「著者、U.S.Jへ行く!」
2003/6/21
デロリアンの前に立つ著者
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先日、著者は会社の旅行で大阪のU.S.J(ユニバサール・スタジオ・ジャパン)へ行ってきた。天気はあいにくの曇り空だったが、外を歩くには丁度良い感じだった。入ると、いきなりマリリン・モンローのような人(そっくりさん)が当時のアメ車に乗って快走していった(一体、何だったのか)。
人の入りは、まずまずで待ちは30〜40分程度。時間が限られていたので四つのアトラクションしか廻れなかったが、それぞれは、それなりに充実していた。
先ず入ったのがバック・トゥ・ザ・フューチャー・ザ・ライド。
ここでは映画の外伝的な世界をあのデロリアン改に実際に乗って体験できる。このアトラクションが一番爽快で痛快で迫力があった。飛んだり跳ねたり、まるで映画の世界が現実化したかのような錯覚に陥る! これはもう一度行ってみたいアトラクションだ。
ちなみに著者と一緒に乗った会社の人は、思わずカメラ撮影をしそうになって「後部座席のお客様!カメラ撮影はご遠慮下さい!」とやられた。車の中にも監視カメラがあるようだ。皆さん、アトラクションの中身の撮影は注意しましょう。
次に入ったのが、バック・ドラフト。
これもまあまあ迫力があった。最後のフィニッシュは建物が壊れるのではないかと心配になった。そこがいいところでもある。「皆さん、町で消防車のサイレンを聞いたら道を譲りましょう!」(バック・ドラフトのある男優より)。
次は、ジョーズ。
ここでは遊覧船のコンパニオン嬢とジョーズとの一対一の対決が面白い。迫力満点。著者の前の人は、水をかぶって立ちつくしていた。コンパニオン嬢は、どこ吹く風。
最後は、ターミネーター2:3-D。
前評判(バスガイドの話)では聞いていたが、やはりサイバー・ダイム社のプレゼンテーター「綾小路(あやのこうじ)れいか」のおしゃべりがスゴかった。彼女は、すぐにでも吉本へ入れそうだ。本編は、ちょっと怖い。
その後、ルイズ
N.Y ピザ パーラーで旨いピザを食べ、ユニバサール
スタジオ ストアでお土産を買って帰った。
やはり著者などは、このようなものを見ると富野アニメ
オンリーのレジャー施設「富野スタジオ・ジャパン」のようなものが今後日本に、お目見えしてもらいたいと願ってしまう。富士急ハイランドの3〜4倍の規模でだ。
実物大ガンダムとか(イデオンは100m
超だから物理的に無理があろうか)、各マシン搭乗式体験コクピット・実戦体験式アトラクション(有料で一回
1,000 円程度)、実際に乗って歩いたりするオーラ・バトラー(全高約8m
)、全話ビデオ DVD・全話音楽BGMライブラリ、全プラモ・Tシャツ・小物
グッズ ストア …。
是非とも、いつか実現してもらいたい。
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左/ガンダムMk-II
右/ザブングル
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「セーラームーンはイデオンを越えたか?!」
2003/5/4
著者は今日に至る20年間のあいだ、イデオンを越えるアニメ、或は物語は世界的にも出ないだろうと思っていた。イデオンのあの壮大さ、迫力、情念、怒り、悲しみ…。何百万光年もの大宇宙を舞台にして、惑星も彗星も吹き飛ばされ、何度も、幾つも人類が滅亡しては、一から再生を試みる。しかし、それでいて人類存亡の鍵を握るキーパーソンは一つの家庭の姉妹の挙動にかかってきたりする。人間の業やこだわり、執着、嫉妬などの、ごく個人的な感情が人類に深い影響を与えてしまう。この悲しみ、やるせなさ、いきどうり、無念さ。イデオンには実際の人類史の負の記憶の多くが織り込まれている(勿論、それはガンダムやザブングルの中にも少々見られたが)。
イデオンという、このような物語を越える映画なり小説が今後、現れるだろうか。読者の方の中で何かご存じだったら教えて頂きたいが、著者は意外にもセーラームーンがイデオンの情感の世界に接近していると感じている。否、ある面、越えているとも言えよう。恐らく、これは突飛で奇異な発言であるとは言えようが、しかし、両者には共通する点もある。
共に宇宙的な要素があり、共に前世に物語のキーワードが隠され、共にクライマックスでは死と再生という深い悲しみと同時に新しい希望が提示される。
著者がセーラームーンの中に見たイデオンを越える部分とは、男女の純真で切ない相思相愛の情感表現の部分だ。それを感じさせた所を具体的に挙げると次のようになる。
1.エンディミオン(プリンス)とセレニティ(プリンセス、主人公)のやりとり。
2.オルゴールのムーンライト伝説(オープニングテーマ)
3.テーマソングの良さ。
これらの部分がもたらす情感はイデオンのそれを遙かに上回っている。
地球人のエンディミオンと、月の人セレニティ、その子供
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エンディミオンとセレニティ(主人公:月野うさぎ)は前世ではプリンスとプリンセスという関係だったが、今生では全くその時の記憶が消えている。時間がたつにつれて、徐々に思い出してゆくが、その時の切なさや戸惑いは胸を打つ。そこで両者を繋いだのが、オルゴールのムーンライト伝説が流れるペンダント(ロケット)だった。著者はこれが流れると胸が張り裂けそうになったものだ。
そして、エンディングなどのテーマソングの良さだ。「ムーンライト伝説」「HEART
MOVING」「プリンセス ムーン」「MOON
REVENGE」「”らしく”いきましょ」等、どれもセーラームーンの物語をよく表現しているように感じる。或はテーマソングがその物語をバックアップし相乗効果を呈している。著者が感動した第45話「セーラー戦士死す!悲壮なる最終戦」と、第46話「うさぎの想いは永遠に!新しき転生」の回の後に流れるエンディングは、胸が詰まって直視(直聴)することができない。
テーマソングの幾つかは原作者武内直子さんの作詞だ。やはり著者はそんな原作者の作詞の曲のほうが深みがあり、心に迫ってくる。物語自体もそうだが、女性心理の骨髄のようなものが伝わってくるようだ。
まさに、このような部分がイデオンにはない。イデオンの場合はむしろ男性的な怒りと悲しみの情念が表出される。
セーラームーンでは悪との熾烈な戦いが大きなテーマの一つではあるが、暖かい家庭、家族、夫婦も描かれている。第一部以降には未来の主人公の暖かい家庭が散見される。これは、かの人気アニメ「ドラえもん」と同様だ。イデオンではこの暖かい家庭というものが描かれていないのだ。とは言っても、実は全く描かれていないというわけでもない。
下の絵はイデオンの物語上では起こらなかった架空の絵だ。要するに、フィクションのフィクションだ。しかし、イデオンの物語上、こんな絵のような準主人公の家庭が持てなかったことが悲劇に繋がった。著者はそういう絵の背景を少々知っているものだから、この絵を見るとき感慨がこみ上げてくる。
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地球人のベスとバッフクラン人のカララ、彼らの子メシア
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セーラームーンは情感の面でイデオンを越えていたと言えよう。では、なぜセーラームーンはイデオンを部分的にではあるが越えられたのだろうか。一つ考えられるのは、前回書いたが、メシア予言との関わりだ。
本HPの前半で紹介する聖書の世界とガンダム、イデオン、ザブングルの三つの富野アニメの世界の相関は、HP後半のメシア予言のキーワードともなっていた。セーラームーンというタイトルは、恐らく全くの偶然だろうとは思うが、その予言で示されるメシアと名称(MOON)の面で一致している。これは一種のバロメータ的存在として、表面に内実がにじみ出ていたのではないかと思っている。
これもセーラームーンとイデオンの接点の一つと言えよう。
最後に、上記とも関連し、信仰的にも受け止められる歌詞の偶然の一致が見られるエンディングの一つを記して今回の筆を置くことにしよう。
| 「プリンセス ムーン」
作詞:武内直子 作曲・編曲:さとうかずお 歌:橋本 潮
コーラス:アップルパイ
まわれ まわれ 月のメリーゴーランド
すずし気な パールのドレス ひるがえして
いつだって 見守っているわ
ムーン ムーン プリンセス
昼には 花のかおり
夜には 星のまたたき
そこは だれも しらない世界なの
白いくつを ならして
白い月のはし わたって
あまいキスの ゆめをみてる
お姫さまが すんでいるの
いのりを ささげて ムーン
きっと しあわせに してくれる
まわれ まわれ 月のメリーゴーランド
すずし気な ガラスのドレス ひるがえして
いつだって 見守っているわ
ムーン ムーン プリンセス
昼には 恋のかおり
夜には 愛のまたたき
そこは だれも しらない世界なの
たそがれを つむいで
ゆっくりと うでをまわして
あまいキスで 時をとめる
お姫さまが すんでいるの
いのりを ささげて ムーン
きっと 会うことが できるから
まわれ まわれ 甘いレースをひるがえして
白い月の鐘を ならして
たったひとりの 愛してくれる人を
まってる まってる まってるの
ムーン ムーン プリンセス |
「Happy
Birthday ”アトム”」
2003/4/6
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今年2003年4月7日は、あの「鉄腕アトム」の誕生日だ。日本人がここまでロボットを好意的に受け止めている背景で、「アトム」がどれこど貢献したことだろう。
そこで今回は、SF作家であり手塚治虫とも親交のあった小松左京の言葉を引いておこう。
今年は漫画家、手塚治虫が生み出した国民的なアイドル・鉄腕アトムの誕生の年である。作中、アトムは2003年四月七日に生まれた。つまり人間とロボットが共存する社会を描いた「鉄腕アトム」は、われわれがいま生きる二十一世紀の物語なのである。
この「ロボット」という言葉は、チェコの作家カル・チャペックの有名なSF劇「R・U・R」(1920年)から生まれた。それは「賦役」を表すチェコ語からの造語である。
人間に代わって労働する人造人間・ロボットたちが反乱を起こし、人間を次々に殺していくという物語で、第一次世界大戦後の暗い世相が反映されている。
夢の世界・宝塚
「鉄腕アトム」も第二次世界大戦後、朝鮮戦争の頃の一九五一年に「アトム大使」という題で連載がスタート。翌年から「鉄腕アトム」となったのだが、主人公アトムは、一躍、人気者になっていった。
それは、アトムが人工知能を持ったかわいらしくて愛すべき、全く新しい人間型ロボットだったからだ。
ライバル「鉄人28号」がラジコンで人間に操作されるロボットであったのとは対照的に、アトムは小さく、子供であったが、人間同様に悲しみや苦悩、勇気という情念を持ったロボットだった。それゆえに子供たちは自分の仲間として、アトムを迎えたのである。
なぜ、このような「心を持ったロボット」を手塚が生み出し得たのか。まずそれは、彼が宝塚で育ったことが大きいと思う。
宝塚は一種の夢の世界だ。手塚は子供の頃から宝塚の歌劇を見たり、動物園や遊園地に行きながら育った。それゆえに五十年以上も先の次世紀を見通したSF漫画を描き得たのだ。
近くには飛行機産業の工場があり、手塚少年も空飛ぶ飛行機に思いをはせたに違いない。今年はくしくもライト兄弟が1903年に飛行機で空を飛んで以来、ちょうど百年にあたる。大空を自由に飛び活躍するアトムの誕生を手塚が2003年としたことに、何か関連があるのだろうか。そんな想像をかき立てられる。
学生時代、私も漫画を描いていたのだが、子供の時に大阪の本屋で見た初期手塚治虫漫画の新しさに目を奪われた。モンタージュあり、クローズアップありで、それまでの漫画とはまるで異なり、映画のようだった。
TVアニメ40年
戦前には珍しく、映画の映写機があった家庭でディズニーアニメを見て手塚は育っている。映画的な漫画手法からして、最初からアニメ化を目指していたのだろう。今や世界をリードする日本アニメだが、その日本初の連続テレビアニメ「鉄腕アトム」が放送開始された年から、今年はちょうど四十周年にも当たる。
「アトム」の名は南太平洋での米国の核実験から発想されたという。被爆国の漫画家として、戦争のための原子力ではなく平和のための原始の力を考え、時には対立する「人間と科学」の間を仲裁する「平和の大使」として名づけたのだ。あの時代に平和の問題を深く考えた手塚のすばらしさを忘れてはならない。
誕生年を迎え、二十一世紀のアトムの未来像を考えるとき、「情念を持つ人間型ロボット」という側面が最も大切だと私は思う。高齢社会の到来で、人間と機械の情感関係というものがますます大事になっていく。
自分だけには独特の応対をするロボットには親しみを感じるだろうし、他人には反応しないが、自分がロボットにその人を「友人だ」と紹介すると、ロボットの態度ががらっと変わったりすれば愉快だろう。その応答の間に日々の健康状態なども把握してくれるロボットもきっと登場する。
未来は共存社会
異物で、怖いイメージだったロボット像を変換して、愛らしくて、けなげでもあるという”癒し系”のキャラクターをもった機械の原型を提出したのが手塚治虫の最大の功績だ。
高齢者ばかりではない。コンピューター社会に生きる人々は、あふれる情報に囲まれながら、個々人は孤立して生きている。それらの人にも”癒し系”ロボットは必要に違いない。
話題の人間型ロボット・アシモを見たことがあるが、二足歩行のアシモを見た瞬間、欧米人は恐怖を感じたらしい。だが日本人には、簡単の驚きはあっても恐怖心はない。アニミズムの強い日本人は、ロボットとの共存に優れ、それらと作り出す社会の新しい可能性に富んでいる。
今後の日本社会で、アトムとそれを受け継ぐ人間型ロボットたちはますます活躍するだろう。
この4月、再びアトムが TV に帰ってくる。アトムは、日本を象徴するロボット、代名詞的ロボットだ。このような、ロボットへのイメージは世界を、幸福な人とロボットの共存の社会へ導いてくれるのではなかろうか。
この日本が、古くて新しい国として、世界を幸福な未来へ導いてもらいたい。
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