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1st:
記憶
私は,記憶に関してはあまり頭がよくないほうなのです.
しかし,幼少期の記憶に関しては,鮮明とまでは行かなくともよく覚えているほうだと言われます.
物心つくということを,記憶の始まりとすると,私が物心ついたのは2歳のころということになる.

このころの私は,両親とともに広島市の霞町というところに住んでいました.
広島大学病院が近所にあり,私はこの大学病院で生まれている.

2歳にもなるとあちこちふらふら動き回り,よく両親にかつがれたあとおしりをパンパンたたかれていてはけらけら笑っていた”ようだ”.
ここで,”ようだ”ということばを使うが,実は私自身過去の記憶を自分のものとして認識できないという傾向があるそうだ.
このことは,高校生のときにそう診断を受けたのだが,そうらしい,専門医に言わせると.私自身,みんな同じだと思っていたので,少々へこんだが....
そういうわけで,自分のことでもすぐにわすれられるという,すばらしい特技を持ってしまっている.

話をもどそう.
2歳のころはよく寝ていたようだ.
本人は台所へ行くつもりだったのだが,気づくと廊下で寝ていたらしく,母親に起こされていた.
こういうことが,しばしばであった.

次にはじまる記憶は,5歳のときからである.
私立光幼稚園に通っていた私だが,しょうしょうオマセさんだったようだ.
担任の先生に,あわい気持ちを抱いていたから.
よくしかられることをしていたが,今思えばかわいらしいものである.いまの私を鑑みると.

3歳・4歳の記憶はどうしても思い出せない....
高校生のときに,両親に尋ねたことがあったが,教えてもらえなかった.
両親も,覚えていないのだそうだ.

私のなかでは,たまに今までの記憶にない昔っぽい映像を夢の中で見ることがあるので,それであると決め付けているのだが,ほんとのところはよくわからない.
肝心なのは,そんな映像には家族が一人も出てこない.
無口な父も,働き者の母も,いたずら好きな兄も.
そもそも,私の記憶の中で,家族との記憶があまりにも少ないように思える.
なぜか?

答えは,すぐには出せそうにないが,
ヒントは持っている.
私は,家族に対して肉親であろう感情を感じたことがない.
親戚に対してもそうであり,私に言わせれば,単なる他人でしかない.
家族に関しては,そこまで突き放した感覚ではないが,お世話になってる人々といったところが正解なのではないだろうか.
とくに家族と談笑するというわけでもなく,ひとりの時間を好んでいた.
今現在は,一人暮らしをしているが,とくに親元にもどろうという気にはなれないし,必要ないと考えている.
まわりの人間が,帰省シーズンにあると,どうしてわざわざ親元に戻るのか理解できない.

記憶というタイトルでここまで書いたが,どうも私の他人に対するコミュニケートの方法に問題があることが明確となった.
自分の記憶を掘り下げるよりは,この問題に取り組んだほうが,面白そうである.
次回は,この問題について少し踏み込んでみることにする.