2002年4月9日 反戦集会と刺激的機会の重要性
前に書いたとおり、テキサスのオースティンで開かれた反戦集会に出席してきた。集会は夜の7時から開催されるために、昼間はオースティン市内の観光に使った。オースティンはテキサスの州都であるために、州会議事堂が置かれている。議事堂自体は大きく堂々たるものがあったが、唯一欠けているものがあった。それは余りにも新しすぎるために、歴史、威厳、趣といったものを全く感じさせなかった。キューバのハバナで見てきた議事堂が、かもし出す雰囲気には到底およばなかった。それはアメリカ人がいくら金をかけても得られる物ではなく、時の経過だけが可能にさせる事であった。アメリカ人はそのコンプレックスがあるがゆえにフランスやイギリスに憧れるのだろう。 オースティンの議事堂内には歴代の議長の肖像画が飾られていた。その最も新しい肖像画に、ジョージWブッシュの絵が飾れれていた。ブッシュは大統領になる前はテキサスの議長を勤めていたからだ。俺はその肖像画に鉄拳をお見舞いしたい衝動を押さえて写真を撮った。警備員は俺がブッシュ大統領を尊敬しているのだろうと思ったかもしれない。

州会議事堂をあとにして、テキサスオースティン大学の大学通りを歩いた。街自体が大学を中心として成り立っているような所なので、道を行く人は若者ばかりだ。みんなファッショナブルでどこか垢抜けている(俺はサンアントニオという田舎街に住んでいるからそう思えた。)とりあえず、その通りの喫茶店に入って一休みする事にした。店に入って友達4人とコーヒーを飲みながらタバコをふかして話していたのだが、友達の一人がふと気づいたように言った。「おい、この店にいるやつらはみんな勉強しているぞ!」

それは、週末、土曜日の午後だった。喫茶店に入ってしばらく経つまで、その事実に俺達は全く気づかなかった。気づかなかった理由は、まず、土曜日の午後に喫茶店が学生で溢れ返り、その全てが勉強しているなんて事は俺達の常識では、ありえない事だった(俺なら飲み会をしてバカをやっている時刻だ。)さらにその客みんながおしゃれで、垢抜けていて、全く、がり勉タイプには見えないやつらばかりだった。彼女と寄り添って教科書を読むやつ、鼻ピアスをして心理学の本を読むやつ、そんなやつらばかりだった。気をつけないと、それが教科書であることには気づかない。なぜ、この大学が全米で十本の指に入るのか、その理由をリアルに実感できた。 反戦集会の時間が迫っていたために、カルチャーショックに近いものを受けながら、未だ、そのショックが抜けきらないまま喫茶店を後にした。

テキサスオースティン大学はとてつもなく広い。しかし、俺には優秀なナビ(後輩)と幸運があったために、迷わず反戦集会の会場にたどりつく事ができた。集会場と言ってもオースティン大学の教室の中の一室でそれほど広いわけでもなかった。しかし、集会が始まる10分前にはその教室が満席になり、早くも熱い雰囲気が立ち込めていた。300人くらい入る教室が満席になり、いよいよ集会が始まった。最初の演説者はアラブ系のおっさんだった(しかし彼の話す英語が一番きれいで聞き取りやすかった。)彼は、とりあえず集会を盛り上げるために最も分かりやすい言葉で集会を盛り上げた。彼が曰く、「中東でアメリカが自由、民主主義、平和と叫んだなら、それを石油、利権、金と理解しなさい。」。会場は笑いと賛成の声で溢れ返った。会場の人たちも、演説者もみんなアメリカ人なのにアメリカを批判する事でここまで盛り上がると言うのは実に意外だった。2人めはオースティン大学で教授をやっている白人の若い学者タイプの人だった。この日の演説で彼の演説が最も俺の心に響いたのだが、彼は論理的に、いかにアメリカが国際法を無視してアフガニスタンを空爆したのかを説明し、アメリカが帝国主義的になりつつある事に警鐘をならした。そして締めくくりに彼は何と、ホセ マルティの言葉を引用して言った。「自分が攻撃され、血が流れたからといって、血に血をもって答えるのではなく、涙を流して答えよう。」と言うような言葉だったと思う。ホセマルティと言うのはキューバを独立に導いた偉人だ(このホームページにもリンクとしてホセマルティの世界というページをはっているので是非みてほしい)。カストロ議長は演説のときにホセマルティの言葉で始まりホセマルティの言葉で締めくくると言われる。マルクスでも毛沢東でも無くホセマルティを引用する所が、カストロ議長は共産主義者ではなく人道主義者であると言われる所以だ(俺がキューバについて語り出すと酔っ払いのオヤジのように止まらなくなるのでこの日記では辞めておく。)とにかく、アメリカ人がホセマルティを褒め称え、アメリカを批判していると言う事実が俺に、「判っている人は判っているんだなあ。」という実感と勇気を与えてくれた。3人目は物書きのおばさんだったが、英語が聞き取りづらくて余りわからなかった。会場の人たちの反応からみても最初の演説者ほど扇動性が乏しく、2人目の人よりも論理性に欠けていた。4人めの演説者は911のテロで弟を失ったと言う青年だった。弟への思いなどがあって、彼の一言一言が心に突き刺さった。俺の弟がテロで殺されていたら俺はどうなっていたかわからない。しかし、彼は怒りよりも悲しみが勝ったったためにこの反戦集会で語ることにしたと言っていた。彼曰く、「ブッシュ大統領がテロの悲しみを怒りに変えて戦おう、と言う演説を行った日に私はブッシュに絶望しました。」 これは、本当の悲しみを知っている人だからこそ言える言葉なのかもしれない。ベトナムで戦場に行った経験がある人のほとんどが反戦主義者になるか、何らかの精神障害者になってしまうと言う現実が物語っている。4人目の演説が終わったが、集会はそれで終わりではなかった。会場のみんなが手をあげ、それぞれの意見を語りだした。収集がきかなくなる前に、司会者が「このあとバーベキューパーティーを用意しているのでそこで語り合いましょう。」と言ったので集会は終った。俺は翌朝はやくから用事があったのでバーベキューパーティーには行けなかった(オースティンからサンアントニオまで車で2時間近くかかってしまう)。しかし、今思うと用事なんか置いといて、パーティーで俺の意見を語るべきだった。結局、サンアントニオに帰って来てからも集会での熱気が覚めやらず友達5人で語り続けてしまった。

反戦集会のあとに思ったのだが、人をここまで熱くさせる機会と言うのは本当に大事だ。熱くなれるその一瞬一瞬が人生に重みを持たせると思う。オースティンではそういう催し物が年がら年中行われているのだろう。優秀な大学というのはその大学の設備や授業の内容以上に、人を熱くさせる催し物が多く行われ、学生が熱くなり、その学生の何かを変えて行くのだとおもう。東大や京大が世界的視野でみて50位にも入らないのは学生を熱くさせる様な事をやっていないからかもしれない。ハーバードでは副大統領だったアルゴアが選挙でなぜブッシュに負けてしまったかを議論する集会が行われ、アルゴア本人が演説者として出席したりするそうだ。俺はサンアントニオという田舎に住んでいるが、近くでそういう機会があったら見逃さずにこれからも出席していきたいと思った。