HOME



C O L U M N   L I B R A R Y

「著者の夢が叶う時 −またイデオンについて−」
2004/12/1






イデオンも見方によっては渋さも出る。



 先日、本屋で立読みをしていたら素晴らしい記事を発見した。勿論、イデオンに関するものだ。

 「(前略)歴史のはざかい期、1980年というエア・ポケットに、いまも「孤高の一作」として佇む作品がある。富野監督が『ガンダム』に続いて手がけた、『伝説巨神イデオン』だ。「情念のアニメ」、「富野アニメの最高峰」。この作品を評する言葉は数多いが、間違いないのはその独自性である。「ガンダム打ち切り」が逆に富野氏の創造性に火をつけたのだろうか、物語、メカニック、人物造形のすべてにおいて、TVアニメの枠を遥かに超えた強烈なオーラを放っているのだ。」(「グレートメカニック 14」双葉社MOOK P106)

 あれから24年、約四半世紀たっても、このように語り継がれることは「イデオン」ファンの著者にとっては涙が出るくらい(否、立読みしながら実際に目をうるうるにしていた)嬉しいことだ。大ヒットしたアニメ、例えば「手塚アニメ」や「宮崎アニメ」、そして「ガンダム」や「エバンゲリオン」などがいつまでも語られ評されるのは当然だろう。むしろ、あまりヒットしなかったにも関わらず、時に話題となるのは、それ相応の潜在力や意味性の証しではなかろうか。
 続けて読んでみよう。

 「39話で(イデオンも)打ち切られたTV版で省略されたその結末は、82年公開の劇場版で克明に描かれている。なんと無限力(むげんちから)の発動によって両人類は全滅し、人々の魂はカララの子メシアを水先案内人として、新たな惑星の海に生命の源として降り注ぐのだ!当然クライマックスでは、ハルルに顔面を打ち抜かれるカララや、イデの目論見に気づきながらも自分たちの命を捨て石にはできないコスモをはじめ、登場人物全員がむごたらしく死んでいく。そんな迫真の描写が積み重なったあとだけに、彼らが業を脱ぎ捨て魂となって宇宙を飛翔するラストは、残酷で哀しく、幸福で、神話的なまでに美しい。他人の立場を慮(おもんばか)れない「人の業」と、イデによる彼らの(壮大な)「リセット」を、圧倒的な映像で描き切った本作は、確かに富野氏の作家性が完全燃焼した「情念の一作」と呼ぶに相応しいのである。」(同書 P109)

 「独自性と作家性を高次元で爆発させた最高峰作品は、もはやおいそれとついていけない「唯我独尊」の境地へ至ってしまったに違いない。そして、そんな爆発を許したのは、80年代というタイミングだったのだ。MS的リアルロボットの「文法」が固定化する直前に瞬いた、孤高にして空前絶後の煌き、それが本作なのである。」(同書 P114)

 よくぞ言い切ってくれた!と、この記事を書かれた岡島正晃氏に感謝を込めて言いたい。
 著者はつくづく思う。イデオンというアニメは底知れないほど深く、重く、壮大で、意味性、メッセージ性に富んでいる。著者としてはやはり、一種の神やメシアを描く物語として、「伝説巨神イデオン」は充分その重さに耐えられる作品ではないかと思う。

 著者には夢がある。いつかイデオンが世界で大変な話題になることを。
 その夢が叶う時とは同時に、世界にメシアが出現し(というより、もう出現していると思っているのだが)人々が驚嘆する時でもあろう。それは、いにしえの予言が成就した時でもあるのだから。








「パッションとキャシャーン」
2004/7/20








 「アカデミー賞を席巻した「ブレイブハート」の監督、俳優メル・ギブソン。彼が12年もの構想歳月を費やし、約30億円という私財を投じて完成させた渾身の衝撃作。 「パッション」とは、キリストの「受難」。 おそらく、世界中で最も有名なキリストの最後、イバラの冠をかぶらされ、重い十字架の横木を背負い、ゴルゴダの丘で両手両足を釘打ちされた十字架刑の事実を、ここまで忠実に映画化したものはないだろう。想像を絶する痛み、苦しみの後の奇跡の復活――。 その凄惨さゆえに全米ではR指定となり、ローマ法王をも巻き込んでの論争に発展、公開前にもかかわらず、世界中のメディアが連日報道。」HP(パッション オフィシャルサイト : HERALD ONLINE)より

 先日、「パッション」を見てきた。イエス・キリスト最後の12時間。確かに壮絶なものだった。
 しかし、全体としては非常にオーソドックスに進行し、これまで見た映画や物語を忠実に現代に再現したという感じで、目新しさは全くなかった。勿論、そこが良い点とも言えようが。
 また著者が感じたのは、見る人が見れば、ユダヤ人への憎悪もが現代に再燃しそうだなという点だった。この点ではやはり、伝統的なキリスト教信仰にもあるように、「誰のせいでもなく、人類の罪のために逝かれたのだ」という信仰に帰結すべきだろう。ユダヤ人は人類を代表して、その罪深さを代弁したと捉えるべきだ。
 しかし、著者は次の点は高く評価したい。
 監督のメル・ギブソンは、アルコール漬けの退廃した生活を送っていたころ、キリスト教信仰に目覚め、救われ、今日の自分があるという自覚からこの映画を制作したという。この映画制作の起点は大変評価できるものなのだ。

 「刺青クリスチャン 親分はイエス様」(ミッション・バラバ/講談社+α文庫)という本にもあるように、酒に女に犯罪に身をやつした荒くれ者も、キリスト教信仰はしっかりと救済する。現代社会においてキリスト教は生き生きと息づいているのだ。神はイエスは、まだまだ死んではいないということが分かる。
 しかし、著者は告白しなければならない。
 「キャシャーン」ではぼろぼろ泣いたのに、「パッション」では涙がこぼれなかったということを。
 「キャシャーン」の方が著者には合っていたのかも知れない。やはり異邦人だということか。
 それにしても「キャシャーン」は鮮烈だった。刺激的な映像、効果音、BGM、そして、第二次大戦中の中国や朝鮮半島、或いはベトナム戦争で見られたような、何の罪もない戦地の女、子供、老人がむごたらしく殺されてゆく場面。「キャシャーン」にはそれが描かれている。かつての日本軍やアメリカ軍の暴挙を思い出させるのに十分だ。
 「キャシャーン」には全てが刺激的に包含されていた。映画で見られなかった人は是非、ビデオやDVDで見てもらいたい。
 最後に小説版「キャシャーン」THE LAST DAY ON EARTH CASSHERN (北条匠/集英社スーパーダッシュ文庫 特別編集)の巻末の言葉を記しておこう。シンクロニシティ的でよい。



小説版「キャシャーン」
THE LAST DAY ON EARTH CASSHERN






    「人類はかろうじて最後の一線で滅亡をさけることができた。
     しかし、彼らふたりの物語を知る者は誰もいない。
     ただ、だけが、二人の物語を眺めていた。
     かつて、一人の月の使者がいた。
     その者は地上の争いを治め、人々を慈しみ、悲しみを癒した。
     いつしか人々がその名を忘れた月の使者
     その名をキャシャーンという。」





 (参考:キャシャーン=東鉄也の幼馴染で婚約者の女性の名を上月ルナといった。また、映画ではが異様に大きく映し出され、キャシャーンはをバックに現れた。月と人類、月と救い、MOON、意味深だ...。)










「映画版『キャシャーン』を見に行ってきた!」
2004/5/3









 たったひとつの命を捨てて、
 生まれ変わった不死身の体。
 鉄の悪魔を叩いて砕く、
 キャシャーンがやらねば誰がやる!



 「作品冒頭に入るこのナレーションがアンドロ軍団に果敢に挑む孤高の英雄「キャシャーン」のすべてを物語る!タツノコワールド-新造人間キャシャーン-より




 このまえ映画『CASSHERN』を見に行ってきた。映像的にも情感的にもメッセージ性においてもインパクトのある刺激的な強烈な映画だった。
 「おれは、もう人間じゃないんだ!」主人公がそう叫ぶ時は著者も涙を禁じることができなかった。久しぶりに映画でぼろぼろ泣いた。
 映画が終わって外へ出ようとした時、ある観客が言った。「こんなのは『キャシャーン』じゃない!」恐らく彼の中には子供の頃見たアニメの「キャシャーン」の姿があったのだろう。確かにアニメや漫画を実写化した際、よく批判的に語られる決まり文句ではあるが、(著者も当時のキャシャーンは見ていたが)そうは思わない。この2004年に遂にキャシャーンが完成したという感覚を得た。高品質なCG映像とBGM、効果音の力を借りて強烈に、一つのメッセージを伝えようとしている。
 勿論、映画『CASSHERN』の中には目を覆いたくなるバイオレンスや、毒々しい異世界が展開するが、むしろそこに日常の背面に隠れている辛い現実、リアリティーがあるように思える。
 自由を守るという大義を掲げて勇んで、ベトナムへ入った若い米兵が見た現実。そこには理想と現実の大きなギャップがあった。
 イデオンのテーマソングには次のような歌詞がある。

 「あこがれだけに まどわされたり
 つらさのがれの 逃げ道にして
 行ってはいけない メフィストのくに


 映画『CASSHERN』とは、キリストのように思える。脚色され神話のようになっていた世界から、身近な現実の世界に実際に現れた時、人は先入観によって現実の厳しさを受け入れがたくなっていた。いつの時代も同じではないか。辛いのは誤解である。

 1973年10月2日〜1974年6月25日、フジテレビ系放映アニメ「新造人間キャシャーン」のストーリーは、

 「世界的ロボット工学の権威、東光太郎博士は公害処理用アンドロイドを開発する。ある嵐の夜、突然博士の研究所に落ちた落雷がきっかけでアンドロイドは突如動き始め、自らをブライキング・ボスと名乗り人間に使われ続けてきたロボットの自由・自立を主張し人類に宣戦布告する。
 研究所を追われた東博士とその息子・鉄也は勢力を伸ばすアンドロ軍団に頭を悩ませていた。その市街地にはアンドロ軍団に襲われようとしていた鉄也のガールフレンド上月ルナの姿が。そんな時、彼女を救ったのは東家の愛犬ラッキーであった。しかし、ラッキーはアンドロ軍団の前に倒れた。東博士はラッキーの脳を移植し犬のアンドロイド「フレンダー」として蘇らせる。その技術を知った鉄也は、アンドロ軍団討伐のため、自分自身が同じアンドロイドとなることを志願した。
 ブライキング・ボスは自分を産んだ東博士こそ最大の脅威と恐れ、博士を襲撃。しかし、その前に立ちはだかった白い影こそ、鉄也の生まれ変わった姿「キャシャーン」であった。腰のジェットシステムで空を舞い、アンドロ軍団を倒していく。しかし、迫り来るアンドロ軍団の数には耐えられず、両親を奪い去られてしまう。
 かくしてキャシャーンは両親を取り返すため、またアンドロ軍団の脅威に怯える人類を守るため、フレンダー、ルナと共に立ち上がった。
 人類の前に敵となった「アンドロイド」や「ロボット」。キャシャーンは人々のために立ち上がるも「アンドロイド」であることを理由に石を投げられる存在に。同じアンドロイドとして同等の力を手に入れたキャシャーンだが、悲しい宿命とも闘わねばならなかった。
タツノコワールド-新造人間キャシャーン-より要約

 映画『CASSHERN』のストーリーは、

 「そこは、我々が歩んできた歴史とは全く異なる歴史を歩んできた世界。大戦は50年も続き、世界は大亜細亜連邦共和国とヨーロッパ連合という、ふたつの陣営に分かれていた。長い戦いの末に、大亜細亜連邦共和国は勝利し、東アジアのユーラシア大陸一帯を支配するに至った。しかし、その勝利で得た物は人心の荒廃に、化学兵器、細菌兵器、核がもたらした薬害やウィルス、放射能などの後遺症と荒れた大地だけであった。
 人類は座して緩やかな終焉を迎えるだけなのか?再生の道はないのか?
 解決策を提唱する人物がいた。東博士である。彼は人間のあらゆる部位を自在に造り出す「新造細胞」理論を提唱、学会で援助を仰ぐ。東博士は重い病に苦しむ妻ミドリのために、この研究をどうしても実用化したかったのだ。既得権を奪われまいと、博士の理論を却下する保健省。しかし、その理論を私欲のために利用しようとする軍関係者の援助により、研究は始まった。そして故意か必然か、実験場から生まれた新生命体・新造人間。
 人類は神の領域へと踏み込んだのだ。
 しかし、人類を救済するはずだった「新造細胞」は、人類へ滅びの道を歩ませようとしていた……。
 C A S S H E R N . C O M より

 『CASSHERN』の紀里谷和明監督は語る。

僕は、今から36年前にこの国に生まれました。その当時、デジタルという言葉は概念でしかなく、そこには、今私たちが日常に触れているものとは程遠いアナログの世界が展開していました。もちろん携帯電話もなく、デジタル時計もなく、電子レンジもなく、テレビにはリモコンすらありませんでした。そんな時代にこのキャシャーンは生まれたのです。
 その当時、僕はテレビでこの作品を見ていたのですが、とにかく衝撃的だったのが、自分が生まれて初めて悪者の理論に賛同したという事でした。第一話でブライキング・ボスが人間に対して語る「自分たちを奴隷にしたから、今度はお前たちを奴隷にする」という論理には、子供心に『自業自得だよね』と頷(うなず)かざるをえなかったのです。これは私たち人類が繰り返して来た、「やられたら、やり返す」という「憎しみの連鎖」の象徴として、その存在を初めて僕に教えてくれた出来事だったのです。
 それから、30年余の月日が経ち、時代はアナログからデジタルに移行し、今も世界中はネットで繋がり、私たちは非常に合理的に情報を処理し、必要なものだけを受け入れ、30年前に比べると、とてもスマートに生きようとしています。映像の世界も同じ事で、デジタル技術の進歩と共に今や、「映像化不可能」という言葉が、死語になりつつある時代に突入しています。しかし、世界情勢を見ると、いまだ、世界では紛争が治まらず、戦争の名前と場所が変わるだけで、やっている事は、30年前はもちろん、人類が誕生してから脈々と続いて来た争いの繰り返しなのです。いまだにこの「連鎖」が続いているのです。
 今回、「新造人間キャシャーン」を『CASSHERN』といて実写化するにあたり、僕は、この進化した技術を使い、子供の頃に聞いた、あのブライキング・ボスの言葉に隠された「なぜ人は戦うのか?」という普遍のテーマを見つめようとしました。この映画の中には架空の時代と世界が登場します。一見したら突拍子もない世界です。しかし、それはいくらでも私たちの歴史や身の回りに置き換えられる普遍の世界です。その中で繰り広げられる物語を見ていただきたい。そして、私たちが生きている世界を考えていただきたい。(略)
 この作品は僕達スタッフの子供のようなものでした。そして、この子は大変な難産の末に生まれてきました。立ちはだかるハードルをいくつも越え、何度も死にそうになりながらも、こうやって今、傷だらけではありますが、皆さんの前に姿を現すということ自体、僕にとっては奇跡に思えます。今、僕達の手から離れて一人で歩き始めようとしています。もう、何もしてやる事はできません。でも、これからも、皆さんの中でもっと成長していける子供だと思います。そして、僕達はこの子を大変誇りに思っています。ただ、この子は普通の子とはちょっと違っています。だから、少しだけ、心を開いて受け入れてもらえれば嬉しく思います。
(略)」映画パンフレットより

 監督は映画『CASSHERN』をわが子に喩えた。著者もこの映画が日本映画界を復興させる申し子になってもらいたいと願うし、同時にその復興が人類平和を渇望する人の心の復興にもなってもらいたい。
 ある意味、日本のような国が欧米とパレスチナ、或いは朝鮮半島の「憎しみの連鎖」を止める仲裁の使命を果たせないか。日本は世界第二位の経済大国としてやることはある。日本にはやれる実力がある。精神がある。「和の精神」。日本がやらねば誰がやる。映像の力を借りようとも、アニメ(ジャパニメーション)の力を借りようともメッセージを世界に伝えてもらいたい。

 たったひとつの命を捨てて、
 生まれ変わった不死身の体...


 ここにはキリストの姿が重なっている。イデオンにしろキャシャーンにしろ、それらは聖書、宗教が語ろうとしていた世界を現代人(青年)に何度も再考させる役割を担った、現代の預言者という一面があるのではないだろうか(実際、アニメ版「キャシャーン」にもキリスト教の要素が散見でき、映画『CASSHERN』にはイデオンの要素が見られる)。
 映画、アニメが世界を永遠の幸福へと導くことができるとすれば、なんと素敵なことだろうか...。




 参考HP
 タツノコワールド-新造人間キャシャーン-
 C A S S H E R N . C O M (TRAILER・予告編は必見!)
 
HOME  l  TOP
Copyright (C) 2007 TOMINO CODE 結城 嶺. All Rights Reserved.