仙台高裁の違憲判断は拘束力なし


一般に、判決の中で判例法として拘束力を持つのは、判決の結論を導く上で意味のある法的理由づけ、すなわち「判決理由」の部分です。ここは異論がないと思います。

さて、岩手靖国訴訟の本質は損害賠償代位請求訴訟であり、仙台高裁の判決では主文においてはこの損害賠償が認められず原告敗訴となってます。
もし主文における損害賠償請求が認められた場合、違憲という判断は判決の意味ある理由づけとなりえますが(つまり、公式参拝は違憲だからこそ、それを求めた地方議会の議決は無効となり、それ故それをなした行為が違法性を帯びる)、請求が認められなかったという実際のケースでは、「違憲だから損害賠償請求は棄却される」などとはいえないので、違憲判断が判決主文の「意味のある」法的理由づけとはいえず(強いて言うなら、議決当時の憲法解釈の状況等に鑑みると議会の議長および賛成表決の議員のなした行為には地方自治法242条の2第一項で言うところの違法性が「ない」、というのが理由)、よってそれは「判決理由」とはいえない、すなわち「傍論(裁判所の意見表明)」にすぎないといえるわけです。

これは次の事実からも裏付けられます。確かにこの裁判は2審で確定したのですが、被告は決して上告しなかったのではなく、したかったができなかった。判決主文で勝訴したことを理由に、上告は利益を欠くものとされ、最高裁への特別抗告も不適法とされたからです。もしそうならここで確定する判例法として有効な部分は、あくまで「上告して利益を欠く」部分に限定されなければ、著しく衡平を失することになるのではないでしょうか。でなければ形式上はともかく実質的に非常に不利なケースでも上告ができないという不合理が生じます。

以上により、仙台高裁判決の靖国神社公式参拝の違憲判断は判例法として有効なものではないと解されます。
また同様の理由により、大阪、福岡高裁判決にも拘束されない、ということができます。


靖国問題に対する正しい対応

わたしはこの靖国問題というのは、戦没者遺族と政府との2者の問題であって、それ以外の「部外者」はとやかく言うべきではないと考えています。
遺族が政府の代表者に来てほしいと切実に願うなら、行ってあげればよいのだし、来てほしくないのなら行かなければよいし、それだけですね。
裁判所は画一的な判決を出すのではなく、そもそものこの問題の本質とは何かを考えてTPOにあわせた臨機応変の判断をしてもらいたいものです。それがプロのプロたる所以ではないでしょうか。