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2001年1月2日

 御吸い物を飲んで、雑煮とした。旅行から帰ると新しいKrean studentが来ていた。彼は30歳でインターネット関係の会社らしい。額入りの彼女の写真を持ってきていて、かなりべっぴんだった。来年結婚するらしい。毎日彼女から携帯に電話が掛ってくるらしい。韓国はインターネットがとても盛んで、若者の間ではインターネットゲーム「スタークラプト」がものすごい人気らしい。イギリスはものすごくネットの処理速度が遅く、韓国が勝ったと言っていた。
 彼はあまり英語が喋れなくて、ホストマザーは英語が理解してもらえなくて、「彼の英語はrubbish(ごみ)だ」と言っていた。英語を勉強しに来てるのだから喋れなくて当たり前じゃないか。ホストマザーが言った時は、ついへつら笑いしてその事を言えなかった。イギリス人はよく悪いものやくだらない事をrubbish言う。彼は英語の勉強のため他のコリアンとは喋らないと言っていた。が、2週間後にコリアンの友達とアパートに住むと言って出て行ってしまった。
  夜に日本の紹介番組やっていた。それは日本の電気製品や、ファッション、盆栽、柔剣道などを紹介していた。日本の事がテレビに出るととても嬉しい。その後ビートタケシの映画特集があった。たけしの映画をいろいろ解説などしていた。はっきり言ってたけしの映画は見た事無い。かなり、バイオレンスで驚いた。
 たけしが喋るシーンがあるが、ギャグは吹き替えされていなかった。たけしの後ろにたけし軍団がちょろちょろ映っているのが面白かった。「井出らっきょや!あっ!そのまんま東や!イギリスのテレビに出るとはビッグになったなぁ・・」なぜか井出らっきょに甲子園で会った事を思い出した。たけしが事故ったことなども出ていた。昔の漫才シーンでツービートなども出てきて、コマネチも見ることができた。よい番組だった。



1月5日

 日本紹介番組またやってた。イギリスの人気のあるトークショウの司会者(ピーコのようにオカマっぽい中年、名前は多分ノートン)が日本の一般家庭にホームステイするというやつ。キティーちゃん、プリクラ、パラパラ、ゲームセンター、など紹介して違う視点から日本を見て、違う国のような気もした。
 鈴木その子も出てきて、家を紹介したりしていた(年末にその子は死んだと聞いていたが番組では一言も言ってなかった)。隣の部屋に行くと急にその子が挙動不審になってノートンが通訳に「私なんか変なこと言ったかしら?(オカマ風翻訳)」と心配していて、通訳が「多分照明が足りないんじゃないでしょうか?」と言うとノートンが「照明持ってきて!!」と叫んでADが照明を持ってくると、その子が急に嬉しそうなり「Oh! Now she is happy.」と言っていたのが面白かった。
 ホストクラブや風俗やエログッツショップなどもやってた。ラブホテルの部屋を紹介してもらってる時、表では「ファンタスティック!!」など言っていたが陰で英語でボロカス言っていた。テレクラに挑戦しているとき電話相手の女があんまりエロいこと言うので女性の通訳がパニックになって、ノートンに日本語で説明したり過激に英訳したりシドロモドロになっていた。ノートン「She is interested in just my peanut!!??」。ハウスメイトは日本はエロい国と思い込んでいた。
 ホストファミリーの娘が浅野忠信のファンで、最後に公園にいる浅野忠信を見つけると言うハッピーエンドであった。
 その後、日本の3流ポルノ映画やってた。見たことの無い芸人でお決まりの棒読み演技やった。英語の字幕が出ていて、こう訳せるんや!というのがたくさん見つかっていい勉強になった。「wellcome home.(おかえり)」。
 ちょうどいい機会なのでついでに否定疑問文などを言うと「ピーマン好きじゃないの?(Don't you like a green pepper?)」「うん」と言うと字幕はNoになる。字幕を見ながら聞いているととても変な気分になる。日本語とYes、Noがこの時ばかりは逆になる。中学の時に習ったはずだが、これに慣れるまで3ヶ月掛った。考えるとできるのだが日常会話ではすぐに忘れてしまう。Yes,Noが逆といのは全く逆の意味になるので大変恐ろしい誤解を招くことになる。ほとんどの日本人、韓国人(文法がほぼ同じ)が同じミスをしたことがあると思う。「Didn't you go to a pub last night?(昨夜パブに行かなかったの?)」「うん」と言いたいならNoと言う。このNoを「うん(はい)」と認識しなければならない。警官に「Don't cross this road!(この道を渡るな)」と言われたらYesと答えてはいけない。こう言う時はNo,I won't.が正解だがYes,Noを言わずにO.K.と答えるのが安全で良い。まためっちゃ美味しい物を食べた時に友達が「It's not delicious.(おいしくないな)」と言ったら「Yes!!!(おいしいわ!)」と言おう。誰かの家に招かれた時「Don't you like a tea?(お茶は好きじゃないですか?)」と聞かれて、(いいえ、好きです)の意味で「No」と答えてもお茶はいつまでたっても出てこない。否定文には用心を!


1月6日

 またまた日本についての番組やってた。今までずっとチャンネル4で日本の番組やってて、Channel4の4が四になってるのに気付いて驚いた。しかしこの日以来日本の番組を見ていない。
 日本人の若者の多くがバリ島にはまってるというやつ。男は波乗りに、あほ女はバリ人に食われに行く。「やっぱー、バリ男のほうがー親切でー男らしいって言うかー」。男もバイトして金貯まるごとに波乗りに来ていて、ほんと馬鹿な奴らだなぁとか思っていた。
 しかし、以外に男も女もそれなりに自分の考え持っていて、将来のについての意識もちゃんとしてて、僕は「遊んでそうで、結構良い事言うなぁ」と妙なショックを受けた。その後また3流ポルノやってた。日本万歳。


1月11日  (床屋)

床屋に行った。イギリスに来直前に、結構短く切ったのにかなり伸びている。ちょうど3ヶ月切ってない。
    イギリスの床屋は、かなり見た目が汚いところが多い。値段はそれなりに安い、700円〜1900円ぐらい。家の近くの美容院はかなり綺麗で、店員もかなり綺麗。セバステャンはそれだけのために、3400円近く払って、美容院に挑んだ。マッサージなどしてくれたらしく、目が溶けて口元が緩みっぱなしでオネエサンに笑われたらしい。
  しかーし!僕はそんな色目にも目を暮れず、タウンセンターの床屋「アンドリュウーッ!!」に行った。入ってみると客は一人もおらず、太ったおやじがテレビを見ながらお茶を飲んでいた。彼がアンドリュウーだと分かるのに、瞬きするまでも無かった。イスに座り、「淵を短く切ってくれ。上の方は伸ばしたい。」と頼んだ。最初、はさみで切っていて、あんまり短くなっていなかったので、「Could you cut my hair more short?」と言うと「Shorter!!」と文法を訂正された。そしてバリカンでバリバリ切り出した。髪切ってる時太った腹が僕の腕に当たってキモかった。
  彼はイタリア人で、イギリスに40年近く住んでいて、奥さんはボーンマス出身だそうだ。散髪は5分で終わった。雑過ぎるっ!!上の髪は伸ばすと言ったからか、全く触らなかった。剃刀は泡などを全くつけず、いきなりガリガリそりだしてビックリしたのと同時に、めちゃ痛かった。ボサボサのヅラのような髪型のまま「Finish!!」と言われて、途方に暮れていると、アンドリュウーが「髪を洗うか?」と聞いてきたが、早くここから立ち去りたかったので「No!!」と言って1200円ぐらい払った。髪の毛の入ったチクチクする背中を後ろに、あそこには一生行かないと誓った。

おしろ
髪切った日にミンチュウ(コリアンハウスメイト)のお別れ会を家でした。

パイント缶(約570ml)を2本飲んで、スコットランド行ったときに買ったスコッチ・ウィスキーを飲んだ。更にもう1缶ビールを飲んだら急にくらくら来た。でも酔ってないと思って寝たのだが夜中にトイレで吐いた。こんなん初めてや。強い酒の後にビールを飲んだら危険だと言うのが理解できた。寝ゲロしなくて良かった。

  先週(4月12日)2度目の床屋に行った。コロンビアの友達と行ったのだが、コロンビアの床屋は400円ぐらいらしい。600円出したらかなり良い所行けるという。メキシコの友達も賛同していた。ホストマザーは昨日髪切って700円だと言って、僕をビックリさせた。日本でそんなに安い美容院は無いだろう。まさか床屋で切ったとか・・・。
 今度は若い兄ちゃんがやってる美容院っぽいとこに行った。僕の前髪は鼻の下まで届くほどに伸びている。「髪を切りたい」と言うと「今か?」と聞くので予約制もやっていると思われる。「短くしたい」と言うと、僕をイスに座らせて適当にマントのようなものを着させていきなり切り出した。この雑さは何かアンドリュウーッに似てるなぁと思っていると、右手がマントに隠れてないっ!!髪の毛いっぱい付いてるやん!!あれ?俺のカバンどこやったっけ?足元に置いたままで髪の毛に埋もれてんちゃうん!!
 彼もアンドリューと同じくイタリア人でローマ出身だが、2歳の時にイギリスに来たらしい。今度家族に会いに2週間ほどローマに行くと言っていた。イタリアは床屋が盛んなんかなぁと思ったが、変な質問なので聞かなかった。髪があんまり短くなってなかったので、今度は「Shorter」を使い完璧な文法で言った。やはり首などは、泡を付けずにバリカンのようなもので剃られた。
 終わった時は、髪の毛を払ってくれずに服じゅう髪だらけだった。サービスはかなり悪いが、ヘヤワックス付けてくれて髪型が似合っていたので善しとした。6,7センチ髪切って、日本から運んできた茶髪はすっかりなくなり、短髪になった。これがみんなからすこぶる好評で、言われる度に心で目を細めているこの頃である。


徒然糞

(心の温泉から湧き出たものをそこはかとなく、取り留めも無く書き綴ったもの。湯当たり注意。よってあまり読むことを推奨しない。溺れます。危ないと思ったら直ちに読むのを止めて、掛り付けの・・・)

幸せってなんだろう。一見、頭がファンタジーのようなこれは多くの人が考え、求め、悩むことだと思う。宗教なんかも幸せを求めて信仰しているのではないのか。世界で一番幸せな人はどんな人だろう。そんなことは決めれることではないし、自分が世界で一番幸せ!!って思っている人はいっぱいいるだろう。
でも一度、世界で一番幸せだと思ってしまうと、後は不幸せになるばかりではではないのか?昔何かの本で引用された、ある思想家の一説で「炎が明るく熱く燃え上がれば燃え上がるほど、それは消えた時、虚しく陰影なものになるであろう。」というものがあった。これは僕の記憶で書いたものだから、正確ではないがこういう意味のものであった。俳優や、スポーツ選手など周りから見れば華やかだった人が、人気や能力がなくなって転落人生など言われるが、周りから見ればこういう事なのだろう。
大事なことは自分の気持ちだと思うのだが、「周りから幸せに見られたい」「良く見られたい」という気持ちが人には存在するので、本当の「幸福感」が「優越感」と錯覚している事がある。夢が叶うことは幸せなことである。そして多くの人の夢は、「一番になる」「試合に勝つ」「賞を取る」「社長になる」など他の人より優れることだろう。

 ここで優越感幸福論を提唱してみる。他の人より優れた状況を楽しむことを優越感とすると、優越感で幸福を感じられると思う。「他の人より優れたい」は「優越感を得たい」と重なっているが、イコールではない。例えば「自分の能力をより良くしたい」は「他人より優れたい」も含む事だが、「優越感を得たい」とは違う。どっちも自分の能力を良くしようとする目的は一緒なのだが、それに対するやる気(過程の気持ち)の表現が「他の人より優れたい」か「自分の能力を上げたい」という違いがある。人と人が競うものは、どうしても「誰よりも強く(うまく)ありたい」「だれにも負けたくない」という気持ちになってしまうであろう。それは優越感を得たい気持ちから生まれるものか、はたまた自己満足を得たい気持ちからか。
 しかし賞を得るというのは、人と人とが競うものとは少し違うようで、それは限りなく純粋な「能力の向上」を求めていると思う。すなわち「純な自己の満足感」である。しかし、賞というのは人から評価されて初めて得られるものである。評価される=他人より優れている、につながるかもしれないので、優越感を求めているとも取れる。人によりけりだが、この場合は「純な自己の満足感」を求めた結果、評価されて賞を取ることが多いと思う。
  しかしすごい発明をした人でも、それが評価されなかったらそれは、すごい発明にはならない。すごい発明をしても、一番最初でなかったら何にもならない。モナリザよりも評価されるべき絵を描いたが、誰の目にも触れることなく消え去った。これらは、なんか悲しい。いくら自己満足しても、結果のでない(評価されない)努力を求める人は少ないと思う。評価されるに越したことはないと思う。・・・・もう自分でも何言ってるのか訳分からない。

 幸せっていうのは、「楽しく暮らすこと」である。笑ったり微笑んだりしていることである。思い返した時「良かった」と思えることである。嬉しいことである。感動することである。他の人より優れなくてもいっぱい幸せになれる。こう言うと勝てない言い訳、努力しない言い訳、向上心が無いようにも聞こえて嫌なこともある。生きてるだけで幸せと感じる人もいるだろうし、何かでトップになっても嬉しくないと思う人もいるだろう。金持ちで不幸せの人もいるだろうし、貧乏で幸せな人もいるだろう。

 人のというのは飽きるという性質を持っている。よって幸せだった人も、同じ状況なのにそう感じ無くなることがある。逆にいうと幸せで無いと思っていても、そう感じなくなる。これは良いことでもあるし、悪いことでもある。だからほとんどの人が、同じような幸せのレベルに居ると思う。

 人はちょっとした事で幸せになれる。天気、挨拶など生活のいたる所でそれは見つけられる。しかしそれは、探さなければいけない。そして、楽しまなければならない。日本人はあまりそれが得意でない傾向がある。心の持ち様で、同じ状況で幸せにも、不幸にもなりえる。

あとがき
  もともと答えなんて無いと思ってたけど詮索してみた。僕は固定観念が強いので、それを打破しようと色んな角度から物事を見ようとしていることが、このような何が言いたいのかよく分からない文を作っているのだろう。普段でも自分の意見が分裂することがよくある。だから結論を求めてこんなことをしているのだろうか。
  そういえば福沢諭吉か誰かが「幸福論」を書いてたような気がする。日本帰ったらすこし読んでみようかな。
  自分は他人によく見られたいし、評価されたいと思ってる。だからこんなことを取り留めも無く書いたのだろうか。数日発ったら考えが変わるかもしれなが、パソコンの前でふと考えたことを書き綴った。こんな書き流しを最後まで読んでくれてありがとう。


1月13日(土曜日)

クラスメイトのコリアンの姉ちゃん(サニー、あだ名)に、夕食を招待してもらった。サニーは、女二人男二人のコリアン4人でアパートに暮らしている。かなり良いアパート(マンションみたい)で英語は話してないが、楽しい生活をしている。
  コリアンフードはやっぱりおいしかった。日本ではほとんど食べたこと無いが、中華よりもうまいかもしれない。僕は辛いものが好きなので大変気に入っている。後々この家に何度も遊びに(飲みに)行く。


1月21日

ちょっとどんぶりの素で親子丼をセバスティアンと作った。かなりうまい。彼も気に入ってた。ホストマザーもおいしいと言っていたが、すこし食べただけだった。


2月3日

コリアンのチームでサッカーした。20人ぐらい集まって、久しぶりに燃えた。なかなか渋いシュート決めた。プロの倍ぐらいの1時間20分ハーフぐらいでかなり疲れた。コリアンはミリタリーサービス(徴兵)を2年ほどやっているので、日本人成人男性と比べると断然体力がある。


2月6日

 エリというフェログ・アイランド(イギリスの北)にある小さな島から来た、シーマン(船乗り)と飲んだ。太ってひげを蓄えた40前のいかにも海の男って感じだった。彼らの国は独自の言語をもっているらしいがデンマーク語も話せるらしい。
 彼は授業でいつも「船の上では・・・、船乗りは・・・、漁師は・・・」と常に海の話題であった。世界中を航海していて日本にも何度か行ったと言っていた。ある小さな島に行った時、誰も英語を話せる人がいなくて、困ったと言っていた。フェログ・アイランドは過疎化が進んでいて、首都はデンマークにあるとか。一番小さな村は、人口4人だったが、その内の2人が死んでしまったらしい。おもろいおっさんやった。


2月8日

コーンウォール地方(南西部)にレンタカーを借りてドライブに行くことになった。目指すはイギリス最南端。FIATを金曜日の午後から月曜日の午前まで借りた。£50(車代)+£20(保険代)=13000円でまあまあ安いかなぁ。イギリスは日本と同じ左側を車が走るので問題ない。左を走るのはイギリスと日本以外聞いたこと無いって言うのはのは、嬉しいのか悲しいのか・・・
  カクさんのお別れ旅行といことで、ケイタさんと行くことになったが、4人で行く方が割安になるために道端でシンヤさんを拉致して道連れにした。


2月9日 コーンウォール地方

金曜日の放課後出発した。最初は僕が運転した。道に迷いつつも、久しぶりのミッションを快調に転がした。途中から田舎道だったので130kmぐらいで走っていた。片側1車線だったが、あれは高速道路だったかもしれない。イギリスの(ほとんどの国の)高速は無料なので高速道路って感じがしない。以前クラスで日本の高い高速料金の話をしたらクレイジーカントリーだと言われた。
 途中海岸線沿いの夕日の綺麗な所に停まったが、場所は分らなかった。夜にEXETERでライトアップされた教会と大聖堂の写真を撮った。夕飯は中華のTake away(お持ち帰り)行った。ダック(鴨)カレーを頼んだんだが、すごい大盛りでめちゃめちゃ美味い。カレーは中華鍋で炒めて作ったような感じだ。あの味が忘れられず帰りにも寄るが、昼間はやっていなかった。イギリスにはいたるところに中華のTake away専門店があり、安くて美味い。
 夜車の中でカラオケ大会をした。ほとんど僕ばっかり歌っていた。久しぶりに歌って気持ちよかった。12時ぐらいに車で寝た。かなり寝苦しかった。

えくすたー
エクスター大聖堂。左からケイタさん、カクさん、シンヤさん、僕ちん。



2月10日(土曜日) Penzance & Land's End

 朝8時ごろ再出発して10時半ごろPenzanceに着いた。そこにはSt.Michael's Mountというのがあった。それは小さな島で、海岸から300m程のところにありその山の頂上に昔の修道院がある。引き潮の時は、島までの石畳の道ができ歩いて行ける、というであった。「お〜すげ〜。かっこえ〜、渋いなこれっ!」と絵を撃っていた(僕らは写真を撮るとは言わない。フォームはもちろん狙撃銃)。ちょうど引き潮だったので歩いて行けた。しかし、山の上は週末は閉まっていた。週末に閉めたら観光客は行かれへんやん!!戦車のような車が海に突っ込んでいってそのまま船になって、びっくりした。

こじま

 この町で宿を探した。2500円でB&B(ベット&ブレックファースト。日本のペンションのようなもの)が見つかった。部屋はそんなに広くはないがかなり綺麗かった。オーナーの60ぐらいのおっさんは言葉噛み過ぎ。
 その後遂にLand's Endに辿り着いた。読んで字の如く「地の果て」である。切り立った崖と大西洋が闘っていた。かなり危険な絵を撃ったりしていた。少しガスってたのが残念。芸術家が多いというSt.Ivesは裏通りに小さなギャラリーがちょこちょこあるだけでとてもしょうも無かった。夕飯はまたチャイニーズ・テイク・アウェイにしてビール買って部屋で食べた。食いもんはアジアに限るね。

でんじゃらす・くりふ
崖の切れ端。風も強く撮影が危ぶまれた。



2月11日 (日曜日)

 朝食はイングリッシュ・ブレックファーストでうまかった。いわゆる目玉焼きにベーコン、ソーセージ、マッシュルーム、焼きトマトが皿に乗ってて、トーストと紅茶がついてくる。どこでもだいたいこんな感じで、これがイギリスで一番美味い料理。噛み噛みおやじが「アリガトウ」と日本語で言ったのでちょっと褒めたら、「ポルトガル語のオブリガート(thank you)は日本語のありがとうから由来している。昔ポルトガル人(フランシスコ・ザビエルの事かもしれない)が日本に行って伝わった。」みたいな事を言っていた。そして満足げな顔で「You know that?」と言った。後で「見た?おっさんのあの満足げな顔!You know that?を日本語に訳したらお前知っとるか?とかお前知らんやろ?になるな」と笑っていた。「You know that?(knowにストレスがあるのがポイント)」が僕らの中でブームになり無理やり使っていた。
 帰りにの高速で城の看板が出ていたので、行ってみた。しかし山の中で閉鎖されていた。誰もいなかったので柵を乗り越えて入った。ラバ(馬+ロバ)みたいなのが城の前で悠々と草を食べていてかっこよかった。城はぼろぼろだったがいい感じだった。帰りにシンヤさんが160km位出して怖かった。3日で850kmも走った。
こじょう          こじょうないそう
お城の番人(馬?)と、古城に溶け込む僕。



2月15日

 カクさんのお別れ会で中華料理食をべに行った。その後コリアンの家で飲んでブラックジャックとかやって罰ゲームでイッキ飲みしてた。イッキコールを見たいというので、オーソドックス?のものをやっていた。「お兄さんの〜ちょっといいとこ見てみたい〜・・・」結構面白かった。イギリスには(多分他の国も)イッキコールというのはないらしい。シンヤさんが、負けるから飲む、飲んで酔うから負ける、という悪循環に陥って壊れていた。


3月9日

 ダニエル(スイス・ジャーマンパート)という30のクラスメイトが車でイギリスまで来ていて、フォアン(メキシコ)とマテオ(スイス・イタリーパート)とランチを食べに行った。彼は飛行機恐怖症なので車で来たらしい。
 スイスという国は4ヶ国語が話されている。ドイツ語、フランス語、イタリア語、ロマンシュ語?(1%以下)。国がまるで3つに分かれていて同じスイス人同士で、英語で話しているような変な国である。しかしあるスイス人は、4ヶ国語(ドイツ、フランス、イタリア、スペイン)とか喋れる。スイス・イタリーとスイス・フレンチはほとんどイタリーとフレンチと同じ言葉なのだが、スイス・ジャーマンはジャーマン(ドイツ語)とはかなり違うようだ。それは話し言葉だけの言語で、本や新聞は全てドイツ語らしい。だからドイツ人はほとんどその会話が理解できないらしい。
 スイスはヨーロッパで一番御金持ちのくにだとも言われていて、ダニエルは「スイスは永世中立国だから、国連や赤十字などいろんな本部があり、俺らは口は出さないが、勝った方からたっぷりとお金をもらっているんだよ。がっはっは!」と笑っていた。実際は世界規模の保険や、銀行がたくさんあるからとか。


3月10日 (土曜日)

 夜キョン・スー(コリアン)の家でピル・ソンとコーとリーと飲んだ。テキーラを飲もうということで1ボトル買った。僕は日本でテキーラにあまり馴染みが無かったのだが、サボテンから作られる40度ぐらいのお酒である。これには飲み方があり最初に塩を親指の付け根にのせて、大きめのおちょこのようなもので、一気飲みした後塩をなめて、レモンスライスをかじるというものだ。ディスコやパブでは人気がある。アルコールが強いわりに飲み易い。
 最初ビールを飲んで、その後テキーラを飲んだ。一気飲みなのですぐ一本無くなった。ピル・ソンが「テキーラ買って来い!」と年下のキョン・スーとリーにクレジットカードをバン!と渡した。かっこいい!! コリアでは上下関係がものすごく厳しく、同じ大学ともなると先輩はほとんど動かず後輩に命令する(ピル・ソンとリーはたまたま同じ大学)。その代わり金銭面は全て先輩持ち。キョン・スーらはテキーラ2本とビールまで買ってきた。
 昼にサッカーをして疲れていたせいか、2本目を飲んでいる途中から段々フワフワしてきた。「カンベ!!(韓国語、中国語の乾杯!)。See you in the hell!!(地獄で会おう!)」と言って一気していた。3本目のテキーラを飲み始めた頃に、ビールを飲んだ。その後から記憶が無い・・・   
 朝目が覚めたら頭痛くて服がゲロまみれで、床にも散乱していた。あ〜やってしまった〜。その時リーが起きて「Sorry!Sorry!」と言ってそこに置いてあった服で拭き始めた。多分リーも自分がゲロったと思ったのだろう。僕がトイレから戻ってきたらリーは家に帰っていた。キョン・スーが起きてそのゲロを見て「Did you vomit? Oh my god!! Unbeliavable!! Unbeliavable!!」と嘆いていた。しかし相当眠かったのか「Sleep!Sleep!」と言って僕を寝かそうとした。僕も眠かったのでそのまま寝てしまった。昼頃起きて、2人で掃除してたら「Kazuoは寝とけ!」と言って気遣ってくれた。しかも御飯炊いて昼飯も作ってくれた。彼は少しも怒らずほんとに親切だった。これはイギリスでの最悪の思い出と同時に後々ねたにされている。
 ピル・ソン談     キョン・スー達が寝た後ピル・ソンとバンクというパブに行くが、中には入らず、ピルソンが電話をしている間に店の前で寝る。連れて帰ろうとしたら奇妙な英語を叫けび、滝ゲロして、心配したイギリス人が車でキョン・スー家まで送ってくれたらしい。家のトイレでゲロって、ピル・ソンが掃除したらしい。車の中の断片的な記憶はある。お酒って怖い!皆さん迷惑かけました。


3月19日

 ESSの先輩に贈り物のお礼をしようと思って、タウン・センターをぶらついていたら「コンニチハ」と言う声が聞こえてきた。振り返ると英国老紳士(70歳ぐらい)が、こっちを見ていた。僕も「今日は」と言い返すと寄って来て話しはじめた。
 日本に昔2週間ほど旅行したことあって、日本は素晴らしいと言っていた。イギリスや僕が旅行した場所の話などしていた。彼の右手が震えていて、寒いのかと思ったらモハメド・アリのように痙攣しているようだった。どこの出身か?と聞いたら「このアクセントを聞いてどこか分らないのか?」と言われたが、英語の方言なんて全然分らん。彼はマンチェスター出身だった。英語は日本語のように語尾などが極端に違っていることが無いので、僕ぐらいの英語力では見当付かない。
 ここで何をしているのだ?と聞かれたので、プレゼントにする紅茶などを探していると言うと「明日知っている店に連れて行ってやるから、2時半にこの場所でどうだ?」と言うので、面白いかもしれないと思って承諾した。40分近く話したが、悪そうな人ではなかったし。


3月20日

 アンドレアス(コロンビア)とタウン・センターで昼飯食った。一緒にイギリス老人に会おうと言うと、ためらっていた。待ち合わせ場所に行って、老人と挨拶をするとアンドレアスは苦笑いして「学校に戻る」とか言い出して、帰ってしまった。結局老人と2人で行くことになった。
 紅茶を買いたいと言うとすぐ近くの小さな薬局に連れてかれて、健康食品のお茶を見せられた。「こんなんじゃない。プレゼント用の物が欲しい」と言うと、もともと知っている店に連れて行ってくれた。彼は彼のflat(アパート)にはお茶はあるのだが、と言った。flatに住んでいるのは珍しいので「子供はいるのか?」と聞くと「生涯独身だ。ホテルで働いていて忙しかったから。」と言っていた。
 紅茶と昨日買ったチョコレートとを送るため郵便局に行って箱詰めしてたら、いつのまにか老人が消えていた。よく分からんじいさんやった。彼は身寄りも無く寂しく老後を暮らしていて、話し相手が欲しかったのだろう。


3月22日

 クリストファーという新しい先生とクラスメイトとカラオケのあるパブに行った(日本のカラオケパブとは違う。もっと清潔)。クリストファーは去年まで日本の中学校で英語を教えていた。日本語を少し話せると言うので僕が普通のスピードの日本語で「どのくらい日本に居たんですか?」と聞くと「5Years」と答えて僕をびっくりさせた。日本語を理解できるヨーロピアンに初めて会って嬉しかった。
 彼は茨城県に住んでいて、長野のスキー場で茨城弁で叫んだら周りの日本人がびっくりしていたと言う。ここのパブは150人ぐらい入っていて、立って飲んでいる人もたくさん居る。カラオケはほとんどの人がめちゃ下手くそで、びっくりした。イギリスにはカラオケがほとんど無いため、みんな初心者である。日本でそんな大勢の前で歌うのであれば、かなりうまい人のはずだが。クリストファーとビートルズの「Twist & Shout」を歌った。パブが大きいため自分の声があまり聞こえず思ったより難しくて、自分も下手だった。でも久しぶりのカラオケは気持ちよかった。



3月23日(金曜日)

 ピル・ソンとキョン・スー(コリアンズ)とオーストリアにスキーに行こうということになった。タウンセンターのトラベル・エージェンシーを3つ回った。オーストリアはスイスの次ぐらいに高かった。他にもイタリアやフランスなどあったが、アンドラという1週間前に地図で知ったばかりの小さな国が一番安い。僕とピル・ソンはもうアンドラでいいやんと妥協していた。が、キョン・スーは「そんな聞いたことも無いような国に行くのはいやいや!」と4件目のトラベル・エージェンシーに僕らを連れて行った。
 4件目の店のおばちゃんがコーヒーなどを振舞って「アンドラはいい国よ。私行ったけど免税国でお酒とかも安いし。雪の状態調べてあげたけど今は悪くないし。」とキョン・スーを説得した。そうして彼は僕らに同意した。が、キョン・スー丸秘メモによると結局3件目の店がトータル的に安いということで、「考えさせてくれ」と言って店を出て無情にも3件目の店に行った。
 飛行機代とホテルまでのバス、7泊のアパートホテル(自炊用)が込みで何と£150(27000円)!!しかーしこういう物には条件がついているのが世の常。スキー場は空港に着いてから知らされる。そして明後日出発!しかも朝早くの便で前日にロンドンのガトウィック空港に泊まらなければならない。店のおっさんは空港のソファで寝れるから大丈夫と言っていた。雪質も段々悪くなってきているので早いに越したこと無いと、二つ返事で即合意した。もともと今週末はシンヤさんとロンドンに観光に行く予定だったのでロンドンでピル・ソンらと合流することになった。いきなり明日から無名な国にスキーしに行くことになった。
  PS.無断で一週間学校休んでごめんなさい。


3月24日(土曜日) ロンドン

 朝シンヤさんが、スキーに行くための大きなリュックを背負っている僕を見て「えっ?ロンドンに行くんやんなぁ?あれっ?なんで?」とびっくりしたので面白かった。
 ビクトリア駅の液晶の切符販売機は日本語が表示できるのである。これにはさすがに驚いた。それほど日本人が多いと言う事か、それとも英語のできない日本人が多いいのか。実は半年近くイギリスに住んで初のロンドン観光なのである。いつでも行けると思ってたら、一番最後になってしまった(よくあるパターン)。町を少し歩くと日本人がいっぱいいて変な感じがした。
 ロンドン橋とロンドン塔に行った。別に大した事無かった。次にタワー・ブリッジに行った。思ったより小さくて、キン肉マンのロビンマスクの技とは程遠いかった。ロビンがタワー・ブリッジを決めた時に出る背景のあの偉大な橋は何なんだ?!ゆでたまご(作者)!!
 次にシンヤさんが行きたがっていたリバプール・ストリートにいった。そこはアラビックの国だった。町の80%がアラビックだったような気がする。店もほとんどアラビックで、アラビックCD、ビデオ、レストラン、スーパーマーケット。春巻きのような物を買い食いしたらかなり美味かった。中古屋に日本の本や雑誌やたらたくさんあって「反町と松島奈々子交際発覚!!」など古ボケた物ばかりだったが面白かった。
 夜の7時ごろシンヤさんと別れてキョン・スーとピル・ソンと駅前で落ち合った。キョン・スーは自炊のためコリアン・ヌードルをダンボール一箱(20個)を買ってきていた。駅の近くの中華料理屋に行ったら麺がスパゲティのようでスープが排泄物臭くてまいった。あれをうまいと思う人がいるのか疑う。夜のBig Ben(時計台)&Houses of Parliament(国会議事堂)は照明されて綺麗かった。ガトウィック空港に行って疲れていたのでベンチで爆睡した。

びっぐ・べん
Big Ben(時計台、右端)&国会議事堂。左からピル・ソン、カズオ、キョン・スー。



3月25日(日曜日) 南フランス&アンドラ

 サマータイム(1時間早くなる)が今日の0時から始まっていたので危うく飛行機乗り損ねそうになった。飛行機に乗って、うとうとしているとスチュワーデスが機内食を持ってきた。もう機内食?まだ離陸もしてないのに、と思って外を見ると雲の上でたまげた。いつもは離陸する時ドキドキするのに、よっぽど熟睡していたのだろう。
 南フランスのToulouse(トゥールーズ)に着いた。曇りの多いイギリスとは違って、日差しが強く白かった。ここから4時間近くかけてホテルに着くという。多分アンドラには空港が無いのではと思う。なんせ面積450平方kmで人口5万人というミニ・カントリーだから。南フランスで一回休憩のため田舎のカフェに寄ったが、お金はフランス・フランとスパニッシュ・ペセタの両方が使えた。気持ちよい太陽と綺麗な小川の横のカフェ・テラスでフランスパンのサンドウィッチをかじりながらビールを飲んだ。
 ホテルに着いた時ほとんど雪が無かったので心配した。ゴンドラで山の上に行ったらあるらしい。部屋はかなり良かった。ソファーのある広いリビング&キッチンとベットルームとバスルーム。近くの小さなスーパーマーケットに食糧を買いに行った。店のおばちゃんは英語が喋れず、少し苦労した。ここら辺はほとんどスペインという感じでスペイン語(カタルーニャ語かもしれない)を話しペセタが主流である。米は安くて日本米に似ていておいしい。全てが免税だけあってお酒やタバコが特に安い。禁煙していたキョン・スーはタバコがあまりに安いのでためらうことなく、1カートン買っていた。禁煙中のピル・ソンは怒っていた。イギリスはタバコが特に高く1箱800円する。ブランデーのナポレオンが1ボトル300円ほどだったので僕もすぐ買ってしまった。

3月26日 ARINSAL(スキー場)

 遂にスキー!!僕はスキーウエアをもちろん持ってきていない。しかしレンタルウエアというのがなかったのでジーパンで滑ることになった。他にもそういう人がいるかと思っていたら僕だけだった。別にめったにこけないので問題は無いが。ピル、キョンはウインド・ブレーカーを着ていた。スキー板はダイナスターの緩いカービングの物でレンタルにしてはよかった。
 スキー場はほとんど人がいなくて、快適だった。キョン・スーがド初心者で、思ったよりできなかった。僕とピル・ソンが4本滑る間に彼は1本のペースで滑っていた。

ぴれねー
ピレネー山脈と国旗(標高2500m)。右から3つめがアンドラの国旗だったと思う。


 みんな僕らを見てくる。「ジーパンで滑ってるからみんな見てくるんかなぁ?それとも俺がスキーうまいからかなぁ?」とピル・ソンに聞くと「Because we are Asian.(アジア人やからやろ)」と言われた。そういえばアジア人はいなかった。特に子供は恥じらいも無く初めて外人を見たかのようにギョロギョロ見てくるので変な気分だ。片足で滑る練習をしていた。
スキー・ワンポイント・レッスン
片足だけで滑ることはかなり良い練習だと思う。板の垂直線上に重心が乗って、膝を前に倒さないとコントロールできない。問題の逆エッジでのターンは、抜重と加重(膝の曲げ伸ばし)のタイミングをうまく利用する。それとともに板の反動も利用するとなおスムーズに切り返しができる。板を押している間は少し後傾になる(常に同じ体勢では滑れない。)ので、ターンの切り返しの時に膝を前に倒す意識を忘れずに。スキーの利き足とそうでない足との差もはっきりと出る。利き足でないほうは上記のいずれかがうまくできない。スキーは如何にバランスを崩さずにコントロールするか、というスポーツなので、片足で滑れるぐらいのバランス感覚が必要である。さらに片足で小回りをするとリフトやゲレンデの人の視線が集中して気持ち良い。
 終了間際に片方の板を外して挑戦してる時にこけてパトロールの人が寄ってきた。多分、アジアンでしかもジーパン姿で板が外れているので厄介な初心者だと思ったのだろう。そして片足で滑り始めたら彼は驚いてた(ニヤ)。


3月29日 アンドラ・ラベェーラ

 雨と雪が降ったので観光に行った。免税国だけあって、首都?は電気屋と化粧品(香水が特に多い)、宝石店ばっかりやった。空港の免税店を町にしたような感じだった。電気製品はほとんど日本製で、免税してあるだけでそれ以上割引していないので日本の大型店などのほうがよっぽど安い。
 大きな温泉「カルデラ」に行ったが大きくて高いだけで、おまけにぬるいお湯ばっかりであまり良くなかった。素朴な町並みはとてもいい。スペインは行ったこと無いが、イメージ的には似てそうな気がする。大型スーパーマーケットで食料とブドウのジュースと麦炭酸ジュースをたくさん買った。レジに並んでいる時、前のおばちゃんが何か言ってきた。でもスペイン語らしいが、4本の指を示している。全く理解できない。その7歳ぐらいの子供が、大きな声でゆっくりと説明するがそんなことは豚に真珠である。僕はここのレジを使えないというのは何となく分った。4時以降はお酒が買えないん?とかここは4番レジやけど・・・。その前にいる若い女の人が、堪能な英語で「ここは4品以内を持っている人だけ使えるレジよ。」と説明してくれたので納得できた。「グラシアス(ありがとう)」
 その晩はもちろん酒盛りした。

おさけ
「まず最初は一番高かったボルドーワインを飲もう。」「いくら?」「450ペセタ(320円)」「・・・」。ブルゴニュウーの方が僕好みだった。



3月30日

 すごいどか雪が降ったので、リフトが止まっている。しかもチャンスとばかりにスノウ・マシン(人工雪機)も働いている。リフトが動き出したら、真っ先に新雪のところを滑りまくった。誰にも汚されていないまっさらのパウダーの深雪を食う(滑る)のは最高の贅沢だ。深雪を食いまくっているとリフトに乗っているボーダーから「Don't rough fucking skiing!!(粗くすんな!)」と叫ばれた。ロープウェイで隣の山(PAL)に行ってモーグルみたいなコースを挑戦した。


3月31日

 小回りでスピードを制御できない。後ろの板を押し出せ切れてない。今後の課題。夜キョン・スーがまっずいワインを買ってきた。蜂蜜のような甘さで、吐き気を催す。ゲームして罰ゲームでそれを飲んでいたが、たくさん負けて遂には吐いてしまった。


4月1日 イギリス帰国?

 ホテルの朝の5時10分出発。安いツアーにありがちな日程である。帰りはずっと寝てた。ロンドンのガトウィック空港に着くとピル・ソンが「イギリスに戻ると何かほっとする。」と言って僕は変な気がしたが、なぜか納得できた。今回のスキー旅行は一生思い出に残るスキーになっただろう。


4月8日

 キョン・スーが行っているコリアン・チャーチ(コリアン用の教会。語学学校の前)に付いていった。コリアンはクリスチャン、カソリックがとても多いらしい。コリアン・チャーチはエレキ・ギター&ベース、ドラム、シンセ、トランペット、ピアノと多彩な楽器で音楽だけでも面白い。コリアンではこれが普通らしい。歌とか全て韓国語だったがライブは良かった。
 牧師の説教はイヤホンを使って同時通訳で聞けるが、内容は難しいし、かなりはしょるのでほとんど理解できなかった。赤ちゃんが洗礼のようなものも受けていた。その後初めて来た人が前で自己紹介をするのがあって、僕も前に行った。みんな韓国語で自己紹介していた。僕が英語で喋ると一気に注目が集まって緊張した。ミサが終わった後、若者だけが集まってグループに分かれていろんなことについて討論していた。僕は聖書の説明などを少し受けた。そのあとただで丼物のような韓国料理が出された。面白い経験をした。


4月9日

 アドバンス(上のクラス)に行く試験を受けた。多分大丈夫だろうと思っていたが、なんとクラス最低点!!!大ショーック!!しかも点数が2点足りない。先生に頼むと授業態度が良いので、ということで何とか合格させてもらった。この日一日へこんでいた。


4月13日

 アンドレアス(コロンビアン)とロンドン行った。彼は18のくせに生意気で俺より老け顔。バッキンガム・パレスに行ったら人だかりができていて衛兵交代をしていた。別に特別感動もしなかった。しかーし僕の方に兵隊が規則正しく歩いてきた。そして急に整列が解除され、ばらばらに動き出した。衛兵が疲れた顔で楽譜置きなどをため息交じりで拾っている時、妙な感動を覚えた。
 ビッグ・ベンに寄ってから予約した宿に行った。3時までに行かないとだめ、と言われたのでそれまでに行った。しかし部屋は無いと言われた。アンドレアスが大部屋(他人と同じ部屋)は絶対にいやだと言っていたので、ツインを予約したのに「うちは予約時の先払いシステムが無いから、もしあなたが来なかったらうちは損する。」などと訳わからん言い訳した。「予約の意味ないやろ!」と怒ったがどうにもならなかった。
 アンドレアスは絶対に大部屋はいやだと言って他を探そうと言った。彼はラッセル・クローのような顔で無精髭つけてるのに「そんなとこは恐ろしくて寝れない」と言って駄々をこねた。コロンビアは治安が悪いのでかなり恐れている。コロンビアでおやじと車乗ってるとき、銃で車を強奪されて彼らはへんぴな所で捨てられたと言っていた。
 結局電話で宿を探すことになった。「ツインルーム2人でいくら?」「£50(9000円)」「Uh〜・・Thank you bye.」「Wait!Wait!Wait!!£40!!」「・・・O.K.」  ホテルの部屋は狭くて窓の外は工事している壁だった。でも汚くないので問題ない。
 ミュージカル「スター・ライト・エキスプレス」をみた。かなりロングランしている人気のミュージカルで、蒸気機関車が電気電車?や石油電車?と争うというものだ。各国の電車が登場して、日本代表はもちろん新幹線、そいつの名前は「ニンテンドウ」。アメリカ代表がエルビス・プレスリーのようで王者でかっこいい。全てローラースケートで演技し会場が変化してレースできるようになっている。「ニンテンドウ」はかなり速いが最後の最後でカーブを曲がりきれずぶっ飛んでクラッシュする。アクロバティックな面もあり、ニンテンドウの坂を使ってバク中をするのが一番の大技だった。案の定、最後に波乱が起きて蒸気機関車が優勝してちょっと冷めた。

イギリス編未完成。すんません


6月9日 イスタンブール in トルコ

 
ギリシャから出発した危ない国ツアーが終わった。ギリシャからソフィア(ブルガリ ア)、ベオグラード(ユーゴスラビア)、ブカレスト(ルーマニア)。 ルーマニアは日本でビザを取って行かないと入れないと聞いていた。 が、途中で出会った日本人に、ルーマニアも国境でビザが取れるらしいと言うので、 行ってみたらビザ貰えた。

ブルガリアはかなり廃れた感じの町やった。いかにも元共産主義って感じ。ほとんど の建物がとてもボロイ。でも物価は安い。
駅の構内でバドミントンやってる女の子ら がいたので、寄せてもらった。17歳のバトミントン部の子らだった。終わってから 一緒に写真を撮ってくれ、と頼まれて嬉しかった。あそこはいい国だ。

ユーゴはやっぱユーゴやった。爆撃された巨大なビルなどが薄気味悪く建っており、 ある意味感動した。そしてなぜかめちゃくちゃ寒かった。コートが欲しかった。しか も大雨が降ってきて凍えそうになった。ギリシャで暑くて寝れんとか言ってたのが嘘 のよう。
ユーゴの教会は変わっていた。椅子がなくみんな立っており、干し草が床に 散らばっており、前の仕切りの奥からお経のような歌が聞こえ来た。その干し草を、 編んで輪っかにして玄関に飾ると幸せになれるらしい。ユーゴは銀行で外国人のカードでお 金が引き出せないおかしな国。
ベオグラードで今まで一緒に旅してきた真也さんと別 れた。あの人はもう1ヶ月ヨーロッパを旅する。お世話になりました、僕のスーパーナビゲーター。(僕の次ぐらいに)良い旅を!!!

ルーマニアにはとても簡単に入れた。 が、あの国は最悪やった。ユーゴからルーマニア行きの電車はがらがらだった。しか し30ぐらいの兄ちゃんらが、僕の部屋(8席ずつの部屋になっている)に入ってき た。英語はまったく話せないが、親切な人だった。
一人の女の人が国境付近で泣きな がらわめいていた。その人はパスポートを持っていないらしく、国境で警官にこっぴ どく怒鳴られしょっ引かれて行った。僕も入れるかどうか分からなかったのでドキド キしていたが、要らぬ心配だった。
日記帳代わりに使っていた、携帯のメールパッド にチンピラっぽい兄ちゃんが興味を示していた。たばこの火を消しに行くフリしてメールパッドごど消えてし まった。めちゃ悔しい!!!

首都のブカレストに着いたら、客引きに捕まり話を流しながら聞いていると、キャッ シュマシンがこの周辺に無いらしく(それは本当らしい)、駅で切符を買うとかなり 高く取られるという。そんな筈はない!と言うと共産主義だったからとか言う。
ユーゴのこともあるし、としょうがなく車に乗せられてキャッシュマシンの所まで行った。お金を卸すとき100万 ルーは20ドルだと言う。僕が考えていると勝手にボタンを押して引き出しやがっ た。かなり腹立った。いろいろ連れて行こうとするので断り続けると、だんだん暴言 を言い出したので口喧嘩になった。一応トラベルエージェンシーに連れて行っ てくれ寝台車のチケットは買うことが出来た。車を降りるときに40万ルー払えと言ってき て、高い!!と言い合いになったが、おっさん二人の気迫に負けた。
そのあと変なおばちゃ ん(ジプシー?)に付きまとわれてネットカフェに逃げた。レートを調べると100 万ルーは35ドルだった。あんな物価の安い国で1800円も上げてしまった。ちな みに寝台料金は550円だった。
何一つ情報無しで変な国に行くのはもう止めようと思っ た。あとキャッシュマシンは絶対一人で行くべきだ。暗証番号入れた後に襲われたら もうおしまいだ。でも道に迷ったとき、おばちゃんおじちゃんらは身振り手振りで親 切に教えてくれた。公園ではジプシーの子どもがぼろぼろの服と裸足で無邪気に遊ん でいた。

イスタンブールに行く途中、ブルガリアの国境を変えなければならなかったのでビザだのチケットだの計15回ぐらい部屋に入ってきた。ちなみに寝台車は6人部屋だが、僕一人だった。あんまりルーマニアからトルコに行く人おらんか。5時間遅れの22時間も掛かったが、ラジオや本を読んでのんびり過ごした。
イスタンブールの情報も全くなかった。ただ一つ日本人宿の名前と住所だけ知っていた。そこはアジアを横断してきた人がたくさんいてとても面白い話が聞ける。日本からチャリで来た人や、さらには歩いて2年以上掛けてきた人がいてびっくりする。野生動物(カメやフクロウや鷲など)を食料にしながら旅行(サバイバル)してる人までいる。みんな実家で過ごす夏休みのような生活をしていて僕ものんびりと休養してる。イスタンブールは日本語や英語を話す人が多くて、道端を歩いているとやたら声を掛けられ、トルコ人と話すことが多い。 彼らは人を見たら話すもんだと思っている。 トルコはアジアに比べれば物価は高いらしいが、ヨーロッパに比べると安い。値切るのも面白い。飯もうまい。昨日アジア側が見える所まで行ってきたが,まだ行ってない。多分エジプトからアジアに入るだろう。





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