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C O L U M N   L I B R A R Y



 「セーラー戦士達の悲壮なる最終戦」 2003/2/20




 最近、著者の父は携帯を新調したようだ。そして、父は言った。「この着メロ、いいぞ。」タイトルを見ると”惑星から木星”とある。これがタイトルか。”惑星から木星”では日本語の意味になっていないのではないか。著者は早速インターネットで調べてみることにした。
 やはりインターネットは便利だった。検索してから1分もしないうちに答えが分かる。

 ホルスト【Gustav Holst】(1874〜1934)イギリスの作曲家。管弦楽組曲「惑星」の中の「木星」。

 著者が驚かされたのは、その後、10分、20分とHPを読んでいるうちに、当然あり得ることではあったが、いつの間にかセーラームーンの話しになっていることだった。セーラー戦士達は各々太陽系の惑星などを守護星として頂いているので、そこから話しが移行していたのだ。著者としては、セーラームーンに関する文筆は一回だけにしておこうとも考えていたが、以上のようなこともあって、セーラームーンに対して著者が抱いている感想・感慨を前回とはまた別の角度から見てゆくことにしたい。




ビデオ・ セーラームーン
Vol.12


このビデオの表紙の絵は、最後の決戦の際、セーラー戦士達が力を結集する場面だ。著者が一番感動した場面でもある。悲しいかな、セーラームーン以外の後方の四人の戦士は、この時、既に霊的な存在となっている。



 美少女戦士セーラームーン。これは普通の少女向けアニメではない。勿論、それはアニメの群雄割拠する日本で大ヒットした選りすぐりのアニメだから、当然普通ではない。そこで著者が注目したい部分は、なぜそれがこの日本でヒットしたのかというところだ。実際に、その表面的な理由ならば簡単に挙げることができる。

 a.登場する美少女キャラクター達は、顔、スタイル、動きなど、その名の通りキュートで可愛い。
 b.主人公が天真爛漫で明るく、普通の女の子という感じだが、変身してセーラー戦士となると、一転して凛々しく強い。
 c.恋愛物語である。登場人物達は遠い昔(前世)に一緒に生きていたという、センチメンタルな過去がある。更には、彼女達にはそれぞれボーイフレンドがあり、また、失恋などの辛い過去もある。

 では、どうしてセーラームーンというアニメは、それらに恵まれたのだろうか。これも単純な理由だが、その原作者がよかったと言えよう。原作者の精神世界や思想、哲学。果ては、原作者の家柄や波動、オーラ(名称は色々あるが)。そして、もう一つの理由は、時代的な恵沢・恩恵であろう。戦争中に、いくら良い漫画を描いたとしても無駄骨である。ポジティブに言えば、本HPで見たメシア予言の内容(moonの一致も含めて)に呼応していたという点を挙げたい。その予言がどのように形成されたかという点で、三つ程のインパクトが挙げられる。

 1.勿論、ガンダム、イデオン、ザブングルの世界と、聖書の世界の相関。
 2.太陽系の惑星の配列
 3.三番目のインパクトは、今回の話しから逸れるので特に書かない。

 見た通り、二番目のインパクトが太陽系の惑星に関係している。もしこれがなければ、ここでいうメシア予言は世に出なかったと言えよう。セーラームーンの原作者武内直子さんも、大変星に関心がおありで、実際にNASAまで取材に行ったという。
 ガンダムらのヒットの一因も、メシアなどの宗教性と関係があったからだと思うのだが。かのエヴァンゲリオンもヒットしたが、そこにも明確な宗教性が織り込まれていた。話しが飛ぶが、超ロングヒットアニメの「サザエさん」の原作者長谷川町子さんは、敬虔なクリスチャンの家系で育ち、本人もそうだという。もっとも、アニメ(animation)という名称の語源からして、アニミズム(animism)という宗教用語から来ているので、元々、出発から関係はあったが。

 アニミズム(animism)
 「宗教の原初的な超自然観の一。自然界のあらゆる事物は、具体的な形象をもつと同時に、それぞれ固有の霊魂や精霊などの霊的存在を有するとみなし、諸現象はその意思や働きによるものと見なす信仰。」
広辞苑より

 セーラームーンの中で、特に著者の目を引いたところが、第45話「セーラー戦士死す!悲壮なる最終戦」と、第46話「うさぎの想いは永遠に!新しき転生」の、第一部最後の二話だ。
 セーラームーンの物語は第200話まで続くのだが、いろんな人が批評する通り、セーラームーンは第46話(第一部)で綺麗に完結しており、その後、何年も話しが続いてゆくのは、第一部がヒットし高い興行収益が見込めたためという。
 著者の目を引いた二話のタイトルを見られれば分かるとおり、セーラー戦士5人は悲壮な戦いの末に全員死ぬ。これが少女アニメなのだろうか。しかも、その死は綺麗な死ではない。花園で、王子様の胸の中で、というような生やさしいものではないのだ。冷たい氷の世界で、一人ずつ、ある者は絶叫しながら、また、ある者は涙を流しながら死んでゆく。このようなアニメが存在してもよいのだろうか。あの天真爛漫で明るかった少女達が、壮絶な死を迎える。まだ14才の少女達が…。
 この大変な落差、強烈なコントラスト。それは、純朴な少女だった「ジャンヌ・ダルク」や日本の「ひめゆり部隊」、或いは、朝鮮半島で散った「ユ・ガンスン」らを否応なく彷彿させる。
 思えば、今から約20年前にも、それをアニメで見た記憶がある。映画版「イデオン」発動編。主人公の仲間は次々と死んでゆく。ある者は、爆風で頭を吹き飛ばされ、ある者は、キャノン砲や銃弾を顔面で受けた。これが子供向けのアニメだろうか。勿論、主人公も死んだ。著者はその衝撃から立ち直るのに、かなりの歳月を要した。否、実際には、いまだに立ち直れていないのかも知れない。というのも、それに似た話をその後、再び知ることになるからショックが、ぶり返してしまうという方が正確だろう。まさに、新約聖書の中の話しのことである。何の罪もなく、若くして死んでゆく青年。ただ、この世の悪と戦ったがために…。
 イデオンのそれと、イエス・キリストのそれは著者の中でシンクロした。
 その後、イエス・キリストは十字架から復活し伝説となって世界へ広がった。もし、そこでイエス・キリストが十字架の三日後に復活し、弟子らの前に帰らなければ、今のキリスト教はなかったとも言われる。イデオンでも、やはり主人公をはじめ全員が霊的に復活し、敵味方なく新しい出発を前向きに受け止め、祝い、語り合う。実は、セーラームーン第46話でも、前話で死んだ戦士達が再来し、最後の力を振り絞る(上のビデオの絵)。そして、最後の力を使い果たしたときセーラームーンも…。
 ところが、悪の頭がいなくなったことで、戦士達は全員、元の普通の少女として転生できた。勿論、それまでの壮絶な戦いの記憶など、かけらも残ってはいない。
 イデオンや、セーラームーンらに共通点があるとしたら、それは、はじめにある大きな希望や期待が、無惨にも、無念にも一旦崩れ去るが、その後、もう一度目の前に帰ってきてくれる点だろう。その時の喜びや感動は、何もなく平凡に達成される時のものを遙かに超える。この流れが、人に深い感動を与えるのではなかろうか。
 セーラームーンによって、再びそのことを思い知らされたような気がしている。やはり、ヒットの背後には、それなりの理由があると言えそうだ。

 最後に、”良い物語には、良いテーマソングが与わる”という持論もあることなので、セーラームーンの代表的なテーマソングを記して今回の筆を置きたい。



「ムーンライト伝説」
小田佳奈子/作詞 小諸鉄矢/作曲 池田大介/編曲 DALI/歌


ゴメンね 素直じゃなくて
夢の中なら云える
思考回路はショート寸前
今すぐ 会いたいよ

泣きたくなるような moonlight
電話も出来ない midnight
だって純情 どうしよう
ハートは万華鏡

 月の光に 導かれ
 何度も 巡り会う
 星座の瞬き数え 占う恋の行方
 同じ地球(くに)に生まれたの ミラクル・ロマンス

も一度 ふたりで weekend
神様 かなえて happy-end
現在・過去・未来も
あなたに首ったけ

 出会った時の 懐かしい
 まなざし 忘れない
 幾千万の星から あなたを見つけられる
 偶然もチャンスに換える 生き方が好きよ

 不思議な奇跡 クロスして
 何度も 巡り会う
 星座の瞬き数え 占う恋の行方
 同じ地球(くに)に生まれたの ミラクル・ロマンス
 信じているの ミラクル・ロマンス






 歌詞の中に「神様 かなえて happy-end」というところがある。その物語を見る限り、その願いは叶えられなかったと言えよう。どうしてあの最終戦が happy-end なものか。そこはセーラー戦士達の願いが書き込まれた部分だったように思える。
  その後の物語、第二部のテーマソングの中に「Moon Revenge」という、比較的暗い曲がある。著者が観るところ、この曲は「ムーンライト伝説」からアレンジされた曲に思える。ボーカルは
セーラー戦士(声優)になっているが、彼女らがRevenge-復讐と叫んだとて、誰がそれをとがめようか。彼女達は立派に戦ったのだから。
  こんな曲があること自体、戦いのすごさを露わにしているように感じる。





 「セーラームーンよ!人類を救え!」 2003/1/20



 この前、あるテレビ番組で中米の日本語学校の様子を伝えていた。そこの先生は、ある生徒の行動を見て大変驚かされたという。生徒は先生の前で、おもむろにホワイトボードに”悪霊退散”という漢字を書いてみせた。
 それを見た先生は驚愕したのだが、読者の方はどうして生徒はそんな漢字を書けたのかお分かりだろうか。本Webサイトをご覧になる方だったら、もしかしたらピンとくるかも知れない。
 著者はその話を聞いた瞬間、その生徒、勿論男性だが、いつも何を考えている人間なのか、その解がピンときた。そう、彼は日本のアニメ「美少女戦士セーラームーン」のファンだったのだ。
 恐らく、ここまで言っても何のことかチンプンカンプンという方も中にはおられるかも知れない。なぜ、あのミニスカートのセーラー服を着て飛んだり跳ねたりして、日本の青少年の健全育成を阻害し、性的淪落を助長するかのようなアニメと、”悪霊退散”という日本の呪術文化の代名詞とも言える宗教色のあまりに強い呪文が結びつくのかと。


セーラーマーズ
火野レイ


 著者も、あまり詳しくは知らないがセーラー戦士の一人、セーラーマーズ=火野レイは、火川神社の巫女で予言や占いを得意とする霊感少女。通常、セーラー戦士達は変身してから悪者と戦うのだが、彼女は変身しなくても悪霊退散のお札を使用して戦うことができるという。
 日本語学校の生徒は、そのお札の文字をそのまま書いていたのだ。

 ここで著者が驚かされる点が二点ほどある。
 一つは、どうして中米に住んでいる青年がセーラームーンのファンなのか
 そして、もう一つは、どうして日本の青少年の健全育成を阻害するように見えるアニメと”悪霊退散”の呪文が結びついているのかだ。

 一つ目に関して言えることは、先回も書いたが、今や日本アニメ・ジャパニメーションは、世界の全アニメーションの6割に達し、全世界至る所に日本アニメファンがいるから、中米にいても不思議ではないということだ。ちなみに今人気がある日本アニメはセーラームーンの他に、ドラゴンボール、ドラえもん、エヴァンゲリオン、ガンダム、ヤマトなどだろうか。
 二つ目について言えることは、これも先回書いたが、セーラームーンとは、日本アニメのモチーフとしてよくもちいられる、「魔女っ子」の伝統の延長線上に来ており、その持てる超人的な能力、或いは武器を悪との戦いに使用するということだ。要するに物語のテーマは明確な悪との戦いであると言える。しかし、どんなに素晴らしいテーマを頂いた物語だとしても、それが一般社会で人気が出ず、マイナーな物語で終われば、社会への影響も与えずじまいとなる。この点は駆け引きなのだが、一般社会で人気がでるために、ある程度の装飾・装いは必要だったと言えよう。勿論、そちらがメインになっては本末転倒で元も子もないが。
 セーラームーンに関しては、日本で既に十分な人気が出、今やその影響圏は全世界に拡大している。このような時にこそ、その物語の中核にある真のテーマがクローズアップされる時であろう。否、それはどうしてもクローズアップされるべきと言える。
 世界は今、アメリカとイスラム(イラク)或いは、北朝鮮という宗教や思想、民族の対立の構図が鮮明になってきている。どうしたら、そんな戦いの構図を克服できるのか。これは人類歴史上の難題であり永遠の課題と言えるかも知れない。これまで数千年、それを克服しようと歴史が流れてきたのだが、どうしても克服できない。普通の方法では無理と言えよう。
 著者は、テレビでイスラエル人とアラブ人の互いに戦闘で子供を失った親同士が、子供を追悼する会のようなものを結成し、子を思う親の気持ちという一点で一致し、双方の多くの人がそれに参加しているという話を聞いた。これはむしろ女性的な気転ではなかろうか。こんな活動が功を奏するかも知れない。
 「男が世界に戦いをもたらしたから、今度は女が世界に平和をもたらす」こういう言葉を耳にする。セーラームーンは1991年に講談社の雑誌『るんるん』夏休み号にて誕生し、「月(MOON)にかわっておしおきよ!」と叫びつつ悪と戦い、1990年代、日本の若者の間を席巻した。著者は、この時期にこの物語がヒットしたことも偶然ではなかったと思う。彼女らが身にまとったセーラー服も、元々は海の男・セーラーマンの制服だった。あのポパイもセーラー服を着ている。
  もっと言えば、80年代頃から日本には多くの情緒的で有意味なテレビ番組や映画・アニメが現れたと思っている。恐らく日本の著者と同年配の人間で、それらのどれか一つにも影響を受けずに今に至ったという人は、まずいないのではなかろうか。少なくとも著者はその好例と言える。これについては今回のテーマから逸れてしまうので次回あたりにまた書きたい。

 どうして日本ではサリーちゃん以来、魔法のようなものを使って悪と戦う女性の物語が、人気を博し連綿と続いてきたのだろうか。
 そこには意識的、無意識的に関わらず、あるモデルがあったのではなかろうか。かつて日本国内はまとまりがなく争乱が続いていが、三世紀半ば、有能な巫女であった「卑弥呼」が女王となると、途端に平和がもたらされたという。或いは、日本の伝統宗教の神道総本山、伊勢神宮には「天照大神」が奉られ、現代日本に多大な影響を与えた教派神道の根幹に「中山みき」、「出口なを」らがいた。彼女らはこの日本にどれほどの影響を与えただろうか。それは、はかり知れない。日本のサリーちゃん以来の「魔女っ子」アニメも影響を受けたのではなかろうか。
 そして、それは現代に至って、”悪霊退散”のお札を武器にするセーラー戦士として再び顕現した。著者はセーラー戦士達の勇猛果敢な晴れ姿を見ると、卑弥呼や出口なをらが現代の悪と戦うために再び冥界より馳せ参じたように見えるのだが、読者の方はいかがだろうか。
 セーラームーンと、魔法のようなものを使って戦う女性、まさに魔女との接点が実はある。前述したセーラームーン誕生号・原案とされる講談社の雑誌『るんるん』夏休み号ではタイトルが「コードネ−ムはセーラーV(ブイ)」だった。このタイトルを聞いて読者の方は何か連想されないだろうか。著者はハッキリと「サインはV(ブイ)」という、ある熱血ドラマのタイトルを連想した。そのドラマは、69〜70年に放送されたTBSの実写スポ根ドラマの草分けとして大ヒットしたドラマだ。勿論その主題となったスポーツは女子バレーボールである。当時日本は女子バレーボール一色となり熱狂していた。それはなぜか。東洋の魔女が日本に現れたからだった。

 1964年東京オリンピック。第二次世界大戦後、はじめてアジアで開催されたこの大会は、平和と復興のシンボルとして大いに注目を集めた。だが敗戦の傷は国民の心からまだ完全に消えてはいなかった。
 10月23日。日本中の街角から人々の姿が消えた。その晩行われる女子バレーボールの決勝戦を見るため、大人も子供もテレビにかじりついていたのだ。驚異の154連勝中、世界最強と恐れられた東洋の魔女
 日紡貝塚チームが母体となったこのカリスマ女子集団を率いていたのはそう、あの男。大松博文監督。人呼んで鬼の大松だ。監督と国民が東洋の魔女たちに求めたものは金メダルのみ。彼女達の日常はあまりに苛酷であった。

 『20世紀アスリート伝説』〜世界の舞台に立った女たち〜より

 日本のテレビ放送始まって以来、最高の視聴率をあげたのが、東京オリンピックの女子バレーボールチームの優勝の瞬間で、瞬間最大は86.1%だったという。
 「コードネ−ムはセーラーV(ブイ)」--「サインはV(ブイ)」--「女子バレーボールチーム」--「東洋の魔女」。
  セーラームーンの中には東洋の魔女と恐れられた、戦う女子バレーボールチームの血が流れている。「コードネ−ムはセーラーV」というタイトルはそれを伝えようとしていたのではなかろうか。
 日本という国は女性のパワーによって動いているのだろうか。というよりも世界には豊饒信仰、大地母神信仰、聖母マリア信仰など一貫した女性的な対象への信奉はあった。日本にも前述した通りある。
 思えば、イデオンでもそうであった。500万光年も離れた二つの星の知的生命体は、元は一つの星にいた一つの知的生命体だった。しかし、ある失敗によって二つの星に分けられ、再び一つになろうかという分水嶺の時が来たとき、二人の姉妹の一致か、不一致かが全ての人類の生存の鍵を握っていった。イデオンの物語は当時、むしろ女性に人気があったと言われる。そこで語られるテーゼ、教訓は現代の全ての女性に知ってもらいたいと思う。
 もしかしたら、世界は女性によって救われるのかも知れない。そして、日本がそれを示さなければならないのかも知れない。魔法のステッキを振りながら…。「月にかわっておしおきよ!」と叫びつつ…。






 
「ロボットの時代が来る」 2002/12/21



左/「未来少年コナン」ダイスとロボノイド
      右/「天空の城ラピュタ」シータと庭園管理ロボット



 このサイトでは、極東アジアの日本のアニメの中の世界と全世界至るところで読まれ、人類史に多大な影響を与え続けている聖書の世界の間に、人為的とも非人為的とも解釈できる相関関係があることを見、それが更にメシア降臨予言とも関わりを持つに至るという驚天動地の世界観を見てきた。
 ここにおける重要なテーマの一つが「未来予知」ということと思える。それは人に神秘と驚きを与え、心を天に神に向けさせようとする、伝統的に神が人類の前に示し続けてきた得意技、真骨頂と言えよう。
 日本アニメが世界的なメシアの降臨を予言する。これは確かに驚くべきメッセージだが、しかし、予言という面から見ればメシア云々というテーマの他にも人類に語りかけた予言的・予知的、或いは漠然とした予測的メッセージはあった。例えば、「宇宙時代到来に関すること」や「魔法・超能力に関すること」そして、「ロボットに関すること」だ。

 宇宙時代到来に関する日本アニメとしては(人気があり著名だったもの)、
 宇宙戦艦ヤマト、銀河鉄道999、キャプテン・ハーロック、ガンダム、イデオン、コブラ、その他

 魔法・超能力に関する日本アニメとしては
 魔法使いサリー、魔女っ子メグ、魔法の天使クリィミーマミ、魔女の宅急便、美少女戦士セーラームーン、未来少年コナン、ガンダム、アキラ、もののけ姫、その他

 ロボットに関する日本アニメとしては
 鉄腕アトム、鉄人28号、マジンガーZ、ゲッターロボ、サイボーグ009、ライディーン、ザンボット3、銀河鉄道999、ガンダム、イデオン、ザブングル、エヴァンゲリオン、その他

 恐らく、日本アニメの大半がここに含まれてくるのではなかろうか。ここに漏れたものでも、宮崎アニメの未来少年コナンには、ロボノイドというロボットは登場したし、ナウシカには世界を七日で滅ぼした巨神兵、ラピュタでは形状記憶弾性ハイ・セラミックでできたロボット、これはルパン三世に登場した一人乗りのロボット兵器と瓜二つだった。ヤマトにもアナライザーが、ガッチャマンにも大暴れするギャラクターの生物型ロボット、また、ガッチャマン2号・コンドルのジョーは体の90%以上が機械、ゴジラにもメカゴジラが登場し、ドラえもんも未来の猫型ロボットだ。

 このように見てくると、そこには人類の前に今後到来するであろう未来の情景、未来世界の姿がメッセージとして描き出されていたと思える。
 未来世界における、宇宙開発や生活支援型、或いは産業用ロボット、量子論、ニュー・エイジ・サイエンス、ナノマシンの研究。どれも今後の人類には多大な影響を与えるのではなかろうか。その中でも著者は今回、ロボットに注目してみたい。ロボットは当サイトの中心テーマとなる三つの富野アニメ、ガンダム、イデオン、ザブングルに共通に見られる要素である。その三つのアニメが重要な予言を行ったとするならば、著者はその周囲、その ただ中 には更にもっと重層したメッセージが隠れていると予想する
 ロボットは、宇宙開発や超能力開発らから見れば、比較的現実的である。世界の自動車工場では現在自動溶接ロボットがフル稼働しているし、事故や地雷で失った手や足に代わる義手、義足の研究、ホンダの人型ロボット「アシモ」の研究等。人型ロボットの研究はホンダ以外でも幾つかの日本の企業が研究に取り組んでいる。
 「アシモ」の開発にあたってホンダの開発チームは、人を創造できるのは神のみという、キリスト教の教えをかんがみて、先ずバチカンに許可を得ることをしたという。その時のバチカンの返事は、「人がロボットを創る力も、神が与えられた」だったという。
 人類は、歴史上に多くの道具や器具、機械を開発し使ってきた。石器時代には、文字通り石器が、その後は金属製の釜・斧・剣。どれもその時代には重宝した道具だった。乗り物では、馬や牛から、自転車のようなもの、鉄道、自動車、飛行機。生活面では、冷蔵庫、掃除機、洗濯機、ラジオ、テレビ。文房具では、鳥の羽や筆から万年筆、鉛筆、ボールペン、タイプライター、そろばん、電子計算機、ワープロ、そして、コンピュータ。
 コンピュータの情報処理技術、自動車や飛行機の運動機構、耐久性、安全性、軽量化技術などが融合してはじめて人型ロボットが出来上がる。今世界は、自動車や飛行機、コンピュータの全盛期だが、次に来るのはロボットであろう。近未来の社会はロボットが様々な人の身の回りの仕事を一手に引き受けてくれるはずだ。特に、危険な作業、重労働、不衛生な環境での作業、多額の賃金が支払われなければ誰もやらない仕事。ここにロボットが動員されれば物価も下がり、労働時間も短縮されて生活もできる。人は様々な趣味、ライフワークで生活ができよう
 思ってみれば、アメリカ開拓時代は大変だった。人が人を使う奴隷制がまかり通っていた。日本でもいつ頃だっただろうか「ルーツ」というテレビ映画で、キンタ・クンテという主人公の涙ぐましい生涯が描かれていた。今後二度とそんなことがあってはならないのだが、民族紛争や戦争があれば虐殺や捕虜や難民が出、奴隷制以上の悲劇がいまだにあるのが現状だ。
 科学技術が進歩し、それが全世界に平準化されロボットが人の良きパートナーとなって全世界至る所で活躍してくれる日が、一日も早く来てもらいたい

 三つの富野アニメが人類の未来に関わる予言をする。当サイトではそれは先ずメシア降臨予言に関するものと捉えた。そして、更にロボットが人類の未来に明るい要素をもたらしてくれるという予言・予測的メッセージもその中からクローズアップしてみた。
 しかし、ロボットがもし人類を完全に幸福で理想的な未来社会に導いてくれるのだとしたら、メシアや宗教はもう、お払い箱だというのだろうか。この問題についてもアニメや映画は力強くメッセージを送ってくれている。まさに、999 やターミネータ、A.I などの中で描かれた、ロボットの自我の問題、或いはロボットと向き合う人の心の問題。そこには強烈な問い掛けがあり不安がある。
 ロボットを間違いなく使いこなせるか、問題は人の心の度量にかかっていると言えよう。著者としてはそこに良き宗教性、神や自然に対する畏敬や思いやりが大切なのではないかと思っている。そしてそこにイデオンでも描かれたメシア的存在のインパクトが加わる。やはり、著者はどう考えても、そのアニメに至る。癖(くせ)なのであろうか。否。そのアニメの力、底力であろう。
  無限力(むげんちから)。物語の中で語られている中心テーマは、ここでは、そのまま物語の意味論となる。イデの無限力。それは物語の無限の可能性だと思う。全ての始まりがそこだったから。著者はそう思う。そして、それこそが最大のメッセージだったのではなかろうか…。





 

 

 「ガンダム SEED と 巨乳 と 聖書」 2002/11/16


 最近、あのガンダムがまたテレビで放送されている。キャラクターは少女アニメ風であり、セリフの端々にはコンピューター用語が見られ、現代人にマッチし得る身近さが感じられる。
 しかし、著者が驚いたのは、オープニングの際、一瞬登場する全裸の巨乳の女性の姿(※)だ。これは一体何なのだろうか。ガンダムは堕落したのか。ファースト・ガンダムでは物語の中で、セイラやフラウの入浴シーンはあったが、オープニングの際にそれが出るのは、どうしても抵抗がある。しかし、富野監督の作品には以前から大人の男女の付合いというものが重要な意味を持ったりしていた。シャーとララァ、或いはベスとカララ。富野アニメと宮崎アニメの大きな違いがこれだと言えよう。富野アニメの方が数段大人びた陰りやどろどろした恨みや執着、情念が渦巻いている。その点で例外だったのはザブングルくらいだろうか。
 蛇足だが、著者は宮崎アニメ、特にコナンの活躍する世界観は大変心惹かれるものがある。メカあり、大海原あり、空あり、そして、しんみりしたBGMがあった。その世界観はイデオンのそれと比べても勝るとも劣らない。イデオンにはない面がある。
 ところで、どうして本HPに書いたような聖書の世界と相関した富野アニメに、大人の男女の世界が色濃く描かれていたのだろうか。聖書と言えば、聖なる書物。禁欲的、儀礼的キリスト教修道院に響き渡る賛美歌や聖歌と類比する書物。そんなイメージ・先入観が一般人にあろう。ところが聖書を実際に読んでゆくと、そこに記録されているのは、ヘブライ人、ユダヤ・イスラエル民族の血統の変遷。いかに血筋が流れ歴史が流れてきたかであった。当然そこには血の起源、男女の交わりが赤裸々に描かれる。著者にしてみると、宮崎アニメや手塚アニメ、ディズニーなどよりも格段に富野アニメのそれは、聖書の中の男女の描写と相関している面が多い(しかし、松本アニメには少々あったが)。富野監督は度々、「皆殺しの富野」とか言われるが、血生臭い描写もまた聖書に通ずる。エヴァンゲリオン・庵野監督も確かに、それらの要素は備えているが、そこにはあまりに意図的、模倣的な面が感じられる。しかし、そこで見せたアニメへの思い入れ、エナジーは買いたい。
 ということで結論だが、富野アニメのオープニングに何が出ようと、宗教的、聖書的世界観から遠ざかったとは思わない。アニメ制作スタッフも若い連中が多いのだから、それもあるだろう(限度はあろうが)。世の若者の中で話題となり、社会の中で話題となることは重要である。刺激的に世を掻き回して富野アニメが、ジャパニメーションが、メシア予言が世に広がれば何かが起こるかも知れない。
  新しい世界の夜明けが。サンライズが…。


(※) 2003年になって、クレームが入ったのか、露骨な部分は変更された。









 
「なぜアニメと聖書そしてメシア予言がシンクロしたのか」 2002/10/14


 本HPでは日本アニメ界の金字塔となったガンダムや、イデオン、そしてザブングルの織りなす世界と、人類史に多大な影響を与えた聖書の世界が意外にも相関・相応していたことを紹介した。それだけでも十分、驚天動地に値する衝撃があると感じるのだが、更にそこに人類を救済するメシアの降臨予言が相関しているという、ほとんど信じがたいであろう神秘的であり壮大でもある世界観を紹介した。
 しかし、そもそも、なぜそれら天と地のようなものどうしが、相関したのだろうか。
 上記の三つのアニメと聖書の相関の方は、原作者である富野監督が、故意に意図的に計画的に聖書の中のエピソードを採用し挿入した結果、第三者から見れば、それらがあたかも神秘的に相関あるいは類似していたように感じるようになったとは考えられよう。
 勿論、そこには富野監督が過去にキリスト教系の教会に足を運んでいた期間が少なくともあったのではないかという可能性はあるのではなかろうか。イデオンにおいて強烈に印象的に描き出された、仏教用語でいう「輪廻転生」の人類の再生の発想は、監督の宗教的バランス感覚から来たと考えられる。バランス感覚とは監督の長年の仕事のキーワードと言えよう。要するに、監督にとっては勝敗、敵味方、善悪までもがバランスの一環となる。しかし、それは監督の”思いやり”なのかも知れないが。しかし、それも著者に言わせれば、「敵を愛せ!」と語られたイエス・キリストの”思いやり”とシンクロしていると思ったりもする。
 アニメと聖書の相関よりもはるかにその解釈が難解なのが、メシア予言との相関であろう。富野監督がそこまで知っていたのかや、アニメと人類救済のメシアにどう関係があるのか、なぜ日本なのか。
 以前に、富野監督の初期に手がけたアニメ「鉄腕アトム」に予知能力を持ったロボットの話があったと書いたが、これは意図的だったのか、それとも偶然だったのか。監督はそのころ既に自身が近い将来メシア予言と相関し得るアニメを世に送り出すことを考えていたのか。これは謎と言える。
 今回の結論を考えてゆきたい。
 何はともあれ、結果的にそれらが相関し関係したことは事実である。帰納法的にと言えるのだろうか、
著者はこれらのことから将来、日本アニメ=ジャパニメーションが、人類史に何か良い影響を与える偉業のようなものを残すのではないかと予想(希望的観測!!?)してはいる
 今、世界ではアメリカ対イスラム圏という戦いの図式が色濃くなってきている。あるいは、どちらもそうかも知れないが、戦争・武力・闘争本能に身を任せるところがあるのではないか。恐らく、普通の方法でそれを収拾することは不可能と思える。
 一方、今ジャパニメーションは世界を駆けめぐっている。世界の六割のアニメは日本製という。「ドラゴンボール」については以前書いたし、「ドラえもん」もかなり人気がある。
 また、その当時の「宇宙戦艦ヤマト」映画パンフには次のように書いてあった。

 海外版 「SPACE CRUISER YAMATO」(スペース・クルーザー・ヤマト)
 ハリウッドにおいて、外国人声優によるアフレコ、プリント完成。(1時間38分)カンヌ映画祭で上映。アメリカ、メキシコ、カナダ、イギリス、フランス、イタリア、ドイツ、オランダなど日米欧同時配給。


 驚かされるのは、そのパンフは
日英対訳構成であるという点だ。そのころから既にジャパニメーションは船出していたのだ。
 今後世界のジャパニメーションへの関心は、絵としての表面的なビジュアル性から、もっとストーリーとかテーマのような点に移行し研究家などが現れてくると思う。そうなれば、そこで顧みられるのが現在の唯一の被爆国日本で培われた
”反戦思想”や”理想主義”などではないか。
 地理的に辺境にある国のアニメという一見、のどかなワンクッション置いたものが仲介となってシビヤーで神経質な世界の対立関係に潤いと明るさを与えるのではなかろうか。それを信じたい。
 このように、
アニメはもしかしたら世界を救済するかも知れない。そこにメシアとの接点を感じるし、更にその中にメシア予言と相関するものがある。多角的であり重複的に著者はアニメに期待している。必ずアニメは何かをしてくれるだろう。
 期待の尽きない今日この頃である……。

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