岐南町商工会 記念講演

 

   2011年6月12日 岐南町 中央公民館で

   15.00から16.15まで

    記念講演があります

   「愛をみつけた」

 

           大助花子 プロフィール  こちらから

        宮川花子 ついては   こちらから

           花子大助 漫才は     こちらから

 

 

受賞歴

1980年(昭和55年)
昭和54年度 第10回 NHK上方漫才コンテスト 優秀努力賞
1981年(昭和56年)7月
第2回 今宮子供えびすマンザイ新人コンクール 奨励賞
1982年(昭和57年)4月18日
'82 ABC漫才・落語新人コンクール 漫才部門最優秀新人賞
1983年(昭和58年)
第12回 上方お笑い大賞 銀賞
1984年(昭和59年)4月
第19回 上方漫才大賞 新人賞
1986年(昭和61年)1月3日
昭和60年度 第14回 日本放送演芸大賞 ホープ賞
1986年(昭和61年)3月
第21回 上方漫才大賞 奨励賞
1986年(昭和61年)3月30日
昭和60年度 第6回 花王名人大賞 新人賞
1987年(昭和62年)1月3日
昭和61年度 第15回 日本放送演芸大賞 優秀賞
1987年(昭和62年)3月
第22回 上方漫才大賞 大賞
1987年(昭和62年)
昭和61年度 第7回 花王名人大賞 名人賞
1987年(昭和62年)
'87 第27回 ACC全日本CMフェスティバル 優秀賞 地域テレビ部門15秒 「迷惑駐車」
1987年(昭和62年)12月12日
第16回 上方お笑い大賞 金賞
1988年(昭和63年)2月1日
昭和62年度 咲くやこの花賞 大衆芸能部門
1988年(昭和63年)
昭和62年度 第8回 花王名人大賞 名人賞
1989年(平成元年)12月9日
第18回 上方お笑い大賞 審査員特別賞
1990年(平成2年)
第25回 上方漫才大賞 大賞
1990年(平成2年)12月
第19回 上方お笑い大賞 大賞
2011年(平成23年)3月11日
平成22年度 第61回 芸術選奨 文部科学大臣賞 大衆芸能部門

 

   

プロフィール

宮川大助(みやがわ だいすけ)

本名: 松下孝美(まつした たかみ)
生年月日: 1950年(昭和25年)10月3日
出身地: 鳥取県境港市
師匠: 宮川左近
入門: 1972年(昭和47年)

宮川花子(みやがわ はなこ)

本名: 松下美智代(まつした みちよ)
生年月日: 1955年(昭和30年)8月28日
出身地: 大阪府大阪市
師匠: チャンバラトリオ
入門: 1974年(昭和49年)
所属: よしもとクリエイティブ・エージェンシー
芸風: 夫婦漫才コンビとして活動。
芸歴: 1975年(昭和50年)7月、共に師匠に付く弟子のコンビ同士として知り合う。

1975年(昭和50年)10月に結婚。宮川花子は主婦業に専念するため自身の漫才コンビを解散して引退。

その後、宮川大助も漫才コンビ「宮川大助・小助」を解散。宮川大助はしばらく芸人を廃業してガードマンとなり、宮川花子も万引き犯を取り締まるガードウーマンとして働く。なお、宮川小助は漫才トリオ「トリプルパンチ」の結成・解散を経て、1988年(昭和63年)に「宮川青丸」に改名して漫才コンビ「宮川青丸・とん子」を結成。

1979年(昭和54年)1月、夫婦で漫才コンビ「宮川大助・花子」を結成し、吉本興業に移籍してデビュー。

大阪市難波にある劇場「なんばグランド花月」を拠点に活動。

1988年(昭和63年)、宮川花子が体調不良で倒れ、一時活動を休止。ほどなく胃ガンが見つかり、翌年に手術のため入院。後に復帰。

2007年(平成19年)2月5日、宮川大助が脳出血のため入院。1カ月の入院の後、約2カ月の通院治療が必要と診断された。療養中、宮川花子はピンで活動。宮川大助はリハビリを続け、同年5月24日に「なんばグランド花月」の舞台で復帰してコンビでの活動を再開。その後も治療しながら活動を続ける。

備考: 宮川大助は高校卒業後に大手電機メーカー(三菱電機)のサラリーマンとなるが3年で退職し、1972年(昭和47年)に浪曲の宮川左近に弟子入り。松竹芸能に所属。翌年、漫才コンビ「宮川大助・小助」としてデビュー。

宮川花子は高校時代に落研を立ち上げ、多くの素人参加番組に出演。卒業後は婦人警官として大阪府警・城東署の交通課に勤務。1年後の1974年(昭和49年)にチャンバラトリオに弟子入りし、漫才コンビを結成してデビュー。松竹芸能に所属。当時の宮川花子の芸名は「マコトちゃん」。

娘に漫才コンビ「さゆみ・ひかり」のさゆみがいる。


     

                       近藤会長が挨拶

 

          岐南町商工会が50周年記念式典

   2011.6.14  中日新聞

 

  岐南町商工会50周年記念式典が12日 町中央公民館で開かれた

  商工会は1961年に創立 地元商工業者の経営改善や地域経済の

  活性化に尽力してきた

  現在の会員は約960社 商業部会や工業部会などの各部ごとに

  地元の祭りに参加するなどの活動に取り組んでいる

  式典には 松原秀安町長や近隣の商工会関係者など130人が参加

  近藤会長が{50周年を節目に商工会の責務と使命の重要性を

  認識して さらに努力としたい}とあいさつした

 


           

                 講演がはじまる前の様子

 

          

  私は 今日は朝から 視覚障害者の県大会が <郡上八幡>で会合があり

  終了が15.00でしたが・・・

  一緒にいった車の運転手に 宮川花子がくるから よかったら見にいきたいと

  伝えまして OKをしてもらい 郡上八幡は12.00すぎにでて

  高速でかえり 家には14.20分に到着した

 

  自転車に乗って 岐南町中央公民館に到着したのが14.40ころでした

 

  さっそく2F大広場にいきましたら 前半分は席が埋まっていました

  大体 真ん中ぐらいの席に座り 宮川花子 講演を聞くことができました

 

 


            

              宮川花子 記念講演

 

 

  夫婦漫才を聞きたかったですが・・ 大助さんは

  地震の東北で 芸能人のマラソン大会があり

  スタートを切る ピストルを 大助がつとめることで

  花子さんだけが 岐南町で講演することで 翌日には

  東北にいくという

 

  写真とりましたが 着ている服は・・ 自分が作ったものだという

  TVなどで 着ているものも 自分が津っているという

 

  花子さんは ホノルルマラソンを8年連続完走しているという

  先に 大助さんがゴールしていて ゴールから7Kまで逆走して

  花子の下にきて 「ホテルのかぎをくれ」という

  励ましにきたと思えば 会場は大爆笑でした

 

 

  大助が倒れた時に あまり話さない人が「病院につれていってくれ」

  という びっくりしてそのまま病院にいき 大病にはならなかつたという

  脳の病気になっているが 頭の方もノーといっていた

  またまた 大爆笑でした

 

  1時間にわたる内容をかけませんでしたが

  観客は 450人はきていたという