COP3 以前の光合成研究の経過を述べます。』

 

1989年、日本マクロエンジニアリング学会へ通産省(MITI)から緊急要望があり、CO削減方法〔光独立栄養(Auto Bio)〕の画期的方法の提言を、東大化学教室(当時綿抜:地球化学会長)から、各社グループ(12人)が行った。その内の、岩淵案が採択された。

MITIは省内に、生物化学課を素早く新設し初代課長を置いた。

彼は、京大農化出身で、「光独立栄養」の意味が解らず?、又は故意にか、「光従属栄養」バイオ(農芸化学的、味噌、醤油、酒発酵のバイオ)を選択し、先人の『轍』を踏襲したのである。

一方、東大第3世代出身:三井旭教授はマイアミ大学で、光独立栄養バイオを開拓し、多くの人材を育て、バイオ水素生産法を世界に先駆け開発した

欠点は、国家計画敗退に主因である、『光拡散の方法』が充分と言えず、『数千倍にもUP出来る技術』に到達出来なかったのだ。

これは、独、米、(戦後は日本)が『大失敗した食糧大量生産』を目論んだ国家大計画を少し進めた程度であった。

然し、Hetero法には、膨大な文献が残っていたので,飛びついたのは無理も無いかも知れない・・・・。

ウィルヘルム2(独)、ヒットラー(独)、(米)・カーネギー研究所等が行った酢酸(グルコース)の『化学Energyを光Energyの代わりに』使うバイオである。

 

 CO増殖BIOCH3COOH+OCHO+CO+HO・・・@

 CO削減BIOCO+HO+hν→CHO+O・・・・・・・・・・A

             :hν:光の波長(波長:400750nm)に対応した、Energy吸収+O放出伴う。

@    とAは、即ち、光従属BIOと光独立BIOで、全く正反対の反応機構を持ち、似て非なるものである。

1989年、アルシュサミットで宇野総理による日本案は好評であった。天皇崩御の年。

1918年、Lindner:ウィルヘルム2世食糧国家計画(ゲッチンゲン大)

1939年、Hader :ヒットラー   食糧国家計画 (ゲッチンゲン大)      

1948年、Spoehr :米・カーネギー研究所、徳川生物研 (田宮)、日本クロレラ研。酢酸大量使用BIO

1957年、中村浩  :Auto Bioのみ光独立栄養BIOであった。彼以外総て日本で行われた研究はHetero方式。

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