業績の概要
アメリカ生まれ : 1898〜1982
1921 : 飛行およびサービス学校卒業
1922 : ライアンフライイング会社を設立、旅客輸送を開始
1925 : 飛行機製造を開始 ライアンM1を製作
1927 : ライアンM2を改造しリンドバークに大西洋横断用の飛行機を提供
1927・5・21単独無着陸横断飛行成功
1930代 : 航空学を教える学校や操縦を教える学校をつくる
大戦後は、短距離離着陸機や垂直離着陸機、
また自動操縦機や無人機の開発に注力する
☆リンドバークの影の恩人 : T・クロード・ライアン
優れてる点
名もなきリンドバークに支援の手を差し伸べ、なおかつ実務は社長と設計者ドナルド・ホールの任せた経営手腕は大したものだとおもいます。
一方、航空機製造ばかりでなく、その基礎となる航空学、また飛行機の運航とその支えとなるパイロットに注目し航空機業界全体を見渡した広い視野とそれに何らかの関わり合いを実務でやり遂げた能力もすごいです。
さらに各種の学校をつくり多くの人材を育てたことは特筆に値するとおもいます。
私の視点
我々技術者も単に自分の専門技術だけを極めるのではなく業界や社会構造に目を向け、可能な限り実務で体感するという経験をつみ、厚みのある技術者になりたいものです。
リンドバークの飛行を支えたのは
飛行機を設計したドナルド・ホールや当時のライアン社の社長マホーニーが有名でライアンは単に飛行機の名前ライアンNYP-1:愛称スピリット・オブ・セントルイスに名前が載る程度です。
私もドナルド・ホールやリンドバークの切手は額にして飾るもののライアンは蚊帳の外です。・