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殺人とは、問題解決のために他人の生命を奪う事である。 まあ、定義としてはこんなものだろう。残念なことに、殺人をしても問題解決に至ることは少なく、問題が解決したと思い込んでいる事の方が、はるかに多いことに気がついている者は少ない。 確かに、問題解決としては有効にみえる手段なのだが、それをさせないために、社会が極めて厳しいルールを用意している事が解決の道を遠く感じさせ、それゆえに有効と思わせるのは残念なことだ。なお、殺すことで人々から賞賛されるようになる場合もあるが、その場合、本人に殺すべく目的はなく、他人の殺人を代行することになり、あまり意味はない。 殺人自体はさして難しくないので、実行するのは簡単である。ただ、最近は甘ったれが多く「殺しても、自分は殺されない」と考えるものが多いらしい。まあ、殺されるより辛い事のほうが世の中には多いので、そういう「死ぬより辛い事」を知らない輩どもの幻想を打ち砕くため、殺人犯は年齢や事情に問わず、個人情報を公開すべきであり、インターネットにて誰でもいつでもアクセスできる状態にしておくべきと政府に提言する。 さらに、最近では自殺できない弱虫が殺してもらうために他人を殺すという、破廉恥極まりない現象が起きているようだ。甘えるにもほどがある。 そのような甘えん坊には、もっとこの世の地獄を味あわせるべく実験動物としての一生を送れる処罰方法を新たに提言する。自分で人権を否定する輩には、人であることの素晴らしさを渇望させるような手段が必要ではないだろうか? 殺人を止める方法は無い。これは厳然たる事実であり、人として生きてゆくうえで忘れないほうがよいであろう。人は人を殺さなくては、文明も社会も作れないのだ。 せめて、殺されるべき人が明日は我が身でないことを祈るだけである。 |
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力あるのもが、力無き者を、生かすも殺すも自由である。 本来、力あるものは力無き者を保護すべきなのだが、それは後継者を残すという目的がある場合にのみ当てはまる理論であり、後継者が不要の場合、力無い者を保護する必要は無い。無社会の場合、これは正しい論理なのだが、社会がそれを許さないルールを作ってしまったため、不必要な後継者を保護するという矛盾が、暴力として現れる。 大体の場合。最も身近な力の無い者(自分の子供)に対して暴力が振るわれ、これを幼児虐待と呼ぶようである。別に自分の子供だけに関わらず、会社の部下に対する不当な扱いや、中央政府の地方政府への扱いなど、類似行為は比較的多い。 良くこの問題には親権というものが出てくるが、本人が「親」になりたくないと行動で主張しているのだから、政府はそれを重視して2度と子供作れない体にしてやるべきである。どうしても子供がほしいなら親が無くて困っている子供もいるのだから、それらを斡旋し問題の解決を図るべきと提案する。 後継者不足に悩むような時代がくれば、この手の精神障害はなくなるだろうが、時代の閉塞間及び自分へのナルシズムな甘えが蔓延する今日では、根絶は難しいであろう。 己が甘ったれた自分を捨て去り、次の世を残す事を喜びと感じれば良いだけの話だ・・・。 |