2002年4月1日 信条の無い世界
Aが面白い話しをもってきた。どこかの大学で反戦的発言をした生徒が大学と裁判になり、負けて、停学になっているそうだ。テロの直後も似たような事が高校であったが、大学という成熟した教育機関でこんな事が起こってしまうとは驚きだ。言論の自由ってなんだったっけ?アメリカはキューバや共産主義の国を責めるとき、言論統制を行っている事などを口実に使っていた気がするのだが、最近では立場が全く逆になってしまっているようだ。ブッシュの言い方だと戦争に反対する国民は非国民になってしまい、アメリカの味方でなければ全て敵にされてしまう。中立を選択する自由すら与えられない。自由の女神も恥ずかしくて崩れ落ちてしまうのではないだろうか。
しかし、最近の世界において信条の崩壊が至る所でみられる。日本は世界に誇らしげに語っていた平和憲法を死文に変え、アフガニスタンに自衛隊を派遣した。自衛隊が輸送した燃料を使って、アメリカの爆撃機は、何人の無実のアフガンの子供を虐殺したのだろうか?平和国家が聞いてあきれる。俺が小学生の頃からしつこいくらいに教え込まれてきた平和主義はどうなったのだろうか。広島の被爆者とアフガンの犠牲者に何の違いがあるのだろう。
場所は変わって最近話題のイスラエルだが、ナチスの迫害を生き延びてきた悲劇のユダヤ人がパレスチナ人を迫害している。そんな事では誰もイスラエルに同情も共感も持てなくなっていくことだろう。
信条の崩壊かどうかはわからないが、中国はこれからどうなって行くのだろう。共産主義の理想が霧散して第二のアメリカを目指しているようだけど、今の世界情勢と同じように混沌に向かっている気がしてならない。
信条の無い世界という題で思索してみたけど(ホームページの題が洋介の思索だから)、俺自身、拠り所とする信条など何も無い。「女を追っかける事が俺の人生だ。」と言い切っている人がいるけど、アホやなあと思いつつ羨ましかったりする。信条にできる何かを探してフラフラし続ける日々が続く。今週の土曜日はオースティンで開かれる反戦集会に出てみようと思う。何かが見つかるかもしれない。