
| 2・23浜岡原発をとめよう裁判の会結成 原告団への参加を! 2月23日、静岡市内で浜岡原発をとめよう裁判の会の結成大会がもたれ、東京や 愛知からの参加者を含め80人の市民が参加した。 ・集会の様子 集会はこの間裁判を準備してきた、浜岡原発を考える静岡ネットワーク(浜ネット) のメンバーが中心になって運営した。司会は浜ネットの塚本さん。はじめに2001 年11月の浜岡原発一号機事故以後おこなった申し入れの経過と裁判に向けての準 備会での意見交換のまとめが報告された。 記念講演を柏崎刈羽原発反対同盟の武本正幸さんがおこなった。 武本さんの講演の内容は刈羽村での反対運動の経過、全国での住民投票の勝利と、 反原発の動きを紹介し、全国各地で原発推進の動きを止めるに至っている現状を示し た。そして、原発を一日も早くなくすために浜岡で訴訟にたちあがっていくことの意 義を語った。 講演後、今後の活動についての提案がおこなわれた。 ここでは、裁判の目的を浜岡原発の運転を停止させることとし、裁判をとおして原 発の危険性を示し、原発はいらないという世論を形成していくことが提起された。3 月下旬、市民集団訴訟を静岡地裁に民事差止仮処分申請の形でおこす。中電に、停 止中の1・2号機の運転再開中止、3・4号機の東海地震までの運転中止を求めようと よびかけがおこなわれた。 つづいて、裁判の会の役員の紹介がおこなわれ、各地からの連帯あいさつがおこな われた。発言は浜岡町の反原発メンバー、東京・名古屋の市民団体、ピースウォーク やサーフィンの仲間などが次々と挙手して発言した。 その後弁護団からの発言となり、河合弁護士は、原発の危険性やゴミ処理の問題点 を示して、世界が脱原発にむかうなかでの浜岡の現状を尋常でないとし、裁判への結 集をよびかけた。河合さんは「わけのわからないものを地震の上で動かすな」「負けて も勝つ、闘うことに意義がある」「一喜一憂せず、悪いものを除く裁判であり、正義にか なう運動だ」「原発のない安心して暮らせる社会を!」と力強くよびかけた。 ・浜岡原発史 浜岡で原発建設の話がもちこまれたのは1967年のことだった。町の「広報はま おか」では原発の安全性がさかんにキャンペーンされた。一方、現地では67年に浜 岡原発反対共闘会議が結成され、漁民の海上デモや陸での集会・デモなどがおこな われた。しかし、中電は漁民の反対の声をきりくずしながら、71年に1号機の建設を はじめた(74年運転)。74年には2号機の建設をはじめ、さらに77年には3号機の 建設を発表した。70年代は浜岡での原発建設ラッシュの時代であり、反対の声をお さえるために国や中電から多額の金が投入された。 81年の3号機公開ヒアリングに対しては静岡県労働組合評議会や住民の会などに よる大きな反対行動がとりくまれた。また80年代には静岡や浜松で反原発をかかげ る市民団体が結成された。一方、中電は85年に4号機の建設を発表した。町は受け 入れを表明するが、その直後にチェルノブイリ原発事故がおきた。1号機の水もれ事 故もおき、浜岡現地での抗議集会やデモがもたれた。 90年代に入ると、原発下請労働者の被爆死に対する労災闘争が行われた(嶋橋 訴訟)。一方、中電は5号機の建設をすすめるが、おわることのない増設にたいし、現 地浜岡で、浜岡町原発問題を考える会が結成され、原発反対の声をあげるようになっ た。また、県内各地の市民・労働者を横断して、浜岡原発を考える静岡ネットワークが 結成された。同ネットワークは東海地震下での安全性を問い、5号機反対や使用済み 核燃料輸送反対の活動をすすめた。チェルノブイリ・もんじゅ・東海と大きな事故がつ づくなか、脱原発、反原発への市民の意識は高まり、全国各地での原発関連の住民 投票は反原発派が勝利した。 しかし中電は2001年、浜岡原発でのプルサーマル計画を公然と示すようになっ た。その矢先の事故が今回の1号機の配管爆発と炉心からの漏水事故であった。 今回の事故に対しては自治体から中電に強い抗議がおこなわれた。小笠町議会は 中電に老朽化なら廃炉へとせまり、吉田町議会は国に対し1・2号機の廃炉を求める 意見書を採択するに至った。浜岡町も原発は安全という姿勢から「危険なもの」との認 識の変更を公表するに至った。この間浜岡町は中電と一体となって原発を推進してき たが、今回は中電に対し通報のおくれを「背信行為」として批判している。 このような経過のなかで、今回の結成集会はもたれた。 ・浜岡原発訴訟へ 浜岡原発は福島や若狭などの原発とともに全国で先がけてつくられた。それは国家 の権力のもと、国や中電の金の力で地域住民の尊厳をおかし、札束で頬をなぶるよう なやり口で維持されてきた。しかし事故の続出は「安全神話」を崩壊させ、自治体を含 めて市民からの廃炉の声をたかめることになった。 原発は地域の生命を絶つクサビのように存在している。この裁判はそれを市民の力 によって廃炉とし、原発のない地域社会をつくっていく第1歩になるだろう。それは浜岡 原発30年の節目となるたたかいである。 裁判の会では多くの市民に裁判への原告としての参加を呼びかけている。 |