創氏改名

(1)創氏改名とは
 現在一般的に「創氏改名」とは、日本式の姓名を強制された、という誤解がある様なので、ここではっきりさせておかなくてはいけない。
 俗に「創氏改名」と一括りに呼ばれているが、「創氏」と「改名」は本来別の事を指すのである。  まず「創氏」であるが、朝鮮では日本と違って「姓」は不変である。つまり女性は結婚しても「姓」は変わらない。夫婦は別姓であり、子供は自動的に父親の「姓」になるので母と子も別の姓となる。源頼朝の妻が北条政子、足利義政の妻が日野富子、等にも見られる様に、日本でもかつては夫婦別姓であったが、明治維新に於いて法的に、これが近代的制度として改められた。
 近代日本では家の称号は「氏」である。日本の近代的家族制度に従い、家の称号=「氏」を作らせようとしたのが「創氏」である。その際、「創氏」は義務であったが、日本式「氏名」を名乗ること(「改名」)は任意とされた。
 朝鮮は明治43年「韓国併合に関する日韓条約」の締結に伴い、国際法上正式に日本の領土の一部となった。従って、朝鮮が日本に拠って制度基準が統一される事は、近代統一国家として当然の政策であった。
 更に記録に残っているだけでも、年に十人ほども朝鮮人が創氏改名を自ら望み誓願している事実がある。
 これは朝鮮人が自ら望んで行われた政策であった。

 近代的統一国家としての国際常識に当てはめて当然の政策である、制度的「創氏」を義務的に行った、と言う事実については文部省も認めている。無論、これは何も朝鮮人にのみ課せられた義務ではなく、明治維新の際に日本人も全て創氏する事を義務とされたことであり、日本民族や朝鮮民族の区別無く、平等に課せられた義務であった。
 そして、日本式「氏」を名乗らない人は、「戸主の姓を以って氏とす」と明確に規定されている。(史料1)
 これは、日本式の姓に拠る創氏でなくても良かったという証明である。

<史料1>昭和14年政令第19号(朝鮮民事令中改正の件)

朝鮮人戸主(法定代理人あるときは法定代理人)は本令施行後六ヶ月以内に新に氏を定めてこれを府又は邑面長に届け出づることを要す。

前項の規定による届出をなさざるときは本令施行の際における戸主の姓を以って氏とす。ただし一家を創立したるに非ざる女戸主なるとき又は戸主相続人文明ならざるときは前男戸主の姓を以って氏とす。

 また、日本式制度の「氏」を名乗らなければならない理由は、以下のとおりである。(史料2)

<史料2>昭和14年政令第20号(朝鮮人の氏名に関する件)

第一条 ・・・・自己の姓以外の姓は氏としてこれを用いることを得ず。ただし一家を創立の場合にはこの限りにあらず。

 史料2について少し解説すると、他にも歴代天皇の名・氏は使ってはいけない、華族や著名な神社・天皇家とゆかりの深い氏・名を使うこともだめなどの規定もある。無論これは日本民族にも同様の規定であって、朝鮮人に対して特別にされた規定と言うわけではない。そして「自己の姓以外の姓は氏として使えない」。例えば、金さんは朴姓を名乗ることはできない。しかし、朝鮮人の「姓」は限られた種類しかないので重複を避けると、新しく「日本的」な氏を必用とする場合もあった。しかし法令の条項には、どこにも「日本的な氏をつけろ」といった事実はない

(2)創氏改名の実施過程
 創氏改名は「義務」ではあったが「強制」ではなかった。
 1940年、2月11日より創氏改名の受付が始まった。しかし、初期に申し出た数はとても少なかった。これは、強制度が低かった証拠である。(表1)

(表1)
道名 戸籍総数 2月 3月 4月 5月10日〜5月20日 累計 戸籍総数に対する割合 8月10日迄の計 割合
京畿 460,432 947 3,148 8,585 19,895 32,539 0.071(7.1%) 336,791 0.787(78.7%)
忠北 150,518 235 831 3,611 13,326 18,003 0,120(12.0%) 126,881 0.897(89.7%)
中南 315,408 302 1,385 5,365 24,204 31,328 0,096(9.6%) 218,589 0.729(72.9%)
全北 296,767 494 1,235 1,896 1,925 5,441 0,018(1.8%) 213,910 0.761(76.1%)
全南 480,406 265 1,237 3,586 17,231 22,319 0,046(4.6%) 342,291 0.882(88.2%)
慶北 429,782 8,219 24,142 36,591 28,975 97,998 0,228(22.8%) 383,612 0.816(81.6%)
慶南 454,571 1,290 3,195 6,828 10,579 21,910 0,048(4.8%) 352,671 0.834(83.4%)
黄海 368,334 399 943 6,111 15,115 22,568 0,061(6.1%) 230,680 0.755(75.5%)
平南 257,323 615 1,664 4,229 10,633 17,141 0,067(6.7%) 184,350 0.756(75.6%)
平北 304,349 578 2,098 5,955 13,556 23,428 0,077(7.7%) 242,617 0.852(85.2%)
江原 298,093 888 2,663 6,216 6,584 16,254 0,055(5.5%) 235,446 0.883(88.3%)
或南 275,785 924 2,127 2,342 4,016 10,042 0,036(3.6%) 215,633 0.827(82.7%)
或北 192,998 590 1,195 2,975 3,006 7,134 0,037(3.7%) 116,645 0.621(62.1%)
4282,745 15746 (0.36%) 45,833 (1.07%) 94,264 (2.20%) 169,031 (3.9%) 326,105 (7.6%) 0.076(7.6%) 3,200,116 (74.7%) 0.793(79.3%)
『総動員』40年6月号・7月号『高等外事月報』40年9月分に基づいて宮田節子氏が作成したもの。計のパーセンテージ以外の数字は原資料のまま。

 上の表を見ると、初期における創氏改名政策の浸透努力の低さ、つまり総督府の努力不足がよくわかる。これこそ、現在多く言われる「強制」ではなかった証明である。そこで総督府は親日知識人を活用して、法律の若干の改正(手続きを簡単にするなど)などの努力を加え、さらに、当時ほとんどすべての朝鮮人を組織していた国民精神総動員朝鮮連盟を通して、ついに後半の三ヶ月で約300万戸、全体で創氏戸数320万116戸、創氏率79.3%を達成するにいたった。即ち、朝鮮総督府のその後の説明努力により、最終的には8割近くの者が創氏改名に殺到した事になる。
 しかし、またこれは、20%強もの朝鮮人が創氏していなかった事実をも指す数字である。

 親日知識人が届出を出したとはいえ、朝鮮人の中には届出を出さなかった人も多数いた。朝鮮総督府でも1940年4月30日現在の創氏届出数は「未だ非常に多いとはいえない」と、その不振状態を認めている。この不振の背景にあったのは当時の政府や朝鮮総督府の、強制でなかった故の、創氏改名に対する宣伝不足等の努力不足があったし、この問題そのものの賛否に対する朝鮮人の関心の低さもあった。無論、この政策に反対する者もいるにはいたが、とはいえ、当然進んで創氏改名をした人はちゃんといたのである。以下、双方の意見を紹介する。

○反対・批判派(『高等外事月報』から)
・民族感情からの反対。何百年も続いてきた「姓」を捨てたくない。
・当時、民衆に流布されていた「流言蜚語」には「鮮人が創氏するも内地人と同様の待遇を受けるはずがなく、なんら変わる事なきにつき、仮令同族同門は 創氏するも自分はその意思毛頭なし」というものもあった。(創氏改名したくらいで平等に扱ってもらえるわけがない、という一部の意見。こう言った破壊的思考パターンは、パレスチナ和平反対派などの主戦論者や過激派テロリストに多く見られる反和平的志向。)

○進んで創氏改名した人
・日本名を名乗ったほうが日常でも都合がよい。日本本土に住む、または日本本土で働く朝鮮人に多かった。
・子孫のためにそうしたほうがよいと考えた。平等に扱ってもらえるのなら創氏改名する。(日本という国の中で民族差別を解消する、という平和的で建設的意見。)

(3)創氏改名の目指したもの

 総督府自身は創氏改名制定の目的をどのように説明しているかについてみることにする。

<史料3>「朝鮮及び台湾在住民生時処遇に関する質疑応答」内務省管理局 昭和20年3月6日

問 : 
創氏制度実施の理由並びにこれが結果(利弊)如何

答 : 
内鮮一体皇国臣民化の進度に即し、名実ともに皇国臣民たらしむるべくその希望により創氏し得るの途を開きたるものなり。実施に際し末端において多少の行き過ぎたる嫌なしととせざるも大多数はその希望により進んで創始皇国臣民足るべき決意を固め現在においては内戦融合一体の上に好結果を出しつつあると信ず。
殊に徴兵制度実施せられたる今日皇軍として些の差別なく渾然一体となりて軍務に精勤しつつあり。もし現在軍対中に金某、李某ら混じりたりとせばに思ひを致さばその利弊また自ら明らかなるものあり。

 創氏改名は朝鮮人からの要望にこたえて制定された。日本本土に住む朝鮮人は、一部の日本人による心無い民族的差別からの脱却、また仕事の関係上から日本式の氏を望むものがいた。また、記録に残っているだけで朝鮮半島でも年に10通くらい法務局に投書があった。「年に10通」が当時の朝鮮人の識字率(表2)を考えるならばその数は決して、現在朝鮮史研究会が主張する「少ない数」とは言えず、むしろ「朝鮮人の要望」から「創氏改名を実施」されたという間違いない事実の論拠でもある。

(表2)朝鮮人日本語理解者推定人員
  国語を解する者の推定人員 国語を解せざる者の推定人員
1941年   50,753  26%   138,924  72%
1942年   51,595  24%   158,434  74%
1943年   54930  24%   165,679  74%
1944年   61,362  30%   137,741  68%
出典 大野録一郎文書1279-5「朝鮮人徴兵に関する具体的研究」
国立国会図書館蔵
(樋口雄一『戦時下の民衆と徴兵』58頁より引用)

 また、創氏改名は日韓同祖論に基づく差別の無い平等な「内鮮一体の完成」であると位置づけられていた。そして、この創氏改名は後に朝鮮人にも差別無く平等に施行されることになる、当時の全ての日本国民(当時、朝鮮は「韓国併合に関する日韓条約」により国際法上日本の領土であり、朝鮮人も「日本国民」と見なされていた)が憲法により義務とされていた兵役の、平等徴兵制施行と関連付けられていた。

 つまり「創氏改名」とは「氏」を使用する事を義務づけた戸籍制度上の法手続としての事でしか無く、一般に言われる様に、朝鮮人に「佐藤ヒロシ」とか「鈴木一郎」とか「高橋恵」と言った様な、日本的姓名を名乗らせる事を強制したものではないのである。

<参考文献>
宮田節子・金英達・梁テホ『創氏改名』明石書店
金一勉『朝鮮人がなぜ日本名を名のるのか』三一書房
樋口雄一『戦時下の民衆と徴兵』
カペコ著 HP『初めの一歩』