私の視点
この断崖絶壁の下の方に鉛の鉱脈があることをよく見つけたものだと感心します。
一般に、古い時代の鉱山は山師(山人)と呼ばれる専門職人が露頭などを探して、鉱物資源の有無を見分けていたと思われますが、このような海に出ていなければわからないようなところは、海人が探し当てたのでしょうか?だとすると海人と山人は、同質の能力を有していたと考えられます。
神社の系譜などをみると、山の信仰と海の信仰は類似点がかなり見受けられますが、このあたりはまた別に項を改めて書いてみたいとおもっています。
南紀の三段壁は写真のような断崖絶壁です。
この壁の地質は火成岩と堆積岩とで出来ており、その断層部分が削り取られ、洞穴のようになっています。
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南紀三段壁の瀬戸鉛山鉱山 : 波洗う洞窟の中の鉱山

この洞窟には平安時代初期、多賀丸という海賊が住んでおりましたが、当時の征夷大将軍:坂上田村麻呂に征伐されたという伝承がありますが、その後も多分、海賊というか水軍というかそのような人たちが利用していたことと思われます。

この洞窟には、瀬戸鉛山鉱山の跡が残っています。この鉱山は正親町天皇の頃と言いますから、織田信長が桶狭間で戦った頃(1560年)に鉛鉱山として開発されたようです。時は鉄砲の時代を迎えようとしていましたので、鉛の需要は急増したので、かなり活況を呈し、数10もの竪抗が掘られたといわれています。
ただ、慶長年間といいますから、1600年のはじめ頃(大阪冬の陣の頃)には、坑道が海中に達するようになり急激に衰退したと言われています。

上写真は左:坑道
      右:坑道の先端部分