私の視点
高麗氏は養蚕や農業に優れた腕を振るったとされていますが、私は採鉱にも腕を振るったように思われます。
理由は以下のごとくです
★聖天様(歓喜仏)を祀るところに鉱物資源があることがおおい
    (この地も秩父の近くです)
★高麗氏は平安時代から修験道をおこなっていた
    (役行者なども同様に鉱山師と修験道はかなり結びついている)
★お寺の裏側に雪山といって石灰岩の露頭がある
   (岐阜の金生山のように石灰岩質の地層近くには金属がでやすい)
などです。
高麗氏は高句麗の滅亡(高麗神社の項参照)とともに多くの産業技術をもって日本に渡来し、とくに鉱物資源の探索と共に移動していったとおもわれます。
聖天院は、高麗王若光の菩提寺として天平時代(751)年に創建されました。
名前の由来は、若光が守護仏としていた聖天像を本尊としたことから名付けられたそうです。
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高句麗の王族 高麗王若光の菩提寺 : 埼玉県の高麗山 聖天院

左:若光の王廟
右:石灰岩の露頭