進化論をはじめる前に

1999/11/19-/27 ([Bilab:3864][Bilab:3865][Bilab:3873] より一部改編)
  1. 進化論とは〜近代国家への促進剤・利用された進化論・力の支配

    さて、みなさんは「進化論」というとどんなイメージをお持ちでしょうか?大学以上で進化論の勉強をしていないと、おそらく『「キリンの首」の話でしょ?』という答えが返ってくると思われます。もしかしたら、みなさん、この有名な「『キリンの首』の話」を信じてませんか?結果を先に書いてしまいと、この有名な話は間違ってます。後から獲た形質、すなわち蛋白質がどうやってDNAへと反映されていくのでしょうか?あきらかにセントラルドグマの流れに反しています。この有名な「キリンの話」はラマルクの唱えた「用不用説」を端的に説明するのに用いられる話です。この「『キリンの首』の話」はダーウィンの唱えた「自然選択説」とはちがいます。この発表された時代もちがう話を混同している人が多いのは中学2年の理科教育において、この2つのことを並列して教えているところにあります。中学教育では「用不用説」、「自然選択説」の違いは教えるけどそれ以上のことについては言及しないため、ラマルクとダーウィンの進化論をちゃんと区別できず、勘違いをして覚えてしまっている人が多いのです。

    さて今度はダーウィンにの「進化論」についてです。「ダーウィンの進化論」というと皆さんは、まっさきに「適者生存」「弱肉強食」という言葉を思い浮かべることと思います。「自然が選択する、つまり強いもの、環境に適応したものが生き残る」この言葉もまた本当のことなのでしょうか? ダーウィンの進化論について考えてみましょう。

    実は、ダーウィンそのものは最初、ラマルクの説の可能性を示唆しながらも「環境により進化が促進される」と考えていました。つまり、「用不用説」を完全否定していたわけではありません。系統的にはマルサスの後継者ともとれるものでした。では、なぜ「自然選択」のみが強調されてきたのでしょうか?そして、この考えは、社会に何をもたらしたのでしょうか?

    この「適者生存」というものが大きく取り上げられるようになったのは19世紀の終わりころ、国家間の闘争や、人種間の闘争が原因です。つまり戦争などの国家間・民族間の争いごとです。ヘッケルなどの主張する「人間社会には競争が必要で、それによってより強力な国家ができる」ということにまで発展し、個人の競争と言う概念がまったくなくなり「個人は国家に奉仕するもの」というダーウィンの進化論とはかけ離れたものまででてきました。このなれのはてが、いわゆる「優生学(論)」というものです。第2次世界大戦中のナチスドイツのそれは有名ですよね。このようにダーウィニズムは、「競争」「適者生存」「弱肉強食」などといった言葉をキーワードに社会に浸透していったのです。しかし、これらのことは内在的に良くなるほうへと向かう力を持つことから実はラマルクの考えであるというのが本当のところなのですが。

    現在の社会においてダーウィンの進化論は、絶対と考えられているところが大きいです。「お受験」などという言葉があるように、小さいころから「競争」意識を植え付けられています。他人に勝つことだけが本当に重要なのでしょうか?

    話が明後日の方向をむいてしまいましたね。もどします。このように人間の内に存在する「競争」意識を足がかりにダーウィンの進化論、ダーウィニズムは急速に広まりました。中学の理科教育でも「進化とは「適者生存」なのだ」と教えています。

    本当ですか?

    ごく小さな突然変異だけで、本当に進化がおこるのでしょうか?

    この問題を提示したまま、話は次の章へと続く。

    ------------------------------------------------------------------

  2. Intermezzo. ダーウィンとラマルク

    前回までの話を進める前に、ちょっと補足。


    どちらも「有利なもの」という言葉が使われているように実は、大元のところでは根がいっしょなのです。

    ダーウイン学派は先に述べたように「適者生存」だけを強調し偶発的におこった変異が環境などにより取捨選択され、残ったものが進化として表れると考えるようになった。しかし「進化が自然選択ならば退化は?」の問いには明確な説明付けができないという問題が残った。

    ラマルク学派の信者たちは「進化の定向性」に固執し、のちにはソ連崩壊の引き金の一つとなった、ルイセンコの「ミチューリン農法」を生み出すにいたった。(ネオ・ダーウイニズムでは解決できない「退化」に関してはきちんとした説明付けはできたのだが…)

    このように極端な方向へと向かった両進化論だが、どちらを信じるにしても割り切れないところがあります。それは「進化が生じる時間」って一体どのくらいなの?という問題があるからです。すなわち彼らの主張する変化や突然変異って一体どのくらいの時間、割合(頻度)でおこるの?ということです。ここのところは、ラマルクもダーウインも、その存命中にはっきりと言及することができなかった部分であります。(ダーウインは孫に「50年くらいかな?」と言ったことがあるそうですが、実際、自分の頭の中では、その時間は短くなったり長くなったりしてたようです。)

    この問題の解決に乗り出したのが、フィッシャー、フォールデン、ライトといった集団遺伝学派の人たちです。

    「どのくらいの時間と変異の頻度があれば進化がおこるのでしょうか?」

    前章に出てきた「ごく小さな突然変異だけで本当に進化がおこるのか?」という問題とともに次の章でお話します。

    ------------------------------------------------------------------

  3. ダーウィンを越えて〜総合説進化論の打破と中立説・運が進化を支配する

    ごく小さな突然変異だけで、本当に進化がおこるのでしょうか?

    ネオ・ダーウイニズム、すなわち総合進化論者たちにとっても、このことは大きな問題でありました。本当に小さな突然変異の積み重ねだけで進化が説明できるのかと。ネオ・ダーウイニズム派の中には、これを逆説的に捕らえて説明しようとする学者もでてきました。それがJ.ハックスリーの言うところの「馬は本来存在し得なかった」という有名な言葉です。つまり馬という生き物が進化の過程で登場するためにはそれこそ気の遠くなるような偶然が重ならなければならない。しかし馬という生き物が、今ここに存在する以上、その気の遠くなるような偶然が重なることによっておこる進化というものが存在するのだ、というものです。こういった、やもすれば強引とも思える説を生み出しながらもダーウインの進化論、総合説進化論は次の段階へと進んでいきました。

    総合説進化論者は、突然変異の種への定着率などを精密に計算し、理論化していくことをはじめた。これが1930年ごろからはじまる集団遺伝学である。フィッシャー、ホールディン、ライトらといった大御所の登場である。彼ら3人は互いに統計学を駆使し、突然変異の種への定着や進化への影響などの理論化につとめた。

    なかでもライトの「平衡推移理論」はフィッシャーとの対立を呼び、遺伝的浮動の効果についてを激しく議論させた。しかし、悲しいことに、この時代では、まだDNA解析に関する技術がともなっていなかったため、遺伝的浮動は不利な立場におかれていた。(遺伝的浮動…偶然による遺伝形質の定着。)しかし、その後の実験技術の急速な進歩で、1960年代になり、進化論はあたらしい方向へ向かい始めた。

    木村資生は哺乳動物のゲノムにおいての突然変異の頻度を調べていた。木村はその中で、突然変異が理論計算値よりも2桁も3桁も大きいことに注目し、自然選択に有利にも不利にもならない中立的な突然変異がほとんどなのではないかと考えるようになった。これが「中立説」の始まりである。このことを木村はネイチャーで発表し、多くの議論を呼んだ。J.メイナード=スミスやR.ルウィントンらの自然選択万能主義者からの反論が中心であったが、その一方ではJ.キングスらの「非ダーウイン的進化」という中立的な変異による進化を唱える論文もでてきた。

    ここで木村の中立説を簡単に説明すると、『進化とは「適者生存」ではなく「運者生存」である』、ということである。「足の速いシマウマが、生存競争に生き残って種として定着した」のではなく「たまたま生き残ったシマウマが足が速かった」ということである。つまりライオンに捕まるシマウマは、子供であったり、怪我をしていたり、転んでしまったり…運が悪いシマウマなのであるということである。「運者生存」などど一見バカらしく思えるこの理論、実は、総合説進化論の解決できなかった大きな問題をいとも簡単に説明している。

    総合説進化論の泣き所は「進化は連続しておこる」というところにあった。これは、つねに進化は進んでいるということであって、たとえば、今いる、猿が100年後あるいはもっと先でもいいが、とにかく遠い未来にはヒト、あるいは他のもっと進化した生物になる、ということである。本当にそんなことがありえるのだろうか?自然選択説ではつねに種にとって有利な突然変異が定着していくのだから当然ありえる話なのである。ところが実際にはそうは行かない。事実、進化分岐点にいたであろう動物の化石すら見つかっていない今、進化の連続性を説明するのは非常に困難なことである。

    進化は断続的に起る−中立説では運者が残るのである。

    シマウマの話に戻そう。今ここで、シマウマの最大の敵であるライオンが、なんらかの原因により、絶滅したとする。すると、自分を押さえつけるものがなくなったシマウマは、大量に繁殖できるようになる。さらに木村が唱えるように、「中立的な突然変異は非常に頻繁におこる」となれば、自然選択によらない突然変異がたくさんおこるのである。そして、頻繁に突然変異が繰り返されるうちにあらたな種が定着し、「進化」がおきるのである。そして、新たな敵が現れ、「進化」は止まる。

    実にシンプルな答えである。長年にわたって割り切れなかった問題がとけたのである。(「自然選択説」では説明が困難であった退化もまた、中立説は説明してしまった。この原理はすぐにわかりますね。)地球誕生以来、生命体が何度も絶滅の危機を迎えたのは事実であるし、その度、爆発的に個体数を増やしてきたのも事実である。このようにして木村の中立説は総合説進化論を打破したのである。

    現在、進化論はDNA分子系統学というあらたなステージに入っている。「収斂進化」や「形態上の進化」などを理解、解決するために分子時計法、つまり遺伝子上の変異の差によって系統上の距離や分岐の時点を正確に割り出そうとする分子系統学的な手法が用いられている。実は、新しく思われるこの考え、1901年にすでに登場しており、ジョージ・ナトールらにより、新世界ザルと旧世界ザルのどちらがヒトに近いか?という実験が行われている。ヒトはやはり旧世界ザルに近かったという追認に終わってしまったがこの実験(免疫学によって行われていた!!)は1960年代に免疫学の実験の進歩とともに、この手法が脚光をあびるようになった。

    さて、DNAというものが理解されてから、この分子時計に気付いたのは1955年、構造解析がなされてからわずか2年後のことであった。ライナス・ポーリングらが「もし遺伝子上で変異の生じる速度が、生物の系統によらず一定あるならば、これを一種の時計のように用いて、生物のそれぞれの系統がいつ頃分岐したのか知ることができるだろう。」という可能性を指摘した。これが「分子時計」という概念の始まりである。その後、フィッチらの研究の成果もあり、1977年に「塩基配列の置換は、分岐以降の時間の長さと相関している」−つまり、どれも一定の頻度で起っているのだという結論に達した。その後のこの分野の発展は、みなさんも知っている「ミトコンドリア・イヴ」の発見までたどりつきます。

    このように「進化論」はいろいろな道を辿りながら、現在の系統分類学までつながっています。しかし、本当のところ、「進化の本当の姿」はまだ解明されていません。「中立説」でさえ、本当のことは半分くらいかもしれないといわれています。本当の進化の姿を知るには?それこそタイムマシンができるのを待つしかありません。(ドラえもんの生まれた2112年にはタイムマシンがあるのだから…それならアトムの誕生まであと数年しかない。)でも、ちゃんとしたスケールで観察しようとすると、結局、何億年何千万年というスケールで観察しなきゃならないので…これまた気の遠くなるような話ですね。

    わからない、解けない、だから進化論は面白いのかもしれません。今回、紹介した進化論の話は、ほんとに本流の部分だけです。例えば、日本の進化論の大御所、今西先生の話などは本流からそれるのであえて書きませんでした。興味あるかたは、進化論にかんする本を読んでみてはどうでしょうか?今回の話を書くにあたって参考にした本の紹介をもって終わりにかえさせていただきます。

    大進化する「進化論」 金子隆一・中野美鹿著 NTT出版
    はじめての進化論」 河田雅圭 講談社現代新書