進化論とは〜近代国家への促進剤・利用された進化論・力の支配
さて、みなさんは「進化論」というとどんなイメージをお持ちでしょうか?大学以上で進化論の勉強をしていないと、おそらく『「キリンの首」の話でしょ?』という答えが返ってくると思われます。もしかしたら、みなさん、この有名な「『キリンの首』の話」を信じてませんか?結果を先に書いてしまいと、この有名な話は間違ってます。後から獲た形質、すなわち蛋白質がどうやってDNAへと反映されていくのでしょうか?あきらかにセントラルドグマの流れに反しています。この有名な「キリンの話」はラマルクの唱えた「用不用説」を端的に説明するのに用いられる話です。この「『キリンの首』の話」はダーウィンの唱えた「自然選択説」とはちがいます。この発表された時代もちがう話を混同している人が多いのは中学2年の理科教育において、この2つのことを並列して教えているところにあります。中学教育では「用不用説」、「自然選択説」の違いは教えるけどそれ以上のことについては言及しないため、ラマルクとダーウィンの進化論をちゃんと区別できず、勘違いをして覚えてしまっている人が多いのです。
さて今度はダーウィンにの「進化論」についてです。「ダーウィンの進化論」というと皆さんは、まっさきに「適者生存」「弱肉強食」という言葉を思い浮かべることと思います。「自然が選択する、つまり強いもの、環境に適応したものが生き残る」この言葉もまた本当のことなのでしょうか?
ダーウィンの進化論について考えてみましょう。
実は、ダーウィンそのものは最初、ラマルクの説の可能性を示唆しながらも「環境により進化が促進される」と考えていました。つまり、「用不用説」を完全否定していたわけではありません。系統的にはマルサスの後継者ともとれるものでした。では、なぜ「自然選択」のみが強調されてきたのでしょうか?そして、この考えは、社会に何をもたらしたのでしょうか?
この「適者生存」というものが大きく取り上げられるようになったのは19世紀の終わりころ、国家間の闘争や、人種間の闘争が原因です。つまり戦争などの国家間・民族間の争いごとです。ヘッケルなどの主張する「人間社会には競争が必要で、それによってより強力な国家ができる」ということにまで発展し、個人の競争と言う概念がまったくなくなり「個人は国家に奉仕するもの」というダーウィンの進化論とはかけ離れたものまででてきました。このなれのはてが、いわゆる「優生学(論)」というものです。第2次世界大戦中のナチスドイツのそれは有名ですよね。このようにダーウィニズムは、「競争」「適者生存」「弱肉強食」などといった言葉をキーワードに社会に浸透していったのです。しかし、これらのことは内在的に良くなるほうへと向かう力を持つことから実はラマルクの考えであるというのが本当のところなのですが。
現在の社会においてダーウィンの進化論は、絶対と考えられているところが大きいです。「お受験」などという言葉があるように、小さいころから「競争」意識を植え付けられています。他人に勝つことだけが本当に重要なのでしょうか?
話が明後日の方向をむいてしまいましたね。もどします。このように人間の内に存在する「競争」意識を足がかりにダーウィンの進化論、ダーウィニズムは急速に広まりました。中学の理科教育でも「進化とは「適者生存」なのだ」と教えています。
本当ですか?
ごく小さな突然変異だけで、本当に進化がおこるのでしょうか?
この問題を提示したまま、話は次の章へと続く。
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