




この洞窟には平安時代初期、多賀丸という海賊が住んでおりましたが、当時の征夷大将軍:坂上田村麻呂に征伐されたという伝承がありますが、その後も多分、海賊というか水軍というかそのような人たちが利用していたことと思われます。
この洞窟には、瀬戸鉛山鉱山の跡が残っています。この鉱山は正親町天皇の頃と言いますから、織田信長が桶狭間で戦った頃(1560年)に鉛鉱山として開発されたようです。時は鉄砲の時代を迎えようとしていましたので、鉛の需要は急増したので、かなり活況を呈し、数10もの竪抗が掘られたといわれています。
ただ、慶長年間といいますから、1600年のはじめ頃(大阪冬の陣の頃)には、坑道が海中に達するようになり急激に衰退したと言われています。
上写真は左:坑道
右:坑道の先端部分