めりけん海底軍艦
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| 「近代潜水艦の父」ジョン・ホーランド」 |
実用潜水艦の歴史はアメリカの技師ジョン・ホーランドの開発したホーランド型潜航艇をもって嚆矢とする。1875年に素朴な人力潜航艇から出発したホーランドは着実に技術的改良を重ね、1900年進水の9号艇「ホーランド」(排水量75t)がアメリカ海軍に採用されたことでその声価を確立するに至った。
ホーランド型は動力に内燃機関と蓄電池を使用し、武装として魚雷を採用するなど、今日の潜水艦の基本的なデザインが集約されたもので、ホーランド技師は「近代潜水艦の父」として知られている。
さて本コーナーで紹介するのは、もちろんホーランドの話ではない。独特なコンセプトの潜水艦を引っさげ、ホーランド技師と熾烈な開発競争を続けたライバルの話である。
その男の名はサイモン・レーク、そして彼の開発したユニークな潜航艇を「アルゴノート」という。
挑戦者サイモン・レーク
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| サイモン・レーク |
サイモン・レークはアメリカの潜水艦発明家であった。以上、説明おしまい。
…いやその、この人物のことを調べたがさっぱりわからない。まあ昔も今もアメリカに絶えず登場する名もなき発明家の一人である。写りの悪い写真が残ってるが、まあ「発明おじさん」そのものだ。
レークが潜水艦の歴史に短くも独特な足跡を最初に記すのは1893年、アメリカ海軍の潜水艦設計コンペに応募した時のことである。この時はあっさりホーランドに負けてしまった。後の明暗がいみじくも示されたことになる。
まあこの時のホーランド艇の方も、蒸気機関を使ったばかりにまともに運用できなかったそうなので、ここまではいい勝負だった。
サイモン・レークは落選にめげるどころか、自分のアイデアの実用性を示すため発明実験に没頭した。そして1895年、ついに自前の試作艇を完成させた。
その試作艇「アルゴノート・ジュニア」が下図である。
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| アルゴノート・ジュニア |
…いやまあ、本人が潜航艇と言ってるのだからしようがない。
アルゴノート・ジュニアは全長4.2m、幅1.3m、高さ1.5mの木箱だ。船体(というか車体は二重の松材で作られ、革と松脂で防水加工されている。画期的なのが推進システムだ。アルゴノート・ジュニアは人力で車体前方の車輪を回して進むのだ。しかしこれは潜水艦とはお世辞にも言えない。水中人力車である。
そしてアルゴノート・ジュニアの攻撃手段は…ない。というかサイモン・レークはそもそもアルゴノートを救難作業用に考えていたらしく、内部の水密区画から潜水夫が出入りできる構造になっている。
しかしホーランドが電池推進の鋼鉄製潜航艇を建造しているのに、この箱車はないだろ。それに戦闘用でないあたり、そもそも海軍のニーズを考えてたのか?
アルゴノート・ジュニアは試験航海(というか走行)を無事に成功させ、3人の乗員が深さ5m弱の水中で1時間ほど潜航したそうである。しかし乗ってた人間、生きた心地しなかったろうなあ。
海底軍艦アルゴノート
はた目にどう見えたかはともかく、サイモン・レークにとってアルゴノート・ジュニアは成功だったらしい。彼はその2年後、いよいよ本格的な潜航艇「アルゴノート」を建造する。
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| アルゴノート |
アルゴノートは全長19m、排水量59t。船体は鋼材で作られ、30馬力のガソリンエンジンと電動モーターを装備した、名実ともに立派な潜航艇だ。
しかしやっぱりというか、船体下部にでっかい車がついているのだ。さすがに推進器はスクリューで、これを回転させるわけではないのだが、そうなると余計に意味がない。
サイモン・レークはどうやら潜航艇というものは、水中を航走するのではなく海底を走るものだと信じこんでいたらしい。それだけに海底で長期間作業するための装備……潜水夫を出入りさせる水密ハッチだとか、水上に浮かべたブイからパイプで空気を取り込む吸気装置……を取り付けるなど、凝りに凝っていた。これでは潜水艦というより海底軍艦と呼ぶほうがしっくりくるではないか。
だがアメリカ海軍が要求していたのは、水中に潜んで敵を奇襲する兵器なのだ。海底でのんびり張り付いている代物ではない。アルゴノートは、ホーランド艇にはなかった潜航用の舵を備えるなど技術的にはいいアイデアもあった。しかしサイモン・レークはアイデアマンだったが、企業家として肝心なものが欠けていた。顧客の求める製品を作る才能と意欲である。
諦めきれずに…
20世紀の初頭には、ホーランドの実用潜航艇は各国の海軍によって購入され、彼の潜航艇は世界標準となりつつあった。顧客のニーズを予測し、素早く応えたホーランドの勝利である。
こうなるとサイモン・レークも、遅まきながらようやく戦闘用の潜航艇を開発した。1902年に進水した「プロテクター」である。
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| プロテクター |
全長20m、排水量136t、魚雷発射管3門を装備。航海能力も居住性も格段に向上した、どこをどう見ても立派な潜水艦…と言いたいところだがやっぱり車輪がついているじゃあないかこりゃ。
サイモン・レークは、どうしても海底走行に未練があったようだ。人間、固定観念というのはなかなか捨て切れないものらしい。
だがこのプロテクターはサイモン・レークにとって、初めて商売になった潜水艦だった。ロシア海軍が興味を示して購入したのである。つまり日露戦争ではジョン・ホーランドとサイモン・レークの潜水艦があわや因縁の対決となりかけたわけだ(実際には両軍とも配備は間に合わなかったが)。
これで自身を持ったサイモン・レークはいよいよ決着をつけるべくホーランドに挑んだ。アメリカ海軍が1907年度予算で配備する潜水艇を決定するため、プロテクターの改良型を引っさげて競争試作に持ち込んだのである。が、あにはからんや結果は惨敗であった。
それでも海軍拡張の波に乗り、潜水艦の受注に漕ぎ着けたが、車輪をとっぱらったせいかどれもこれもぱっとしない。結局、19世紀末から第一次世界大戦終結までの20年間にアメリカ海軍が配備した潜水艦のうち、93隻がホーランド型で、レーク型は53隻にとどまった。勝負は決まったようなものだが、半分強のシェアを獲得しただけでもレークの粘り勝ちかもしれない。
悲運のライバルと言ったらよいのか、不屈の執念というべきか。ともあれ筆者としては、サイモン・レークを「近代海底戦車の父」と呼ぶにやぶさかではない。
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