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●基地問題と農民
富士山の東麓地帯には、 陸上自衛隊富士学枚などの軍事施設がある。
約9〇〇〇ヘクタール
におよぷ東富士演習場はそのひとつで
、陸上自衛隊富士学校の管理下におかれ、
自衛隊およ
びアメリカ軍の訓練場となっている。
これとは別に、御殿場市滝ケ原には、
アメリカ第三海兵隊
管理部隊が常駐している面積117.7ヘクタールの地域がある。
これらの軍事施設は、 山梨県の北富士演習場や静岡県の沼津市今沢基地と一連の関係にお
かれており、米日両軍の極東戦略上重要な役割をはたす軍事基地となっている。
静岡県には、 このほかに航空自衛隊浜松南・北基地、
静浜基地および御前崎分屯地などがあ
る。 日米安全保障条約および地位協定のもとで、静岡県も日本全国の軍事基地網のなかにつつ
みこまれている。
東富士演習場は、 日清戦争直後旧陸軍の実弾射撃場として使用されて以来、
長い歴史をもっ
てい。 その間、 演習場付近の農民は、数多くの悲惨な体験をした。
敗戦によって演習場は旧陸軍の手から地元に返還されたが、
それもわずかな期間でアメリカ
占領軍に接収され、 平和条約発効後もアメリカ軍が管理をつづけ、
昭和43年(1968)にようや
く返還された。 25年(1950)以降は演習場も拡大され、
総面積12558ヘクタールとなった。
全接収地の61%は個人有および町村有地で、
39%の国有地もこれまで賃借による耕作権、
採草地下草払下契約による採草権などによって、
民有地同様に農民が利用していた土地であっ
た。
農地を接収されて営農がなりたたなくなった人びとは、
米軍労務者に転業をよぎなくされた。
また、 森林や採草地帯を接収された結果、町村では、基本財源が失われ、赤字財政にみまわ
れ、 薪炭製造原料や堆肥原料をうばわれた製炭業者や農家は、大きな損害をうけた。地域によ
っては、灌漑用水や飲用水を軍事施設に引水され、生活と営農基盤を破壊されたところもある。
これらの経済的被害ばかりではない。基地周辺では風俗・衝生・教育上にこれまでみられなか
ったさまざまな弊害が発生した。
学校児童は騒音のため授業も満足にうけられず、
女生徒は米兵の暴行におびえた。性病は蔓
延し、一般の町村民も公衆浴場や小川などで病菌を伝染させられる危険にさらされた。未成年犯
罪も急増した。また、廃弾拾いのため基地内にはいり、無抵抗のまま米兵に射殺され、
あるいは
重症をうけた人もおり、米兵に陵辱されて子どもをうみ、自殺した女性もいる。
●東富士地域農民再建連盟
東富士山麓のアメリカ陸軍ほ、33年(1958)までに全面的に撤退し、キャンプも同年中に日本に
返還された。しかし東富士演習場はアメリカ陸軍からアメリカ海兵隊に管理がうつされただけで、日
本の手にはもどらなかった。また防衛庁ほ東富士演習場を自衛隊が使用することを希望し、陸上
自衛隊富士学校を設立し、地域住民の了解のないままに同演習場を使用して演習をはじめた。
このため陸上自衛隊と地元農民とのあいだに紛争が発生した。
占領時代の末ごろから地元地民のあいだに損害補償を要求する声が高まったが、平和条約発
効のころからいろいろな農民組織が誕生した。
やがて33年には、これまでの諸組織を統合して東富士地域農民再建連盟(再建連盟)が結成さ
れ、御殿場市長勝又春一が初代委員長となった。再建連盟は、富士山東側岳麓のほば全農民を
その傘下におさめ、基地周辺農民の各種の運動に指導的な役割をはたした。
再建連盟成立の直前、地元農民は東京地裁に自衛隊不法立入禁止訴訟をおこしていたが、
再
建連盟が成立するとこの訴訟を引きついで推進した。
訴松は、演習場内国有地の入会慣行の確認をもとめる訴えでもあった。
原告側は、自衛隊の演習場使用はなんら正当な権限がないことを主張するだけでなく、
自衛隊
そのものが日本国憲法第九条に違反することを主張した。
裁判が進行するにしたがって、国側の敗訴のみとおしが濃厚になった。
34年(1959)6月、政府は演習場が返還されるまでのあいだ自衛隊の演習場の無断使用をお
こなわず、地元農民の窮状を打開するために救済策を講ずること、さらに演習場返還後の演習場
使用については地元と国とで協定をむすぶこと、などを約束したため再建連盟は訴訟をとりさげた。
同時に、再建連盟は国とのあいだに東富士演習場使用協定、入会関係の四協定および水利協定
などの付属協定をむすび、再建連盟は陸上自衛隊の演習場使用を認めることになった。
東富士演習場使用協定は、全文三五条と付則・別表とからなっている.その有効期間ほ10カ年
であるが、土地使用の原則・演習計画・立入日数・条件・生業行為・施設の保護管理・賃貸借料・
損失補償・損害賠償などが規定され、直接の当事者間の問題だけでなく、商工三原則などこまか
い配慮もされた。
なお演習計画のなかでは、自衛隊がもちこみまたは使用する兵器は、核兵器・毒ガス・爆弾は禁
じられ、それ以外の許可兵器は別表で具体的に規定されている。
また、アメリカ軍が演習場を使用する場合にも、自衛隊と同様の制限が加えられる。
入会四協定は、国有地の入会権を政府に確認させたものであり、その意義は大きい。
だが、政府はこの協定の実行に熱意はなく、ときにはこれに違反した。34年12月のエリコン事件
は、防衛庁が使用協定の兵器制限に違反してスイス・エリコン社製のミサイルを演習場に極秘にも
ちこみ試射したことが発覚した事件である。
演習を中止して防衛庁が地元に陳謝したが、それはかりでなく、政府が約束した民生安定事業も、
ほとんど実現されなかった。
このような政府の態度を不満とした再建連盟は、演習場内民有地の賃貸契約期限の更新時期を
利用して演習場使用禁止通告をおこない、演習場にたちいって生産活動を開始したり、アメリカ第三
海兵隊の実弾射撃演習の開始当日、約2000人の農民が.演習場立入りを強硬して演習を中止さ
せるなど、さまざまな抵抗をおこなった。政府と地元農民とのこの紛争は、斉藤寿夫静岡県知事の
和解案にもとづいて、演習場を自衛隊が使用し、またアメリカ軍も随時使用することを地元農民が認
めるかわりに、政府は民生安定方策として国有地払下げ・水田造成・畜産振興事業などを実施する
ことを閣議了解事項として決定することでひとまず落着した。
●演習場返還とその後
沖縄に根拠地をもつ”なぐりこみ部隊”とよばれるアメリカ第三海兵隊は、いつ、いかなるところへも
出撃する役割をもつ部隊である。
かれらは沖縄ではできない長い射程距離の実弾射撃訓練を、どうしても東富士演習場でおこなう
必要があった。
昭和40年(1965)、アメリカが公然と北ベトナム爆撃を開始してベトナム戦争が激化すると、アジ
アの緊張が高まり、第三海兵隊が使用する東富士演習場はいっそう必要性をました。
そのため、東富士演習場の返還は、政府の返還実現の約束にもかかわらず、つぎつぎと引きの
ばされた。
再建連盟は、約束不履行にたまりかね、43年4月にはアメリカ軍と自衛隊の演習阻止の実力闘
争をおこない、一時は完全に演習を阻止したこともあった。こうした闘争も反映し、43年7月の日米
合同委員会で、東富士演習場を日本に返還することが合意に達し、同年31日に演習場の返還が
おこなわれたが、この結果、演習場は自衛隊の管理下におかれたが、なお117.7ヘクタールの
土地はアメリカ軍の管理下にあり、第三海兵隊管理部隊が常駐することとなった。
アメリカ軍が必要に応じて東富士演習場を随時使用できることもこれまでとかわらない。
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