〇承徳の避暑山荘と外八廟
〇故宮
〇頤和園
〇天檀
〇曲阜の孔廟、孔林、孔府
〇泰山
〇麗江古城
〇蘇州古典園林
標高5596mの玉龍雪山を霊山とあがめ、その麓の麗江とその周辺に住む納西族(なしぞく)は人口
約30万人という中国の少数民族であるが、独特の象形文字や宗教、芸術、建築などの文化を持ってい
る。
納西族の宗教東巴教(とんぱきょう)の経典には、人生に対する多くの警句が載せられている。そ
の中に、相思相愛になっても親の許しがないと結婚できないというものがあり、若い二人は時として
心中に追い込まれたという。玉龍雪山の中腹、標高3200mには雲杉坪と呼ばれる雲杉
の原始林があり、この台地からは玉龍雪山を間近に見ることができる。親の許しが得られなかった若
者は、この地に登り、木の枝に綱をかけ心中したという。麗江にシャングリラ(桃源郷)ありといわ
れるが、霊山玉龍雪山を目の前にして、この世に別れを告げる二人にとって、雲杉坪はまさに桃源郷
であったであろう。しかし、この経典の掟も見なおされたのか、最近は心中する若者はいないとい
う。
納西族はこの経典を表現するため、音楽や舞踊を作り出した。また、麗江古城も納西族が作り出し
た優れた文化財である。
麗江古城は玉龍雪山の伏流水を利用した町並みである。玉泉公園に涌き出てくる多量の伏流水を
東・中・西の三つの水路に流し、それらの水路に沿って町並みが作られている。この町並みには所狭
しと軒を連ねて家が立ち並んでいる。町に入ると、ふと岐阜の高山の町並みが頭をよぎった。ガイド
の説明によると、麗江古城と高山市は最近姉妹都市の縁組をし、交流を図ることになったという。水
路が取り持つ縁といえようか。
麗古古城はもともと雲南とチベットを結ぶ交易路の拠点として800年前
から発展してきたという。そのため建物も商店としての機能を持ったものが多く、またほとんどが二階
建である。
麗江古城は1996年マグニチュード7という強い地震に襲われ、町並みは大きな被害を受けたという。
町並みの復興にあたり、従来の木造以外の耐震構造を持った建物にすることも検討されたようである
が、釘を一本も使っていないという木造の骨格部分には被害はほとんどなく、土レンガや屋根瓦など
が被害を受けていることが判った。そのため従来の木造構造部はそのままにして復興を図ることにな
り、地震からわずか一年後にはほぼ元通りに復興された。
麗古古城−その1
伏流水が涌き出る玉泉公園から眺めた霊峰玉龍雪山
雲杉坪の原始林
東巴文字で書かれた納西族東巴教典の建築に関する一例
麗江古城の町並み
軒続きの商店
麗江古城の町並み
水路は各戸の生活と密着している
麗江古城の町並み
大石橋周辺
麗江古城の町並み
民俗芸能が上演されている東巴宮の大門
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