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イデオンのテーマソングと歌謡曲
2007/5/3



  前回はイデオンの物語を貫く神と人類創造の壮大な謎への挑戦、いや、著者の頭脳の限界への挑戦を展開させて頂いた。今回は180度一気に転回して、イデオンに見られる世俗性、世俗的側面にスポットライトをあててみたい。
 テーマソングは重要だと思っているが、イデオンのテレビ放送と映画とを通して明らかにテーマソングと言えるものは、たったの四曲である。テレビ版のテーマソング(一番のみ)の歌詞が下記である。


復活のイデオン
作詞 井荻 麟
作曲 すぎやま こういち
歌 たいらいさお

きこえるか きこえるだろう はるかな轟き
闇の中 魂(こころ)ゆさぶる 目覚め始まる
大地わり そそり立つ姿 正義の証(あかし)か
伝説の巨神の力 銀河きりさく
雄叫びが 電光石火の 一撃をよぶ
ふるえるな 瞳こらせよ 復活の時
人よ 生命(いのち)よ 始まりを見る

*スペース・ランナウェイ イデオン イデオン
(*くりかえし)

 

コスモスに君と
作詞 井荻 麟
作曲 すぎやま こういち
歌  戸田恵子

たった一つの 星にすてられ
終わりない旅 君と歩むと
いつくしみ ふと 分けあって
傷をなめあう 道化芝居

* コスモスそらを かけぬけて
祈りを今 君のもとへ
(*くりかえし)

 どの歌詞も心に染みる素晴らしい雰囲気を持っている。しかし、この歌詞がレプリカであって、実はある歌謡曲の歌詞こそがオリジナルだったとしたら読者の方は驚かれはしないだろうか。著者がそれを知った時は大変驚いた、と言いたいところだが、著者は当初から把握はしていた。今は、イデオンとは、それほど幅のある、包容力のある存在だったのだということをまざまざと感じさせられている。
 では一体その歌謡曲とは何か。それは、クリスタルキングの「大都会」である。どうだろう、見事に世俗的だとは思われないか。「イデオンのイメージにぴったり」の正反対である。天と地である。いや、イデオン自体が驚くべき天と地の両側面を包含していると言うべきなのだろう。
 その歌詞が下記である。





大都会

作詞  田中昌之・山下三智夫・友永ゆかり
作曲  山下三智夫


あー果てしない 夢を追い続け
あーいつの日か 大空駆けめぐる

裏切りの言葉に
故郷を離れ わずかな望みを
求めさすらう俺なのさ

見知らぬ街では
期待と不安が ひとつになって
過ぎゆく日々などわからない

交わす言葉も寒いこの都会
これも運命と 生きてゆくのか
今日と違うはずの 明日へ
Run Away, Run Away 今駆けて行く

裏切りの街でも
俺の心に 灯をともす
僅かな愛があればいい

こんな俺でも
いつかは光りを 浴びながら
きっと笑える日が来るさ

朝焼け静かに空を染めて
輝く陽を受け 生きてゆくのさ
溢れる熱い心 解き放し
Run Away, Run Away 今駆けて行く

(繰り返し)

あー果てしない 夢を追い続け
あーいつの日か 大空駆けめぐる
(繰り返し)



 「ランナウェイ」そして、「大空駆けめぐる」、この部分はイデオンのキャッチフレーズ(スペース・ランナウェイ)にも通じる。
 クリスタルキングは1975年、博多で結成された。吉崎勝正(Vocal)、田中昌之(Vocal)、山下三智夫(Guitar)、野元英俊(Bass)、今給黎博美(Keyboards)、中村公晴(Piano)、高木和好(Drums)の7人組。なかでも、田中昌之の4オクターブの音域をフルに使いこなす喉には誰もが驚嘆した。最大のヒット曲「大都会」は1979年の発売で、150万枚を超える大ヒットとなり、第10回世界歌謡際グランプリ受賞、1980年の紅白歌合戦にも出場した。実は、知る人ぞ知る、クリスタルキングはアニメ「北斗の拳」の主題歌『愛をとりもどせ!!』(1984年発売)も歌っている。「北斗の拳」と言えば、バイオレンス・アニメ(イデオンも同様だが)でありながら「世紀末救世主伝説」というキャッチフレーズを掲げている(これもイデオンと通ずる部分である)。
 イデオンは、1980年にテレビ放送されているから、時系列としてクリスタルキングの「大都会」の影響は少なからずあったと言えるだろう。もし、時系列としてイデオンのキャッチフレーズの「スペース・ランナウェイ」、そして、歌詞「...コスモス そらを駆け抜けて...」のほうが先だったとすれば、それも興味ある見かたになる。
 「ランナウェイ」と言えば、シャネルズの「ランナウェイ」を思い出す人もいるだろう。これは1980年発売で、これもミリオンセラーとなっている。いずれにせよ1980年、日本に於いて「ランナウェイ」が流行した。イデオンはこの時流に乗っていたと言えるだろう。ここもイデオンの魅力の一つだ。イデオンの懐の広さを感じさせてくれるのだ。
 しかし、思うが、どうしてもっとクリスタルキングやシャネルズ(ちょっと失礼だが)以上に、「清く、正しく、美しく」のイメージがある歌手やグループとイデオンは関係を持つことができなかったのだろうか? なぜ、ここまでイデオンは世俗と関係をもったのだろうか?
 イデオンの物語の中に既に天と地がある。極端なコントラストの、伸るか反るかがある。伸れば有史以来の念願の全人類の繁栄、反れば全人類滅亡。宗教的音楽と共に進むストーリーの中に目を覆うバイオレンスがあり、炸裂し血しぶきをあげる人々が見る死後の世界は、ファンタスティックなディズニー映画の様でもあった。一方、いわゆる「できちゃった結婚」があり、その子供がメシアとなる。女性キャラクターの名前は、アダルト雑誌を飾る女優の名前から引用され、富野アニメには、女性キャラクターの入浴シーンや丸裸のシーンが必ずある(その他の監督のアニメにも言えるが)。イデオンの中に聖と俗が既にあったのだ。
 富野監督は、「海のトリトン」以来、勧善懲悪の物語を排斥し続けている。トリトンが戦ってきた敵とは、かつてトリトンの祖先によって残虐行為を被っていた種族であり、ガンダムの中でも、味方が善で敵が悪というカテゴリーはない。イデオンでも、敵のドバ総司令は、母星を民主化するための闘士だったのであり、ラスト・シーンでは敵味方が親しく語り合った。ザブングルでも、ラスト・シーンでは敵もやさしく微笑んで大団円を迎える。
 確かにゾロアスター教以来、勧善懲悪が宗教のモットーとなった観がある。独善排他が平和を妨げるのなら、それは悪の思想と言われても仕方がない。またどこからが善で、どこまでが悪となるのかの判断は人間には至難の業である。
 宗教は非科学的な妄信だから、地上から撲滅されればよいのだろうか。宗教がガンなのか、問題なのか。それを言えば、政治も経済も法も文化も思想も科学も全てがガンとなり問題となるだろう。宗教だけをピックアップして叩けばよい成果が得られるのだろうか。この世は複雑である。一筋縄ではいかない。聖や俗が交錯する人間社会で、善悪のレッテルを単純に貼ることは難しい。富野アニメにはそれが語られている。
 ところで、やはり、イデオンという物語は、クリスタルキングの「大都会」という曲がなかったら、存在することができなかったのだろうか。クリスタルキングの「大都会」という曲が、イデオンという物語を生み出す原動力だったのだろうか。それとも、イデオンという物語を生み出すために、クリスタルキングというグループが「大都会」という曲を作ったのだろうか。クリスタルキングの「大都会」は、代理母として用いられたのだろうか。 これは時間論や因果関係の問題である。現代科学では解き難い難問である。
 ということで、今回はイデオンの聖と俗を見てきた。やはり思うのは、「イデオン、味わい深し」である。


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