教育は死んだ

 今17から18ぐらいの青少年の凶悪犯罪が問題になっています。はっきり言って学校関係の者にとっては
予想されたことです。この年代の少年たちは教育の面から言ってどういう特徴があるでしょうか。実は文部省が
個性の尊重を言い始めたころに小学校に入学しているのです。個性の尊重子供の人権を守れ、などとても良い
響きの言葉です。そのことに反対できる人はいません。しかしその言葉に守られて学校ではどんなことが起こった
か。例えば授業中の立ち歩きです。授業をしているときにうろうろ歩き回る子供がいて、一斉授業が成り立つはず
が有りません
。誰が考えてもおかしい。そんなことが個性の尊重の言葉の下に、認められてしまうのです。学級崩
という言葉は今では学校に関係の無い人たちでも聞かれたことがあると思います。ここまで述べてくればそんな
ことは起こるべくして起こった、ということを分かってもらえるでしょう。教師の経験年数だとかそんなことは関係有
りません。教育方針が変わってしまったのです。年配の方なら九九を覚えるまでやらされたとか、そんな記憶が
お有りのかたもおいでだと思います。しかし今なら、九九を覚えるも覚えないもすべて個性なのです。誰が一番可
哀相でしょうか。極端な言い方をすれば、学校ではもはや躾はできない、どころか何をやっても許されるということ
を教えているのです。そしてそういう少年たちが高校を卒業する年代になってきているのです。

 何年も前,愛知県では(他県でもあったように思いますが)男子生徒の丸刈り頭が問題になりました。その理由が
生徒の人権ということでした。その議論は正しいでしょう。しかし本当に皆が人権という観点から話をしていたでしょ
うか。ならば今になって茶髪がどうの、金髪がどうの言い出すでしょう。モヒカン刈りだって、どんな髪型でもすべて
人権の名の下にすべて自由でなくてはおかしいのです。一般の人の感覚ではそこまでは認めたくない、ならば
生徒の人権と同時に学校側にも何らかの指導権を認めるべきだったのです。そうでなければ、学校は自動車学校
と同じ、技術だけを教える学校にすべき
だったのです。すべてが中途半端です。
公立学校の教師をしている方の中に、自分の子供は私立に入学させようと思っている人が結構います。自分たちのやっていることがもはや信用できないのです。