第四十四幕






7月23日



ざわめきの次は女の悲鳴だった。
悲鳴は伊達和弥のいる方向ではないし、近くもない。
悲鳴を上げるに相当する事態が、店の奥で起きたのだ。
悲鳴のした方を見ても起きた事態は見えないが、それによって引き起こされたであろう人の動きとそれに伴う騒音が感じられる。
走ってくる幾人もの人間の出現が、第二次の事態となって現れた。
二十人以上はいる彼等は皆、下りエスカレーターに殺到し、互いに押し合いながら下に向かう。
それなりの危機が起こっていることは明らかだった。
俺は走ってきた中年の男を、足を引っかけて転ばせる。
無様な声を上げて転んだ男だったが、手をついて地面への直撃は避けていた。

「なにがあった!?」
「む、虫だよっ、虫! ス、スズメバチとかの虫が沢山だ!」

そう叫びながら男は自分が走ってきた方向を指差して、直ぐに立ち上がって走り出した。
スズメバチの大群が突然スーパーの中に出現するとは考えられないが、状況からそれは事実であろうし、そのような事態を作り出すのはゲシュタルトをもってすれば容易い。
ゲシュタルトであるとするなら、自然界に存在するままとは限らず、何らかの特殊な事態を引き起こす可能性は100%に近い。
俺のゲシュタルトの触手で作るドームなら防げるだろうが、それでは外を見ることが出来ないし、それよりも相沢と月宮に見せるわけにはいかない。

「月宮! バリア張れ! バリア!」

叫んで、俺は月宮と相沢のいる場所まで走った。
2人のいる場所まで着いた時には、背後に耳障りな羽音が強烈なノイズとなってその主と共に出現していた。

「張ったか!? バリアは!」
「う、うん」

出現したのはスズメバチにトンボにバッタに蝉にと、種類が多い。
その上数も多く、視界が虫によって遮られる。
海外ドラマの大草原の小さな家で、イナゴの大群が飛来したシーンと同じだ。
イナゴと違うのは、スズメバチの濃い橙色が嵐を毒々しい色に変えているのだが、その嵐の中に、赤い龍が四匹出現した。
相沢のゲシュタルトだ。
相沢のゲシュタルトは光弾を発し、それは虫を飲み込み床を破壊する。

「何考えてんだバカ。ちゃんと考えろアホ。このバカ」

虫は増える。
直ぐ目の前にある月宮の張ったバリアーに付着して、虫以外に見えなくなる。
相沢の二撃目も勿論効果はない。

「相沢、ゲシュタルトを消せ。それから月宮、此処にいてもしょうがないから、とりあえずどっかに避難。出来るだけ遠い場所でな」

虫が消えて、景色が変わる。
相沢のゲシュタルトはいなかった。
ここに来る前に既に消えていたか、或いは有効範囲30メートルを超えたことにより消えるしかなかったかだ。

「何だ……屋上か。学校の」

そしてここは俺が通っていた高校の屋上だ。

「……昨日の続きでも?」

月宮を見て、挑発するつもりはないが、俺はそう言った。
これは単なる冗談だ。

「気がついたら此処だったからそんなつもりはなかったけど、今はそのつもり」
「そうかい……それで? 今日は具体的に何を? もう何もすることはないんじゃないか? 伊達和弥は、死んだかどうかはまだ解らないけど、もう死んでそうだしな」
「もし、伊達さんがまだ生きていたら、神無木くんはどうするの?」
「特に何も。これ以上することは、やれることは捜せば色々あるけど、やらなきゃいけないことは無いな。1つも」
「どうして?」
「さぁな」

ふざけた答えに対して、月宮は予想通り敵意を露わにしていた。

「あいつはよくやった方だ。だから、少し休憩時間でもと思ったのかもな。実際、あいつは自分以外に敵しかいない状況で、たった1人でここまでよく頑張ったよ」
「伊達さんは1人じゃなかったよ」
「あぁ……そう言えば、水沢琴子。確かに、あいつにとっては味方だなぁ……あいつにとっては彼女なワケだし」
「それ、どういうこと?」
「さぁ、どうなんだろう? 彼女は美人だし賢いし、経済状態もそれなりに良かったらしいし、それに伊達和弥に対して献身的だったし、かなりの良い彼女してたらしいけどなぁ、でも実際のところがどうなのかは、しらねぇなぁ。詳しくは聞かなかったし」
「そんなことはどうでも良いよ。水沢さんはどこにいるの?」
「多分、東京だとは思うけど、詳しい場所は知らない」
「知らないって……だって神無木くんが拉致したんでしょ?」
「俺は別に何も。会って話したぐらいだ。他にも細かい細工はあったけど、俺は水沢さんに何もしてない。つまり、解ると思うけど、水沢さんは伊達和弥の味方じゃなかったって事だ。ご苦労様なことで、彼女はずっと伊達和弥を監視してきた」
「つまり、そう言うことだ。ちゃんと理解できたか? お嬢様……つまりこういうことだ、お嬢様。どうせあいつから知るだろうからこの際明らかにしてみようか? 相沢も聞いてみるか? 大した話じゃないし、昨日俺が話したのが本当だと思ってれば、ややこしいことにはならないと思うけど、聞いてみるか? それとも、どうする?」
「どうせ……いや、一応、聞いてみる」
「そうか? 聞くか?」
「一応聞いてみる。その後で考えてみるから」
「そうか? そうだな。どうせ月宮が話すだろうしな。それなら俺から聞いた方が信じられるだろ?」
「別にそう言う訳じゃないけど、ハッキリとはするな」
「そうか。じゃあ話すけど。でもそれほど話す内容は無いんだよ。まず俺があいつの父親を殺したらしい」
「らしい? 殺したらしい? そりゃ、どういうことだ?」
「それはつまり、その時は、俺は殺したそいつが伊達和弥の父親だって知らなかった。つまり、関係ってやつをな。だから、まず、俺が殺した奴が、実は伊達和弥の父親だったって事」
「それが三年前の夏の、あのビル爆破事件か」
「よく知ってるな。そのことは月宮お嬢様から聞いたのか?」
「ああ、あゆから聞いた。他に、伊達和弥の知り合いを何人か殺したってのも聞いた」
「そうだな、それも不思議じゃないよな。父親の知り合いと知り合いってのも、別に不思議じゃないよな。それで、社会的にはビル爆破事件で、伊達和弥も自分の親が死んだのが事故だと思ってれば、それはそれで良かったと、俺は思うんだ。ところがドッコイってやつだよ。あいつは勘が良いのかどうか知らないけど、単なる事故だとは思わなかったみたいだ。けど、だからといって事の真相、つまり、俺について知ることは、警察もお手上げだったのに一個人が知るなんて不可能だろ? けどそこで引き下がらなかったのは、親思いと言うか、執念深いというか……なかなかやるって言うか、いい加減諦めれば良かったのに首突っ込んでな、そこにもう1人、伊達和弥に協力して首突っ込んだ奴がいたんだよ。しかもそいつが、サイコメトラーなんだと。知ってるだろ? サイコメトラー。松岡昌宏のアレみたいなの。そいつが手を貸してだ……実際手を貸したみたいだけど、そいつが手を貸してだな、犯人が俺だってばれちまったんだよ。まさかそんなことになるとは思ってなかったから、今にしてみれば、あの殺しは失敗だったんだな……まぁ、それはいいとして。兎も角、そう言うわけで、伊達和弥は見事復讐鬼になって俺に復讐を果たそうとした。それで、俺の居場所を捜したり色々しながら、ここに来て返り討ちにあった。大体、これが事の顛末だな。月宮の聞いた話と違いはあるか?」
「ううん……無いよ。知らなかったこともあるけど、ボクが聞いた話と、殆ど同じ。でも伊達さんも神無木くんも、どうしてそんなことをしたのかは話してくれなかったよ」
「そりゃ、あいつは知らないし、俺が話さないのはその理由ってのは、聞いてもあまり面白いものじゃないだろうと思ったからだ」
「面白くない理由って、どんな理由なんだ?」
「あぁ……まぁ、殴りたい奴を殴りたい時に殴った結果というか、殺そうと思ったら、殺したみたいな、そんな感じだ。だから言ったろ、失敗って」
「やりたいことをやったってわけか」
「社会的な力とかは全く無関係だったからな。上手く説明出来るような、火サスであるような動機はなかったよ」

幾つかのことは全て話したが、月宮の知っている幾つかのことに合わせて彼女の知っていた事実を、知ろうとは思っていなかったであろう相沢にまで話したのは、俺の行動や心情を理解してもらおうとしてのことではないし、この先の展開を考えてのことでもない。
先のことを知るには倉田佐祐理を引き入れる必要があるし、先を知って自身の行動を考え決定するのは俺のやることではない。
俺がすべきは、ただ効率よく合理的に殺していくか、命令の求める結果を差し出すだけだ。勿論それらは表向きの行動に過ぎないのだが。
それなのに俺が話したのは、それによって深刻な事態が起こるとは思えなかったからだ。
知ったところで何ら驚異ともならないし面倒な問題にもならない。
それは自分たちに出来ることが何もないと言うことに気付くのが、当然の流れだからだ。

「さてと、そろそろ俺は帰るかな」

手を伸ばした先に月宮のゲシュタルトが生成した障壁は存在していなかった。
存在していた場合の俺の行動を想像していたのだろうか?

「帰るって、どこに帰るんだ?」
「帰る家ぐらいあるさ」

校内への入り口は鍵が掛かっていたが、内側に出現させたゲシュタルトで鍵は解除され、俺は鉄の引き戸を開けて校内へと入った。
ゲシュタルトは鍵を解除すると同時に消していたから、そこにその姿はない。
足音しかしない階段を俺は降りていった。

「伊達さんのとこに戻るんだよ〜ん……」

小さく呟きながら、携帯電話を取り出してアドレス帳から芹沢若葉を選択する。
数回のコール音の後、電波越しに彼女の声が聞こえた。

「若葉さん、今何処にいる?」
『学校だけど、どうしたの?』
「解除して欲しいんだ。俺は今高校にいるんだけど、解除出来る?」
『出来るけど、終わったって事?』
「いや」

三階まで降りて、俺は廊下に出た。
相変わらずの暑さと静けさだった。

「終わったって言うより、少し状況が変わった」
『どう変わったの?』
「虫が出て来た。虫の大群だよ。イナゴの大群みたいな蜂とかバッタの大群が出て来た」
『そんなのが、どこに?』
「駅前のスーパー。だからみんなにそのこと伝えて、それで駅周辺には近づかないで欲しいって」
『もう既に近づいてたら?』
「そりゃヤバイね。相当ヤバイ」
『そんなにヤバイの?』
「虫で視界ゼロって状況なんだ。相当ヤバイとしかいえないでしょ」
『そりゃ相当ね。しかもかなりキモイわね』
「ああ。すげえキモイ。しかもこんな状況作れるとしたらアレしかないだろうから、単なる虫で終わる可能性は低い。だから拙すぎる状況になる前に仕留める。けど今はちょっとした都合で高校なんかにいるんだ」
『だから誰かに見つかって変な足止めくらう前に解除ってワケね。解った。解除するわよ』

若葉さんの言葉と共に、皮膚の上を爪先で軽く撫でられるような感覚が走り、俺の体は俺の体に戻った。

「無事成功。感謝感謝」
『どーいたしましてぇ』

体が戻ると同時に、俺は階段を駆け下り始めた。

『でもなんで高校なんかに?』
「勇敢なお嬢さんにテレポートで連れてこられたんだ。虫の嵐を脱出するためにね」
『ああ、なるほど』

彼女たちのゲシュタルトについては、若葉さんも知っていたから、彼女はすぐに理解したようだった。

『じゃあ、怪我しないでね』
「怪我なんてしないさ。するはずがないって」
『うん。玲君だからね』

3段飛ばしで最後の階段を飛び降りて、1階に到着した。
廊下に出て左右を見回すが、人の姿も気配もない。
俺は思わず口の端をつり上げて笑った。

「じゃあ、俺は頑張ってくるよ。戦果を期待しててね。じゃあね」
『無理しないのよ?』
「わっかりましたぁ」

それを最後にして、俺は電話を切った。
携帯電話をポケットに仕舞って、窓を開けて校外に出る。
コンクリートの地面に飛び降りて、そこは駐輪場の目の前だった。
駐輪場には、数台の自転車がある。
ずっと放置されていた物か、部活で来た生徒の物だ。
一台の自転車を選び、ゲシュタルトで後輪の鍵を破壊して、破壊した鍵は籠の中に放り投げる。
俺は車の運転が出来なかったから、移動手段は自転車しかなかった。
ポケットから取り出したゴム紐で髪を肩の高さで縛ってから、自転車に跨って、ペダルを回す。
学校から出て、直ぐに出せる限りの最高速度にまで達すると、その時には纏められた長い髪も薄手のジャケットも風に強くなびき、ショルダー・ホルスターとグロック17は人の目に付きやすくなってしまった。
直ぐに自転車を止めて、ジャケットを脱いでショルダー・ホルスターを外し、グロック17は腰の辺りでズボンの中に銃身を潜らせて、銃把はTシャツで隠す。
マガジンも同じようにして隠した。
ショルダー・ホルスターは自転車の籠に放り込み、再びペダルを回す。
最高速度で静かな住宅街を走りながら、街の中心部に近づくに連れて、騒がしさが肌で感じられるようになった。
俺の向かう先と目的地を同じにして、警察車両や救急車が喧しいサイレンを撒き散らしながら走っていく。
駅の近くまで行くと、俺は自転車を乗り捨てて、大通りを避けて駅を目指して走った。
拡声機を通した避難を呼びかける声と警告の声が大きくなってくる。
裏通りを通って目的地である駅前の大型スーパーの裏口に出るのが俺のルートだが、その途中にそろそろ警官が出現する頃かも知れない。
周囲を見回して、人影はなかった。
俺は彼等との遭遇を避けて、ジャンプと浮遊を組み合わせて通常よりも高く跳び、途中、看板等を踏み台にして、前へ進みながらジャンプと浮遊を組み合わせたハイ・ジャンプで建物の屋上まで上る。
屋上の地面に着地すると、足の裏に心地良い痺れが一瞬つきまとう。
まるでゲームのキャラクターか無茶なアクション映画のキャラクターになった爽快感がその一連の行動から得られるのだから、俺はこの無駄なハイ・ジャンプの連続が好きだった。
高い場所や空中が好きというのもあるかも知れないが、俺はこの行為がかなりお気に入りだ。
幾分か高揚した気分で、スーパー・マーケットを目指す。
そこを目指して走りながら、高揚していた気分は落ち着いていった。
スーパー・マーケットに一番近いビルの屋上に到着してから、下を見下ろす。
スーパー・マーケットの所為で日陰となっていた其処には、3人の制服警官がいた。

「東京郊外なら、千葉駅周辺とか好きなんだよなぁ……ビルいっぱいあるしモノレールとかあるし」

彼等がいる場所までの距離は充分に30メートルの圏内だ。
ゲシュタルトを彼等の頭上に顕現させる。
彼等もゲシュタルトも全て巨大な影の中にいるので、彼等がそれに気付くはずがない。
ゲシュタルトの背中から生えた触手の重量を上げて、形状を先端に人間の頭大の瘤がついたものに変える。
触手の形態を変えられるように、重量も俺の意のままに変えることが出来た。
グラム単位での微調整は出来ないが、単純に重いか軽いかという追加情報を与えるのなら、最大は触手一本でおよそ1トンの重さに達したことがある。
その時の触手の形状は通常形態で、太さは幼児の手首ほどだった。
今与えられている、重量に関する追加の情報は、最大時の半分で調整されているが、それが500sだとは断言出来ない。
最大重量1トンは過去の記録であり、現在の容易に設定出来る最大重量がそれを上回っている可能性はあるからだ。

「トリケラトップスの尾っぽみてえなもんかね」

感覚の調整という好い加減すぎる目安だが、それでも500s程の質量のある瘤付きの触手で殴られれば相当のダメージを与えることは容易だし、音速と同じ速度で殴れば死は確実だ。
先端に人間の頭大の大きさの瘤が発生した重量凡そ500sの触手が3人の制服警官の上で制止する。
3人のうち、まず中央にいた警官が腹を叩かれて吹っ飛ばされ、両隣にいた2人も同じようにして飛ばされる。
彼等の体は地面から3メートルほど上まで浮かび上がり、コンクリートの地面やビルの壁に激突して、動かなくなった。
ゲシュタルトを消して地上まで降りる。
地面に転がっていた1人の警官の顔を確認したが、攻撃を仕掛けてくるような顔色ではなかった。
爪先で突くが、反応はない。
だが人の動く気配はあった。
それはここにいる警官が放つ気配ではなく、静かな殺された足音だ。
俺は素速く地面にうつ伏せになって、倒れている警官の体の下に頭を潜り込ませた。
警官の腹とアスファルトの熱さに挟まれながら、近づいてくる奴を待つ。
足音が一旦止まり、その後に姿を現したのは飛田貴子だった。
俺が犯した警察の女だ。
彼女が姿を現した瞬間、彼女と同時に出現させたゲシュタルトの触手が10本程、彼女の首に群がり、飛田貴子の首から上は地面に落ちた。
飛田貴子の首は地面に転がり、首からは血液が吹き出ていた。
飛田貴子の体はほんの数秒ほど現れた時と同じ体勢を保っていたが、直ぐに地面に倒れて、血を垂れ流すだけになった。
俺は裏口からスーパー・マーケットの中に入った。









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