まだ更正が出来ていません。図も入っていません。
ご了承ください。
《小山先生との往復書簡》
これは、平成11年5月以来小山先生との間でなされたも
のです。
―往信―
前略、
小山先生、お元気になられて何よりのことです。他界
したら私の背後霊になってほしいなんて失礼な事を申し
ましたが、お気になさらないで下さい。
霊が了解していれば、その通りなのでしょうが、やは
り学問上の争点となりそうな所は確認して置きたいので
す。
・知覚に付いて、心霊世界と今までの科学では知覚の考
え方が全く違うのです。西洋哲学の出発点は宇宙と人の
関係、それは神と人にもなりますが、人が宇宙を知るに
は知覚がなければならない、だから知覚とは何かが学問
の事始めになるのです。そこで、心霊世界では知覚をど
う考えると良いのかです。
今までの科学は知覚は概念であるとしていました。概
念というのは一対一の関係で、〜は〜である。と断言で
きる物事のことです。これは哲学的には釈迦の因縁論と
同じものなのです。世界の物事を全て原因と結果の枠に
はめようというものです。それがこの現界、概念の世界
なのです。それはそれでよいのですが類魂の世界は違っ
ているのです。 類魂の中では一対一の対応関係は無い
のです。先生は、そのことを霊系が連なると仰っていま
したね。つまりある一つの霊ではなく類魂全体が関わっ
てくるのです。
では非概念的知覚とは何なのか、です。霊は物霊では
ないのかと言います。行為するのであるから、当然その
原因として知覚が在ると考えます。類魂の表出としての
人の行為を考えると、物霊が知覚に相当するのではない
のかということです。
物霊は類魂の中で知覚として振る舞うのではないか。
だからこそ物霊が重視されるのです。物霊が知覚の一種
であれば、心霊科学の出発点になるからです。もう少し
非概念的を説明します。 今までの概念の知覚論は、刺
激→中枢→行為、となって中枢に主体性がある。つまり
人は頭で考えて行動する。これは当たり前ですが、それ
はそう教えられたからですね。非概念的であるとは、人
の行為の主体は中枢に在るのでは無く、刺激を与える環
境にも在るのだと考えます。この知覚はアフォードと呼
ばれていて既にロボットの制御に応用されています。急
に物が飛んできて、咄嗟に避けるとか、走っている電車
の中でも倒れない、の様に頭で考えないで、無意識に正
しい行為が出来ることです。霊視や霊感はこれと同じ種
類の知覚ではないのかと言うのです。 そしてその担い
手か物霊である。人は類魂という環境の中で物霊を知覚
しそのような行為をしてしまう。そう考えると物霊は概
念的ではないから業では無いのです。人の行為の原因と
しての物霊ではなく、類魂全体の関与するある状況を示
す意味の知覚が物霊なのだ、だから指導霊は類魂論の中
から因縁思想は排除すべきだと言います。それは今後の
課題ですが。
そんな訳で、物霊は非概念的であるのかどうか、先生
はどう思われますか。
・事象の構造、科学では論理形式とか論理構造と言いま
す。これが同じだとそれらの理論は互いに仲間同志とい
うことになります。心霊世界での事象とは類魂だと思い
ます。
重要なことは類魂の一つ一つは細胞に例えられて、類魂
の全体は生き物であり、有機体なのでは無いか、です。
先生の観ている類魂が有機体であるなら、概念の物では
在りません。生き者は概念の塊ではないからです。
以上、・と・の確かめ方を分析哲学と言うらしいです
が、これがヨーロッパから来た霊のお箱な訳です。この
霊は小山先生の類魂論が偉く気に入っているのです。L
君はソクラテスやプラトンと同じくらい外国では有名な
哲学者らしいです。そのお陰で、日本にもL君の本が翻
訳されて在るのですが、その本の内容と今遣っている類
魂の研究を比べると、哲学的には全く遜色無いです。と
いうか小山先生のアイディアのお陰でL君の哲学が生前
のものより更にグレードアップした感じです。こんなこ
とが分かる人は日本には余りいない様です。いますぐは
どうにもならないでしょうけど、何十年か後にはどうに
かなって欲しいものです。
平成11年
5月12日 草々
川崎
―返信―
〜中略。さて、兼ねてから類魂を発表し、その中で
人間は救う立場に立たされているのであって、救われる
立場では無い。つまり人間は神の一部であり、下働きを
する者であると言って来ました。
人間は生きることを通して業を消し、それが物霊浄化
に繋がっていると信じて居ります。90歳になって寝た切
り老人になっても、それは価値の在る業消しだし思って
います。生きる苦しみそのものが業消しになるのです。
(私はこれは余り遣りたくないと思っていますが)
神の正邪の問題は人間の善悪とは違うと思っておりま
す。神の正であり、人間の善である部分が重なっていれ
ば大変結構な事なのですが、業の重たい者程その反対の
組み合わせに成っていきます。それを正である。邪であ
ると画一的見方をしてはいけないと思います。これは過
去の宗教が画一的な救いを出しているので一部の人しか
救えないのです。心霊はもっと善正的なもので在っても
いいと思います。
・類魂は一対一の関係に無いに付いて。
類魂の中では一対一の関係は無いと言われていますが、
自我霊は背後にある高級、低級の想念を選択し、自己の
統一想念とします。それを自己意識として人間に伝えま
す。これをどう考えるかの問題ですね。
・非概念的知覚を物霊は振る舞う。
高級になった物霊は自己の属する守護霊に対し、力を与
えその代行も行いますが、守護霊の枠の中では知覚の役
目を果たすこともあると思いますが、高級な物霊が単独
で勝手に振る舞う事はありません。
・霊視、霊感はアフォーダンス(物霊或いは環境が生物
に与える価値)なのか?
その通りと思います。高級な物霊は高級な想念に力を貸
して行いますが、低級な物霊は低級霊に力を貸し、或い
は高級霊の監視下で人間を惑わせます。
・物霊は業では無い。
物霊の存在自体は業ではないと思います。しかし物霊が
誰かに・いて向上しょうとした時、その人にとっては業
になると思います。
・類魂論の中から因縁思想は排除すべき。
低級霊が高級霊から救済を委託されて、自己の霊柱の中
に組み込まれ、向上の段階に入った場合、霊柱の因縁と
なるのではないでしょうか、これは人霊か自然霊である
かの違いだけで人間に・いて修行する段階の霊はある程
度の想念を持っている霊も居ます。
私の死後、類魂2で書きましたが、三日後に生まれる
か、或いは霊界の仕事をしてしばらく生まれ変わらない
方か、何方かを選べと言われた時に私は生まれ変わらな
い方を選んだと申しましたが、それには徳が足りないの
で地上で修行をして来いと言われ、ガンになってしまっ
たと書きましたが、生まれ変わらない方は霊界で類魂説
を広め、人が自力で救われる方法を教える事でした。こ
れは川崎さんの霊の意見と見事に一致したのです。これ
で私の霊界での仕事は内定したのでしょう。
長々と文章を書きましたが、病気をしてからボールペ
ンが自分の思うように運ばないので苦労しています。疲
れて来ると特にそうなので、協会の文章もやっとの思い
で書き上げたのです。まだ書き足りない所がたくさん有
りますが、疲れましたのでこの辺で筆を置きます。
草々
平成11年 5月14日 小山順司
前略
順司様、いかがお過ごしでございますか。心をいっそ
う強くもたれて、お元気になられるようお祈り申し上げ
ております。
まず、始めに頂いたお手紙です。
電話でも話しましたが、私の霊は神道系なので、仏教思
想は嫌いなのです。でもこれは哲学上の事で、類魂の中
にはお不動さんや、観音様もいます。お不動さんには九
字の切り方を教えてもらった事も在ります。でもああい
う仏神は術は使えるというか、実務は出来るのですが、
学問は駄目みたいです。そういえば先生の即身仏の先生
、何年か前にテレビに出ていたように思うのですか。ミ
イラで町おこしをするとか言って。妙に記憶に残ってい
るのは、地元の人の話で、そのお坊さんは皆の幸せを祈
って入定したのですが、その時に空気穴として竹筒をさ
して、自分はずっとお経を唱え続けるからこの竹筒声が
聞こえ無くなったら死んだと思ってくれと信徒に言伝て
たというのです。私の記憶違いかも知れないですけと。
*物霊には主体性は無い、には同意します。主体性の有
無というよりも、物霊のリアリティが問題なのです。物
質的実体性では無く、“それを観る”ことが出来るのか
なのです。私にはまだ観えていないので、四苦八苦して
ます。私の霊が物霊に注目しているのは、物事は、物霊
が在って現れるからです。高級霊の想念だけでは何も起
きないと思います。焦れったい程のんきでおっとりして
います。何百年でもそうして鎮座在しまして居ます。其
処に物霊が在って動きが出るから、ああ、これは類魂だ
ったのかと分かります。それで、類魂が物霊を受容し、
生物が行為するように何らかの活動をするのだとしたら
、物霊は、類魂にとっては知覚に関する情報なのではな
いのかと考えられます。だから記憶装置の様に見えて、
指向性があるのかも知れないのです。
*物霊は記憶装置、に付いて。小山先生の仰っている記
憶は習慣的記憶と言われるものです。物霊的記憶はそれ
とは別にして考えた方が良いらしいです。
詩の内容を暗記して復唱したり、同じ運動を何回もして
感覚と運動の中枢に回路ができるもの、これは身体の能
力で習慣という訳で、生理学や認知科学の領域なんです
。関係ないわけじゃ無いけど、一応そこで線を引いてお
いた方が問題のポイントが絞り易くなるのです。類魂に
直接関わるのは、過去の経験と自己意識が結びつく記憶
だと思うのです。この記憶は過去の出来事をただ反復し
て思い出すだけでは無く、その時自分の心の中で感じた
ことも同時に思い出します。外的出来事と、心の中の内
的事態がセットになって記憶としての物霊になって、そ
れが沢山集まり自己意識になるのではないでしょうか。
ですから、コンピューターは人の習慣的記憶を参考に
して作られているから心がないのです。コンピューター
は物で出来ているけれど、自己意識を造る物霊が活動し
ていないと考えられます。
*少し認知科学的に考えますと、記憶は過去の心的状態
と今の心的状態が結びついていなければ記憶として成り
立たない。と言うことは、物霊が記憶であるなら、今現
れているこの事態が、物霊を物霊たらしめている事にな
る。過去の経験が在って今の行為や心的状態があるとい
うよりも、物霊が制御の情報そのものであると考えた方
が良い事になります。この考え方がアフォーダンスとい
うのです。
次に、原稿ですが、
〈地獄〉のところ、
*自己防衛と恐怖と固まるはその通りです。家のウサギ
がそうです。怖いと固まって動け無くなり、ピクリとも
しません。竦んじゃうのです。低級霊は本当は神様が怖
いのでしょうが、人に接っしていると少し賢くなるのか
しら。中々扱いが難しくなるので、面倒になると「何だ
この野郎」になっちゃいます。
*いつも心に引っ掛かっているのは、“・依”とはどん
な事かです。私達は何気なく使っていますが、良く分か
らないです。梅原伸太郎先生が民族学的に述べていらっ
しゃいますが、そうじゃなくて、もっと・依の実態的な
ところが知りたい。その点、小山先生の類魂論は詳しい
です。でもやっぱり何か気になっているので、後で考え
ておきます。
*よく、家の改築や庭を掘り起こして、“障り”という
のが在りますが、物霊に関係しているのでしょうか。今
住んで居る所は山を削って宅地にしたところなのですが
、引っ越した時は変な霊が次々と出てきて、妖怪の様な
姿なので、夜眠れない事もありましたが、今は慣れまし
た。姿は見せますが、みんな背後に任せてあるので。
物を壊すとその物霊が・依するのでしょうか。だから自
殺すると自分の体霊が・依するのですね。生まれつきの
障害者が明るい心を持つのは、始めから物霊を持たない
で生まれているからでしょうね。中途の障害者は物霊を
放せないので暫く苦労するのかもしれない。*物霊は固
まろうとするから、つまりある一つの苦しみの中にずっ
と身を置き続けることになる。だから人間界よりも苦し
みが大きい。私は一度、ある人を徹底的に恨んだ事があ
るのですが、その時はその人だけでなく、その人の子供
や持ち物、車まで呪ってしまってその人とすれ違った、
通行人までも恨んでしまいました。世間の物全部が敵に
見えたのです。坊主憎ければ袈裟までもと言いますが、
その通りです。恨みの念しかなくなって、一日中恨むこ
とだけを考えるのです。ですから低級である程、苦しみ
が大きいのは分かります。ふと、気が付いたのですが、
記紀神話で地獄に落ちた神様と言えばイザナミですよね
そして、そのイザナミに群がったウジはヤクサノイカヅ
チノカミでしたよね。ここで思い出したの言うことは物
霊に関係があるのでしょうか。いづれにしても雷、剣、
磐の神は物霊なのでしょう。
尚、お送りしました本ですが、「アフォーダンス」の
知覚論を心霊科学に取り入れたいというのが、私の霊の
意見です。一般向けなので難しくは無いですよ。
小山先生、長くなってしまいましたが、嫌わないでく
ださいね。あまり先生をいじめると、親不孝をしている
みたいで後味が悪いので止めます。
出来るならお返事を書いて下さい。それってやっぱりい
じめちゃうことになるのかしら。 御先祖の皆様に宜し
くお伝えください。
草々
川崎
この手紙についてはお電話でお答え頂きました。
§物霊は記憶装置について。
科学では大脳のなかに記憶が存在するとされています。
私の考えでは類魂の中に於いては記憶は習慣的記憶が積
み重なっているのだと思います。
高級な物霊になっても本来守護霊に対し力として奉仕
する立場にあるので、守護霊の考えの具現化に努力しま
す。ですから自己が単独で主体となることは無く、色々
な記憶が在っても守護霊の秘書的な役割を演ずるのであ
って、自ら出しゃばって行くことは無いと思います。で
すから単独で人間をコントロールするセンサーの役目は
守護霊の枠の中でならあり得ると思います。
―往信―
小山先生、
お身体の調子が少し良いようなのでなによりです。6
月5日にの夜に見えたのですが、先生が現れて「オレ、
あと二年だよ」と言うのです。こういう時は判っていて
も少しおおめにに言って置くと叶うときが有るので「も
う二年上乗せ出来ないの」と私が言うと涙が出て来まし
た。 私は今まで先生の様な霊能の強い方の接したこと
が在りませんでしたが、失礼な言い方ですが、誠に興味
深い体験をして居ります。お互いに霊能が有る為でしょ
うが、私の家族にも感じたことの無い様な何か独特の感
情を禁じえないです。これは私が勝手に感じているもの
なので先生には関係いので気にしないで下さい。
以下の記述は正しいでしょうか、
A1 ドロボーをしてドロボーの因縁を転化された。
B1 ドロボーをしてお金の物霊が・依した。
A2 動植物を食べるとその因縁が転化する。
B2 動物を殺すとその霊が・依する。
A3 親の因縁が子に転化する。
B3 親が子を殺すとその霊が親に・依する。同時に先
祖に在った子殺しの因縁もその親に転化する。
A4 自殺するとその因縁がその人間に転化する。
B4 自殺すると本人に物霊が・依する。
A4 とB4
に付いて、自殺するのは、先ず自殺した霊が
居る。我慢して生きつづけた場合、自殺霊は浄化されて
人間には我慢した分の徳が来る。自殺した場合、自殺霊
はその霊の持っていた自殺の因縁を人間に転化し、自殺
霊では無くなったので楽になる。しかしその場合魂は小
さくなる。自殺霊では無くなったのでそれに対応する高
級霊もなくなったから。だから自殺霊は自殺の因縁を持
ったまま浄化した方が向上する。一方自殺した人間は今
度は自分が自殺という因縁を持つ霊になり表出の場を求
める。それが転化。それがなぜ子孫に転化するかと言う
と、自殺以外の因縁の内容が似ているから。ということ
は同じような因縁を持つ他人にも転化(あるいは・依)
する可能性が有る。
自然死では、自然の法則によって序々に体霊のエネル
ギーが消滅するので、死後は体霊に関わる物霊は・依し
ない。人霊を体霊が取り巻いていて、その体霊を形成す
るのが物霊、だから意図して体霊を滅ぼしてしまうと、
その体霊を補給しなければならないと考えた。図1の様
に並べてみる。体霊が欠落すると、単純に考えて、少し
低い物霊を取り込んで体霊を造る。そのように人の体霊
に取り込まれる事が物霊の救済の始まりになる。
そしてAとBの違いと関係を明確にしたい。因縁霊が
居て、その行為をすると何故その因縁霊の因縁が転化す
るのか。行為しなければ、その因縁は因縁霊が持ってい
て、その人のものでは無いということになる。だから釈
迦は無といった。人が無になり行為しなければ因縁を持
たない事になるから。しかし因縁そのものが無くなった
訳ではないから、釈迦の教えはそこが間違えていた。だ
から他界してから落ちちゃったらしい。
因縁はそもそも何なのか、霊が自殺の因縁を持ってい
ると自殺霊と呼ばれる。つまり過去の行為が或る形でそ
こに実在する事を意味している。そしてそれは既に完結
した行為ではなく、これから表出しょうとする志向性で
もある。何らかの志向性を与えるのなら、それはだだ単
に記憶と言うよりも行為を制御する情報なのです。先生
の背後の先生方は記憶を明らかに、完結した過去の出来
事としてでは無く、制御の情報としての記憶を考えてい
る。コンピューターでいえば、自殺ソフトな訳。ソフト
は記憶と制御の情報(志向性)を兼ね備えている。そし
てそのソフトを構成するプログラム言語の一つ一つが物
霊と考えられるのかも知れない。自殺霊が居て、その人
が自殺すると、その人が自殺ソフトを受け継ぎ自殺霊に
なる。それを転化というならどうして人間はそんな行為
をしてしまうのだろうか。釈迦のように無になっていて
はいけないのだろうか。これは此処までにしておきまし
ょう。まだ私も結論が出ていないので。
これは何を遣るのかと言いますと、物霊の言語分析な
んですって。とにかく良く分からないものは分析して正
体を確かめるんだそうです。人間が自分自身を心霊科学
的に分析していくと最後にのこるのは器の「私」なので
す。器は身体だから物質で出来ている。それが類魂の中
で使用されるから器となる。つまり器は物霊てもあるは
ずです。であるなら小山類魂論の物霊の論理的形態と器
の「私」が同じであれば、物霊と器を同義としてもよい
のではないのか。科学はそういうやり方をして幾つかの
考え方を統一していきます。その過程で緻密な分析をす
るのですが、私はいま一つ良く分からない。L君の本を
参考にしていますが、余りにも専門的なので私の手にあ
まっています。いつも最後は「君が判断しなさい」にな
ってしまう。日本人の霊はおおよその事は分かるのでど
んな本を調べると良いかや、考えの方向は教えてくれま
すが、細かい事柄は分からないのです。一つの文章が出
来た時に、これはこれでよいのかになると、日本人チー
ムははっきり断言出来ない。それでL君はというと日本
語がまるっきり駄目。それで結局想念を受け取る私の判
断ということになる。だから本で調べるしかない訳です
。同じ言葉でも心理学、物理学、哲学等の各分野で考え
方が少しずつ違っているので、私なりに出来る範囲で二
重三重のチェックをします。それでも心霊は全く未知の
ものなのでどうにもならないのです。現界の学問がまだ
そこまで行っていないのです。だからやはり私の判断に
なってしまう。
小山先生のものと私のものは互いに補い合うものらし
のです。小山先生の類魂は全体的で解剖学的傾向が強い
と思います。だから物霊がよく分かるのです。物霊は類
魂の隅々まで形を換えて浸透しているので、類魂を外か
ら眺めないと観察できないのです。L君の言語分析は類
魂と類魂の関係を詳しく調べた上で、類魂の仕組みを解
明しょうとするものです。ですから人間の眼の前に在る
現象から入っていきます。どうしても人間中心になるの
です。しかし科学の観点に立つと、これが科学であるな
らこの類魂論がどんな人にも利用できるものにしなけれ
ばならないのです。その為には哲学的論理学的基礎を固
めて置かないと駄目なのです。一端基礎が固まれば、先
に進むときに迷わずに済むのです。その基礎から離れな
ければ良いのですから。つまり特に霊に聞かなくても人
間が自力で判断して類魂の立場に立てる様になるという
ことです。私の霊たちが目指しているのは、霊能のない
人でも、自分の意思で判断して類魂的生き方が出来るよ
うにしたいと言うことなのです。私は先生が御存命の間
に道を示したいのです。先生が他界されると後には只の
文字しか残りません。文字に小山先生が居るわけでは有
りませんから。これはL君の好きな言葉なのです。その
文章の中にそれを書いた人が生きて住んでいるのではな
いから、いくら文献を研究しても本当の姿を知ることは
出来ない。所詮はただの印刷物に過ぎないからそれに捕
らわれてはいけないというのです。生身の人間が良いの
です。長くなって申し訳ありません。疲れさせちゃいま
したね。
草々
川崎
この手紙に付いての返信は協会誌に掲載されました。
・
・
・
・
・
↓
御質問の件に関し、私の考えを述べさせて頂きます。
A1 泥棒をして泥棒の因縁を転化された。
その通りと思います。
B1 泥棒をして金の物霊が・依した。
金を物質に変え人間がそれを使うと物霊が・依し
ます。金を奪っただけでは精神的な罪悪感が因縁
となるだけで、大した事にはならないでしょう。
奪った金を他人に与えた場合、奪ったという業と
与えたという徳が両方入って来ます。
A2 動植物を食べると因縁が転化する。
体霊になるので当然と思います。
B2 動物を殺すとその霊が・依する。
「万物は利用されることによって向上する」殺し
何に利用したかが問題です。例えばその人が知ら
ないで何の気なく殺したとします。動物の立場か
ら言えば殺されるべき因縁があったといえるかも
知れません。しかし行為は当然背後からの指示に
よって行われたものなので、その人が自殺をしな
ければならない因縁を持っていたとする(或いは
人殺し)その動物が命を犠牲にする事によってそ
の人間の身代わりになったとすると、当然その動
物は・依する権利を持つことになります。
A3 親の因縁が子に転化する。
親が子に与えた分は転化します。親の犯した罪は
子供に転化するのかとの御質問と思われますが、
それぞれ魂の出る所が違うので(霊系の因縁が異
なる)それぞれの霊柱の掃除を遣らせられるだけ
でその意味においては無いと言えるでしょう。し
かし親が子に与えた分量が多ければ多い程子供は
親の因縁を引き受けなければなりません。又、親
の因縁と子供の因縁が良く似ているので、同様な
因縁が出て来ることもあります。しかしこれは本
質的には自己の因縁なのです。子が親から霊的に
借りが在れば償いです。でも助けてくれる人が居
なければ因縁は転化しなくても・依はすると思い
ます。
B3 親が子を殺すとその霊が親に・依する。
前述の通り、各々の霊柱の因縁を消すのが大切で
その中に子殺しの因縁が在ったとすれば、それは
横の類魂である親に転化し、自己に振りかかって
来ます。子殺しの因縁が具体化するような家庭で
は当然徳が無いので、徳を使って他家へ霊的修行
旅に出ることは出来ません。その為親に・依する
ことになるでしょう。しかし子殺しでも色々な状
況を考えなければなりません。感謝して死んだの
か恨んで死んだのか大きな分かれ道で、更に殺さ
なければならない状況によって、一概には言えな
いでしょう。背後霊がそれを決めるのです。
B3 同時に先祖に在った子殺しの因縁も親に転化する。
元々、子殺しの因縁が霊系に在ったからそれが横
の類魂である親に転化し、その因縁が出てきたの
です。その行為が行われる事によって霊系の因縁
が転化して来ました。
A4 自殺するとその因縁はその人に転化する。
その通りです。
B4 自殺すると本人に物霊が・依する。
結果としてそのようになると思います。自殺によ
って自己の物霊を勝手に浪費(?)してしまったの
でその償いをしないと自己が頼りなくなり覇気が
無くなってしまいます。必然的に物霊を求める様
になります。
『自殺霊が我慢して自殺しなかった時、魂が小さくなる
か』
なりません。自殺霊は自己の類魂の中の自殺部分に
有ったのです。我慢して自殺しなかったので自殺霊
は高級になり、自殺霊を救済できる側に立つ事が出
来るようになります。つまり私の言う魂の中の黒丸
部分が浄化して白丸になったのです。
『因縁霊が居てその行為をすると、何故因縁が転化する
のか』
重い因縁は下降して霊柱の底辺に行きます。その因
縁の行為を行う事は、その人の想念が底辺まで下降
してその因縁を・依させたわけです。つまりその因
縁はその人に対し表出したわけです。何故それが行
われなければならないのかと言うと、人間は物霊を
救済する動物だからです。そして物霊に近づき人間
はその為に運命が落ち込んでしまいます。それが物
霊救済なのです。
『人がその因縁を行為しなければ、その因縁は自分のも
とはならない。しかしその結果その因縁は消えない』
人間は上位の類魂から見れば多数の人が派遣されて
来ているのです。支配霊はその人から外して、類魂
の中の他の人に転入させて、その人がその霊の向上
を図ります。類魂の中で色々な動きが有ります。
(8月号参照)
『人間は何故自殺因縁があると自殺してしまうのか』
霊系の中に自殺の霊系を持つと、どうしても自殺指
向が出ます。私にも自殺霊が居る為沢山の自殺霊を
救済させられています。しかし即身仏(自殺霊)が
それをさせないで守っているのですが、運命は非常
悪くなり自殺した方が楽だと思うようになります。
その時自殺への道が引かれてしまいます。救済する
霊が居るか、徳が在るかしないと自殺へ導かれて行
くでのでしょう。自分の心が何方に無垢かによって
決まります
『物霊と“器の”「私」は同義か』
本質的にはそうだと思います。ですが、霊界から提
示される多数の運命の可能性を選択するのも私だと
今は考えて居りますが、これも今後又変わるかも知
れません。この部分は自分で選択しているのか、或
いは霊界から選択させられているのか良く分かりま
せん。現在は魂の小さい人は自分が選択している様
な気がします。しかし魂の大きい人はどうも霊界か
ら選択させられている様な気がします。
早々
平成11年
6月18日
小山
前略
小山先生、お手紙を頂まして感謝しております。難し
い手紙を送ると先生が疲れてしまって寿命が縮まってし
まいそうで何となく気が引けるのですが、性懲りもなく
送ります。
私の気持ちにはお構いなく霊界は進んでいます。いつ
もそうですが、始め話を持ちかけられると不可能のよう
に思えて戸惑っちゃうのです。小山先生と私を一つにさ
せようと言われても、何処をどう遣って纏めていくのか
見当も付かなかったのですが、ここ二三日で目鼻がつい
て来たみたいです。
先ず、インド的世界の業、因縁思想と小山類魂論の業
や因縁が何処がどう違っているのかです。つまり同じ言
葉を使っていて、意味も類似していますが、それぞれの
背景となっている世界が全く違っていると言う結論に持
っていきたい。事実そうなのですが。
一つの解決策として、認知論的に考えて見る。認知っ
ていうのは人の思考活動や生物の行動を、知的機能を持
つシステムとして考えていこうと言うのです。そしてこ
のシステムを、認知主体といいます。ですから認知主体
とは人や、動物、コンピューターを指すのです。お釈迦
様はこの認識主体は自我であるとしたのです。
そこでお釈迦様の悟りの過程を洞察します。心霊研究
にも書いているのですが、L君のだと説明不足で私も分
からなかったのです。
お釈迦さまは「我は有る。では我とは如何に」から探
究を始めたそうです。
過程1.人は互いに他者の我を知ることは出来ない。だ
から逆に言うと我は、他の我と区別されることに
因って我となる。であるなら他の我と我はどう区
別するのか。それが因縁という訳。因果の結び方
で個々の我が区別されるのではないのかと思った
のです。
過程2.単純に考えて目覚めている時が「我」である。
眠っている時は、我は自覚しないのであるから。
それの意味する所は、目覚めている我の中で正に
「世界が起きている」ということである。確かに
その通りなのです。人は今自分が眼ざめているこ
の瞬間に体験する世界しか、知り得無いのですか
ら。
過程3.インド独特の世界観によると、世界の全てのも
のは輪廻転生するのです。過程1と2によって、
因縁が個々の我を区別し、そしてその我の中に世
界が有る事になる。だから輪廻転生もその我が舞
台となる筈である。更に、インドでは生まれ変わ
りは日本の罪汚れみたいに悪とされていたので、
この世に生まれるのは本質的には悪なのだと信じ
られたのです。ですから必然的に悪の舞台になっ
ている我を消してしまって、二度と生まれて来な
ければ良い事になる。
このような思考過程でもって、諸法無我、一切皆無の
結論にいたるのです。仏教の本では我を消す過程よりも
因縁と転生の分析が主題になっているので、私みたいな
素人が読むと空になって悟ると因縁も消えてしまう印象
を受けますが、類魂の立場で考えるとお釈迦様の悟りの
過程の間違えが良く分かります。
第一は始めの出発点である認知主体を自我にしたこと
です。類魂の場合は認知主体は何なのでしょう。自我だ
けでは無いでしょうがシステムを考えると類魂の長の守
護霊だけに全権がある訳ではないようにも思います。
第二にインド哲学の欠点、業を持つのは悪だと決めつ
けるところです。お釈迦様はそれをそのまま踏襲したの
です。小山類魂論では業を持つのは悪ではなく、むしろ
肯定しています。もっと向上するために業を持たされる
のです。この違いは何故なのでしょうか。始めに述べま
したが、インドの世界観と先生の背後の先生の立場は本
質的に違っているのです。
インドでは世界の全ての存在はある業を持っているか
ら、生まれ変わってその生が在ると信じられている。お
釈迦様はそれには同意している。でも神に対する認識が
違っていて、インド哲学では人は業生から解き放たれる
と超越者である神に帰るのだ、つまりブラフマンに帰一
するというのに対して、お釈迦様はそれを否定して、神
も我の一形態だから無にならないと行けないとしたので
す。お釈迦様の言っている無は宇宙の主宰者である神す
らも否定するものなのです。仏の慈悲とかいうのは大乗
仏教の仏のことで、お釈迦様の無には慈悲も情けもない
のです。生物の完全否定なのです。ですから釈迦の後を
追って悟ったつもりになっても、人の救済なんて出来な
いのです。後世の人々はその所を良く理解せずに、自分
を神格化してしまってすがってくるから大変困ったと言
っています。
インドでは業を持つのは悪ですが、類魂の世界では救
済の為だと思います。ですから生き物がこの現世に生ま
れてくる事に対する認識が正反対なのです。先生の背後
の方は仏教系の他に陰陽思想も混じっているみたいです
が、やっぱりここは日本なのです。使用する想念は仏教
的でも本質は日本なのだと思います。同じように私の所
は科学と哲学の想念を使ったのです。
面白いことに、お釈迦様とL君は学問上は反対の立場
なのです。過程1と2は今の哲学では独我論と呼ばれて
います。独我はこの世界には自分だけしか存在していな
い。なぜなら他人の心を直接知ることは出来ないから、
というものですが、これはそのまま事実なので、何処か
おかしいけど論理的に否定できなかったのです。L君は
言語ゲームの立場で否定したのです。お送りしたウィト
ゲンシュタインの本にも独我論が少し書いてあります。
でも現界のプロの研究家はこの二人は反対ではなく同じ
境地だったのではないか、と本に書いてありました。こ
れは興味深いです。
そんなこんなで、以上が今度の作品の導入部分のベー
スになるんですって。小山類魂論には仏教の言葉が使わ
れているけど、本質は仏教じゃないよって言いたい訳で
す。
それじゃその本質は何かというと、有機体なのです。
生物は生きるために行動します。当たり前ですが。イン
ドではその当たり前のことが悪だったので無になろうと
したのです。生き物はストレスが加えられても直ぐに普
通の状態に戻して生きていこうとします。それは恐らく
類魂の救済のシステムが生き物の身体に反映しているか
らだと思います。類魂は少しずつ物霊を取り込んで成長
しますが、生物が環境から種々の情報を受容して生きて
行くのとイメージが重なります。この考え方をホロンと
かプロセス哲学って言うのですがまだお勉強はしていま
せん。プロセスの方は思い切り難しいのでお手上げなの
です。本気で私に遣らせるつもりなのでしょうか。
以上の記述に御意見を期待します。
折角なので、もう少し、
これは正しいのでしょうか、
A1他人に奉仕すると徳が増える。
B1他人を利用すると業が増える。
A2徳が有ると業をコントロール出来る。これが救いに
繋がる。
B2徳が無いと悪業となって現れる。だからAが必要で
ある。
A3人を救済すると徳が増える。
B3低級霊を救済すると業が増える。だからAをする。
仏教では因縁生起と言いますが、因は自分に内在する
もの。縁は外に在る因縁のことです。この因と縁が結び
ついて人が行為するのです。それで、たて系を内因、よ
こ系を外縁と考えられないのかということです。
想念と業は同じものであるとすれば、想念するのは自我
であるし、たてとよこが結ぶのも自我であるとしたら認
知主体はお釈迦様のいう通りに自我になってしまう。私
は中枢神経系の情報伝達みたいに下位の自我からの上行
性シグナルと上位の守護霊からの下行性シグナルが互い
にコントロールし合って類魂が運営されているように思
うのです。そのシグナルに相当するものが物霊とそれに
対する救済なのかも知れないのです。要するになんとか
有機体に持っていきたいみたい。
おまけ、生前のお釈迦様がなぜ霊を否定したか、背後の
話しです。
まず、霊=精神=自我だと考えた。自我は因果(諸法
)の結びつきで生じるから、解脱すれば無くなる。だか
ら霊も無い。従って解脱した者の霊は存在しない。それ
なのに霊となって視えるのは解脱していないのであるか
ら、そんなものを相手にする必要は無い。と思ったんで
すって。
頑張って、お返事くださいね。待っています。
草々
平成11年 6月20日
川崎
―返信―
前略、なかなか面白いお手紙を拝見しました。
さて、私は最初、霊が生命で人間は物質であると考え
死ぬと霊という生命体が体から離れることによって人間
は物質になって死んでしまうと考えていましたが、三十
年程前私に言って来る霊がいて、精神を司る霊と肉体を
司る霊か在ると言ってきました。それで物霊という理論
が派生したのですか、肉体は物霊という生命で生かされ
ていることに気付きました。やがて物霊も心が持てる様
に成り向上して行くのだという事が分かりました。
これは丁度、イスラエルの国旗の中にあるダビデの星
の様にふたつのものが組み合わされて一つのものが出来
上がる(図2)下から上がるものが物霊、上から下るも
のが神の心となって万物が創られると思うようになりま
した。
これは、神の心、神の力(類魂5)という項でこの変
形を述べました。そしてどんな高級な世界でも物霊の影
響があるという事が分かりました。それは只、濃いか薄
いかの違いだけだったようです。
ではご質問に対し、
A1 他人に奉仕すると徳が増える。
→そして業が減る(一般的には)
B1 他人を利用すると業が増える。→そして徳が減る
A2 徳が在ると業をコントロール出来る。
→しかし背後霊がこれを決める
B2 徳が無いと悪業になって現れるだからAが必要。
→魂が小さいと徳が無く、業もなくという事になり
ます。しかしこれでは類魂は進歩しないので、背
後は業を出す方を選ぶだろうと思います。そして
奉仕だけが業消しでは在りません。
A3 人を救済すると徳が増える。→単純にはそうですが
霊は救済されたくない時も在ります。
B3 低級霊を救済すると業が増えるだからAをする。
→低級霊を救済するとは人間が悪い事をするという
事ですね、当然業が増えます。まさか、低級霊の
救済の為に悪い事をする人は居ないでしょう。し
かし人間を救済する為に悪い事をする場合があり
ます。この場合はやはり背後がその業の程度を決
めてくれます。
因縁を内因と外縁に分けるというのはそれいよいでし
よう。縦の類魂は当然内因であり、横の類魂は縁に触れ
るので外縁ということに成るでしよう。
想念をするのは自我であるとし、縦と横を結ぶのも自
我であると言われ、お釈迦さんの絶対無になってしまう
との事ですが、想念するのは背後であり、縦と横を結ぶ
のも背後です。自我霊が器の私に対し想念を送り縁を結
び、その結果器の私が行為を起こす。器の私が選べるの
は「どれを選ぶのか」と想念を提示された時に一つ選べ
るだけです。
以上書いてみました。まだお気に召さない点が在りまし
たら、ご連絡下さい。
平成11年 6月24日
早々
小山 順司
小山先生へのQ&Aです
Q人霊に物霊が・依する。それに対応して現界はどうな
っているのでしょうか?この地獄に落ちた人霊を・依
霊なり、因縁霊として持たされている人間が居ると思
われます。
A低級霊として、人霊の底辺に徳のない(黒丸)霊とし
配置され出番を待ちます。人間界では当然欲張りにな
ります。低級な物霊ですと体が弱り貧乏になってしま
います。そして運命はどんどん落ちて行きます。その
為また物霊を救わなければなりません。
Q物霊の想念が強いとは、具体的にどんな現れ方をしま
すか?また、物霊が向上した場合はどんな現れ方をす
るのですか?
A物霊は本来神の力なので、最初の固まろうとする想念
が内部に向け凝縮する力と成ります。
又、成長し心を持っても最初は最も低い心、怨み、欲
絶望などですが、怨みを持たされた場合、力によって
誰にという指向性と、凝縮力によって持続性を持ちま
す。物霊が更に向上すれば人間以上の心を持ち、神の
力として働く龍神とか、高級天狗霊の様な現れ方に成
ります。
Q「物霊が向上する」のイメージがハッキリしないので
す。素粒子だった物が人間の身体にまで進化する、に
類似するように思います。現象の現れとしてはそうで
しょうが、それはつまり器として成長して行くことな
のでしようか。その器の最も適した型が人体なのでし
ょうか。
Aこれは心の向上を指しています。固まろうとする段階
から龍神等の段階で、物質的な成長を意味しているわ
けではありません。
Q背負い込んだ物霊が低い程、高い世界では苦しくなり
ます。では低い物霊と高い物霊の違いは何ですか?
A地獄で背負い込んだ物霊が、人霊と共に逃げる過程と
思います。高くなると高級な想念を持たないと相手に
されません。怨念、欲等の心しか持っていない者は高
級な忍耐心を要求されてもそれは出来ないので苦しい
のです。
Q物霊には最小単位が在るのでしようか?物質みたいに
分子が複雑に結合し合って有機体に成る様に。あまり
これにこだわると物質的になってしまうので駄目かも
知れない。
Aよく分かりません。宇宙全体はただ一つと認識してい
ます。
Q人が物霊をコントロールするのは高級霊からの想念で
すよね。高級霊との回路が十分に開いていたら物霊を
コントロールしやすいから、ある程度物霊が多くても
何とか生きて居られるのでしょうか。関連して、魂が
小さいと楽な人生が送れる。それは物霊も少ないので
しょうか。魂の小さい人は物霊を旨くコントロールで
きるので思い通りの人生が送れる。ということは魂が
大きくて、物霊が多くてもそれに見合った高級霊のコ
ントロールがあれば、魂の小さい人と同じ様に、出世
したり金持ちに成ったりする理屈になる。
A高級霊との回路が開く、つまり人間が高級な心を持つ
事ですね。プラス1の霊はマイナス1を救える。プラ
ス8の霊はマイナス8の霊を救える。これからの時代
はこのように魂の大きくなった人の時代になると思い
ます。魂の小さい人は人間に迷惑をかける低級な物霊
は少ないでしょう。魂の大きな人は低級霊が多いため
苦労しますが。魂の小さな人の届かない所に行く事が
できます。今の一流と言われる人は皆、何代にも渡っ
てそれを卒業した人です。
Q低級霊ほど苦しみは大きい。それは低いほど想念が少
ないので、同じ事しか考えられなくなるからでしょう
か?
Aこれは低級霊に嫌がらせをすると、人間では何でも無
い事でも苦しむ様です。大体、低級な程自己顕示が強
いので、嫌な事は我慢できないのです。
Q物霊は人の一番底辺に・依する。それは想念の底辺、
欲、憎しみ絶望等のことですか。また身体に・いて病
気になるものもある。想念になる物霊と身体を病気に
する物霊はどう違うのですか?
A同じです。人間に・依した物霊は人間の最も低い心か
ら勉強しますが、それは自己を守る力の想念だからで
す。そのような霊が表出したら、病気に成ってしまい
ます。
Q物霊を救済するとは具体的にどんな事ですか。例えば
ドロボーの因縁を持ちながらもそれに耐えて、人の為
になる生き方をするということですか。否定的な想念
を克服して社会に奉仕する、それが物霊の救済なので
すか?すると人間はエネルギー変換器の様なものです
ね。太陽電池は光を電気に換えますが、物霊も人の中
で向上して社会の役に立つ物霊に変えられていくとい
う考え方は出来ないでしょうか?
Aその通りです、人間は霊魂救済の場です。高級霊は人
間という心のエネルギー変換器を使って物霊を向上さ
せます。それは高級霊と低級霊が混在しているから出
来るのです。
Q物霊は向上するとその唯一の特性である、固まる力が
無くなるのではなく、究極では神に使用されるという
ことなのですか、固まる力が神の名によって、神の為
に使用される。それは結局最後はまた、地球を造る鉱
物に戻ってしまうのではないでしょうか。そうである
なら、物霊を人が取り込むのは物霊が宇宙を循環して
いるからで有って、物霊自身の向上は二義的なもので
あると考えられる。先生も「物霊も何かの力に後押し
されて高級な世界に入りたくなるらしく…」と述べて
いらっしゃる。この考え方を進めていくと物霊と人間
の立場が逆転してしまって、物霊を救う人を問うより
も、人霊の向上の為に物霊のエネルギーを使わせて貰
っていることになる。表裏一体のことだとは思います
が。
A「物霊が何かの力に後押しされて…」ということがあ
りますが、これは類魂6の神と宇宙と人間の項に書き
ますが、波動の違いで引き合うという事です。そして
対極方向に動いて行きます。物霊も向上すると立派な
心を持った神に成ります。そして宇宙を創ることを指
導する立場になります(一月号の最初に書きました)
Q物霊とだだの物との違いは有るのですか?厳密には物
霊を持たない存在は無いのでしょうが。どんな時に物
霊が認められるのでしょうか、何もせずにジッとして
いると物霊は働かなくて、動かされると活動するので
しょうか、そしてそれは何故ですか?
A生きている人間は霊と肉体です。分離できません。総
ての物質界も同様に物霊と物質を考えます(類魂3.
図3)物霊はその背後の意思或いは、物霊を動かす人
間によって物質に関する物霊が動いて行きます。動く
のは物霊が利用され向上する為です。
Q人の居ない惑星の物霊はどうなっているのでしょう。
A高級な神と、力である物霊によって地球初期のような
状態になっていると思います(類魂1参照)
Q利用すると利用される、その形式が物霊なのでしよう
か、その時の利用される部分が残ってしまうと業にな
るのですか?
Aこれは霊界の法則です。どんな場合でもそうです。自
分が利用した、そして利用された、プラスマイナスで
ツーペーにならない限り業として残るでしよう。それ
は他所でも良いから遣っておけば宜しいのです。人間
は死ぬ時にプラスになっていたら良いと思います。
Q高級霊に人間の想念が届くというのは、それ自体で物
霊の救済になるのでしょうか?
A人間が高級な想念を持つということ、例えば愛、慈悲
あわれという心を持つとする。人間界では高級と低級
が混在する世界なので、その心に物霊は浸り、それに
基づいた行動を一緒にさせられる。手取り足取り、物
霊は直接指導されて救われます。逃げればその守護霊
の枠から離れます。
Q「神は太陽みたいで、与えるという意識は無く〜」と
有りますがそれがそのまま人間を遣ると、要するにお
人好しになるのでしょうね、人から頼まれると嫌と言
えないのです。それにノー天気で良い事も悪い事もそ
のまま受け入れて、あっけらかんとしています。
A善と悪の問題は、各階級と色々な事柄によって、異な
って来ます。人間は馬鹿に成れと言われますが、それ
が出来る時には馬鹿になるのが一番よろしい。
出来ない時には遣らない。また遣ってはいけない時も
あります。それは神と人間とは住んでいる世界が違う
からです。しかしなるべく遣った方がよいということ
でしょう。
Q生きる中での苦しみとは具体的には何ですか?苦しい
と認識すると苦になるのでしょうか。人の底辺に居る
物霊が現れてくるからでしょうが、だとすると欲をも
つことなのでしょうか。
A生老病死とお釈迦さんはいわれたそうですが、人間が
こう在りたいという気持ちと現実の違いですかね、高
級霊の想念と低級霊の想念が、程々の所に無い時です
ね。
Q物霊の想念を表出すると、遣った遣られたになってし
まう。神の想念も高級霊を通じて人の想念となる。人
にとっては自分の心の中の想念では有るのですが、こ
の両者は本質的にはどう違っているのでしょうか、そ
れとも違いは無いのか。この想念の区別が日常的に出
来ることも審神者なのでしょうね。
ある人の見解、神からの想念は“まこと”なんですっ
て。
A人間世界に於ける物霊と神の想念、人間以下の世界に
於ける物霊と神の想念、幽界以上の世界に於ける物霊
と神の想念、それぞれ違うと思います。しかし総てを
通じて共通するのが、総てが神であり、総てが救いに
繋り、神が物質を通じて物霊に高級な神の心を持たせ
る事だと思っています。
人間の立場で言えば、物霊は個を守ろうとする想念で
あり、神の想念は無限に発展させようとする想念とな
ります。しかしそれぞれは、その立場で神に仕えてい
るということでしょう。
Q物霊とはどんなものか纏めて下さい。
A人間は物質である肉体だけで生きているのでは在りま
せん。霊と人間、つまり高級な霊が居て、人間の肉体
を使って低級霊の浄化をさせる。このシステムは動物
界も同じです。では植物や鉱物はどうでしょう。それ
もやっぱり同じです。その物質を構成する霊的エネル
ギーを私は物霊と言いました。物霊にも高級と低級が
ありその高級霊は龍神と呼ばれ、或いは天狗と呼ばれ
ています。龍神の霊系、天狗の霊系それぞれが在って
、低級霊は人間から見ればやはり龍神ですが、暴れる
だけで心をあまり持ちません。これは自然界を司って
いる様で、天狗界も、烏天狗等はやっぱり自己顕示の
みで威張ることも出来ずにコンプレックスを持ち、口
先ばかりで、烏天狗の鼻が無く嘴ばかり突んがってい
る霊です。これはたまに人間界に来て悪さをするよう
ですが、植物霊としてその成長を司っている様です。
天狗も高級に成ると白い髭を生やし人間に対し指導
できる程の高級さになり更に神界に昇っていきます。
この様に人霊の系統、龍神の系統、天狗の系統とそれ
ぞれ霊系が存在し、お互いに関連仕合いながら高級に
なってゆくわけです。
目を転じて宇宙を観た時、宇宙の神は宇宙を作れる
物霊を駆使して宇宙を作り、銀河系の神は銀河系を作
る霊的エネルギーである物霊を使って銀河系を作り、
同様に太陽系も地球も作られました。地球の神は類魂
(1)
に記述した通り、鉱物を作り、又植物は鉱物霊の
力も加わって植物を育てました。
物霊は人間に・依しなければ救われないというので
は無く、それぞれの物質界(宇宙、銀河系、太陽系、
地球、動植物等)を通して、直接神の道も開かれてい
るのです。
物霊は力が在るため、持続性と指向性、更に行動性も
在ります。自分の属している霊、或いは人間の高級な
想念を具現化するために大いなる役割を果たしている
のではないかと思います。高級霊の物霊は人間にとっ
て善の意識の具体化のため力を盡くし、低級霊の物霊
は欲望を満足させめために力を使い、人間にとっては
人間の考える事の具現化の為に骨を折り、動植物にと
っては欲望を満たし成長させる為に力を使う。
物霊の固める力は想念も固めます。その物霊の廻りで
起きた出来事、或いは人間では、普段の心、クセ等こ
れが蓄積されやがて自己審神者の能力ともなり、善悪
の判断の重要なポイントになると思います(類魂5)
この様に霊界では重要な役割を演じているのではない
かと思います。
・・・・・・・・
・物 体 人・
・の┳・の┳ ・
・物 体物 霊・
・霊 霊霊 ・
・ ・ ・
・・・・・・・・
図.1
〓枠01〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓
〓 〓
〓 〓
〓 〓
〓 〓
〓 〓
〓 〓
〓 〓
〓 〓
〓 図.2ダビデの星 〓
〓 〓
〓 〓
〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓
―往信―
前略、
ここ数日、夜中の二時三時まで類魂しています。この
類魂を遣らせている人霊の責任者は誰なのか気になって
います。
ではお伺いします。
・地獄は人の体霊に在るのですか。そこに自殺霊などが
・依する。それでその時には人は病気になっているわけ
ですね。体霊の状態と自殺霊は別々のものなのですか。
でも体を治したとしても霊系として自殺霊が在るからま
た病気になってしまう。自殺霊の霊系を全て浄霊できる
と病気も治るのでしょうか。だとすればそれは心霊治療
なのでしょうか。霊界の立場で考えると病気を治すのは
程々にしておいて、次々と自殺霊を・依させたいのです
ね、ということは病気の場が在るから救いが可能なので
すか。人が落ちれば落ちるほど霊界にとっては都合が良
いのですね。
・高級霊とこの霊が救いに行く低級霊はどんな関係が有
るのですか、生前に何か関わりが有ったのですか、それ
ともただ単にそういう因縁の巡り合わせだったのでしょ
うか、いづれしても救う、救われるの形式ですから物霊
が関与していると思いますが。
・神の想念と徳の関係はどうなのでしょうか。神の想念
が在るから徳が在るのか、徳が在るから神の想念が降り
て来るのか。神の想念を「まこと」であるとして(だと
したら「まこと」の意味するところを考えなければなら
ない)、もしまことと徳が同じなら、まことは物霊との
相補関係によってでしか認められないことになる。業や
徳はある状態であって、神そのものではないから神の想
念はコントロールする情報だと思うのです。だから徳と
業を旨く操作して類魂全体を向上させようとする想念が
「まこと」と考えました。ですから神界に徳があってそ
れが具現化しても、それ自体には「まこと」は問われな
いのです。そういう御利益は、例えば学者になりノーベ
ル賞を貰う、政治家になって大臣になるなのでしょうが
、その人々はただ徳を表出しているだけで、「まこと」
をもつかどうかは別だと思うのです。どんなに立派な人
物でも、どんなに優秀な霊能者でも、そこに「まこと」
か無ければただの業生だと思います。
・類魂5の第6図に付いて、先生の心の中には易の太極
が陰陽に限りなく分化するイメージがありますが、この
図は類魂の全景を見渡せる図です。それプラス物霊を示
すことです。類魂の全体は神ですが、神の外にはもっと
大きな神が在って、その外にはもっともっと大きな神が
在る。それでGを神とすると、神の内部の様子を観たい
というのが第6図の意図するところ。
物霊にはそれぞれのレベルに応じた物霊が在るから、
Gも物霊をまとっている。それは多分Gの境界面です。
Gの物霊を、Gが内部の類魂全体て示しているという訳
です。物霊は固まろうとする力を持つけれど、Gが纏っ
ている高級な物霊がその力を発揮させると、Gの内部の
類魂全体を守る力として、Gの内側に向かって照射され
ることになるのです。つまりGの内部の類魂にとってG
の物霊は守る力になります。そして内部に向かう力は中
心部に集中し鉱物を創ります。その鉱物だけを取り出す
と一点に集中し固まるだけの物霊しか観えないのです。
Gの包囲曲面の守る力が強くなって中心の鉱物まで届
くと、その力が鉱物で反射されて包囲曲面に向かうので
す。つまり鉱物からGへ上行する力ですから、救済の力
となるのです。ですから、Gの包囲曲面を形成する物霊
から内部へ向けて照射される守る力が強ければ強い程、
中心の鉱物霊から曲面へ反射される救済の力が強くなる
のです。それはGの中にぎっしり詰まっているちいさな
類魂の中でも起きています。このイメージと先生の第6
図を重ね合わせてみたいのです。
包囲曲面と鉱物霊の間の物霊の力は心臓の鼓動の様に
脈打っているのです。その脈動はGの内部のそれぞれの
類魂を包囲する曲面で跳ね返ったり、或いは中まで浸透
する等してG全体は複雑な輝きを呈していると考えられ
ます。
それでこれは、たての物霊なのかも知れないと思った
のです。私達ちの周りにある物霊は取る、取られる。遣
った、遣られたの現れ方をしますが、包囲曲面の物霊は
それとは別に守る、救うの現れ方をします。もしそうな
ら、取った取られたの物霊とたての物霊はどう関わり合
っているのでしようか。
・物霊の向上過程はどうなっているのですか。
§極楽では無いですが、今住んでいる所の風景。何百年
か前の田舎の感じがします。民家は余りなくて、お宮が
点在しています。初夏の早朝の様な清々しさがあって草
木は青々として輝いて観えます。そのお宮は現界のお宮
と通じていて重なり合っています。お宮と私の家には細
い道ができていますが、現界に在る周りの建物は全く関
係無いのです。夜になるとお宮の世界も夜になって灯が
ともります。たまに人の家の様に人影が観えることもあ
ります。同じように太陽や月にも人影が観える時もあり
ます。この神様の道は私の家だけでなく、町の役場や学
校、病院、自治会長さんの家にも出来ていました。皆が
それに気が付かないだけなのです。
§人霊界が一人前になって、地球の管理が出来るように
なったら、その後神様は何をするのかと言うお話が有り
ましたが、背後の話では他の星に移住してその星の霊界
を助けるそうです。勿論何万年も先の事でしょうが。そ
の時は人間も宇宙に住んでいるでしょう。太陽系の他の
惑星の霊界は、人間が来てくれるのを待っているそうで
す。資源を利用して貰いたいのです。それが人間の役目
なのですね、時代が進んで宇宙に進出しても、その行っ
た先々の惑星の物霊に関わって、いま私達が遣らされて
いるのと同じ事を遣らされるのでしょうか。
それと同様の例があります。成田の神社なのですが、
そこの社家が千年以上続く家系なのです。だから宮司さ
んの御先祖さんは神様並に立派なので、大神様は神社の
お仕事を殆ど人霊に任せてしまって、自分が神事をする
のは、元朝祭と例大祭だけで、あとは御隠居さんしてい
るのです。地球もいずれはそうやって人間に任せたいの
でしょう。
又お手紙致しますので宜しくお願いしますね。
6月30日 草々
川崎久美子
―返信―
前略、早速、質問にお答えします。
・体霊の記憶に地獄が在ればそれが表出します。自殺霊
を救う為にはすごい徳が要ります。普段から運命を悪く
させたり病気にさせたりして、その苦しみで徳を作り出
しショックを少なくさせます。自殺霊が・くのはその人
が自殺の霊系を持っているからです。
自殺の霊系とは、高級な部分は自殺を経験をしてその
後高級になり救済できる力量がある霊(私では即身仏)
その底辺には救われなければならない低級霊があって、
それが横の類魂に影響して自殺霊を呼び寄せます。いき
なり霊系の霊が・いて来れば魂が似ているので直ぐ自殺
に追いやられ非常に危険です。旨く出来ています。
ですから弱った体を治せば自殺霊が救われるという事
にはなりません。しかしその自殺霊が病気を苦に自殺し
たとすれば、その病気が移ってきて体が弱ります。或る
期間過ぎれば、その霊は過ぎて行きますのでその間は体
に気を付ける事です。
自殺の霊系を浄霊するということはその人がその霊系
を通じて社会に貢献するので、霊系を無くしてしまう事
など出来ません。むしろ宿命みたいなものです。しかし
それを行ずることによって御褒美が貰えます。
横の類魂の自殺霊を多数救済することによって、自ら
の本霊である霊柱に於ける自殺霊が次第に救われてきま
す。自殺という低級霊の御褒美の質は相当高級で、普通
の人では得られないものです。(協会誌平成4年9月号
P7.P23.P28参照)人が落ちれば落ちる程霊界は都合がい
いかも知れません。しかし守護霊は自己の霊柱を守らな
ければならないので、程々にする様に努力します。
・自殺霊の背後霊です。つまり高級霊がより上位の霊の
命を受けてその自殺霊を救済しようとして生を受けまし
た。そして・く人を定めて生まれて来たのです。救うと
か救われるから物霊が関与すると言うことでは無く、勿
論自殺霊ですから物霊を大量に背負わされているわけで
す。
・魂の救済はその魂の持っている業が大きければ大きい
程、上位の類魂の協力が必要になってきます。類魂は魂
の救済のシステムであり、魂の救済を行う事によって大
きな上位の類魂(6図で言えばDからF、FからG)の
徳になり、全体が救済されて行く訳です。(類魂5・類
魂の対流現象参照)
つまり救済ということが類魂の大使命ということになり
ます。自己が徳を持ち高級になると霊柱を上り(6図で
はD霊の上辺に昇ります)自己が業を重ね低級になると
霊柱の底辺に落ち(6図ではD霊の底辺に行きます)で
すからその霊柱の高級の部分では神の想念が多く低級は
少なくなります。(類魂5.第9図参照)
低級霊を浄化して(黒丸を白丸にする)徳を増やせば
その霊から派遣されている人間の運命は当然上のランク
に入ってきます。つまり自分に徳を持てば神の想念の一
杯ある所へ行けるので、そのランクの徳を貰え、当然ノ
ーベル賞とか大臣になることも可能でしょう。しかし徳
というのは使えば無くなってしまうもので、霊界の通貨
みたいな物で霊界の貯金を下して大臣になったとしても
霊界では貧乏になってしまったということです。その為
やがて運命も下降し、徳の貯金を遣らせられます。それ
は新たな救済が始まるわけです。しかし地位と名誉が無
ければ積めない徳も在ります。
人間は休む暇がありませんね。
神の想念の一杯ある所には高級霊が居て、その霊が作り
だす徳と同時に自分もそこに居るので、そこで作り出さ
れる徳を貰うことができます。
「まこと」はその通りと思います。
・物霊の向上過程の問題ですが、私の書いた類魂5の6
図をもとに霊界をお考えになっても、霊界とは形の無い
世界なので、私は分かり易くする為の方便として図を書
いたので非常に図示しにくい世界です。ですから物理や
科学では無いのでその点は気を付けて解釈して下さい。
Q.Gも物霊をまとっているのか?
A.その通りと思います。しかしそれが境界面であるかは
分かりません。本当はG全体が守護霊なのです。
Q.「Gがまとっている高級物霊がその力を発揮させると
Gの内部の類魂全体を守る力としてGの内側に向かっ
て照射されることになるのです。そして内部に鉱物を
作ります」の部分に付いて、
A.物霊は各守護霊に仕えている霊であって、どんなに能
力が在っても物霊が単独で行動はできません。霊界の
秩序が乱れるからです。それによって鉱物を作る事は
太陽系以上の神でないと不可能だと思います。
向上する力はG霊の物霊が単独で遣るのでは無く、宇
宙霊から始まっているダイナミックな動きなのです。
それは波動の違いによって必然的に起こる動きと考え
て居ります(類魂6)
Q.「鉱物が作られ反射されていく救済のエネルギー…」
A.この部分になると空想の物語になってしまって、そう
であるという何らかの納得できるものが現界に無いと
理解しにくいです。
Q.私達の周りにある物霊は取る取られる、遣った遣られ
たの現れ方をしますが、包囲曲面の物霊はそれとは別
に守る救うという現れ方をします。もしそうなら取っ
た取られたの物霊とタテの物霊との関係はどう考えら
れるでしょうか?
A.物霊はあく迄自分の属する守護霊、或いは神に属する
ものであって神の命令を受けない限り下位の物霊との
コンタクトは行わないと考えて居ります。タテの類魂
を輪切りにすると何処を取っても霊が存在します。図
1をご覧ください。その中で物霊は基本的には凝縮と
拡散という物理的状態を作り出し、拡散できる様にな
った物霊は高級な心を持つ事が出来ます(高級天狗、
高級龍神)しかし物霊が上位の霊から下位の霊まで繋
がっていても自由自在な行動は起こしません。それぞ
れの霊を司どっている守護霊や神の命に従うのが絶対
だからです。もし6図に於けるG霊(神) の中にある物
霊がGの命令を受けてA霊(人霊)に作用したとします。
そしてAが今死にそうノなってA霊の物霊ではどうし
ようもなく、更に上位のD.F.の物霊でもどうにもなら
ない場合は、Gの物霊でなければAを救えない。
そうなれば、Aの守護霊はDの守護霊にお願いをし更
にDの物霊の力量ではどうにもならないとすれば、F
の守護霊にお願いをし、Fの守護霊も必要と認め自分
の力量では不可能と判断したときGの神様にお願いす
る訳です。しかしここで一つ大きな問題が在ります。
神の徳が人間界に降りて来る事はその人に対し物凄い
業となるわけで、その人に沢山の徳が在るか、まだ生
かして置く事が霊界にとって必要であるかどうか、が
問題になるのです。当然生きる代償としてその業に対
する対処を迫られる訳で、ただ漠然と生かせて置くこ
とはないでしょう。
これ等の問題をクリアして、さてGの高級物霊の出番
となると下位の霊であるA.D.F.霊の物霊は取った取ら
れた等の下らない事では無く、能力に応じて最大級に
協力させられます。
・に付いて、
物霊の向上の過程を不満足ですが一応図2で出してみ
ました。本来、I.H.E.は物霊なのです。人間は物質界に
人として生まれて来ない限り、死後他界しても人霊とし
て呼ばれません。
龍神は龍神の世界が在って向上し、天狗は天狗の世界が
在って向上して行くのですが、その間にお互いに交流し
合って修行致します。ですから、人霊の中に未熟な天狗
が居たり、未熟な龍神が居ても少しもおかしくは在りま
せん。
I霊(物霊)→H霊(物霊)→E霊(物霊)→A霊→D
霊→F霊→G霊
このコースは人霊を通るコースです。しかし人霊を通ら
ないでも直接高級になるのも在りますし、人霊の世界か
ら天狗界に入るのもあるようです。途中から古巣へ帰る
霊もあるでしよう。その動きは全く分かりません。
万物は向上し救われる為の組織が類魂であると考えて
います。物質界はその為に存在すると考えられます。詳
細は類魂6に書きました。
どうか頑張って下さい。 早々
川崎久美子様
小山順司
平成11年
7月 3日
前略
無理させて居ります。心の中では申し訳なく思ってい
ますが、類魂の皆には負けてしまいます。でも先生の方
が私よりも元気が出てきている様に感じます。何か御利
益が在ったのでしょうか。
・自殺霊のことばかり出てきますが、先生は自殺の霊系
をずっと背負わされて、一生涯関わっていたのでしょう
けど、実際に死んでしまいたいと考えた事は無いのです
か。今死にたいと思っている人には、霊界が在ろうと地
獄に落ちようとどうでもいいのです。心の中に何もなく
なってしまって、親も子も無い、ただ悲しい自分が在る
だけなのです。そういう状況をどう遣って乗り越えると
良いのでしょう。お薬で済むならそれはそれでよいです
が、霊系を背負っている為に、死んでしまいたいと思い
続けるのなら一生逃れられないのでしょうか。
・それに関連して、「救い」です。私は物心付いた時か
ら、遣ることを遣ったら早く他界したいと思っていたの
で物質的に救われようと望んだことは無いのです。でも
物質的な救い以外にどの様な救いがあるのでしょうか。
今まで自分が救われようと考えたことが無いので分から
ないのですが、私にとって「救い」はお釈迦様の言って
いた、完全な無です。私という存在を完全に無くしてし
まいたいのです。ですからもう二度と生まれて来たくな
いのです。お釈迦様もそう思ったのでしょうか。これが
納得できるとお釈迦様も救われるのでしょうか。
先生にとって救いとは何ですか。もう他界されるので
すから深刻になる必要は無いでしょうが。先生の所見を
お聞かせください。
・類魂5の第6図に関連して、先生は「限りは在るが、
果てのない宇宙」や「直径はあるが、境のない円」って
理解できますか。類魂の世界は正にこれなのです。第6
図が示している類魂は自己という限りは在るが、その想
念には境は無いのです。円や点で類魂を示していますが
、一般にイメージされている円や点では無いのです、そ
れは先生のお考えでいいのです。
類魂G内の類魂は位置を示しているだけで大きさは在
りません。またその境界面も単なる範囲であって、壁が
在るわけではありません。そういうのを位相空間と言い
ます。その意味で霊界は数学的実在の世界だそうです。
位相空間が実在しているのです。
現界の科学は類魂は認めていないので、表出された現
象しか見ていないから、現象の一つ一つは粒子のつぶづ
ぶの様に一つ一つ境があり独立して存在しているはずな
のです。それをL君は家族的類似性と言っています。
だから位相空間の数学を使うのは心霊科学で正解なん
ですって。類魂の模試図を考えるときは、物質的なつぶ
ふづをイメージしてはいけないから、そこをよく説明す
る必要があります。
憑依、転化、因縁、に付いてそれぞれの定義と関係を
明確にしたいです。因縁は転化する。物霊も転化する。
でも物霊は・依しても、因縁は・依しない。
因縁は行為として表出されてその人間に転化せれる。物
霊は体霊となり取り込まれた時に転化すると言うのでし
ょうか。行為を表出する場は体霊だから、因縁も物霊も
体霊に指向性を与えることを転化というのでしょうか。
憑依は因縁が具体化した時に、そこに居た霊が・くの
ですから、とすれば、行為者の側が行為させられたと考
えるのが転化で、憑くと言うのは行為させる側を指すの
でしょうか。つまり憑くと転化は同じ状況を指していて
「物霊が憑く」というのは物霊がある指向性を持って人
に入り込むことで。「物霊が転化する」というのは、人
の側から見る時に、「物霊が転化する」とか「因縁が転
化する」とか言うのでしょうか。
ある行為が具現化したときに、その行為の指向性に対
して転化されたと言うのでしょうか。憑依は自分が・依
する側になった時に「私はあの人間に憑く」と言うので
しょうか。これは考えすぎかしら、要するに霊系に入り
込むのが転化で、憑依はそれに伴って起こる?
人霊の霊系と体霊の霊系の中にある因縁が関連しあい
ながら、転化と憑依をするのでしょうか。
・それと、業と物霊です。自己との関連で考えると、先
祖からの黒丸の所が業になるのでしょうか、それが表出
されると「因縁が転化した」というのでしょうか、そう
なら因縁になる前のものが業なのですか。つまり、転化
する前の因縁が沢山有ることを「業が重い」と言うので
しょうか。
そして物霊。体霊を作るものが物霊、だから肉体は物
霊で出来ている。更にその肉体を使って行為すると物霊
が動く。人の霊系はそれぞれ違っている。あまり違い過
ぎると互いに知り合う事は出来ない。体霊と物霊は、霊
系と霊系の間のコミュニケーションの手段なのでしょう
か。だとすると、類魂にとっては多様な表出の出来る体
霊を持つ事が成長の一つの証になるのでしょう。
・物霊が入ってくると徳が減る。つまり+物霊=−徳に
なる。数学的には=で結ばれているということは同じも
のであるという意味です。徳と物霊は表裏一体と考えて
みると、徳が下るというのは、今持っていた物霊よりも
もっと表現力が向上した(もっと社会の役に立つ)高級
な物霊が与えられることなのではないでしょうか。
今回はこれだけにしておきます。背後が落ちつかないの
で、少し休憩します。
§有機体という言葉は大昔からあって、生物や生命シス
テムを指す言葉です。ですから炭素の化合物は生体を作
る物質だから、有機化合物と呼ばれています。化学で有
機体というと生体を構成する物質の事ですが、それ以外
の分野では、生物の様に自律的に活動するシステムを言
います。ですからコンピューターのネットワークや自然
環境、人間の社会に対しても有機体ということも有りま
す。コピー送りました。
§ケストラーもこの有機体を主張した人のようです。類
魂のことを言っているように感じます。
先生、私の話し相手になってくれて感謝しています。
7月7日 川崎より
前略
順司先生、いつも感謝致して居ります。
先生が、物霊としての龍神に関心が在るみたいなので
私が近所のお宮を観察して思っている事を述べます。
*地主の神様は龍神が殆どです。でも中には成田山の大
ムカデや鹿島の大ナマズもありますが、身分は龍神の方
が上のようです。
*地主の神様は要するに“台”です。大神様が下って地
主様に乗ると、両者は一体の神として働くので、周りの
眷属達は地主様を大神様として扱います。現界で神事が
ある時は本殿の中に地主様が鎮まって、その地主様の体
に大神様が光の柱となって降り立つのです。もしかする
と大神様ももっと高級な龍神なのかも知れません。
人の背後に龍神が付くと、直接に神の力を中継してもら
えることになるのでしょう。
*成田山で観せて貰ったのですが、ムカデの地主様の修
行なのですが、大神様が降りてきてムカデを押さえつけ
るのです。ムカデは苦しそうにしているので初めはお仕
置きされているのかと思いましたが、大神を受ける修行
だったのです。この修行は大変そうなので女体の女神に
は無理に思います。
*大神様の実の子でなくても、眷属たちは大神様のこと
をお父上、お母上と呼ぶし、大神様も眷属達を息子、娘
と呼んでいます。公の席でも位の高い眷属が大神様の名
を使うときもあります。しかし神の実の子と位の高い眷
属では実の子の方が身分は上です。神の実の子は特に跡
継ぎの場合は、宇宙の奥の院からの神命で子が生まれる
ので、眷属はいくら頑張ってもそこで身分の違いがある
のです。神様の子供は生まれる前から役割が厳重に定め
られているので、家督争いなど絶対に無いそうです。神
話のアマテラスとスサノオの話は嘘だそうです。
*人霊は上位の眷属止まりです。地主様のように大神様
を体で受け止めることは出来ないからです。体霊の作り
が違うのでしょうか。人霊に直接大神様がおりると、魂
が粉々にふっとんでしまうそうです。ただし精神統一し
て想念を交わすことは出来ます。
*殆どの神社は地主様が大神様の代行をしています。で
も〜神宮とか延喜式神名帳に載っているような古いお宮
には大神様の家族が住んでいる様です。そこから全国の
神社に子供たちを派遣するみたいです。そういう派遣さ
れて来る神様を地主様の龍体が受け止めて神事が行われ
ます。
*七福神も高級物霊だと思いますが、あの船も物霊だと
思います。大きさは30cm〜家を覆う位と自在です。ある
時気がつくとサイドボードの上などに、私はインテリア
ですって顔して乗っかっています。高級物霊は想念の乗
物で何処でも連れていってくれるし、現象として具現化
できるのはその通りなのです。
そう考えると、今まで注視していた物霊と龍体のよう
な高級物霊はどう違うのかしらと思います。もっと突っ
込んで考えたいです。
何か参考になったでしょうか、無理しないでね順司様。
7月11日 川崎より
−返信−
七月に入って暑かったり寒かったりの日が続きます。
体のデータは悪くなっているのですが、大して体調は変
わらなく過ごして居ります。
川崎さんに言われて類魂を遣っている私は、大変な事
をやっているのだなと思いました。もしかしたら私の霊
界もびっくりしているかも知れません。
さて、ご質問の件ですが、
・類魂は救済システムです。自殺霊を背負っていたとし
ても自分が自殺という行為を起こさ無い限り救済され
るはずです。私の場合、普通の人では死んでしまいた
くなるようなことも私の中に居る馬鹿霊があまり感じ
ない様にしてくれているのです。そして自殺を救う霊
が即身仏なのです。業が重たい私にとってけっして生
活を豊かにするわけには行かなかったのです。更にそ
のその即身仏は貧乏だけでなく忍耐心もくれました。
・救いについて、
「人間は救われない」これは類魂を遣っていて分かっ
た事です。では人間はどうしたら良いのか。救う立場
に立つ事です。そうすればいつの間にか、以前よりも
救われていた事に気が付きます。川崎さんの立場で言
えば、いま子育てが大変な時なのですが、もう一つ類
魂という大仕事が在ります。それを遣ることによって
人類に対する奉仕になるそうです。その完成を霊界で
は首を長くして待っているようです。
・憑依、転化、因縁について、
あんまり難しく考えると分からなくなってしまいます
が、私の考えている事は、
「物質が食べられる事によって物霊が体霊に転化する」
「因縁がそれを行為する事によってその人に転化する」
これは、移り変わった対象に対し固着して余り動き
がありません。
「地獄で物霊が人霊に憑依して救われる」
「地縛霊に憑依される」
これは対象から次の対象へと移ります。動きの可能
性を秘めている状態と解釈しています。因縁は自己
のものだから憑依しません。今迄奥に在ったのが出
番が来て表出するのです。
・黒丸が業です。例えば自殺霊が居たとします。子孫が
自殺という行為を行う事によって自殺霊の自殺部分が
転化されます。厳密には自殺部分の全部が転化された
か、或いは一部分が転化されたか、その人その人によ
って変わって来ます。
霊柱の中で業が少なくなって、高級になった霊はどん
どん上に上り業の重たい部分を持った(例えば自殺)
霊は霊柱の下の方に下り、人間の底辺に近づき・依し
て因縁を転化させます。自殺という行為を行わなかっ
た場合、その間の苦しみによって業が消えて、類魂中
の他の霊の持っている自殺部分より少なくなると、自
殺霊は類魂から派遣されている中で自殺部分を多く持
っている人に移動する事も在ります。つまりAである
自己からBである類魂中の他人へ移動することもあり
ます。(図3)
因縁、業は正確には仏教事典でも引かないと分からな
いかも知れません。業は意図を持って行う心身の活動
と書いて在りました。
体霊と物霊が霊系と霊系の間のコミュニケーションを
作るというより、体霊と物霊を動かしているものが霊
界に在って、それがいろいろな体霊と物霊を使って霊
系と霊系のコミュニケーションを作っています。これ
は人間界で多くの人達が動く様を霊界から見るとこう
なるということですね。霊柱と霊柱がコミュニケーシ
ョンを取り、その間を物霊が行ったり来たりするとい
うことですね。更にその後でその行為を演出している
者が居るということですね。
・その通りと思います。しかし高級な物霊を与えられて
もそれを社会の為に使うか、自分の為に使うかによっ
て、自分の徳になるかならないかが決まります。
夜に霊が憑いて言いました。類魂を遣る事が人類に対す
る奉仕だそうです。とすれば最高のボランティアを遣っ
ている事になります。頑張って下さい。
早々
7月12日
小山
前略
いつもお心におかけいただき、感謝致して居ります。
実は、日曜日にお電話を頂いた時、下の子の担任にお詫
びのお手紙を書いていたのです。つまり、落ち込んでい
た訳です。その前日の土曜の夜も落ち込んで居たのです
が、先生の魂が来て慰めてくれましたよ。というよりも
類魂しなさいって催促したのかしら。
子供の問題があると、類魂なんて遣ってる場合じゃな
いのです。でも、やっちゃうけど。
この間の
7月12日消印のお手紙について、先生のお答え
に異議は無いのですが、未だ類魂の頭になれません。
・a・に関連して“救済のシステム”と言うのは、勿論
人間が主体では無くて、類魂が救われる訳なのですよ
ね。その場としての人間なのだから、その霊系を持つ
限り一生、死にたいと思い続けるのでしょうか。
b業が重いと魂が大きいと言うのは分かります。単純
に考えて、百の重さが在ったら一づつ百人に分ければ
いいと言う事にはならないでしょうか。でも、霊系を
持たされるから、それが出来ない。だからボランティ
アするのでしょうか。
c業の重たい先生は生活を豊かに出来なかったとある
のですが、お金持ちになるとすぐに死んでしまうので
しょうか。どうしてそうなのですか。人類全体の類魂
の中には大中小様々の類魂が在るのですが、魂の小さ
い人は業も少ないから人類の類魂の中では上の方に在
るのでしょう。ですから物霊が集まって、業が重くな
っても元々上に居たから、業の重くて下に居る人に比
べて落ち過ぎることは無いということでしょうか。
d先生が即身仏の方から頂いた“忍耐心”も徳の部類
に入るのですか。
・“救う側に立つ”が結果的に自分を救うことに繋がる
のは分かります。先生に送った本に『障害者調書』と
いうのが在りますが、ではその中に出てくる人々が救
われるにはどうしたら良いのでしょう。私みたいな人
間は特別で、殆どの障害者は本の中の人々のように全
てを諦めて、惰性で生きているのです。家族や社会の
お荷物として一生を終えるのです。障害者本人や家族
は明るくて強く生きているように見えますが、それは
一部の良くできた家族です。実際は障害者も家族もお
互いにうんざりしているのです。私が盲学校にいた時
も、家族の所よりも盲学校がいいと言う人がいました
よ。そんな状況の中で救いって何なのかしらと思うの
です。ただ耐えるしか無いのでしょうか。
今はこれだけにしておきます。先生のご意見に期待しま
す。
平成11年
7月20日 早々
川崎 久美子
拝啓
暑中お見舞い申し上げます。日ごとに暑さが厳しくな
りますが、病状が悪化されません様に祈っております。
お電話でお話する時はお元気そうですが、実際はどう
なのですか。先生は類魂を遣れば遣る程元気にになって
しまうのはどうしてですか。先生と私がこうして一緒に
類魂するのは一つの奇跡なのかも知れないですね。
L君がかなり向上して高級霊になりました。私の指導
をした事が認められて徳を貰ったのでしょう。類魂の仕
事が終わるとイエス様の所へ帰ってしまいます。これは
・依霊みたいな感じ。しかも本人だけじゃなく家族や縁
者も浄化して上げたのですよ、あの人の心が曇るといけ
ないからって。今まで私の所に来た霊はほとんどそうな
のです。1、2年背後霊をしてレベルを上げて帰って行
きます。いつもその度に思っていましたが、何だか私だ
けレベルが低いままで置き去りにされいてるようで、す
ごく詰まらなくなるのです。人間遣るってこう言う事な
のでしょうか。
L君は始めは死んだ時そのままの屍状態で担ぎ込まれ
て来たのです。それが今では羽を付ければ天使みたいに
立派で神々しいのです。もう私とは身分が違っているの
です。まあ、それはそれでいいですが私だって人間だか
ら二年分の家賃を払えって言いたくなっちゃう。そう思
ったら他の霊が「あんたが親になってたいんだから子に
与えて当たり前、ケチな事言うな」、別の霊が「あんた
は彼に徳を上げて高級にしたが、それでイエスの霊系に
恩を売ったのだ、いずれその恩は返ってくる」って言う
の。ちょっと待てよ、その返ってくる恩てどんなのかし
ら。高級霊の徳なんて類魂だけでこりごりです。高級霊
の徳は頂くと努力と根性とお金が掛かります。
先生の論文をもう一度読み返してみたのですが、先生
のボランティアの論理は与える能力のある人の為の方便
で、私の様な立場の人間には答えは用意されていないの
です。奉仕するには徳が必要だから、奉仕出来ないとい
う事は徳が無いからであるから、何も出来ない弱者は今
生は諦めて、ただ耐えて徳積みをして生まれ変わるのを
待つしかない。という事になる。それだと弱者は健常者
の徳積みの出汁になるしか存在価値はないってことにな
ります。でもこれは実際に先生と御家族の方がそう遣っ
て旨く行っているのですから事実なのです。
私は個人的にはどうでもいいのですが、どうも宗教の
救いに負けるのは嫌です。ボランティアは自分が救われ
る為に遣るのではなく、相手を助けるのが目的のはずで
す。先生もそれで悩まれて、自然法爾に遣るしかないと
結論している。先生は今までボランティアして相手を助
けたと実感したことが在りますか。在るのならそれはど
んな場合でしょうか。
そんな訳で、私の霊がしつこく類魂論的救済は何なの
か考えさせるのです。結局これが心霊科学の重大な問題
の一つなのです。魂をどう救うのかなのです。先生の答
えでは満足できないんですって、私の霊。
多分、肯定したいのです。健常者も弱者も向上の過程
に過ぎないのですから、○も●も、良い事も悪い事も「
ああそれでいいんだよ」って受け入れたいのかも知れな
いです。それは高級霊の心境でしょうか、そうなら私は
高級霊じゃないから分からないです。
今、30日、先生のお手紙が着きました。いつも感謝し
ております。未だ詳しく読んでいませんが、お元気そう
で何よりです。その中国人の霊はイギリスで会ったそう
ですが、どうもイギリスと縁が在ります。私の所に来て
いる背後霊はイギリス人か、或いはイギリスで亡くなっ
ている霊なのです。もしかするとイエス様が動いたのか
も知れない。心霊活動はイギリスは盛んだから。私、先
生の寿命を延ばす様に頼んだときに、イエス様にも祈っ
たのですから。今頃届いたのかしら。その中国の人は先
生と面識が在ったから現れたのかも知れないです。
先生は類魂やると元気になるって言うので、私ももっ
と気合を入れて類魂をします。調子が良くなったからっ
て無理はしないようにしてくださいね。
平成11年
7月30日 草々
川崎
―返信―
・類魂の救済システムについて
類魂の中のすべての霊の救済システムであり勿論人間
も含まれます。しかしこの中で人間は特殊な役割を演
じているのです。それはその原動力としての働きで、
類魂全体を救う立場に立たされます。つまり類魂に奉
仕した者が救われるということです。
a「自殺の霊系を持った人間は一生“死にたい”と思
い続けるのか」
“死にたい”という想念は自殺霊から送られて来ます
が、その時その想念と闘う事が類魂全体を救う原動力
になります。何回も何回もその想念との闘いの中で死
にたいという想念が次第に薄れ、やがて死にたいと考
えなくなって来ます。つまり自殺霊の反対側の霊、自
殺を救済する霊の想念になります。その時自己の霊柱
に在る自殺霊が救済された訳です。そして類魂も大き
く救われたのです。
自殺霊が霊柱に在ると自殺したいと考える場合もあり
ますが、運命として試されてしまう場合もあります。
それは常識的には何であんな事をしたのだろうと思う
ことを遣ってしまう。例えば玄倉川のキャンプ事故の
様に、雨が降って増水する事が分かっていたし、警告
を何回も受け更にサイレンが鳴っている。それでも最
も危険な川の中州から立ち退かなかった。或いは踏切
で、電車が来るのが分かっていながら電車の直前を渡
って行く。人間は知らず知らずに非常識な行動を取る
場合があります。
ではその自殺霊からの強いアフォードをどの様に切り
抜けて行くか。それはその人の守護霊がいまだ経験し
ていない部分で本人がクリアしなければならないもの
なのです(平成4年9月号図A)
これは、守護霊は生前自殺霊の救済を命じられてその
人を現界に送りだしたのです。守護霊の今までの知識
経験をフルに動員して現界人にアドバイスをします。
しかし現界人に徳が在れば何とかその指導の元に切り
抜ける事が出来ますが、徳が無いと最悪で、自殺と言
う事になりかねません。私としては徳を積みなさいと
アドバイスするだけです。私は背後から徳積みを指示
されたのです。しかしその人その人によってクリアの
仕方は違うと思います。それが自分だけしか結論の出
せない世界なのです。
b「百の重さの業を百人で分担したら一人分の業は減
るのか?」
人間は一人一人霊柱を持って居ます。理由も無く分担
する事は出来ないし、また楽をするという事は自分の
仕事を百分の一にしてしまうことで、自己の魂は勿論
類魂の救済などというものには程遠く成ります。
「ボランティアの価値とは」
徳を蓄積することです。人間はやはり不幸に見舞われ
たく無いし、これは不幸に成らない事で業を消す方法
です。人間は時々不幸がやって来ますその時徳の防波
堤を築いて置けば大した不幸に見舞われる事も無く悩
みは解消します。
c「徳の無い者は金持ちに成るとすぐに死んでしまう
のか」
必ずしも直ちに死に直結するとは限りませんが、金持
ちに成るということは霊界の貯金を下して人間界で物
質的な豊かさをエンジョイする事です。業はまた直ぐ
やって来るでしょう。その時霊界の貯金が無くなって
いたらやはり不幸に見舞われるより仕方ない事です。
もしその時差し出す物が無かったら命の寄付という事
にもなりかねません。
「魂の大、中、小」の問題
5月号(類魂3)山を輪切りにした図(第3図)4層
と5層は人霊の世界を書きました。5層の人は(魂の
小)は業を消しそこに到達したのですが、その世界は
欲望を募らせてもそれが達成できる世界です。人間は
欲に陥り易くなります。
d「忍耐心は徳なのか」
そのレベルに達した人はその忍耐心を当然のこととし
て徳を使わずに、受ける事が出来ますが、そのレベル
に達していない人にとって、例えば欲張りの人が珍し
く簡単に何の苦痛も無く忍耐したとなると、多分それ
は徳が降りてきたのでしょう。ですから他の部分例え
ば物質的な豊かさをエンジョイする部分は減らされて
しまいます。つまりレベルの低い人は業になってしま
います。
・「障害者は救われない」
お気の毒と思われます。しかし人間、誰も救われませ
ん。それは救う立場に立たせられているからです。障
害者は生きているだけで物霊の救済を行っています。
人間は何回も生まれ変わりながら運命の良い時も、ま
た運命の悪い時もある訳です(類魂5第7図)その運
命が悪ければ悪い程、救済能力が大きいのです。健常
者は何かをしなければ行けません。一般には六波羅密
(布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧)を行ずるこ
とが類魂救済の原動力になります。でも障害者の居る
家庭はその多くが物質的に豊かな家庭が多いようです
それは障害という業によって、物霊の救済を行い家庭
の業を減らしているのだろうと思います。
救う立場というのは自らの分を悟り、行動をその中で
規制し、その一生を少しでもプラスにして行こうとす
るとき救う立場になる訳です。
耐えることは、嫌々耐えるのも耐え方ですが積極的に
自己の心との闘いによって耐えて行く方がプラスにな
るし苦しみも少なくなります。障害者を持った家庭は
その人を中心にして家庭を築いて行くことが大切だと
思います。私の所にもその様な人が見えて居ります。
その障害者は明るく楽しく生きて居ます(平成4年・
547
霊界と肉体)人間が人様の為になるという立場を
取って行動を起こすときいつの間にか救われているこ
とに気付くものです。
私は以前お坊さんの霊から聞いた話として四つの救わ
れ方が在ると書きました。もう一度書くと、
一番目は他人を踏みつけても救われる。
二番目は自分が救われる為に人を助ける。
三番目は他人を助ける為に自分を救う。
四番目は人間は絶対の中の存在であるから、救うとか
救われるとかの存在では無い。他人も自分も同
一であるから共に手を携えて発展していく。
人はそれぞれ自分の心が何を求め、何を与えているか
考えて行動します。ですからこれ等は人間の心性の高
さによって全部が存在するだろうし、その折りにふれ
てまた考え方も変わって来るかも知れません。
私がボランティアをして相手を助けたと実感した事が
あるかとの御質問ですが、苦しんでいる人がその苦し
みが取り去られた時、私も喜びを感じる事も在ります
がボランティアは私の生活の一部になって出来る間は
続けようという感じで遣って居りました。惰性です。
特別に気負い込む事もありません。
私の感覚では救ったり救われたりということに捕らわ
れている間は救われ無いということです。そんな気持
ちから離れてしまわなければいけません。私はボラン
ティアを遣る事によって生じる業の遣り取りの問題で
3年間悩みましたが遣っている内にそんなこと忘れて
しまいました。そして自分がずっと向上している事に
気付いたのです。
坊さんが言った四つの救われ方は考え方としてはあり
ますが、こんな事を考えながら遣っている様では、救
われる事に捕らわれ執着しているのです。これは救わ
れたい霊が救って欲しいと捕らわれているので、早く
忘れてしまった方が良いです。
・転化と憑依
自己の魂である霊柱の中の因縁が順番に下りてきて人
間にその行為をさせるのを転化と私は考えています。
霊柱の横の魂が現界人に影響を与える場合を・依と考
えております。
例えば、借金を苦に自殺してしまった人があるとしま
す。借金はそのままにして貸した側も死んで霊になっ
てしまったとします。貸した側の霊は「借金を返せ」
と自殺した霊に迫って来ます。自殺霊は返せないので
霊系の子孫にその業を委託します。子孫は自殺霊を転
化させられた訳です。しかし自殺霊か転化しても、自
殺をするか我慢して自殺霊の浄化をするかは子孫が選
びますが、もしその子孫が自殺を選んだとすれば自殺
霊の内面の多くの部分が転化したと言うことになりま
す(自殺しないで苦しみながら生きていた分は多少浄
化しています)
借金取りは自殺霊の横の類魂だった訳で、子孫の横の
類魂(主に家族や友人)に・依するか転化するかして
自殺霊の子孫に徳の返済を迫り、徳が返せないと自己
の業を子孫に憑けます。この場合を・依と考えていま
す。
つまり自我霊の中のある魂が一生の運命を左右するの
ですが、その中の一つの霊が人間に影響を与えるとき
を転化と考え(縦の類魂)、その霊が生前いろいろな
行為を起こし、まわりの人達に善悪それぞれの影響を
与えたのが先祖の業となって自我霊を持っている人に
運命を与えて行く(横の類魂から来るということ)、
その時霊的な次元で見ると、その先祖の業となってい
た霊達が・依したということになると私は考えていま
す。 *注:カッコ内は川崎
毎日暑い日が続きます。うんざりして頭の回転がどう
もも良く廻らなくなって居ます。
先日、高級な高尾の天狗さんが出て来て、少し元気をく
れると言うのです。それからどう言う訳か毎日眠たくて
仕方が在りません。それに腹が減って仕方ないのです。
このくそ暑いのにどうしたのだろうと思って散歩をして
近くの芝公園に行ってみました。そこの木に寄り掛かっ
ていたら、昔の中国の国民服みたいなのを着て烏打帽を
被ったのが見えてきました。そしてその後に太った丹頂
鶴が見えました。そして私の体の中に入ってしまうので
す。中国の服を来た人は昔英国に行って、朝統一をし
ていたら出て来て心霊治療を私にしてくれた霊と同じ恰
好をしていました。
大分元気になったので類魂しています。
川崎さんもどうか頑張って下さい。
平成11年
7月29日
川崎様
小山順司
― 7月30日の手紙への返信、
暑中お見舞い申し上げます。
毎日暑い日が続きます。大変むずかしいお手紙ですね
。さてこのお手紙を拝見しても答えは無いのです。多分
高級になったLさんも何も答えては呉れないでしょう。
それは、悩みの中で生き続ける人間が一生掛かって答
えを出さなければならない宿題だからです。例え私が一
つの答えを出したとしてもある程度の参考でしかないで
しょう。自分の答えを求められている筈です。
でも人間はお互いに手を取り合って生きて行かなけれ
ばなりませんが、その中で私が与えることが出来るもの
は私の生きざまによって得たヒントだけです。
霊界では、高級霊は悩みの中に安住の地を見出すこと
が出来ます。低級霊はそこから何とかして抜け出そうと
する力を与えてくれます。人間には両方必要なのです。
私も昔は苦しい孤独な日々でした。でもそこから抜け
る為にどうしたらいいか必死に霊に問いかけました。そ
して祈るしかないと、毎日祈りつづけました。すると霊
から「時間を決めて祈りなさい」と指示があって、その
時間に高級な霊が来る様になるとの事でした。それから
私は朝九時から夜中は十二時になってから部屋を掃除し
て、その後からお祈りすることにしました。でも何も起
こりません。一年間それを続けたのです。すると「お前
は体が弱いから表を歩きなさい」と指示が出ました。家
から海まで往復6k位あるのですが毎日歩きました。こ
れを一年位続けました。
すると今度は「お前は業の重たい人間だから他人様に
無料で治療しなさい」と言われました。私は貧乏のどん
底だったのです。無料で治療をしたら収入が減ってしま
うので「いやだ!」と答えました。すると意外な答えが
帰ってきたのです。「遣らなくたっていいんだよ」、
私はびっくりしました。「何故?」、
「お前が少し苦しみが多くなればいいんだから」
私は愕然としました。悩み苦しみから抜け出る為に何年
も苦労してきたのに答えはこれかと思うと腹が立ちまし
た。しかし苦しまない為には遣るしかないのなら。一ヵ
月に二回位なら何とか遣れるだろうと思い始めたのがボ
ランティアでした。
その後三年間程続けたのですが、何もいい事は在りま
せんでした。霊界にその度に文句を言って来たのです。
丁度その頃、類魂の走りが始まったのです。類魂の先が
知りたいと言うと徳が足りないからもっとボランティア
を遣らなくては駄目だ言われ、ボランティアも次第に熱
が籠もって来たのです。しかし無料日が終わると毎回空
虚になり「これでいいのだろうか」「私は騙されている
んじゃないんだろうか」とどうも気掛かりだったし腹が
立つ事ばかりでした。霊に聞いてもあやふやな答えしか
帰って来ないのです。
無料治療は朝九時から始め、昼になっても終わらない
で何人か残るので昼飯を残った人に食べさせ、夜になっ
ても残るので晩飯まで出して帰ってもらうのです。皆は
次第に慣れてきて、朝来て治療が終わり昼飯を食い、晩
迄残って晩飯を食い終わるともう一回治療してくれと言
われたのです。さすがに私も頭に来て霊に食ってかかり
ました。「もう止めた!こんな馬鹿馬鹿しい事」と怒鳴
ったのです。でも霊は何と、
「来てくれる人はみんな観音様を背負って来て、置いて
いってくれるんじゃないか…」
と言われたんです。女房は泣きだしてしまいました。
「仕方ないまたやるか」と努力したのです。
その間遂に無料で治療を受ける人が来なくなってしまい
ました。折角やり出したんだし、生活に支障はないんだ
からと思い、そのエネルギーを老人ホームに継げたので
した。
いつの間にか三年経ちました。或る日の事神棚を見る
と向かって右側の扉の所にピカピカ光るものがくっつい
ていました。大きなのは1cm四方位あって角張っていま
した。大小の無数のキラキラ光るものが付いているので
す。丁度、クモの糸に朝露が光ように輝いて見えたので
す。「霊界が喜んでいるんだ」と私は直観しました。霊
界は喜んでいるんだし、生活には支障は無いんだし、遣
れるだけ遣ってみようと思ったのです。
私の家には特別にいい事は何も起こらなかったのです
が、親の所には起こっていた様です。私は親から借りた
霊的借金は返したんだと思い、自分の所も悩みが在って
も悩まなくて済むようになったのです。
ボランティア開始から十年経ちました。惰性で続けて
来たのです。特別に良い事をしているという気負いも悪
い事をしているというコンプレックスも無く人間は遣れ
るときには遣っておくもんだという様な義務感で遣って
いたのです。
ある日お金が無いのに貸して遣るから家を買いなさい
と言ってくれる人が出てき来たのです。借りたお金が返
せるかどうか不安が少しばかり在りましたが、仕事がど
んどん忙しくなってきて、収入も増え、何とか返せそう
なので今住んでいる家を買ったのです。
それから又数年経ちました。借金と今持っているお金
が大体同じ位になった時、また収入が元の木阿弥になっ
てしまったのです。私もまあこんなものだろう、これ以
上金は与えられないということなのだと考えて諦めたの
です。しかし困っている時は徳を積めば霊界が何とかし
てくれるという考え方が、この時心の奥にしみ込んでい
たのでした。
金は天下の廻り物といいますが、業だって天下の廻り
物なんです。類魂を遣っていて落ち入り易いのが業のや
り取りです。と同時に人間は皆どこかにコンプレックス
が在り、そのため虚勢を張っているようです。そんなも
の取り除いてしまえば気が楽に成るでしょうが、多分こ
れも余計なお節介かも知れません。
さて人間は何もしなければ本来救われないのです。救
う立場に立って行動を起こす事が、やがて救われてくる
ということで、一万円出したから一万円救われると言う
訳には行きません。弱者が救われる為の心霊科学であっ
てほしいと願うのは良いですが、この法則は変わらない
ので、自分が何らかの善の行動を起こす事から始まりま
す。本当の救いとは何かと問われていますが、心が救わ
れて行く事なのです。
ボランティアが救われる総てではありません。これは
やはり出来る人が遣る事で、救われる人は一部です。し
かしこれを出来る人は幸せです。出来ない人でも他の事
を考えればいいのです。仏教では六波羅密を行ずる事だ
と言っています。
健常者が幸福で障害者が不幸であるというのは必ずし
も当てはまりません。むしろ新聞に見えている自殺者は
健常者ばかりの様な気がします。勿論私の言う事が間違
っているかも知れません。しかし人間は所詮何かを与え
られていれば何かを奪われている。50歩 100歩の所でウ
ロウロしているのです。早い話人類全員が救われていな
いのです。ですから人類全員が救われたいという願望を
持っている訳で、自殺して死にたいそれも救われたいか
らだったのでしょう。
人間の魂は高級な部分はどんどん上に昇り、低級な部
分だけが下降して人間の皮を被せられているわけで、そ
の内面は業ばかりです。業の軽い部分はすぐ救われて残
っているものは自殺とか殺人とか強盗です。もっと重く
なればヒットラーやオームの麻原彰晃の様に人類に害を
与えた人が救われないで魂の中に残っているはずです。
この様な人が生まれ変わって人間の皮を被り幸福にな
りたいと現実の不幸を嘆いていたとすると、それを見た
背後霊は何と言うでしょうか、しかし何も知らないで皮
を被せられた人間はやはり良い運命で人並みの幸福を願
うと思います。
類魂は誰にでも、行動を起こした人に救いの手を差し
出しているのです。人はそれぞれ違った立場で、その役
割も又千差万別となっております。その中で悩み苦しみ
祈り、奉仕をするのです。するといつの間にか悩みが減
り心が淨められ、自らの欲望も程々になり、自己の持っ
ている低い部分の魂も、高い部分の魂も両者を踏まえて
物事が見える人間に成っていきます。それにはどれだけ
の時間がいるかその人によって違ってきます。
人間は絶えず二つの心の間に挟まれて暮らしておりま
す。それは高級霊の心と低級霊の心です。これは言い方
を変えれば高級霊の建前の心と低級霊の本音の心です。
誰でも本音の心は在ります。本音の心ばかりを出してこ
れを何とかしろと高級霊に迫ってみてもどうにもならな
いのです。人間はいつも背伸びをし、ヤセ我慢をして、
建前を通して行かなければならない悲しい生き物なので
す。それが類魂を救う原動力になっているからです。
しかし川崎さんが言う○も●も良い事も悪い事も「あ
あそれでいいんだよ」って受け入れたいのかも知れない
と書かれています。
私もその通りだと思います。子供の頃砂利道を三輪車
に乗って走ろうとしました。石ころにつかえてどうにも
上手く走れません。そこへバスが来ました。バシバシと
石ころを踏んづけて揺れもしないで通り過ぎて行きまし
た。人間は大きなタイヤにならなければいけないようで
す。悩む、苦しむ、それが人間を大きくするはずです。
ボランティアに付いて、有難迷惑だと言われています
がそういう人もあるようですが、そうでない人もあるよ
うです。施設の方でボランティアを受け入れるというの
は大変な事らしいです。私はかつて施設の従業員の方が
「ここの老人はわがままな業つくばりで早く死んでしま
った方がいいのではないかと思う人ばかりなのに、貴方
はそんな人に何で奉仕するのですか?」と質問されまし
た。今から30年前の事です。従業員はまだ若い女性でし
た。「私みたいな馬鹿が一人や二人居たっていいでしょ
う」とその場ははぐらかしたのですが色々な考えの人が
居るものだと考え、やり切れない思いになった事が記憶
に在ります。
ボランティアは絶対の善ではありません。この世の中
に絶対はありません。ドイツの哲人ヘーゲルが言ってい
ました。善を行おうとすれば悪が伴うものだ。悪をしま
いと思えば何も遣らない事だ。しかし一番悪い事は何も
しないことだと…,いつも善の中には悪が存在し、悪の
中にも善が在るものです。その中の悪だけを見つめるの
では無くて両者を踏まえて考えなくてはならないのが人
間ではないでしょうか。
死刑囚が死刑になる直前に人生最高の心になって死ん
で行くという話を聞いた事があります。死刑囚が独房の
中で救われていくということはどういう事でしょうか、
それ以前に物凄く悩み苦しんだはずです。ゆとりの在る
間は悩ませられるのかも知れません。
救いとは何か…、これは各自が自己の魂の中で背後霊
と共に悩みながらオリジナルな救いを考えていくことで
す。決して誰も教えてはくれません。それはかえって邪
魔になるだけなのですから。
最後に救いに付いて、その絶対的な根拠、更に私に救
われているのか、救われる立場になって類魂論が変わっ
ていないかと言われていますが、類魂論は川崎さんが不
備な点を御質問して頂いて益々光を増して来た様な感じ
です。其処には強者とか弱者とかはありません。みんな
弱者であり救われたい立場に立っているからです。そし
て絶対的な根拠とか、小山は一体救われているのかとの
質問ですが、残念ながら両方ともNOです。
神だってもっと救われたいから向上の指向性を持って
暗中模索をしているのでしょう。誰でも一番最初目覚め
た時に大きな乗り越えられない壁みたいなものが目の前
にそびえ立っているのを感じるものです。そこで絶望し
てはいけません。その壁は一歩一歩登って行けば消えて
しまうものです。
業を消すのに焦ってはいけません。そして高望みして
もいけません。これしか業消しが出来ないというものも
ありません。嫌だなと思う事を少し無理して遣ることで
す。
動けない寝た切り老人が苦しくても笑顔を見せること
が業消しであり、一言有り難うと言うことが業消しなの
です。そしてそれが出来たら、心からそれが出来るよう
にするのが高級な業消しとなります。
自分をみじめだと思ってはいけません。どんなに辛く
ても前進できるものです。それが目の前の壁を消す力と
なります。西田幾太郎が言っていました。人生は絶望、
非望、希望、絶望、非望、希望の連続です。しかしその
中のほんの少しの希望を頼りに、人間は生きていくのだ
と…
絶望の後に希望があると言うより絶望がなければ希望
は与えられません。そのリズムが人生というものです。
あなたのお手紙を拝見して涙がこぼれてきました。そし
て夜明けが近いのを感じました。業が消える時はこんな
状態になります。そのような感覚が今迄何回もあったと
思います。ですが段々底が浅くなります。そのまま進ん
で下さい。霊能者は孤独で他人より余計な苦しみがあり
ます。それが宿命です。それを乗り切らなければなりま
せん。決して甘えられません。その時世界に一つしかな
い大輪の花を咲かせることが出来るでしょう。
暑さが加わります。私の体はどうなっているのか分か
りません。多分悪くなっているのでしょう。病院にこの
所行っていないのでデータが分からないのです。もし良
くなっているのなら奇跡でしょう。宝くじが当たるよう
なものです。それを当てにするのもみじめです。
川崎さんも将来必要な人なのですから元気で頑張って下
さい。 敬具
平成11年
7月31日
川崎様
小山 順司
前略
〜中略、
私は両足の先天性股関節脱臼で眼も悪かったの。赤ち
ゃんの頃からずっと治療をつづけて、小学校に上がる頃
には普通の生活が出来る様になったの。母はその間、歩
けない私を連れて満員電車に乗り、札幌の大学病院へ通
ったのです。それに付いては感謝しています。でも障害
児が生まれた事は親に取ってはとんでもない恥で、母は
「内の血筋にはこんな児は居ない」といつも小姑から言
われていたらしいです。そのストレスを私に向けたでし
ょうが、いきなり怒りだすことがあって物を投げつけた
り箒で叩かれたりしのです。私はただ逃げるしかなくて
どうして怒られるのだろう、理由をちゃんと話してほし
いと思っていました。父も寝ている私の所へ来ていきな
り蹴る時も在りました。私はただ単純にこの人達は私が
嫌いなのだと思っていました。
その内に弟が生まれたのですが、弟も股関節が外れて
いました。私よりも軽かったので今では治っています。
父はその弟にも辛く当たって、赤ちゃんの弟に煙草の火
を付けたことが在りました。弟はギャーと赤ちゃんとは
思えない叫び声を上げました。正に火を付けたように泣
くというのはその事です。そのあと引きつけを起こして
真っ青になりました。私は今でもその時を思い出すと怖
くなります。弟は赤ちゃんだったので、この事は覚えて
はいません。そんな記憶は無いほうがいいですから良か
ったです。
私の霊能は小学校の5.6 年の時に現れて、中学に入る
頃には霊感少女になっていました。良く在る話です。親
は私に霊能が出るところっと態度を変えて“普通の親”
になりました。
私の神様は御利益が結構あって、相談事をして半年程
で親戚内の悩み事が無くなってしまったのです。親戚は
自分の悩みが無くなると次は自分の知人の悩み事を聞い
てくるようになったのですが、それもそのうちに無くな
って神様への願い事が何もなくなってしまったのです。
他人だと「それではまた何か在ったらお願いします」に
なりますけど、親しくしている姪だと気安くなって、何
でも頼みに来るようになったのです。先生が無料の治療
をしていたときに来た図々しい患者と同じです。
人間は何かいい事があるともっといい事が欲しくなり
ます。それがただで、何でも揃っているとなるとなおの
ことです。始めは仕事の問題、病気、子供の進学など真
面目な相談事だったのですが、それが叶えられるともっ
と叶えられる事は無いのかと私の所に頻繁に連絡をくれ
るようになりました。それは一人じゃなくて親戚全体が
そうなってしまったのです。
中三の時、そんな親戚が訪ねてきて、株で儲けるお願
いをしょうとしたのです。私に二、三千円の小遣いを握
らせて、何百万円も儲けようというのです。もう一人母
の妹なのですが、旦那とは離婚するつもりなのですが、
新しい彼とのデートが旨く行くように頼んでくれと言う
のです。私も先生と同様切れちゃったです。それで「こ
んな相談は誰が考えても非常識だからもう神様には頼ま
ない」と親や親戚に言ったら私の親は私の味方になるど
ころか、強欲な叔父と色情因縁の叔母の肩を持って「子
供のくせに生意気な事を言うな、大人の苦労を知らない
くせに誰に面倒みて貰っている」と言うのです。
その時私は、この人たちは親の顔をしているけど物乞
いなのだと思いました。このままでは全部奪い取られて
しまいそうで居たたまれなくなりました。それよりもも
っと問題なのは神様です。神様は人間の戯れ言を聞くた
めにここに来ているのでは無いのでしょうから、そのた
めにも自分を守ること、自分を守れば神様を守ることに
もなりますから。それにはできるだけ早くこの親の所を
離れることだと考えました。そして人との関係は、親も
含めて最低限度にして、もう人前では霊や神の話はしな
い事、と心に決めたのです。その時の決意はとても固く
て今でもそうしています。おかげてこんな意固地な性格
になってしまいました。でもそれは正しかったと思うの
です。もしそのまま相談事をしていたら、ただの拝み屋
で終わっていたでしょう。
背後霊はどうしたかというと、先生のところのような
信頼関係は余りないの。なんて言うか専門馬鹿の集まり
なのです。ある一つの事を遣るの。神様が「行ってきな
さい」と命ずると、何も考えないでそれだけを遣ってく
るの。勿論もっと高い霊も居るけど、そういう霊は人間
の事はあまり同情しなくて、落ちるなら勝手に落ちれば
って感じで。私の親たちがわがままなことばかり頼んで
も「自分たちは人間を助けているのではなくて、落ちて
いる霊を助けるのだ。その二義的効果で人も助かるのだ
」といって、突き放されちゃうの。
背後霊と私は要するに下々の者なのです。神様を引き
立てて行かなければいけないのです。だから神様が命ず
る事は、何でも喜んで遣らないと駄目なのですが、体の
無い背後霊は何でも出来るけど、人間の私はそれに全部
付き合っていられないのです。
そんな訳で、高校に入る頃には相談事は拒否していた
のです。それでも親は諦め切れなくて、ずっと私を責め
ていました。ちょうどその頃障害が重くなってきて、視
力が一年で0.8 もさがって、最終的には眼鏡を掛けても
0.03位になってしまいました。その私に母は「神様に取
り次がないから罰が当たったんだ」と罵ったのです。
この言葉で進学しないで、盲学校へ行くことに決めまし
た。本当に失明するかも知れないという不安も在りまし
たが、何よりも親が浅まし過ぎるのが情けなかったので
す。盲学校の寮に入って親と離れれば少し状況が変わる
かも知れないと思ったのです。
親はまた私を責めて「世間体を考えろ、お前は恥さら
しだ」と言うので、「盲学校はお金が掛からないからこ
れ程の親孝行は無いでしょう」と言い返したら、それか
らは何も言わなくなりました。
私は先生のように積極的に生きる努力はしていません
が、それは反省します。始めの出発点がいけなかったの
でしょう、私は神様がそれでいいならそれでいいやって
諦めてしまうのです。実際には徳も業も厳重に管理され
ているみたいなので、どうにもならないので、悪あがき
はしないというのが私の今までの生き方です。
類魂への動機を語れって霊が言うけど、やはりそれは
盲学校だと思います。私は先生のように今の自分が苦し
いとかもっと良くなりたいとか思わないのです。もっと
苦しくていいから早く他界したいと思っちゃうの。そう
考える原点は盲学校なのです。結局、親も親戚も社会も
外の人達なのです。生きている世界が違うのです。同じ
日本語を話はなしているのに心が通じないのです。心が
分からない人達の中に居ても仕方無いから、早いこと神
様の所に帰りたいなって思う。
大抵の人は1.2 級の重度の障害を負ったら生活保護か
障害者年金なんかで遣っていくことを考えるけど、障害
があるんだから身の回りの事や家の中の事が出来れば上
出来なのです。それで充分なのですが、盲学校に入って
くる人達は自立して生活しょうとする頑張る人達なので
す。
先ず担任の先生がそうでした、全盲なのですが自宅か
ら学校まで電車とバスを乗り継いで通ってくるんです。
ラッシュの札幌をかいくぐって。それでちゃんと先生の
仕事をするの。だから、眼が見えなくなっても何とかな
るんだと思いました。
クラスメートには何人か、中途失明の社会人が居まし
た。その中の私の親と同じくらいの歳のおじさんなので
すが、おじさんは社長さんだったのですが、事故で失明
して廃業する事になってのです。でも借金があって社屋
と他の不動産を売っても足りなくて。死亡時と同じだけ
出た保険金も返済に回してすっからかんになっちゃった
んです。この状況で、大学に入ったばかりの息子がいる
の。その息子が頑張って入った大学だから何としてでも
中退させたくない。今は奥さんがパートに行っているけ
どその仕事もどうなるか分からないから、自分は死んだ
つもりで精進して資格を取るんだっていうのです。おじ
さんは失明してほやほやなので点字はまだ覚えていない
のです。テストの答えを書くとき仕方ないのでカンで書
いたのです。だから何を書いたのか分からない事も在っ
て、大変困難な中で若い人達と一緒に勉強したのです。
男の人は失明しても大黒柱しなければいけないのかしら
と思いました。
こんな頑張りやのおじさんたちが居るのに私の親は何
なのかしら、比べては行けないのでしょうが、私の親は
自分達の娘の置かれた状況が理解できなかったのでしょ
う。お金や不倫や、親や親戚のいる世界は私の居る世界
と全く違うのです。盲学校の、ぎりぎりの所で真剣に生
きようとする人達とは別世界なのです。
先生は徳と業の方程式を何十年も掛けて頭の中に組み
込まされたから直ぐに類魂の事情が分かっちゃうの。私
はそれを理解しようとすると、待ったがかかるの。別の
考え方がないのかって悩まされてしまって、先に進まな
くなるのです。でも、もたもたしているのは嫌なので。
・○と●について、
上にあがるのが○、下に落ちるのが●ではなくて、特
異点として考えてみる。でもこの特異点にはもっと突っ
込まなければならない問題があるのです。特異点は物理
の宇宙論ではブラックホールの事だから、類魂とは論理
的背景が違うんだって。論理的背景っていうのは本質の
ことだと思いますが、他にも同じような言葉が出で来る
の論理的構造、論理的形式、それぞれ意味が違っている
みたいだけれど良く分からないのです。
○は解き放す力、だから上に行くのでしょう、それを数
学用語で「開く」と言います。●は固まって集中する力
だから重くなって下に落ちてしまう。それを「閉じる」
といいます。●は一つの霊なのだけれど物霊が重いから
結果的に落ちちゃって低級霊になっている。だから「閉
じる」の原因は物霊と考えていいのでしょうか。
閉じるを図示すると□でも○でもいいですけど枠で囲む
ことです。この枠を空間と言います。ーの線だけでも一
次元空間と言います。このとき線が何処までも延びて限
りが無いときは開いていることになります。
つまり物質は、物霊という閉じた空間の中に生じてい
る、あるいは表出すると言うことです(図5)
物霊は宇宙の始めのときの神の想念でもあります。図5
はその時の神の想念を示すとも考えられます。神の想念
する物霊が取り囲み、内部へ力が集まってその中心部に
物質宇宙が出来たのです。そうだとすると宇宙の始めに
は物霊があった。中心に物質が出来る直前の物霊はそれ
だけを観ると神でもないし、物でもないからその意味で
の“無”なのでしょうか。
図5を少し縦長にしてみます(図6)
頂点の●は物質的表出で人の想念なら欲望等です。頂点
の●は上になっているので、下部の●より浄化している
ことになって、また下に行く程●が多いのですが、この
●達は頂点の●に向かっています。この図では上昇する
ように見えますが、図5にすると中心の●に固まってい
く事になります。それで図6を所々輪切りにすると、頂
点の●に近づく程魂が小さくなります。物霊が少ないほ
ど魂が小さいというのは、頂点が●だからってことにな
ります。もし○だと逆に開いた空間なので、向上すれば
する程高級物霊の数が増えてくるはずです。
では○をどうするのか。●は枠で囲んだ空間だからイメ
ージし易いけど、開いている空間は良く分からない。現
象の世界では開いていても閉じた空間にみえるのです。
これは類魂論を有機体に繋げるための説明です。
・ホロン
類魂を観ようとすると、現象の世界では●から表出さ
れる物だけが見えているのです。人間なら肉体だけが見
えている。つまり肉体も類魂なのです。
類魂論では●の在る所には○が在る。だから体には○
の表出があるはずです。物霊は凝り固まる力があって、
その力の集中した中心に物が出来る。その物霊の力の為
に物は周囲から独立し一つ一つ隔絶した存在に見える。
あの人はそれを家族的類似性と言っていた。家族的類似
性は物霊の表出に名付けたものだったのです。ウットゲ
ンシュタインと先生は同じものを見ていたのかしら。き
っと霊界の高いところでは霊系は一つになっているので
しよう。
物霊が表出した体は互いに独立して周囲とは孤立して
いる。それだけのものなら命を保つことは出来ないでし
ょう。ただ在るだけなのですから。類魂論によれば人が
生きているのは○が働いているからです。
人間は物を取り込んで生きている。でも物を沢山集め
てそのままにしておくと段々落ちていって、病気になる
かもしれない。物を取り込むことは生命を蝕むことなの
です。でも○が●を浄化して命を助けて、更に向上した
●は徳となって人を守るようになるのでしょうか。
では人体では何が○の働きをしているのでしよう。身
体そのものは●だからそれを解き放す行為や状態が○を
示しているのでしょう。それが全体性だと思います。●
のままだと独我の世界なのでしよう。それを解き放すと
いうのは外の世界と情報をやり取りする事です。身体で
言うなら物を食べて栄養を取る、知覚して外の環境を知
り行動する等です。それは生命活動そのものです。
類魂を観察すると業と徳に眼が向いてしまいます。そ
れはつまり、物霊を持っていると、物霊が表出する物だ
けが見えてしまうからでしよう。でも○が働いているの
で全体性があって類魂を形成できるのです。
話しをまとめます。類魂はホロン構造をしているらし
い。自我の中の●は物霊が重いのでそれが表出すると閉
じている“物”になる。それだけを見ると一つ一つ独立
している想念ですか。そこへ守護霊が○を降ろして●を
向上させようとする。その時に横の類魂との業や徳のや
り取り、転化や憑依がある。それが可能なのは守護霊が
それぞれの類魂に○を降ろして全体性を与えているから
でしょうか。だとすると、類魂は部分と全体を併せ持っ
たホロンと言えるのです。
以上に付いて御意見をお願いします。
・霊系に徳が多いとその人は思いどおりの人生が送れる
といいますが、それは徳がその想念を具現化するエネ
ルギーになっているということですか。
・との関連で、現象を具現化する時に徳は物霊と同じ
働きをしているのではないかと思いました。例えば、
いい男が居ないかなと望んだ時に、私の徳が彼の回り
を取り囲んで彼に働きかけて、気持ちを私に向けさせ
望みが具現化するのです。
徳は物を放す時に生じる。その徳でまた別の物を手に
入れるというわけでしょうか。物を持たされる、つま
り望みがかなう範囲は個人差があって、或る一定の範
囲で豊かになれる。だから何か新たに望みがある時は
今まで持っていた物を放して、その分の空きを用意す
る。それが徳となって新しく望みを叶えてくれる。と
いうように考えられないでしょうか。それが魂が広い
人なのでしようか。徳と物は表裏一体で徳が多ければ
沢山物を持つことが許されるのでしょうか。
徳や物霊が取り囲んでその力が集中したところに想念
が具現化する。或いは物質が表出するとしたら、念写
や念力などの物理的心霊現象に結び付いて行くことに
なります。
・・に絡んで幽体って何なのかしらと思いました。幽体
とエクトプラズムが同じかどうかは分かりませんが、
エクトプラズムは霊の想念のままに形を変えると何処
かの本に書いてありました。霊媒も霊が幽体を使って
人の体を使うと聞いています。想念を具現化する意味
では徳と同様の働きをしているように思えます。徳と
幽体の関係はどうなのでしょうか。
・この前のお電話でどうして霊能が出来るのかを、お伺
いしましたが、詳しくご説明をお願いします。
先生の寿命が延びるのと宝くじを一緒にしないで下さい
い。先生はそれだけの事をしてきたのですから当然なの
です。私は先生が居ないと全然遣る気しないですよ。
相手が居るから遣らなければならないと思って来るの。
自分一人だったらもうとっくに放棄しているでしょう。
それに類魂以外にもお伺いしたいことが沢山在りますか
ら、しばらく生きていて貰わないと困ります。
8月 7日 川崎より
暑いという以外言葉の無い日々です。毎日あまり眠れな
いので体調が少し落ち込んでいます。
死というものが総ての業を消してくれる…、なら素晴
らしいんですが、そう思って自殺した人が多いと思いま
す。でも後がもっと苦しいので大変です。人間は生まれ
変わりとっ変わりして人生の続きを遣らされているので
全くうんざりです。たまには双六の上がりとか3から7
へ進むなんてのもあったら楽しいだろうなと思います。
人間なんて弱い動物です。少しでも楽をさせて助けて
くれる人が居ればその方に行きたくなるのが人情でしょ
う。霊能だってそうです。それはこれを授かって生きて
行きなさいと背後がくれたものです。それを他人の為に
無償で与える事が自分を救う一つの手段です。それを受
けた人は当然その業を受けるのですが、その人がまた他
の人に親切にしてやればそれで業は廻って行きます。
業は溜めるからいけないんです。廻っている分には一
つも害にはなりません。他人が色々の事を言ってきます
がもしそれが出来るのなら遣って上げたらいいんです。
業がどうのこうのということは人間が考えることでは無
くその人の高級霊のお仕事です。人間が神を守ことなど
出来ません。神はもし嫌なら勝手に拒絶するでしょう。
障害者の立場が劣っているか、いないか、これは変え
られない宿命です。それを嘆いていても全く救いはあり
ません。そこから出発です。頑張って下さい。
人間はどんなに業が深くてもそれなりの救いが有るも
のです。悪い運命だって、頑張っていたらいつの間にか
救われていた事に気が付くものです。川崎さんの背後霊
さんも類魂を持って来て、首根っこを捕まえて遣らせて
いるのですが、強力で高い霊が居るのですね。
さて御質問ですが、
Q.閉じる原因は物霊か? A.そうかも知れません。
Q.宇宙は無か?
A.まだ物質のできる前だと思います。勿論固まろうとす
る意識は宇宙にとって必要な意識だと思います。しか
しそれだけでは存在し得ません。拡散しようとする意
識も当然必要になりましょうし、宇宙の動きはそれに
よって作られるのではないかと考えております。です
から物質を作りだす力が物霊とすれば、拡散の意識と
凝縮の意識が同時に働いて物質を作っているのではな
いかと考えています。拡散と凝縮が別々に存在するの
では無く、同時に存在するのではないかと思います。
どうも図にしにくいです。
この図7の様に単独で存在するのでは無く、凝縮と拡
散、両者が作用しているのではないかと考えられるの
ですがどうでしょうか。とすると高級な物霊が配下に
於ける低次元の物霊を総動員して宇宙を作ったと考え
られます。その背後に神の意向が在ったのでしょう。
Q.○と●に付いて、
A.○は解き放つ、人間にとっては病気を治す。
●は固まる、人間にとっては病気を作る。
この両者のバランスの上に人間が存在しているのでは
ないでしょうか。固まりっ放しでは動きの取れない人
間になってしまい、解き放つだけでは力のない人間に
なってしまいます。
霊界の部品○と●を集めて一つの物を作るという事で
すが、それぞれが自己の持っている力で個性が存在し
ている様です。とするとホロン構造になるのかも知れ
ませんね。
Q.●は徳となって人を守るようになるか?
A.その守護霊の配下に居る人を守ります。
Q.人体では何が○の働きをするのか?
A.人間の心と行動です。
・「霊系に徳が在ると思い通りの人生が送れるか」
徳は霊界に於ける貨幣の役割を果たしております。そ
れを物質にするか心にするかは守護霊が定めてくれる
でしょう。
人間が徳を積むということは主として物霊を浄化する
事です。つまり高級な物霊を作ることです。ですから
徳があるということは高級物霊があるということにな
ります。
この世に一升のマスを持って来た人は一升マス分しか
入らないのです。とすれば先ず一升マスの或る部分を
空けて置けば新しい何かが入る様になるでしょう。し
かし普段から徳を積んでおけば持ってきたマスも次第
に大きくする事が出来ます。しかし思い通りの運命は
徳を食いつぶし次の代の運命を悪くさせるでしょう。
「徳と物は表裏一体で徳が多ければ物を持てるのか」
ということですが、高級になればなる程物質から遠ざ
かろうとします。ですから中級位のあまり高級でない
霊が守護霊ですと、物質的には割合に豊かになれるよ
うです。
・幽体とは、肉体から離れた霊の持っている物質に近い
部分と考えています。肉体、幽体、霊体、神体と物霊
も段々希薄になってきます。
エクトプラズムの問題ですが、眼に見えたり写真に写
ったり、又は力として表現した場合、それがエクトプ
ラスムではないかと私は考えています。
幽体と徳の問題ですが幽体は物霊だろうと思います。
つまり物霊に徳を与えれば当然高級な物霊になってい
くわけで、そうなれば守護霊の補助的な立場に立ち、
或いはその力として働く事が出来るようになります。
想念的にも自己を守るだけの固まろうという想念から
抜けて、人間の心を身に付けるようになります。善悪
を知り、自己審神者をする力を持つことができる様に
なります。
・「どうして霊能が出るのか」
これは、私の考えでは魂の大きな人、つまり普通人よ
り高級な部分はより高く、低級な部分はより低い部分
を持って生まれて来た人が、その人の持っている低級
な部分に心や運命が落ち込んだ時に霊能が出で来るの
ではないかと思います。これは最初は動物的な欲望の
霊能から始まります。それを浄化するようになって高
級な霊能になって来ると思います。
大体一代で高級な霊能が出るのは少なく、何代か霊能
体質的な人が続いて、その魂を浄化した後に高級にな
って来るようです。ですから横の類魂を観ると分かる
のですが、親とか更に祖父母とかに続いて霊能が有っ
た場合高級に成って来るようです。勿論霊系の先祖に
徳が在って、その人が運命としてその徳を使わなかっ
た場合でも当然高級な霊能が出て来るようです。
まだ当分暑さが続くでしょう、どうかお体を大切にして
てください。
8月12日
川崎様 小山順司
〓枠01〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓
〓図7 凝縮の意識 〓
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〓 高級霊の拡散〓
〓 しょうと〓
〓 する意識〓
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〓この外円の この円の内面〓
〓内側は高級物霊 は物霊の凝縮し〓
〓の拡散の意識が ょうとする意識〓
〓強く働き易い が強く働き易い〓
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