私の視点
鉱物資源の活用は鉱脈の発見、採掘そして鉱石の精錬という連鎖がキチンとつながって初めて有効になります。
とくに精錬技術の革新は採掘量の増大に寄与してきました。
石見銀山や武田の湯の奥金山でおこなわれた灰吹き法も当時の大きな精錬技術の革新で、当時の日本は金や銀の世界的な産出国の地位を占めたものです。
一方、最近では、使い終わった携帯電話から金などを取り出すことがおこなわれていますが、この小坂などの黒鉱採掘・精錬で培われた技術が使われているそうです。
技術の転用が大きな時代の流れの中でおこなわれているわけです。

追記:金属を溶かして分離するという方式は、さかのぼると日本では奈良の大仏の金鍍金が水銀アマルガムの活用でおこなわれています。
秋田県の小坂鉱山が最初に発見されたのは1683年(徳川綱吉の時代)銅山としてだったそうです。
その後すぐ廃坑になり、約200年後の1861年(幕末)に銀山として再度採掘が開始されました。明治になったも採掘は続けられましたが、ついに銀の富鉱部は掘りつくされ廃坑かと思われていました。
その後1887年(明治20年)に黒鉱が発見されました。しかしその精錬方法に良い方法が見つからなかったのですが、1900年(明治30年)に硫黄の反射熱を利用する初期の自溶精錬法が導入され再度銅山としてよみがえりました。
その後電気精錬などの導入、また資源の枯渇などにより、何度かの盛衰があったのですが、1990年(平成2年)に閉抗にいたり、現在はペルーからの輸入材の精錬作業をもっぱらにしています。

黒鉱を産する黒鉱ベルトは東北地方の真中を青森から宮城・山形にかけて存在する一大鉱物資源のラインです。
鉱物の宝庫であることは間違えないのですが、各種鉱物資源の混合鉱物として存在するので、単一鉱物とくらべて採算がとりにくいのが難点です。
特に黒鉱は常に多少の金・銀などの貴金属、そして鉛・亜鉛などを含有するので、この分離が課題でしたが、電気精錬を主体とした自溶法はこの分離に威力を発揮してきました。
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黒鉱ベルト上の鉱山 : 小坂鉱山今昔

写真左:現在の小坂鉱山(精錬所)
写真中:小坂鉱山事務所
写真右:展示された黒鉱