くお引き受けくださり、どうもありがとうございました。



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