学生時代、東京から帰省するとき事前に知らせた事がなかった。どんな帰り方をしても、お袋は察知していたからだ。前の晩、夢を見るのだ。
僕にとって、それは不思議でもなんでもなかった。
北海道の開拓時代は、妖怪に囲まれた日常でした。どんな苦境にも笑いをもって向かった、我が先祖に思いを馳せて……………。
第二話 我が愛する北海道
もう夏も近いというのに、今日の北海道はやけに寒かった。峠では6月も末だというのに雪が降ったという。夏を先取りと言うことで、寒くなる話を………。
不思議は超常現象ばかりではありません。宇宙、光そして光速ロケット。数式も先達の理論も関係なく、誰に迷惑掛けるわけでもなく、お金を掛けるわけでもなく、空想するだけでこんな楽しくも不思議の世界が………。
相対性理論の不思議。その理論が、未だに殆どの物理学者に支持されている不思議。その不思議に対する、物理学者でも何でもない僕の感じている素朴な疑問(勿論その全てに対してではないですよ。ほんの一部です)。信奉者からは、多分バカ呼ばわりされるでしょうが、果たしてそのバカを納得させるほどのそれは理論なんでしょうか。此の理論のために、一部の物理学の進歩は100年間後れてしまったと部外者の僕は考えているのですが………。
第五話 相対論にまつわる不思議
人間の意識と肉体。自分は、自分という意識は産まれる前何処にいて、そして何処に行くのだろう。生と死の境には一体何があるのだろう。死を垣間見たという人の体験は一体なんだろう。
第六話 臨死体験
死んだらどうなる?。死後の世界って?臨死体験を元に、こんな想像を・・・・・・。
第七話 死後の世界
ちょっと話題が飛びすぎてしまったでしょうか。身近な話に戻しましょう。
生あるもの全て情を持っている。人間に限らず、動物にも。彼らの持っている哀しみは、意外と人間のそれを越えているかもしれない。そして、彼らの哀しみを理解できる人間が、果たしてどれくらいいるのでしょうか。
理解してやらなければ、彼らの哀しみは増すばかり……………。
第八話 狐と嫁入り
情を持っているのは動物ばかりではありません。植物にも、確かに情を感じる事があるのです。気のせいとばかり言い切れないと、僕は思うのです。
お袋は花が好きでした。狭い庭は常に花に埋もれていました。僕の、お袋に対するプレゼントは小さいときから花と決まっていました。写真を撮すようになってから一時期、花ばかり撮していた事がありました。誰よりお袋が喜んでくれたからです。
プレゼントは植木ばかりではありませんでした。今考えたら気が遠くなるようなスケールのプレゼントもありました。そして、その話には、確かに植物が情を持っていると思わせる、不思議な一致があったのです・・・・・・。
第九話 サクラ
日常の会話の中にも、生活の中にも ? と思うことはありますよね。 自分の日常でちょっと気になったことを、自分の好奇心で訪ねて見たものがあるのです。其処に見たものは、何か生きていることの「哀しみ」といったものだったのは、僕の思い過ごしでしょうか。
子供の頃から怪談を見ると「恐」より「哀」を、その登場人物に感じてしまった僕でした。長じてからも、人の「哀」をばかり嗅ぎ取る、役立たずの大人にはなってしまいました。
第十話 実在する不思議