イスラエル・パレスチナ和平:政府外での取り組みメモ
2004年1月16日
イパ情勢を見ていると時々、毎日の暴力の応酬でどちらかが全滅するまで終わりは来ないのではないかと不謹慎にも思ってしまう時がある。それでも和平交渉にまるで進展が無い訳でもなく最近では、昨年の12月1日に中東和平代替案「ジュネーブ合意」が発表された。
これはイスラエル野党左派勢力とパレスチナの元閣僚らが2年間、秘密裡に進めてきたもので政府間の正式な交渉ではない。そのため拘束力は無いが、最近は停滞気味の中東和平案「ロードマップ」を促進するものとして国際社会からは一定の評価を得ている。しかし、双方のタカ派にとって受け入れがたい内容となっており、交渉の実際の当事者であるイスラエル政府やパレスチナ指導層はこの代替案に冷ややかな態度。
国際社会からの期待が高くても効果の程は不透明。まず、イパ共に強硬派が政権を握っている現在では、お互いが譲歩する見込みはないので実際的な進展はないだろう。ただ、イパ関係の改善を達成できない双方の現政権が民衆の支持を失って崩壊し、代わりに歩み寄りを図る新政権が誕生する可能性はあると思う。
しかし過去の相互不信から、双方が歩み寄った状態も一過性のもので終わってしまう可能性も強い。2000年9月、当時はリクード党の党首だったシャロンがエルサレム旧市街にあるイスラム教の聖地を強行訪問した事がパレスチナ住民の激憤を招き<第2次インティファーダ>、それまで継続されてきた和平交渉が事実上破綻に追い込まれた例があげられる。
政府間で合意に至った所で、もっと根本的な部分、市民感情が政治的動きに伴わない限り和平交渉の進展は難しいのではないかと思う。
そこでイパ住民の相互理解を深める動きについて少し調べてみた所、イスラエル国内には政府の対パレスチナ強硬策を糾弾する民間団体がいくつかある事が分かった(パレスチナ人の人権擁護を唱う「ベッツェレム」や兵役拒否を支援する団体「イエシェグブール」など)。しかし、中でも私の個人的な関心をひいた組織があった。政治的な取り組みを超えて、「イパ共存」を実践している村「ネーブシャローム」。
エルサレム近郊に位置し1970年代初頭にユダヤ人とパレスチナ人の共存を目的に造られた村。教育機関もあり、幼稚園から小学校、昨年9月には中学校も設立された。授業はヘブライ語・アラビア語のバイリンガルで行われ、教師数も同数のユダヤ人・パレスチナ人で運営されるなど共存方針を徹底している。
最近になって教育省から資金援助を受けるようになったというから完全な民間組織というわけではないらしい。政府は97年、「ネーブシャローム」の小学校を他地域での「イパ共存」を目的とした同様の企画のための先例として「試験機関」に指定。つまり別地域でも同様の教育機関が設立される可能性が生まれたという事になる。(ホームページでは可能性を示唆しているだけなので現時点で別地域での同様の教育機関の設立は実現していないのだろう。)
この組織を知った時はかなり画期的な試みなのではと思ったが、なにせ規模が小さい。幼稚園と小学校の生徒の総数は、2000年の日本語ページによると250人、2003年の英語ページでは290人とある。単純計算だと3年間で40人が入学と言うことは1年間の入学者は約13人。設立から30年近く経ってこの少なさは認知度の低さ、あるいは運営の難しさ故なのか。
この規模では社会的影響力は如何なものか、と思ったら79年にはイパ紛争を研究しお互いの理解を深める青年向け機関も設立されていた(こちらは政府援助は無いらしい)。2000年の日本語ページでは2万5千人が参加、2003年の英語ページでは3万5千人に増えているので、単純計算で一年に3千3百人増の割合。結構いい確率なのでは。日本という安住の地に居て差し出がましいが、これならきっと社会に対する影響はあると希望を持ってみる。
政治的トップの交渉がマンネリ化しても、民衆の隅々までマンネリ化している訳ではない。社会に上記のような取り組みの土壌が浸透すれば政府間の和平交渉も進展するのではないか。日本で流されるイパ情報は、主に双方の暴力や非難の応酬、歴史的にどちらに非があるかが主だが、和平に向けて動いている人達の進展こそ注目されるべきなのでは。
ネーブシャロームとは関係ないけど調べていて興味深かった記事
・「イパ簡略史」セルジオ・ヤフニ(sergio yahni)
・「日本の中東報道の視点」
・「中東・日本の取り組み」