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オペレーター紹介
JG2TKHは1962年生まれの愛知県出身です。
当時の勤務先の関係で2000年2月から16ヶ月間に及んでいた単身ホテル住まいを2001年7月に切り上げ、家族で名古屋から横浜に引っ越してきました。その後2002年3月に独立し、現在地理・位置情報のコンサルティング会社を経営しています。

妻、子供が二人の4人家族です。趣味は唯一アマチュア無線です。これしかありません。


アマチュア無線を始めた経緯
アマチュア無線を始めたきっかけは「子供の科学」という雑誌の購読がきっかけです。小学校6年(1975年)に国家試験で電話級の免許をとりましたが、リグを買うお金が無く、残念ながら実際にアマチュア無線に触れることができるようになったのは大学入学後です。中学、高校としばらく無線のことは忘れていたのですが、大学の入学手続きがちょうどWPXコンテスト(SSB)に重なって、各校舎の屋上に多エレメントの巨大な八木アンテナが乗っているのを目の当たりにし、「すごい、僕もやりたい!」と思って再び興味を持ちました。早速大学のクラブ局(JA2YKA)を訪問しましたが、あまりにもプロフェッショナルなメンバーたちに圧倒され、「これでは電話級の自分は出る幕がないや...」と個人局の準備を始めました。

家庭教師のアルバイトで小遣いを貯め、大学1年の秋に機材を調達しました。HFに興味があったのですが、トランシーバーはいずれも高価でしたので、当時一番安価だった清水電子のキット(SS105S)を購入し、組み立てました。アンテナはダイアモンドの7-28MhzのGPを用意しました。コールサインが来たのは翌年(1982年2月)です。


JG2TKH開局
当時はサイクル21が下り坂になっていましたが、私と同世代の人たちが活発に21メガや28メガでDXをやっていました。私も見よう見まねで始めましたが、10Wに5mhのGPでは本当に聞こえず飛びません。どうしたら聞こえるようになるのか、という疑問からあれこれトライアルを始め、まず21メガよりは競争の少ない28メガに行きました。次にGPではなくZLスペシャルというアンテナを組み立て、物干し竿をマストにして手回しビームで運用をしました。こんな設備でもCQを出せば、当時のUゾーン(ソビエト連邦)からたくさん呼ばれたのを覚えています。

その後しばらく10Wに自作ビーム(クワッドなど)で遊んでいて、アルバイトで貯めた小遣いでアンテナ、ルールタワー、ローテータなどを徐々にそろえてステップアップしていきました。


2アマをとって14メガへ
こんな感じで、ちびちびとステップアップするのですが、肝心のコンディションが下降していってしまい、DXCCも80カントリー程で止まってしまいました。そこで、2アマをとって14メガに行こう、と決心し、首尾良く合格して有り金をはたいて100Wのリグ(TS930)を購入しました。清水電子のキットとTS930の性能の差は目から鱗が落ちる程で、豊富な付加機能には本当に感心しました。

出力が10倍になったのと、14メガに出られるようになったので、DXの楽しみは大きく広がりました。一番問題だったのはアンテナで、私の実家(名古屋市名東区梅森坂)ではタワーはおろか、2階の屋根の上にルーフタワーの設置も親に許してもらえませんでした。結局、2階のベランダが少し広かったので、その上に5mのルーフタワーを建て、低い地上高を補うために八木ではなくてクワッドを使いました。

クワッドはフルサイズアンテナですから、中途半端なトライバンド八木よりはずっと調子よく働いたので気に入り、暇を見つけては調整を繰り返していました。


やっぱりリニアが欲しくて1アマ受験
DX競争の現実は厳しく、TS930単体では物足りなくなってきました。アンテナがこれ以上良くできないのであれば、もっと出力が欲しいという気になってきました。周りには2級のライセンス(場合によっては電話級でも)高出力のリニアアンプを繋げてしまっている勇み足さんがいたりもしたのですが、私は小心者なのでさすがにその後を追えず、ずいぶん迷っていました。ローカルのOMからは「やっぱり1級をとるべきだよ」と言われ、一大決心をしてリニアを購入しました。「リニア購入」→「1アマ受験」という変な順序ですが、これは社会人になって忙しかったので、逃げる口実を与えず自分を追い込むためです。1アマ受験に際しては、OMによる和文特訓の甲斐があり、86年春の国家試験で合格できました。本当に嬉しかったことを覚えています。




2002年11月、出張先のサンディエゴ(CA)でのスナップ

 
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