エクスストリーム・オ‐バル(1)


 アンリミテッド・レシプロの予選が終わった。
 次々にかつての戦闘機が翼を並べて降りてくる。
 P−51、F4U、Yak‐9、Fw190、ki84kou……第2次世界大戦において連合国に勝利をもたらした名戦闘機たちがかつての敵手と翼を並べて降り立つ。最後に「間に合わなかった」2機が降りてくる。
 カメラを構えて待ちうけるファンへのサービスだ。
 鏃のような姿をした日本機が大戦がもうしばらく続いていたら銃火を交えることになったはずの相手、F8Fベアキャットと編隊着陸するとエンジン音に重なってどよめきが上がる。
 それぞれがピットに収まり、エンジンを止めるとリノ・ステッド空港は残響に包まれた。
 本当にまだエンジン音が木霊しているのか、それとも体が突然の静寂に納得せずに耳鳴りを生じているのかは判らない。
 どちらでも同じこと。
 サツキはグッズ販売の終了を告げる札をピット前に下げ、カートを奥に転がして行く。
「着替えてくれ、すぐに始まるぞ」
 チーフエンジニアがいつもどおり無愛想に告げた。
「了解」
 ピット裏手に配置したトランスポーターに戻り、フライトスーツに着替える。
 パイロット自らがグッズ販売を行なうのは弱小チームだからと言う訳では無い。ここ、リノ・ステッド空港に集うエアレーシングチームの大半が同様だった。
 F‐1やCARTのトップチームのドライバーが自らグッズの販売まで行なうなんてことは有り得ないだろうが、エアレースはどこのチームでも家族や親戚の集まりや同好会の雰囲気が残っている。
 プロ化していないとも言える。
 作業ツナギを脱ぎ捨て、アンダーウェアだけの姿になったところでサツキは姿見を見やった。
 ときおり男と間違えられる筋肉の発達した細身の体、その胸から右腕に掛けて走る手術の跡と、右足を覆う火傷の跡。
 事故から6年経つが、未だに季節の変わり目には痛む。
 あれはここから遥かに南、ラグナセカ・レースコースでのことだった。
 フライトスーツを取り出しつつ、思いは自然とその頃へと戻っていった。


             *                       *



「……駄目か……」
 何十件目かの営業先廻りを終え、樋端五月は溜め息をついた。
 入門フォーミュラレース、FJ1600の筑波選手権で年間ランキング2位を得たのは女性としては彼女が初めてのことだった。
 来年はF−4に、あわよくばF−3にステップアップしようと考えて資料を作成し、レースにスポンサー出資している企業を一通り当たり始めたのが表彰式の2日後のこと。
 本業と並行しての営業活動は心底疲れるものだった。
 FJ1600の年間参戦経費は中古マシンを用意した場合でも最低400万円程度、新車を買えばその倍。
 五月の場合は参戦開始の昨年から今年まで合計して812万円を要した。
 社会に出て間も無い若者が自力で出資出来るぎりぎりのラインだった。
 大学に居た頃からバイトによって蓄え、就職してからは終業後にアルバイトを2つ並行して行なって昨年と今年のレースを行なってきた。
 他の参加者たちも似たようなものだった。
 本業に穴を開けて叱責され、「ウチの会社はレースに理解が無い」とぼやくものも中には居たが、そんな手合いに限ってレースでは大した成績を挙げていない。
 逃げ場を自ら用意しているような輩に、何事も出来るはずが無い。五月はそう思い、軽蔑さえしてきた。

 FJ1600の世界にどこか感じられる、投げ遣りな雰囲気。
 目を血走らせて、これをF‐1を目指す最初のステップと見なして打ち込むものは半数ほども居ない。
「タイトル獲ったって上には上がれないさ」そう言い訳し、若き日の想い出として振りかえるためにレースをやっているようなものも居る。
 だが、それは正しかった。彼女が世間を知らなかっただけかもしれない。
 入門レースたるFJで好成績を挙げたからと言って、その上から声が掛かるものでは無い。
 資金を持ち込めないドライバーはいくら速くてもF‐3には上がれず、FJとF‐3の間に存在するF‐4にさえも乗れない。
 それは承知していた。だからこそ日を置かずにスポンサー探しに動き出したのだ。
 レースに出資した例の無い企業にまで手を広げ、「若者から注目されるスポーツです」と訴えて廻ったが、テレビ視聴率や観客動員について……つまりは宣伝効果について尋ねられると閑古鳥の鳴くスタンドを思って沈黙するよりなかった。
 結局、日本の4輪レースはビジネスとして成り立っておらず、チームオーナー達の情熱で行なわれている。彼等も霞を食べて生きて行くことは出来ないから、資金を自力で持ち込めるドライバー以外は走らせることが出来ない。
 必然的にドライバーのレベルが揃わず、観客の目を引くようなレースは行なわれないし、「明日のF‐1ドライバー」がそこから生まれてくることも無い。

 典型的な悪循環の世界に脚を踏み入れていたことに気づき、彼女はスポンサー探しを打ち切った。
 それでもまだ諦めるつもりは無かった。
 実力を示せば向こうから声が掛かる世界へ向かえば良い。
 この時、彼女は自棄になっていたのかもしれなかった。
 アパートを引き払い、身一つでアメリカに渡った。西海岸のレースチームのオーディションを受けるためだった。
 サツキはスーツに腕を通しながら呟く……今振り返ると、無謀な上に甘えのある選択だった。「全て駄目なら実家に帰って家事手伝い」なんてことを考えていたのだから。
 アメリカのレース社会はチャンスを与えてくれた。
 しかしそれは、五月と同様に腕に自信はあるが資金に惠まれない若者がそのチャンスを求めて集まると言うことでもある。
 3つ目に受けたチームのオーディションで、事故を起こした。
 コントロールを失ってラグナセカ・レースコースのコース側壁に叩き付けられ、マシンを大破させる共に彼女自身も重傷を負った。
 入院先に駆けつけて来た両親は、彼女が考えていたほど甘くなかった。
 マシンの弁償と入院費は払ってくれたが、その後のことは自力でやれと命じられた。

 日本に帰る気にはなれなかった。
 プログラマーとしては駆け出しも良いところだった‐だからこそバイトを2つも行なえたとも言える‐から、なかなか条件の良い職には有りつけなかった。
 手持ち資金が尽きる寸前、見つけたのはエアレース・チームのオペレーター兼SEの職だった。
 飛行機を用いて行なうレースがあることなど、それまで知りもしなかった。
 そうして、彼女はこの世界に入った。


             *                       *



『滑走路クリア』
 ジェットクラスのピット―屋根も何も無い吹きさらしだが―に管制塔から連絡が入った。
 各ピットの動きが慌しくなってくる。
 予選出走順に従ってジェット練習機を改造したレーサーがピットを出て行くが、カメラを向けるものの数はアンリミテッドの時に比べると少ない。
 AEシステムズ・エアレーシングチームのグラウンドクルー・チーフであるウェッブ・エインスワースはジェットクラスの10年を振りかえった。
 年に一度、リノ・ステッド飛行場に於いて行なわれるナショナル・チャンピオンシップ・エアレース(NCAR)は40年以上の歴史を持つ。
 もともとは趣味で第2次大戦時の機体を飛ばしていたオーナーパイロットの集いだった。
 ルールはシンプルだ。
 ステッド飛行場の滑走路を延長した線を反時計回りに延ばし、楕円形のコースを設定する。
 この上を出場機が飛ぶ。
 実際にはステッド飛行場の廻りに広がる土漠に線を引いてあるわけでは無く、コースの要所要所に配置されたパイロンを結ぶ形で飛ぶ。
 パイロンの内側を通るとショートカットで失格。
 高さ15メートルのパイロン先端より低く飛んでも失格。
 高度を300メートルより上に上げても失格。
 クラスによって用いるコースの大きさは異なる。
 最も速いアンリミテッド・レシプロとジェットクラスの場合には飛行場を取り巻く盆地いっぱいに設けられた一周約8.3マイル(13.3km)のコースを用いる。  アンリミのトップクラスはこれを1分弱で、ジェットクラスは40秒代前半で廻る。絶対レコードは海軍のアクロバットチームがF24戦闘機で叩き出した32.1秒。
 ただしアメリカのレースの慣例(地上と空中を問わず)に従い、公式記録は時間では無く平均速度で記されるが……。
 複葉機や自家用機のクラスではより小さなコースを用いる。
 いずれにせよ、ジェットクラスでさえも地上から見上げると対照物が無いからスピード感はさほど無い。
 だが高度15メートルぎりぎりを飛ぶこのレースはパイロットに極限の集中力を強いる。
 アンリミやジェットともなると計器を見る余裕が無いから、地上でそれを代行することになる。6年前、サツキがこのチームの門を叩いたのもその地上オペレータの募集に応じてのことだった。
 ウェッブは勝気な日本娘との遣り取りを思いだし、思わず笑みを浮かべた。
「スクールガールは採用してない」と言ってしまった彼にも責任はあるだろうが……。

             *                       *


 サツキはグローブに指を通し、慎重に感触を確かめた。
 トレイの上に落とした5セント硬貨を拾い上げる。その刻印さえもグローブを通して感じ取れることを確かめ、手首のホックを閉じる。

 サツキがまだ日本で大学に通っていたころにジェットクラスのレースが始まった。
 00年のことだ。
 その時は賞金の出ないエキシビションで、出場する機体も旧ソ連の崩壊に伴って放出されたMiG‐15やMig‐17が主だった。
 アンリミテッドレシプロ……恐竜的な進化を遂げたかつての名戦闘機たちが競うレースはエンジンの供給困難、チューナーの高齢化(なにしろ、大出力航空機の全てがジェットになってから半世紀も過ぎていたのだ)と引退に伴ってコストが嵩むばかりだった。
 今でもアンリミは行なわれているしリノの華であるのは確かだが、かつての「それだけを見に来る」客が大勢を占めていた時代とはリノの雰囲気は少し異なるらしい。
 無理も無い話。

 アンリミの予選を通るつもりなら、P‐51クラスの機体がまず必要になる。
 このクラスの機体とはつまり第2次大戦時のレシプロ戦闘機のことで、生産終了してから60年以上も経っている。
 しかも大戦を勝つ原動力となった武勳機、あるいはそれらを相手に敗戦の日まで戦い続けた機体ばかりだから、レース出場者以外にも買い手は多い。必然的に恐ろしく高価だ。
 普通、レシプロ機はジェット機よりずっと安いものだ。
 たとえばセスナでもバイパーでも良い、軽飛行機を買ってエンジンをタ‐ビンに載せ換えようとしてみれば判る。エンジンだけで新品の機体が買える値札になってしまう。
 が、このクラスの機体つまりWW2ファイターだけは例外だ。
 P−51に関して言えばノ−マルの安いものでも200万ドルはする。
 Fw190DやKi84kouのリ・プロダクトに至っては1000万ドルを前払いして注文しないとならない。
しかもレシプロだからと言って軽飛行機のライセンスでは飛ばせない。
 ハイ・パフォーマンスレシプロ(何せノーマルでも1600馬力オーバー)、尾輪式、コンプレックス("Eazy to Fly"の軽飛行機とは訳が違う)の資格が必要だ。
 ちなみにサツキはどれも持っていない。
 複座のTF‐51でもレンタルして(もちろん教官も雇って)最低でも500時間は訓練しないと機体を買っても格納庫に飾っておくしか無くなる。
 で、TF‐51のレンタル料金は1時間当たり−スクールによって違うが−1000ドルが相場。
 エンジンも半世紀前に生産が終わっていて、航空博物館などとセリ合って買う品物だから一基30万ドルは覚悟しないとならない。
 ここまで資金を投じてようやく、予選に出られるだけ。
 ゴ−ルド決勝まで残って勝とうとするなら、フルチューンの機体が必要になる。ノーマルで買って自分でチューンしても良いが、パーツだけでも2000万ドルが飛ぶ。
 オマケに、この水準のレースを一回飛ぶとエンジンは使用不能になる。本来の定格の倍近いパワーを絞り出さないと上位には入れないからだ。
 オーバーホール料金の相場は50万ドルから。
 予選を上位5位以内で通ればあとは決勝まで自動的に進出できるが、6位以下で通ると復活戦を何度も戦う事になる。
 その度にエンジン交換が必要。
 一方、ジェットクラスに出るなら機体は各国の空軍から放出された中古の練習機が使える。
 主流となっているチェコ製の練習機L39アルバトロスだと、安いものなら全部込みでも15万ドルで買える。レースに出るなら航法支援装備の類はどうでも良いからもうちょっと安い。
 AEシステムズの機体は9万ドルだったらしい。
 さすがにノーマルそのままでは予選を通らないが、アンリミと違ってレギュレーションが細かく定められているからある程度以上は金を掛けても速くならない。
 L39なら予選通過レベルの定番チューンはエンジンの換装、主翼端のカットオフ、機体表面のプラスティック盛りによる平滑加工と翼断面形状の変更、それにコクピット廻りの縮小というところ。
 もちろん飛ばすには軽ジェット一般、または機種限定ライセンスが要るが、レンタル料金は時間当たりで200ドルが相場。
 そんなわけだから、アンリミに出ているレーサーが一番の若手でも30代、優勝を争うのは飛行経験何十年の超ベテランばかりであるのに対して、ジェットクラスの平均年齡は31かそこらだ。
 サツキでさえも中堅の部類に入る。
 だから古いレースファンに言わせると「ジェットクラスは確かに速いが、あくまでアンリミに出られない若手のレース。見ていて危なっかしい」となる。
 これにはもうひとつ理由がある。アンリミと違って小柄なレーサーが多い理由でもある。
 耐G特性だ。
 反射神経はこの場合、関係無い。
 アンリミであれジェットであれ、高度15メートルを500とか700mphとかで飛ぶには反射神経は何の役にも立たない。
 何かあってから対応しようとしても間に合わないからだ。「何か」が起きる前に予測し、正しい対応を行なうには経験とカンしか無い。
 アンリミのトップレーサーの多くが50過ぎなのは桁違いの資金がいる為もあるが、逆に言えば体力や反射神経が度外視されるとも言える。
 それ自体はジェットクラスでも同じだが、決定的に違うのはスピードの差がもたらす旋回Gだった。
 アンリミでターンを廻りこんで来る時、掛かるGは6かそこら。サツキは乗ったことは無いが……。
 ジェットだと、ターンの間ずっと8Gが掛かる。
 2本の直線もまっすぐは飛べない。次のターンに備えて向きを少しでも変えておかないと曲がりきれないからだ。15Gに耐えられる機体と肉体があれば別だが。
 結局スタートからゴ‐ルまでの10分間、3Gを切ることは無い。
 空軍の戦闘機乗りでさえ、こんなミッションは滅多にやらない筈。

 飛行経験を積むことで体が高Gに適合し、ある程度までは体力の衰えをカバーしてくれるが限度はある。
 大男ばかりのアンリミ・レーサーたちと違って小柄な選手が多く、サツキ以外にも女性レーサーが居るのも同じ理由に依る。小柄なほど心臓から脳までの高さが小さく、Gに逆らって血液を送ることが容易になる。
 もちろん血液が脚に向かって逆流するのを防ぐGスーツは全員が着用するが、同じ装備を付けるなら若くて小柄な方が有利であることには変わりは無い。
 AEシステムズの初代レースパイロットだったウェッブがレース出場資格を失ったのも、絶え間無くGと戦ってきたために心臓肥大を起こしたからだった。
 地上のレースなら他所から有力レーサーを引き抜くのだろうが、支援システムに馴染んだ人間にトレーニングを施す方を選んだ。その結果サツキが4年前から2代目のパイロットを務めている。
 だからサツキは計器飛行資格(長距離飛行に加えて夜間や、悪天候での飛行が許される)を持たない。法的には有視界の資格しか持たないプライベートパイロットでしか無く、ローカルレースへの移動時にはウェッブが機体を飛ばしている。
 このことは他のチームからジョークの種にされるのだが、サツキはさほど気にしていなかった。
 地上のレースではドライバーがスタッフの運転するクルマや電車で移動することは珍しくないからだった。
 襟元で刈り揃えた髮の上からヘルメットを被り、隙間の無いことを確かめる。
 出撃準備は完了。


             *                       *


 サツキが予選2組のフライト前ミーティングに向かうのを見届けてしばらくして、レース実行委員会のスタッフが機体検査にやってきた。
 何の問題も無いはずだが、機体検査は何度受けても緊張する。
 まず、エアインテイク面積。
 これが無いと戦闘機用の馬鹿推力のエンジンを持ち込んで、スタンド前を超音速で飛ばして観客を衝撃波で怪我させる奴が出るに決まっている。
 第1、そんなエンジンは誰にでも買えるわけじゃあ無いからジェットクラスの趣旨に反する。
 レーザー測定機によって、数秒でチェックは終わった。
「99.52%、OK」
 次いで重量。スタッフが各車輪の前にセンサーを敷き、機体を押すように命じた。
 ジェットクラスの最低重量は6200ポンド。これ以上軽量化してはならないと言う意味だ。
 この規定が無いと遥か昔の地上のグランプリレースみたく軽量化し過ぎたマシンを出場させて空中分解させるチームが出るだろう。
 マトモなチームならそんなものは作らないし誰も乗らないだろうが、日本人はやりかねない。チームクルー全員で力を合わせて機体を押しやりセンサーを踏ませる。
「6258」
 OKだ。

 次いでコクピットの安全裝備の点検……これにはかなりの時間が掛かる。
 隣のピットからどよめきが聞こえた。
「何だ?」
「化粧品屋のピットだな」
 聞き耳を立ててみる。どうせコクピット検査が終わるまで、何も出来ることは無いのだ。
「6205だと。誤差0.1%切ってるぜ」
 観客の一人が興奮した口調でそう言うのが聞こえ、思わず隣を見ると呆けた顔をしていた。多分、俺も同じ顔をしていたんだろう。
 日本人はあらゆるレース・ヴィークルを軽量化するのが好きだとは聞くが、まさかそこまでのことをするとは思わなかった。
 実行委員会のセンサーに誤差があったらバラストを積む羽目になると言うのに。
 隣は唯一の日系チームのピットだった。熱狂的飛行機マニアの社長を戴く化粧品会社がメインスポンサーに付き、三年前からアンリミにki84kou戦闘機をエントリーさせてきた。今年からはジェットにもエントリーし、L39改造機を持ち込んでいる。
 機体検査は問題無く終わったが、ウェッブは気に掛かるものを感じた。
 同じL39をベースに選んでいるが、チューンの方向性が異なる。AEも含めてL39を使っているチームはいずれも既存の主翼を切り詰めてトップスピードを稼ぐ方向で改造しているが、日本人たちは主翼を新規に製作している。
 トップスピードよりも維持旋回性能を重視していることは外見を見るだけで判る。つまり旋回時の速度低下を防ぐ方向で、レースの組み立ては全く異なってくるだろう。

 
             *                       *


 予選2組、3番目のクジを引き当て、サツキはピットに戻るとコクピットに乗り込んだ。Gスーツのホースと無線プラグを繋ぎ、酸素マスクを装着する。メインスイッチを入れ、"グラウンド・コクピット"とリンクを成立させる。
 照り付ける陽射しの暑さが消えて行くのを意識する。あるいは熱を意識しなくなるというべきか。地上であれ空中であれレーサーが寒さに震え、暑さに苦しむことは無い。ただエンジンを切った後でへたり込むだけだ。
 計器の読み合わせと始動前点検を終え、スロットルレバーを3%位置に合わせてイグニッションスイッチを"始動"位置に入れて手を振って見せる。
 まだキャノピーは開いたまま。
 あとはブレーキを踏み込んで、"グラウンド・コクピット"が始動と暖機を行なうのを待つだけ。かつてはサツキが担当していたことだ。
 機体自身が生き物と化したかのように回転計の針が動き出し、フュエルタップが開かれる。口笛を吹くような音が後部から響き始め、トーンを高めて金属音へと変わって行く。
 排気温度が650で安定するまで20秒。
『U've』
「I've」
 制御を受け継ぐ。
 ブレーキリリース、スロットルを10%に進める。
 車輪が転がりだし、微風を頬に感じる。空気の自然な感触を味わえるのはここまでだ。飛び立てば空気は水飴のような存在に変わる。
 滑走路端でキャノピーを閉鎖。
 極端に小さな風防が頭の上に降り、まるで金魚鉢を被ったように感じる。いつものこと。
「Accept visual separation.Ready for takeoff.」
 目視で間隔を取って離陸する旨、管制塔にコール。
『Cleard for takeoff』
 許可は即座に下った。
「Thanks.」
 前方で予選2組1番機がスタートした。音はキャノピーに遮られて聞こえないが、陽炎が機体の形を歪めた。一呼吸、テイル・パイプの奥深いところで炎の環が輝きを強め、不完全燃焼の赤から完全燃焼の青に変じる。
 機影が陽炎に隠れて見えなくなるが、その中央に浮かぶ炎の環が見る見る小さくなって行く。10数秒後、陽炎の上に光が煌いた。
 光はL39のシルエットに変わり、埃っぽい砂漠の空に陽炎を引きずりながら昇って行く。
 それを見て2番機が走り出し、機影が陽炎に溶けこむ。
 陽炎が遠ざかり、ジェット排気が側方を吹きぬけて機を揺らす。それを感じ取りつつブレーキを踏み込み、スロットルを全開までゆっくりと開く。
 かすれた悲鳴のような騒音が高まる。
 前方で2番機が陽炎の上に浮かんだ。ブレーキリリース。
 機はゴム紐で引かれるように加速しはじめた。レース時の排気流量に合わせてノズル面積を固定されたエンジンは、この速度ではエネルギーの大半を排気に乗せて撒き散らすだけ。
 それでも増速と共に効率が上がり、加速が強まる。距離標識が次々に左右を吹っ飛んで行く。
 やがて車輪が空回りする感触と共に機は浮いた。
 ギヤ・アップ、フラップ・アップ、インストゥルメント・チェック。酸素レバー、ノーマル。
 視線を上げると青空に黒点が2つ浮かんでサツキを待っていた。

第2話
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