協会への往信
日付は不明、
始めまして、皆様の機関紙を興味を持って読ませて頂いております。
早そうにお尋ねしたいのですが、目が金色に光っていて、透明な体をしている霊とは、どのような部類の霊なのでしょうか。と言いますのも、私には少々霊能がありまして、背後霊と話すことくらいなら出来るのです。この背後霊のリーダー格の霊が、“金色の目の人”なのです。
この人は、前にリーダ格だった“みこさん”という人に替わって私の処に来てくれたのです。
彼らと話すのはとても楽しく、すばらしいことですが、いつも心の片隅では、この人たちは誰なのだろう、もしかすると…、と疑問が浮かんでくるのです。
今のところ彼らが悪影響を及ぼしていないことは確かなのです。
私の知人や色々な人からの相談事はよく解決してくれるし、まわりからは良い霊と見られているようです。それでも未だ彼らについての確証がないので、私の心の中ではしっくりこないのが現状です。ですから、その金色の目をした人について知りたいのです。霊査等はなさらなくて結構ですから、どなたかそのような霊に会ったことがあるとか、ご存知の方は、こういう霊は、一般にこんなものだということを教えていただきたいのです。
返信をお待ちしています。
滝川氏からの返信
前略、
お手紙、正に拝見致しました。まことに興味ある内容でした。
貴方の背後霊である“金色の目の透明な体の霊”は非常に珍しい存在
だと思います。私たちの浅い経験では貴方の質問には答えることは出来ませんが、一部の人は宇宙人とか聖書の聖人とか言っておりますが
正確なところは不明です。貴方は聖書に興味がありますか。貴方の背後霊の方々は外国人、しかもイタリアの方らしいですが、背後霊と語ることが出来るのですから、彼らの国名、性別、生きた時代、成した業績等を質問してみるのが良いでしょう。貴方の背後霊は善意の方々だと思います。彼らの霊信は非常に良いものと思います。
彼らの霊信と貴方のお手紙を心霊研究に掲載して、広く会員からの反応を見たいと思いますが、掲載の許可を頂ければ幸いです。
その結果、背後霊の正体が分かるかもしれのせんし、霊信で述べている心霊研究の理想も普及するでしょう。そして今後とも背後の方々からの霊信わ書き留めて当方へお送りください。
尚、11月20日〜24日まで協会では霊能開発の講習会を開催しますが参加する意思がありましたら、詳しいことをお知らせします。
私個人としては、貴方の霊能力及び背後霊の方々に興味があります。
貴方の霊能力が今後ともますます磨かれ、低級なものにならぬことを
お祈りいたします。東京へ来る機会がありましたら是非お目にかかりたく存じます。ご自愛ください。
敬具
昭和53年7月5日
財団法人日本心霊科学協会 編集委員会
滝川 俊雄
1979年8月号掲載
右のような手紙が送られてきたが、私たちも興味深く拝見した。
発信人はまだ、女子高生である、。事実のままなら、相当の内容のある
霊信を受け取る能力があるようで、将来が楽しみである。出来れば、
霊信を受け取る方法、プロセスについても知らせて欲しいものである。読者の中で右の“金色の目の人”のような霊をご存知の方は編集部宛て
にご一報ください。
彼女が同封してこられた背後霊達の言葉を掲載いたしますので、ご一読ください。それについてのご感想も編集部宛お送りください。
あなた方、心霊主義者にとって、科学は、非常に重要なものである。なぜなら、科学は非常に重要なものである。科学はわれわれ人間にとって神=自然を知るための最も有用な手段であり、またそれは必然的に一個人の人間だけではなく、すべての人類を包括し得る理念となるからである。つまりいったん科学によって、そのすべてが理解されたものは、すべての人々に理解されたと同じ意味をもつのである。科学によって遂行されることは、一見学者以外には立ち入ることの出来ないプロセスのように感じられるが、そうではなくて、どのような人も科学を行うことは出来るはずである。つまり、ごく一般にいわれるように合理的に、客観的に解釈すればよいのである。
しかし、ここで強調することは、それによって得られたことは、決して結論ではなく、過程であるということである。なぜなら、この自然界には絶対に正しいという値は存在しないからだ。しかしながら、我々は、我々自身への回答として、一つ一つ一致した見解を得ているわけで、
それはきわめて不安定な状態のままである。科学を行うことが逆にそれわ、すべての人類にとっての真理から遠ざけているのである。それゆえにあなた方においては科学は一般的ではないのかも知れない。いちがいにそうともいえないだろうが、 ダニエル
◎これまでの心霊学の発展において、あなた方の犯した罪は、完全な科学の目を持って、これを追求することが出来なかった点にあると思います。
今日の科学は、いまだに我々を発見してくれない。実に物足りないような、寂しい心境です。しかし、我々は科学によって発見してもらいたいのです。いや、発見されなければならないのです。たとえ、現代の科学によって、否定されたとしても、それは歴史の一こまに過ぎないのです。 バブーフ
◎科学と宗教について、
人類は昔、雷に恐れをなし、荒れ狂う天空にひれ伏し、神に祈ったのであった。そのころの人々はそれらの自然現象を神の御業と理解した(実際そのとおりであるが。)
今の人々は、それに合理的な解釈というものを行い、もはや神など存在しなくなったのである。それは科学的思考に元ずくものである。つまり、昔の信仰心が今の“科学”に変化したのであった。
ここで、ささやかに主張したいのであるが、科学的探究心も、神を崇める心も、もとはといえば、人間の自然に対する理解の方法の上に成り立つものだということだ。 ダニエル
◎ですから、科学は、徹底した懐疑論に身を委ねるものではないし、宗教も、原理主義的に盲信するものではなかったのです。そこには自然に対する探究心があったのです。
私たちの言わんとするところは、科学も宗教も、そのプロセスこそ違え、間違えなく一つの目標に向かっているという事実なのです。 マリオ
◎科学によって追及され、求めえられるであろうその真理とは、宗教では常に存在するであろう神であるはずである。自然を理解することにおいて、神は二つの方向を示されたのです。つまり、宗教によって、そのご自身の存在を感知してもらい、科学によって理解してもらおうと思われたのでしょう。いつの日にか、宗教と科学が一つになれる日が来るでしょう。その日は科学が、神を発見する日なのです。
よく人は、慈しみ、哀れみなさいと言うし、また、隣りの人を愛せよとも言う。私はそれらを絶対的に否定するつもりは無いが、そうする事の前になさなければならないことがある。それは”知り"、"覚える"ということである。
これは全く正しいものでなければならない。そして、その上に立って、愛し、慈しみ、哀れむのである。人を愛するということは、もちろんその人に尽くしてやることでもあるが、それ以上に人にとっては厄介な意味をもつものである。愛することは、いつも心の内にその物(人)をおいて置くことである。私は神を愛するということと神以外と思われる他のものを愛すると言うことは同じ意味であると思う。なぜならこの宇宙のものすべてが神によって現されているからだ。
そう、あなた方のほとんどの方は、神の一部を愛しているのですね。よく、信徒の中では「私は神を信じ、神を愛している」と思い込んでいる人が居るが、あなた方はこの世のすべてを愛せずになぜ神を愛せるのだ?
とにかく、神を愛するには、神を知らなければならない。そして、その周りのもの、つまくり神の一部を少しずつ知り、愛していってこそ、初めで神を愛せたと言えるのである。いや、けして私はあなた方が不信仰だと言っているのではない。ただ私の生き方を伝えたかっただけなのだ。 ダニエル
◎私は妻より先に死んでしまったのですが、当時、妻はカトリックの熱心な信徒でした。妻は私を儀式的には丁重に葬ってくれました。しかし、当時は霊魂については全く否定的な時代だったので、妻は、死者は審判の日まで、墓の中で眠っているものと思っていたのです。私もそう信じていました。しかし実際死んでみて目が覚めた所は墓の中じゃなかったのです。私は家の中で目が覚めたのです。そのときはとても困惑しました。だって、私は床に寝ていたものですから、家族の者が私の体を踏みつけて行くのです。それでも何も感じなかったのです。叫んでみてもさっぱり相手にされませんでした。私はそれからどうしたらよいか分からなくなりました。何もかも教えられたとおりではなかったからです。まあ、今はこうして笑って話せるわけですが、その時のこまり果てた状態はまったく耐えがたいもので、もう二度と経験したくありません。そしてそのようなことは他の人々にも経験させたくないのです。私がそう思ったとき、この人たちが現れて、そして、こうして仲間になったわけです。本当にあの時は、孤独で孤独で気が変になりそうだったのです。こういう体験をされた方はたくさんおられます。これからもそのような人を増やさないためにもどうか心霊科学を世に広め、確立させて頂きたいと思います。
T.J (S.53.5.25))
前文略
私は霊能が現れてからずっと、そちらからの手紙がくるまで、彼らについて安心したことはありませんでした。にも関わらず、彼らはいつも最善を尽くして私に接してくれたのです。本当に申し訳なく思っていました。しかし私としては疑いを持つことは必要だと思います。なにしろ霊を相手にしているのですから。彼らはあまり私の行動や考え方には干渉しません。おそらく、何をやるにしても自分自身の力でやることが大切だと主張しているのでしょう。ですから、心霊科学についても、直接知識や方法を聞き出すことはしません。それでも何とはなしに彼らの望むことが伝わってくるようです。
霊信に対して、天野氏が「心霊研究」に投稿してくださいました。
それに対して、私が返答しています。
1980年1月号掲載
《霊は神に連続している》
天野氏にお答えして、
私の手紙に対するご感想、ありがたく存じます。天野氏の文章を一読しまして、氏が疑
問に思われましたこと、また、その他説明しなければならない点に付きまして一筆致しま
す。私は霊と六年程付き合っておりますが、その間に得た知識を元にして述べます。
氏は科学者のようですので、あえて科学に付いて述べる必要は無いと思いますが、私自
身を理解していただくためにも、所々科学の方法について触れてみるつもりです。
科学を始めるに当たっての第一歩は゛定義ずけ゛です。つまり、霊、霊界、神、同調…
などの意味を穂明確にするということです。ですから、氏がお考えになっているようなこ
とでよろしいと思います。ただ、「仮定は法則よりも重要だ」というよりは重視すべきな
のだと思います。
定義付けによって、意味を明確にするということは、科学として行うならば数学的でな
ければなりません。そこで、心霊現象の犯人である霊とは数学的にどう解釈され、またど
の様な性質を持つか考える訳です。
真実を知るためには事実が必要です。多くの実験データの中から、共通の事柄を見つけ
出し、そして理論を作ります。しかし、心霊科学は科学に於いては一般的ではないので、
論理なんて、とても望めそうにないのです。しかし、私たちはどう言うわけか゛事実゛を
知っています。そこでこれらの゛事実゛を吟味して理論を作り、それに基づいて、最も簡
単な方法で、霊を証明するという訳です。゛証明する゛ということは必ずしも必要では在
りません。私たちにとっては理論(体系)は大切です。
そうは思っていても、とても私には知りようもないことです。おぼろげに私の考えると
ころでは、霊とは「連続」をいうらしいのです。また空間とも考えることが出来ます。そ
うなると、この宇宙には無数の空間があり、それはばらばらではなく、連続しているので
す。一般に霊は時間や位置を無視し、また同調という法則が認められています。よく考え
てみますと、それらは連続ということばで置き換えることが出来ます。
全宇宙的に見ますと、全ての空間が存在することになりますから、たんじゆんに考えて、
あらゆる空間に連続している空間(神?)が考えられます。一言で言うなら、霊は神に連
続している、つまり、人間は「神の分霊である」と言えるのです。
そこで、肉体、つまり物質に付いて考えてみます。現界と霊界は連続しています。どち
らが先ということは考えません。(因縁説のように霊が原因となって現象が起こるのでは
なく)この二つは紙の裏と表のようなもので、相対性理論でいうなら、時間と空間でしょ
う。心だけでも体だけでも意味は無いのです。
そう考えると、霊界にも物質(物霊、体霊なのか)があっても良いと思われるのです。
もちろん霊界の物質とは霊の媒体としての物質のことで、この私たちのいる世界のものと
は違っているでしょう。
もしこの考え方が正しいとしたら、一般的に言われている霊界と現界の概念を変えなけ
ればなりません。魂だけの死後の世界を霊界、私たちが肉体を持って生活している世界を
現界と言っておりますが、そうではなくて、私たちの世界も霊界も一連のものですから、
霊界に物質が無いとは言えないのです。そこで、霊そのものを霊界、霊の媒体としての現
界とするのです。本質的な意味は一般的に考えられていることと変わらないですが、ここ
では霊界、現界の意味を明確にしたかったのです。そしてこの、ここで述べている現界に
は物理学が考えられるはずです。ですから私は霊界にも物理学的な実験があってもよいと
思っています。
理論や学問には適応範囲があります。物理学上の理論にも、病理学上の理論にも、心霊
科学にも何かがあってもよいと思うのです。霊はなぜ存在するのかというような究極的な
問題にも答えられるかもしれません。しかしここまで来ると、紙がなせ存在するのかとい
う問いの答えには科学的意味は無くなってしまうのかもしれません。
もしかすると違うのかも知れませんが、ダニエルさんが「自然界には絶対に正しいとい
う値は無い」と言ったのはここにあるような気がします。自然現象に関するかぎり、それ
は本質的に物理学の領域であります。私の霊はこう言いました。科学は人間の宇宙へ対す
る働きかけであるが、心霊はその宇宙を内在していると、つまり、私たちは霊であり、そ
れ自体は真実です。しかしそれが外へ働きかける場合、それは近似値であるのです。だか
らこそ想像が生まれるのでしょう。
最近は色々なことが起こり、通信を書き留めることはあまりしていません。しかし交流
は在ります。
個人的には、この六年間何度となく、霊能なんて無いほうがさっぱりしていいと思いま
した。何かと悩むことが多いからです。それに同類の法則というのがあるというのに、私
と背後霊とではかなり次元が違うのです。そう思うのも私がまだ子供で甘えがあるからで
しょう。結局何だかんだいっても、いつも元通りになってしまうのです。
もし彼らが私の親でしたら、ビンタの一つでも飛びそうなことを思っていても、みんな
は何時も見守っているだけ、
そして、曰く「背後霊の最大の任務はその人間に最高の自由を与えることだ」
この言葉の意味はよく判っているつもりです。
わたしのようなわがまま娘でも、最近では少しは彼らの恥になるような行動だけはしない
ようにと思うようになりました。これからも彼らとは仲良くやっていくつもりです。
まことに読みにくい文章であったことを心よりお詫び致します。