私の視点
日本は本当に飛行機をあしらった切手が少ないので、残念ながら松つながりでライト機を掲載しました。
また、日本最初の国産機だったにも関わらず、いまでも、その詳細はあまり語られることはありません。他方でドイツなどから技術指導に来た人たちのことは意外と多くの人が本に書いているのですが、この扱いの差は気になります。
ま、技術屋はあまり世間の評価などを気に知ることなく、世に出して恥ずかしくない、また長い目で見て喜ばれるものを目指してがんばりましょう。
日本で飛行機が初めて飛んだのは、1910年12月代々木練兵場で、アンリファルマン複葉機で徳川大尉が、グラーデ単葉機で日野大尉が飛んだのが初めてでした。
日本の国産機が初めて飛んだのは、翌年の1911年5月、所沢飛行場で、海軍の技士、奈良原三次氏が軍務の余暇に独自に作成した奈良原式第2号複葉機でした。
この時の飛行は、高さ4m、距離66mと言われています。
その後海軍を退職した奈良原氏は改良を加え、奈良原式4号機を作りました。国産の本格的な航空機ができました。
一方、当時の軍部は、所沢の飛行場を民間人が使うことを禁じたため千葉県の稲毛海岸の干潟を飛行場とし、奈良原氏は門下生の伊藤音次郎、白戸栄之助等と、奈良原式4号機等ををつかって民間のパイロットを育成しました。
したがってこの稲毛の地が日本の民間航空の発祥の地と呼ばれています。
この4号機は、鳳(オオトリ)号と命名されました。レプリカが稲毛公園の稲毛民間航空記念館に展示されています。
☆日本の民間航空発祥の地 : 千葉稲毛
当時飛行場として使われた、稲毛海岸の干潟は現在は埋め立てられ、住宅などになっています。
飛行場の跡は小さな公園になっており、記念碑が建っています。この記念碑の脇には写真のような松が植えられていますが、この松は、日本発飛行40周年を記念して、ライト兄弟が初移行したノースカロライナ・キティホークに生える、松の種を当時の州知事が送ってくれ、その種を育てたのは、奈良原氏の門下生であり、この地でパイロットを育てた伊藤音次郎氏でしたが、この地に植樹したものだそうです。
下写真 左:奈良原三次氏
右:伊藤音次郎
左写真
奈良原式4号機
『鳳号』
稲毛民間航空記念館の許可をいただいて掲載しています。
写真上:記念碑とキティホークの松の子孫
右切手:ライト機を見上げる人々
下切手:キティーホークのライト機