天翔ける空母

 

飛行船の時代

 1930年代は、ひとつの技術が頂点に達した時代である。
 19世紀末、ドイツのフェルディナント・フォン・ツェッペリン伯爵の開発した硬式飛行船は、世界大戦を通して改良を続け、長距離の航空輸送手段として将来を有望視されていた。
 開発者の名からツェッペリンとも通称される硬式飛行船は、航空技術を示すステータスであった。そして世界大戦によって大国の筆頭にのしあがったアメリカ合衆国も、巨大飛行船の建造に乗り出していった。わけても飛行船に関心を示したのはアメリカ海軍だった。アメリカ海軍はドイツやイギリスからツェッペリンを導入すると同時に、自力で飛行船の建造に着手した。
 国産第一号のZR-1シェナンドア、ドイツ製のZR-3ロサンゼルスの実績を踏まえ、アメリカが満を持して建造したしたのが2隻の大型飛行船、ZRS-4アクロンとZRS-5メイコンである。(*)
 ZRSとはZeppelin,Rigit,Scout、すなわち「偵察型硬式飛行船」の略称である。
 船名はどちらもアメリカの都市名から命名された。アクロン市とメイコン市は、どちらもタイヤで有名なグッドイヤー社のお膝元として知られる。グッドイヤー社はゴムの気嚢を製造しており、飛行船とは切っても切れない関係にある会社だったので、この命名にはアメリカがこの飛行船に駆けた意気込みがわかるだろう。
 
(*)ZR-2はイギリスに発注されていた。しかし英国でR-38と呼ばれたこの飛行船は、設計不良と工作ミスから試験飛行中に墜落し失われた。

建造中のZRS-4アクロン(1931年就役)


ZRS-5メイコン(1933年就役)
 アクロン号とメイコン号の船体は全長240m、総容積は18万4000立法メートルに達し、当時としては空前の巨大飛行船だった。
 この巨体を可能としたのは、ツェッペリン伯爵の開発した硬式飛行船の構造にある。ジュラルミン製の竜骨とフレームで船体を作り、多数の気嚢をその内部に収めているのだ。従ってフレームの強度が許す限り大型の船体を製造できるし、気嚢が多少破損したところで、簡単には浮力を失って墜落しない。
 当時の飛行船の欠点は、気嚢に充填した水素ガスが引火しやすいことであった。だがアメリカの飛行船は、アメリカでしか生産されていない不燃性のヘリウムガスを浮揚に用いていた。
 船体構造やエンジンにも最新の技術が用いられていた。空気抵抗を低下させるため、ドイツ製のマイバッハエンジン8基は全て船体に収められ、プロペラだけを船外に突き出している。プロペラは上下左右に首を振り、細かな機動が可能になっている。また乗員は船外に出ることなく気嚢やエンジンの整備を行うことができた。
 飛行船最大の弱点を克服し、最新の技術をふんだんに投入したアクロンとメイコンは、まさに空の不沈艦だった。

空飛ぶ航空母艦

 アメリカ海軍が大型飛行船を建造したのは、もちろん伊達や粋狂ではなく、立派な軍事作戦用である。
 これらの大型飛行船が建造されていた頃、飛行機の性能はまだ貧弱で、海上の決戦兵力はあくまで超弩級戦艦の艦隊だった。しかし狭い地中海やヨーロッパ沿岸ならいざしらず、広大な外洋を戦場とする場合、敵艦隊を発見して味方を誘導するのはなかなか簡単なことではない。
 だが数千キロの距離を連続飛行できる大型飛行船ならば、高空に長期間とどまって広大な洋上を監視しつづけることが可能だ。アクロンとメイコンは「艦隊の目」として、総合的な情報収集活動が期待されていたのである。今日で言う早期警戒機の役割を担っていたと言えるだろう。
 大型飛行船の最大速度は時速100kmを越える。これは軍艦よりもよほど早いが、やはり飛行機よりは遅い。しかし当時の飛行機は飛行船のように長時間の飛行はできないし、ちっぽけな機上からの観測精度は低い。どちらも偵察手段としては一長一短があった。
 ところがアクロンとメイコンは、両者の長所を兼ね備えていた。船内に小型の飛行機を搭載し、空中から発進・収用させることが可能だったのだ。まさに空飛ぶ航空母艦である。


偵察機を収用するメイコン

 アメリカの贅沢なところは、この特殊任務のためだけに、わざわざ飛行機を作ってしまうところである。飛行船から発着可能な偵察機として開発されたのが、カーチスF9C「スパローホーク」だ。
 アクロンとメイコンは、この小型戦闘機を5機搭載できた。スパローホークはクレーンで船体下部から降ろされて空中に発進し、帰還時には機体上部の装置をクレーンのフックにひっかけて着艦するのだ。

カーチスF9Cスパローホーク
全長6.12m全幅7.77m
全高2.16m重量1,.48kg
馬力420Hp最高速度248km/h
航続距離590km武装機関銃2

 アクロンとメイコンは飛行機の他にも小型のゴンドラを装備していた。これは第一次大戦と氏のドイツ飛行船が搭載したものの改良型である。観測員を載せたゴンドラをワイヤーで数百メートル下に吊るすのだ。この装置によって、雲の上に身を潜めたまま下方を安全に偵察することが可能だった。
 様々な偵察装備を搭載したアクロン号とメイコン号は、レーダーの未発達なこの時代としては、極めて強力な偵察能力を持っていた。5機の偵察機を手足とし、母船で情報の分析を継続することで、戦場をさながらゲーム盤のように把握できるのだ。「空飛ぶ空母」の出現は、海軍の作戦を根本から塗り替えるかに見えた。

はかなき栄光

 空飛ぶ空母の生涯は短かった。
 1931年に就役したアクロンは1933年4月3日、大西洋岸ニューイングランド沖合で嵐に見回れ洋上に墜落、乗員76名のうち3名を残す全員が殉職した。
 アクロン遭難の一ヶ月前に就役したメイコンはカリフォルニアのモフェット海軍基地に配属され、演習でも良好な成績をおさめた。しかし1935年5月31日、太平洋カリフォルニア沖合いで嵐により遭難した。アクロンの教訓が生かされ2名を除く全員が救助された。
 両船の遭難により、アメリカ海軍は大型飛行船の運用に見切りをつけた。第二次大戦の際には百隻あまりの小型飛行船が哨戒任務に就いたが、それも長距離飛行の可能な新型の哨戒機が登場すると次第に姿を消していった。

 アクロンもメイコンも、それ自体は優れた設計の飛行船だった。嵐による遭難は、レーダーのない当時では予測がなかなか困難だった。そんな暴風の中では飛行機だって墜落してしまうのだから、とりたてて飛行船の欠陥というわけではない。
 彼女たちの遭難は不運としか言いようがないのだが、建造費用も運用経費も莫大にかかる大型飛行船が、作る端から墜落してしまうのではたまったものではない。長距離偵察機を多数そろえた方が、まだコストが安上がりということになる。レーダーが発達するとこうした危険も回避できるようになるのだが、そうなると今度は大型飛行船を偵察に用いる必要性はなくなる。考えてみれば偵察用大型飛行船というのは、存在自体が矛盾していたのかもしれない。

 ところで興味深いのは、太平洋に配属されたメイコンである。彼女とその搭載機は、アメリカが広大な太平洋で日本海軍と戦うことを想定した偵察部隊だったからだ。
 空前の空中偵察能力を持つ大型飛行船の出現を、仮想敵である日本海軍がどのように受け止めたかは不明だ。だが日本海軍も大正時代まで小型飛行船を導入し、偵察に運用した実績があった。かのツェッペリン伯爵号の世界一周飛行には日本の海軍士官が搭乗し、日本の寄港先となったのは霞ケ浦の飛行船格納庫だったのだ。メイコンが引き続き活躍していたら、対抗手段として日本海軍が大型飛行船の建造を検討しても、決しておかしくはなかった。
 太平洋を銀色の巨鯨が飛び交い、空の覇権を争う光景が現出したかもしれないというのは、いささか空想にすぎるだろうか?


戻る