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ネ オ 神 学 論
(無神論の立場からシステムとしての「神」という存在へのアプローチ)
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深淵の面

生命の真理の解明を神仏に探し求めるという姿勢は
本当に正しいことなのだろうか

われわれはこのことを今一度
冷静に考えてみなければならない時期にきているのではないか
世界中のあらゆる宗教、あるいは信仰を持っている人々がいうように
本当に「神」という超自然的な絶対者はこの世に存在しているのか

「旧約聖書」の冒頭に記載されている「創世記」の一節には
創造主である「神」が天地万物を造り
最後に神のかたちに似せて人間を造ったということになっている
現代においても世界中のほとんどのクリスチャンが
程度の差こそあれ、それを真実だと信じている

何千年も前に書かれたユダヤ教の教典に
そのように記載されているというだけで
「聖書」に記載されているすべての内容を
「神」の言葉であると信じ
いまだにその基準を前提にして社会経済・政治・軍事などの
人間の行いの全般にわたって多大な影響を及ぼし続けている

しかし、もしそれが、過去のほんの一握りの地域民族の創り上げた
創作的な、ただの「神話」だったとしたらどうだろうか

われわれは、自分たちの「未来社会」に対する選択を
大きく誤ってしまうことになるのではないだろうか
あるいはまた、未来に限らず現在すでに営まれている
個々の人々の貴重な人生さえも
無駄にしてしまうことにならないだろうか

もし「神」がいなければ・・・、否、「神」はいないのだ
「神」がいると主張する多くの人々が社会に与える巨大な影響力
それを一般の人々が制御することは非常に困難である
歴史上、数多く繰り返されてきた悲劇を見てもわかるように
一つ間違えば、それはとても危険な状況に我々の社会を追い込んでしまう
絶望的かつ容赦ないほどの危険性をはらんでいる
創造された神

古来より、われわれ人類は
未知なるものに対して、さまざまな方法で解明の努力を試みてきた
自然の災害から身を守る方法や死に対する畏れ
自然から得られる豊かな恵みに対する喜び
果てしなく広がる大海原や、天高くそびえ雪と氷に覆われた大山脈

理由もなく立ち向かうには
あまりにも過酷すぎる大自然を前にして
古代の人々は何を考え、何を想ったのか
圧倒的な自然の驚異を前に、彼らがたどり着いた結論は
天地万物を創造し、人類さえも創り出した大いなる力の存在だった
人はそれを畏敬を込めて「神」と名付けた

世界中のいたるところに伝えられている神話や伝説
その物語りの始めに必ずといってもよいほど登場する超自然的な存在
現代社会に生きるわれわれに対しても、はかりしれないほどの影響を与え続け
あらゆる民族や国家、人々の生活様式や文化を固有の色に染め
善悪の基準や民族性にまで影響を及ぼしているもの
人々の信仰の対象となり
さまざまな社会に深く浸透している「神」という存在がある

人々の抱く「神」のイメージは
そのほとんどが自然環境を擬人化したものであり
季節ごとにもたらされる農作物や多様な山海の幸は「神の恵み」
洪水や干ばつ、暴風雨や落雷などの自然災害は「神の怒り」
人間に対してはあるときは母のように優しく
時には暴君のような厳しさで容赦なくわれわれを打ちのめすもの
それが「人格神」としての「神」である

今世紀にいたるまで
多くの人々が「神」について語り
膨大な書物には「神の足跡」が記されている
「神」を見たものはあまた存在し、その「声」を聞いたものもまた多い
「あなたたちが心から望むならば」
「誰にでも、いかなる時でさえも「神」はその姿を顕わしてくださる」
そういって人の心に鎖をかけようとする者のなんと多いことか

「神」を見せることはできる
「神」の声を聞かせることも不可能ではない
なぜならば、人の心はとても弱いものだから
だが、「神の存在」を客観的に証明して見せた者は
いまだかつて
この地上には一人もいない

倒錯の光

それゆえ
かのイエス・キリストですら
短い生涯の中で神の愛を語り続け
多くの奇蹟をおこなったにもかかわらず
「神」の存在を人々に証明することができなかった

最後には
彼に失望した人々の嘲笑の中で
みずからが十字架に架かり
死んでみせることしかできなかったのである