それは何十年前の事だっじゃったろうか
ある温泉郷で温泉の源泉に落ちて死んだ者がいた
この男が湯治に来ていた詩人だったことから
「茹で詩人」「茹で詩人」と子供たちが囃したそうじゃ
子供とは残酷なものよの。
それがいつしか「ゆでしじん」という響きだけが一人歩きし
それを後に訪れたあるものが「ゆじしでん」と聞き間違えた
「湯治師伝」と解釈したその者は、伝説の湯治の専門家がこの村にはいると思ったのじゃ
「とうじ」を「ゆじ」と読むと思っておったのじゃな
それを耳にしたこの村のある者はこれはいけると思った
即ち「古く『湯治』は『ゆじ』と呼び、"湯で治す"事を差した。
またこれを生業としたものを湯治師と呼んだ。現在の『とうじ』はここからきているが
この村では未だ『ゆじ』と呼ぶ。この伝説の湯治師に『伝吉郎』と言うものがおり
伝説的ですらあったので、名前とかけ、いつしか『湯治師伝』と呼ばれるようになった
ここの温泉は、その伝吉郎のお墨付き」とな
これは見事にあたり、その村は湯治客が途切れなく訪れるようになり
村は栄えた。村の中央には、いた筈もない『伝吉郎』の像が立ったという事じゃ
あの詩人の名前が伝吉郎であったという事は、出きすぎであるかの?
ま、めでたしめでたし。 (ある語りべ)
「ユジシデンデン」(正式な和名はユズハシシマイマイ)を向地県ではこう呼びます。
シシマイマイ科は、その名のとおりたてがみのようなふさを持つのが特徴ですが
そのなかでも、「柚獅子でんでん」は柚子のような柑橘系のニオイをだす臭角をもっています。
殻も、さめるような黄色なので子供たちにはたいへん人気のあるカタツムリです。
ちなみに自分が棲んでる丘耶麻県では、「ミカンツムリ」と呼ばれています。(仮称@@@)
うっ、これだけは絶対いないと思っていたのに、こんなページをみつけました。(ちんじゅう)
◎ゆじしでん
../../../HeartLand-Icho/2648/unikuloj/yzisiden.htm
わが国ではユジシデンと訛ったまま定着したが、正しくはユーディッシデンと発音する。トルコの軍楽隊が演奏する行進曲の名前である。
「ユーディッシデン」はマーチでありながら5拍子という変わり種である。トルコの軍隊は町中を行くとき、イチ、ニ、イチ、ニ、と4拍歩き、5拍目に沿道の人々をワッと脅かしながら行進する。そのため、このような5拍子の行進曲が必要なのである。(ちんじゅう)
ああーあー
「ゆじしでん」は「由獅子 伝」さまですわ。
なにせ,ジャニーズに対抗して出来たホニャーズの煌めくスターなのよ。
明日も追っかけるわよ。(由獅子ファンクラブ会員)
ぼくは,去年の大学入試問題で答えました。
Q「以下の言葉の反対語を書け」
1.くらい ー あかるい
2.きびん ー どんくさい
3.ゆうじゅうふだん ー ゆーじーしでん
なんで試験に落ちたのか,今でも謎なのです。(浪人生)
ゆじしでん。漢字で癒治司殿。それは、世界で最初の病院と言われるものです。その遺構は、1967年、中国は山東省から見つかっており、神農の実在の証拠として注目を集めました。下に癒治司殿にまつわる神話の要約を書いておきます。
神話の時代、中国全土に疫病が流行し、多くの方が苦しんでおりました。その折、下々の者を救おうと神農様は癒治司殿を構え、そこで病に苦しむ多くの人々に治療を施し、また、教えを請う者に様々な薬草の知識を授けました。以来、人々は神農より授かった漢方の知識を用いて、末永く健康に暮らしたということです。(クローバー)
私,電車通勤なの。
今度新しい区間が出来るって聞いて,会社まで乗り換えがなくなるから大喜び!
でもね,その区間で一件だけ立ち退かない豪邸があるから困ったもの。真っ直ぐ行くと20分なのに,その家を大回りして通っているから,30分掛かっちゃう。
ちょうど上空から見るとね,線路がUの字しているから,みんな「U字市電(ゆじしでん)」って呼んでるわ。(電車通子)
陶芸家で文筆家でもある頓珍漢の著書に『釉磁誌伝(ゆじしでん)』というのがあります。
中国では、宋の時代に『釉磁誌』という書物が成立し、古今の陶芸家に愛読されてきましたが、釉薬の原料名など、現在ではなんのことかわからなくなったものが多いのです。
頓氏は中国の古典を詳細に調べ、また自ら釉薬を調合するなどして、釉磁誌の内容を検証しました。それをまとめたのが『釉磁誌伝』です。
数年前まで五十鈴書店から発行されていましたが、今では出版社が倒産し、絶版となっています。(珍蔵書店)
第二次世界大戦後期、押され気味だった南方戦線の制空権巻き返しを狙って開発された局地戦闘機「紫電」。当時深刻化していた鉄不足を解消するために紫電の兄弟機として同時に開発を進められていたのが、この「油磁紫電(ゆじしでん)」であります。油磁紫電にはフレームを竹で組み油紙をはりつけるタイプと大部分を陶磁器で作るというタイプの2種類が存在しました。残念ながら油紙タイプは搭載した機銃発射時の熱により機体が発火してしまい、また陶磁器タイプは同じく機銃発射時の衝撃による機体の破損という問題をクリアできない為、開発を断念。”幻の機体”として歴史にその名を残すこととなりました。この時の開発データは後に数々の武勇伝を残すこととなる「紫電改」へと引き継がれたのであります。(一休)
論寺施田(ゆじしでん)とは、室町時代の僧侶で一体(1394-1481)という人の故事から生まれた言葉である。
一体さんは、問答をよくし、また農作業を好んで行った。収穫物は寺で食べるものをわずかに残し、貧しい人々に施してしまうのだという。
時の将軍の弟である足利汐満は、一体さんの評判をきいて禅師の寺を訪ね、その時の印象を「論じるは寺にて、施すは田にて、げに一体禅師の有り難きかな」と書き残した。
このことから、勉学にはげみ施しの心を忘れないことを論寺施田と言うようになった。(珍念)
Uji side N
有事に際した場合を想定し日本側の対応につき予測される
あらゆる型を分析/解説した某国諜報部の機密文書の通称。(minai)
| 答えは
輸地子田(ゆじしでん)
律令制の時代に、地子(土地の貸し賃)として収穫の5分の1を課して耕作させた田んぼのこと。
でした。 |
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