質的研究の背景

1:はじめに
 今、質的研究が“にわかブーム”の様相を呈しています。私が質的研究に関心を持ち始めたころには考えられなかった状況です。実際、質的研究の勉強を始めてみると、「質的研究が現在の研究を補完する重要な役割を果たすだろう」ということを実感するようになりました。しかし同時に、“質的研究”といいながら実は質的研究の内容がほとんど咀嚼されていない“質的もどき”が決して少なくないことにも気が付きました。
 質的研究にはさまざまな批判や否定的な反応があります。私もこれまで自分の研究室内での“質的研究に対する静かな、それでいて強い猜疑心”を感じながら勉強してきました。しかし、現在の質的研究の状況を冷静に振り返ってみると、こういった猜疑心ももっともだと思わせることも少なくありません。その理由には、第一に、質的研究に対する疑義に答える論文や書籍がこれまで皆無に近かったことが挙げられます。第二に、疑義にさらされても当然というべき未熟な研究がまだまだ多いこと、などです。
 質的研究を展開し、あらたな“科学研究”としての一分野を構築しようとする私達は、質的研究を方法論の観点から再検討し、質の高い研究を集積する必要があります。それは同時に、従来の量的研究に慣れた人達からの批判に真摯に応え、質的研究の有用性を主張するに足る知識と経験を共有することにほかなリません。

2:質的研究とは
 「質的研究とは何か」という質問に明解な回答を示すのは困難です。なぜなら、いろいろな分野で、さまざまな解釈がなされ、多種多様な研究が質的研究として紹介されているからです。しかし、それでも敢えてご批判覚悟でいうなら“数値ではとらえきれない社会事象を掘り起こし、解釈する研究”といえるかもしれません。とはいえ、それだけでは具体的にイメージできないかもしれません。だからといって、質的研究を単なる調査手法として理解しようとするとさらに解りづらくなります。なぜなら、質的研究として現在紹介されているものには手法という立場からとらえるべきものと、研究者としての視点(視座)として考えるべきものがあります。にもかかわらず、これらを区別せずに理解しようとすると、頭の中で整理できずにおおかた混乱することになります。
 質的研究をよく量的研究と比較して説明することがあります(表1)。この説明は比較的わかりやすいので、あなたが勉強を始めたばかりであればそのくらいの理解で十分だと思います。しかし、質的研究が仮説生成型研究だといっても、調査に入るきっかけになったリサーチクエッションがあるはずで、そのリサーチクエッションこそ仮説なのではないかという疑問も浮かんできます。そもそも、そうしたリサーチクエッションすらない状態で調査を開始するということがはたしてありうるのか、という議論も起こってくるかもしれません。また、調査目的に合致した「合目的なサンプリング」をするとひとくちにいっても、およそ主観的(恣意的?)な調査が科学的といえるのか、などざまざまな疑問が湧いてきます。

            <表1> 質的研究と量的研究との比較
              質的研究           量的研究        
              仮説生成型         仮説検証型
              言語や現象(概念)     数値データ
              合目的的抽出        無作為抽出
              哲学・社会学理論     数理統計学的理論
      
また、質的研究は原則として、仮説や一般性を想定せずに調査に入るとされています。このことを「仮説や一般性を“カッコにくくる”」といいます。この“カッコでくくる”とは後述するフッサール現象学の言葉ですが、質的研究では調査の結果をどう扱うかは、その調査の立場によって大きく変わってきます。そのことをスッキリ整理する必要があります。
 そこで私は表2のような分類を提案します。すなわち、質的研究を大きくミクロ研究とマクロ研究にわけるというものです。ミクロ研究は研究者個人の主観というフィルターを通して社会事象を解釈するものであり、ここでは一般性は担保されてある種の“個人誌的”な研究と位置付けられます。限られたサンプルを深く調べ、得られたデータによって研究の方向性はいかようにも変わりうるのがミクロ研究です。ですから、ここではあらかじめ調査の枠組みや明確なリサーチクエッションが用意されるのではなく、質的データを研究者の主観というフィルターにかけながら“仮説を生み出していく”という過程が重視されるのです。一方、マクロ研究は社会事象に潜在化する一般性を掘り起こすものであり、研究者の主観より「結果としての“客観性”」が優先されます。データは複数の、しかもそれなりの数が必要となりますし、一般化へ向けての調査の枠組みや調査すべきリサーチクエッションもより明確なものとなります。したがって、マクロ研究では“仮説を生み出す”というよりは“仮説を明確化していく”といった方が正確かもしれません。
 
   <表2> 質的研究の分類(私案)
             ミクロ研究(個人誌研究)   マクロ研究(一般化研究)    
     調査手法  個人面接              個人面接(複数)
             デイスコース アナリシス    フォーカスグループ
             観察法              (観察法)
             ドキュメント分析         コンセンサスメソッド
     研究視座  ケーススタデイ          グランデッド・セオリー アプローチ
             エスノグラフィー
             フェノメノロジー
              
 質的研究を始めようとする場合、おおまかにこのいずれの研究を目指すかを決めておかなければなりません。それは研究の方向性によって調査の進め方や分析における調査者の立場(主観のあり方)が違ってくるからです。筆者も、この辺を曖昧にしたまま調査をおこないデータ分析に苦慮した経験があります。
 しかし、いずれの立場であるせよ、“質的研究としての原理・原則”というものがあります。それが「主観と客観」の問題といえるでしょう。この問題の理解なしに質の高い質的研究をどう展開するかを考えることはできません。




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