更新日:01月10日
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| 以下は漫画「哲也」に掲載されていたものです。原作者、さいふうめい氏が「阿佐田哲也氏の語録」を取り上げつつ、その語録の解釈という形で、氏自身の「勝負観」みたいなものが語られています。どこか日常の生活にも通じるものがあるような気がして、どれもひじょうに考えさせられる「うんちく」ばかりです。 |
| 阿佐田哲也語録 17th |
| 男の人って、何故、博打なんかに夢中になるのかしら。 −「次郎長放浪記」より− |
| 【さいふうめい談】 博打が男を魅了するのは、それが難しいからである。博打は占いから生まれた遊びだ。占いは未来予知学。人類最大の見果てぬ夢は未来予知ではあるまいか。学者が未来予知に夢中になるように、男は博打に夢中になる。 −「哲也第17巻」より− |
| 阿佐田哲也語録 1st |
| 麻雀は点棒のやりとりだとしか思えない人は永遠に弱者である。麻雀は運のやりとりなのだ。 −「Aクラスの麻雀」より− |
| 【さいふうめい談】 麻雀を始めるとき、プレーヤーは皆10の運を持っている。序盤、君が危険牌を捨てたり、不用意な牌で人の手を助けたりする。ミスをして点棒が減らなかった、君は運を使っている。君の運が8,6,4,と減ってきたとき、点棒は急激に減り始める。その時が大決戦だと思う人は永遠に弱者である。点棒が小さくしか動かない前哨戦のときに、「運の大決戦」は終わっているのだ。 −「哲也第1巻」より− |
| 阿佐田哲也語録 2nd |
| 限度まで運を使って勝ったら、その晩はさっさとやめちまうんだ。 −「麻雀放浪記」より− |
| 【さいふうめい談】 野生の獣は、一日分の運を使い、それと引き換えに一日分の餌を得る。勝負師も同じ。一日分の運を使ったら、未練を持たずに思い切りよくやめる。「出る・引く」を徹底するのが真の勝負師だ。 −「哲也第2巻」より− |
| 阿佐田哲也語録 3rd |
| 落ち目の人の逆を行け。 −「ばいにんぶるーす」より− |
| 【さいふうめい談】 ツキに見離された男がずぶずぶ沈んで行くのは止められない。ということは、二者択一のゲームなら、その男の逆へ逆へと張っていけば、運も勘も使うことなく勝てるわけだ。「引き潮の逆目に張れ」は古代ローマ時代の格言だが、人生一般に通じる奥深い哲理である。 −「哲也第3巻」より− |
| 阿佐田哲也語録 4th |
| 何より重要なのは、自信である。 −「ああ勝負師」より− |
| 【さいふうめい談】 「負けて強くなれ」という将棋の格言は、勝負の一面しか反映していない。勝負師は負けたら弱くなる。ここ一番の勝負を決めるのは、「絶対勝てる」という自信である。その自信は勝つこととトレーニングでしか手に入れられない。 −「哲也第4巻」より− |
| 阿佐田哲也語録 5th |
| 負ける者の何倍も大きいものを失う覚悟がなければ、勝つことなんてできない。 −「麻雀狂時代」より− |
| 【さいふうめい談】 勝ちつづければ、明日の打つ場を失う。極度の緊張状態のために人格を失う者も多い。金と引き換えに失うものは大きい。逆に「負けてもいい」という博打なら、金以外何も失うことはないのだ。 −「哲也第5巻」より− |
| 阿佐田哲也語録 6th |
| 欠陥からせつなく生まれるのがパーソナリティーだ。 −「黄金の腕」より− |
| 【さいふうめい談】 完全無欠の人間はいない。必ず欠陥を持っているものだ。勝負師は自分の欠陥を補うために、独自の戦術を編み出していく。決めワザは欠陥の中から発酵してくる。だから決めワザの中に最大の弱点が潜んでいるのだ。 −「哲也第6巻」より− |
| 阿佐田哲也語録 7th |
| 弱きを挫き、強きを助く。これが博打のセオリーだ。 −「麻雀放浪記」より− |
| 【さいふうめい談】 ツキに見離された男を確実に叩いてラスを食わせる。ツキの頂点にある男にもろぶつかることを避け、自分のツキのロスを防ぐ。これがセオリーなら、博打の強い男はすべからく卑怯者である。が、その気で世界史を眺めると、戦の勝者も卑怯者ばかりなのだ。 −「哲也第7巻」より− |
| 阿佐田哲也語録 8th |
| プロはフォームが最重要なんだ。 −「うらおもて人生録」より− |
| 【さいふうめい談】 これさえ守っていれば六分四分で自分が有利に戦える・・・。そう信じられるものがフォームである。プロは自分の素質にふさわしいフォームを手縫いでつくる。フォームを守っていれば、たとえツキが落ちても自信はゆるがない。 −「哲也第8巻」より− |
| 阿佐田哲也語録 9th |
| 女性雀士は、男以上に闘争的で攻め中心の麻雀を打つ。 −「外伝・麻雀放浪記」より− |
| 【さいふうめい談】 女性はギャンブルには向かない。手の内が表情や雰囲気にあらわれてしまうからだ。ところが時々、強運の女性ギャンブラーが出現する。こういう女性は生まれつき強い。努力もしない。ただ強いのである。たいがいは不美人だが、まれに超美人がいる。 −「哲也第9巻」より− |
| 阿佐田哲也語録 10th |
| 原点でいいじゃないか。 −「新麻雀放浪記」より− |
| 【さいふうめい談】 人は一日生きれば一日分の運を使う。勝っても負けてもプラス・マイナスはゼロ。だが、人間の数だけ原点の種類はある。金をとるか、名誉をとるか、友情をとるか・・・。人は原点から少しでも遠ざかろうと、もがき苦しみ、結局原点を目指している。 −「哲也第10巻」より− |
| 阿佐田哲也語録 11th |
| さばいて、守って、自分の怪我を最小限にすます。 −「ドサ健ばくちの地獄」より− |
| 【さいふうめい談】 上昇運の時はリスクを恐れず攻める必要があるが、下降運の時に無理に攻めれば大怪我をする。運の追い風を受けられない時は、手厚く打って、負けを最小限に食い止めるほかない。下降運にどれだけ我慢できるかでトータルでの勝ちが決まってくる。 −「哲也第11巻」より− |
| 阿佐田哲也語録 12th |
| 一ヵ所に澱まない。 −「うらおもて人生録」より− |
| 【さいふうめい談】 流れのない水溜りの水は、やがて腐るしボウフラもわく。一ヵ所に澱めば、どんなスゴ腕の玄人(ばいにん)でも腐ってしまう。大きな世界でも、人間社会は30年で腐る。狭い玄人の世界なら、あっという間だ。新しい賭場に踏み出す勇気を失わないことだ。 −「哲也第12巻」より− |
| 阿佐田哲也語録 13th |
| 一見単純なものほど綜合そのものなんだぞ。 −「ばいにんぶるーす」より− |
| 【さいふうめい談】 囲碁や将棋と異なり、丁半やチンチロリンのようにルールの単純なゲームは、結果が大きく運に左右される。運を味方につけるには、神に近づく努力をする他ない。運の謎を知るものは神しかいないからだ。それが博打の厳しさだ。 −「哲也第13巻」より− |
| 阿佐田哲也語録 14th |
| 仕掛けていってちょうどいいんだ。 −「ばいにんぶるーす」より− |
| 【さいふうめい談】 若い時は勝つことばかり考えていればいい。勝つためには先ず仕掛ける。そうすれば上級者に食われる。リベンジ(復讐戦)をする。そこで初めて「食う・食われる」という関係(信頼)が生まれる。仕掛けない男は、周りから無視される。それが最も恐ろしい。 −「哲也第14巻」より− |
| 阿佐田哲也語録 15th |
| 気がないときは、すぐさまやめろ。 −「東一局五十二本場」より− |
| 【さいふうめい談】 競馬の例で説明しよう。絶対に自身のあるレースを一日のうちに、二、三レースだけ厳選する。他のレースは手を出さない。一年トータルすれば勝率はかなり上がるはずだ。私たちの内に眠る野生の勘が「勝てる」と思った時だけやれば、博打の勝率は上がる。しかし、それが一番難しい。 −「哲也第15巻」より− |
| 阿佐田哲也語録 16th |
| 完全なものってのは、本当にいいものだ。 −「次郎長放浪記」より− |
| 【さいふうめい談】 博打では常に損得を考える。ところが損得ばかりを考えていると、埃っぽい暮らしになってしまう。私たちは子供のころ“完全なもの”に憧れた。博打もたまには“完全なもの”に出会って、命の洗濯をしたくなる。 −「哲也第16巻」より− |
| 阿佐田哲也語録 17th |
| 男の人って、何故、博打なんかに夢中になるのかしら。 −「次郎長放浪記」より− |
| 【さいふうめい談】 博打が男を魅了するのは、それが難しいからである。博打は占いから生まれた遊びだ。占いは未来予知学。人類最大の見果てぬ夢は未来予知ではあるまいか。学者が未来予知に夢中になるように、男は博打に夢中になる。 −「哲也第17巻」より− |