一人ひとりの色のためにある。 KIUのレリーフのもと、緑の木立に囲まれて広がる吉備国際大 学キャンパス。 そこには学生がのびのびと自由な発想で学べるよう、最新の充 実した設備が揃っている。 一人ひとりの個性や無限の可能性を伸ばすために、あらゆる引 き出しを用意したキャンパスからは、きっと100人100通 りの色が生まれるはず。 自分らしい、たった一つの色を発見してほしい。そのために吉 備国際大学はある。

北朝鮮の変化と日本
  過去1年ぐらいの北朝鮮には、ご承知のようにいろいろな変化がありました。その中で一つ大きいのは、対外政策が非常に活発になり、予想以上に拡大してきたことだろうと思います。いまの時点から振り返っていえば、昨年はかなり意図的に北朝鮮は一生懸命外交の範囲を広げようとした。それはおそらく今後も続くだろうと考えられます。昨年の当初とか、あるいは昨年の中ぐらいを見ていると、外交的な動きがちょこちょこ見えてはいましたが、それがかなりアクティブに広い範囲でコンプリヘンシブに行われるなんて、その時点では予測していませんでした。しかし、いま考えてみれば、それはそういう意図をもって進められたのだろうと言えます。それが北朝鮮の変化の中でも注目されるものです。
  特に日本については、ご承知のように彼らの政策は変わってきています。これも非常に目立つ変化がありました。7年半ぶりに日朝の正常化交渉が始まろうとしていますが、これが昨年の動きの中で最大のものです。
  北朝鮮の外交的な動きはたくさんありましたが、どこが対象かというと、もちろんアメリカが中心に据えられています。しかし、アメリカとの関係は去年はある意味で危ない時期でもありました。一昨年、新たな核問題が生じました。金昌里(クムチャンリ)、というところでまた核開発をしているのではないかという疑惑が生まれ、そのあとテポドンが日本の上を飛んでいったという事件もありましたので、争点は核とミサイルの2点セットみたいになりました。99年はかなり厳しくなるかもしれない、あるいは北朝鮮はこの二つの問題を扱うにあたって極めて強硬に出るかもしれないという懸念が持たれましたが、結果的にいえばそういうふうにはなりませんでした。クムチャンリについてはサイトビジットが認められましたし、行ってみたらとりあえずがらんどうだったということがわかりました。昨年も飛ばすかと思われたテポドンも、結局は飛ばさなかった。アメリカとは交渉を続け、交渉の中で問題の解決および関係の改善を進めていく。結果的には昨年はそれで線が一本通っていたということになります、いまから振り返って言えばという話ですが。北朝鮮は外交政策の中心をアメリカに据えているといいましたが、アメリカとの関係でも非常に心配されたことが、いい方に裏切られたわけです。94年7月に金日成(キム・イルソン)が死んだあと、北朝鮮の外交はアメリカとの交渉を除いてほとんど開店休業状況になっていました。去年それがすべて再開し、しかも外交の手を広げ始めたということが言えます。 重要だったのは中国との間に政府代表団の相互訪問が再開されたことです。6月に金永南(キム・ヨンナム)が中国を訪問しました。こういう大型の、かつハイランキングの訪問は金日成が死んだあと4年間止まっていましたが、それが再開され、中国との関係を動かしていこうという意思が明確に見えたわけです。いったん政府代表団の中国訪問が、しかもハイランキングな公式訪問が始まれば、相互主義ですから、北朝鮮の次は今度は中国が答礼をという形でつながっていきます。そういうことを再開したわけです。それと、日本に対しての姿勢も変わって、少なくとも対話とか交渉を積極的に求めてきました。ヨーロッパに対しても積極的になりました。あるいはオーストラリア、フィリピンについてもです。
  また、去年の9月から10月にかけての国連総会にも北朝鮮は力を入れ、外相を出してきました。白南淳(ペク・ナムスン)です。外相が行ったというのは何年ぶりでしょうか。その前は、長く外相をやっていた金永南が10年か十何年前に行ったことがあったのですが、それ以降は副部長(次官)が行っていました。次官はご承知のように北朝鮮にはたくさんいます。5、6人いるうちの1人が行っていたわけですから、外相が行くということ自体にやはり力が入っていると言えます。その国連の舞台でできるだけいろいろな国と会って折衝を行っていました。ヨーロッパに対する働きかけがずっと行われて、結果的に今年の1月イタリアと国交が結ばれました。さらに、オーストラリア、フィリピンとも国交を目指しています。ヨーロッパでは今のところイタリアだけですが、次にフランスも考えているみたいで、フランスに対する働きかけもかなりあるようです。
  また、韓国についての変化もそう絶望的なものではなかった。去年の場合に重要なのは、4月、5月に秘密折衝をやっていることです。いわば人道的な問題を扱う次官級会談が、6月末に久しぶりに南北間で行われました。これがうまく成果をあげ得なかったのは、6月15日に海上銃撃戦が起こってしまったからです。北朝鮮が軍事境界線、ノーザン・リミット・ラインというんでしたか、北方限界線を越えてやってきたのはもちろん挑発行為ですが、ぶっ放して銃撃戦をやろうと考えていたとは思えない、考えられない。細かい話は省きますが、あれは明らかに偶発的な事件です。もしそれが限界線を越えた侵犯行為だけにとどまっていたら、6月の会談はうまくいった可能性が十分あるわけですし、そのあとにつながったかもしれません。ですから、それをもって韓国に対して交渉を進める気がなかったというのはどうだろうか。もう一つ、北朝鮮は韓国に対し政経分離で交渉しようということは一生懸命言っています。これは韓国がそう言ってくれているからもっけの幸いで、いいとこ取りです。それでうまく行けそうなのだから、ものすごく熱心です。それも北朝鮮が韓国に対して積極的な姿勢を見せているひとつの理由です。
  それから、ロシアとの間でもようやく新友好条約という善隣条約が去年仮調印されました。イワノフは明日日本に来るのだから、ちょうど今正式に調印しているころでしょう。だから、ロシアとの長年の借金問題がいちおう棚上げになったということになります。このように昨年は外交は全面的に進めていたなといまから見れば言えるという話です。北朝鮮はそれを意図的にやってきたんだろうと明らかに思われます。 では、去年はなぜ外交をそれだけやり始めたのか。その背景には、これも結果論ですが、金正日(キム・ジョンイル)体制がいちおう確立したと彼らが判断したんだろう。いまから振り返れば、やはり98年9月の最高人民会議が大きかった。そこで憲法を改正して国家機構を改編した。こちらに言わせれば、それでもまだ、国家は片付いたかもしれないけれど、党は何も手をつけずに何だ。政治局会議もやっていない。政治局員の空席が多いし、党に手をつけないで終わっているのかと言いたいわけですが、ただ、現実にはこれもいちおう片付いているということでしょう。そのあとの展開を見ていますと、金正日時代が来たなという感じがします。これも1年たったから言える話です。
  昨年1年が非常に大きかったと思うのは、父親離れです。金日成が亡くなって94年7月から99年、昨年の1月に至るまで金正日が非常に重視していたのは、父親の遺訓なわけです。父親の遺訓をいかに守り、いかに達成するか。父親が敷いた路線をいかにそのまま継承し続けていくか。父親の偉業をいかにそのまま発展させていくか。何でもかんでも、やれ父親、やれ金日成でした。だからどう見ても、大丈夫かね、父親におんぶに抱っこで威を借りないとやっていけないのかねと思っていたのが、99年1月から父親の話がスーッと後ろに引いてなくなりました。
  今年見ていておもしろいのは、金日成主義がもう金正日主義になっているだろうと思えるところです。いままでは金日成の思想と理論と何とかと言っていたところが、今年からもうきれいに金正日に入れ替わっています。いままでだと金日成の何だかんだを守って継承していけるのは金正日で、彼が唯一、立派な人物なんだと言っていましたが、もういまは父親のことは言わなくてよくなった。憲法自体は金日成憲法にして、年号なども主体年号とか何かに変えてやっていますが、親父は何となく棚上げしておいて、あとはもうおれがやれるぞというふうになってきたなという感じです。こう考えると、彼は金正日体制は確立したと意識しているのだろう。去年の最初は金正日は自信過剰かと思っていましたが、そのわりに何とかやっているところを見るとそうでもなかったわけで、いけているんだな、金正日カラーが出てきたなという感じがします。少なくとも国内の安定ということでいえばいちおうの目安をつけたと思っているのでしょう。
  実質的には軍を中心にやっています。スローガンとして去年から言っているのは「先軍政治」です。軍優先政治ということです。それは軍の役割が拡大したというように聞こえるけれど、軍を厚遇していることのシンボリズムだと捉えたほうがいいかもしれません。金正日は最初、軍というものを相当心配したんだと思うんです。軍の中に自分の基盤が設けられるかどうかということを心配していろいろやった結果、とりあえずそこそこ固め終わったと本人が思っているだろうということはほぼ確実です。ただ、本人がそう思っているからといって安泰かどうかというのはまた別の話ですから、実は安泰でないかもしれません。それはちょっと区分けして考えておいたほうがいいかもしれませんが、金正日側の意識からするとオーケーだと思っている可能性が十分にあります。
  それともう一つ、安定の問題でいえば食糧問題があります。親父が死んだあとの95年から大変でしたが、95、96、97、98とやってきて何が言えるか。この間、国際社会に援助を求めるという彼らにとっては身を切られるようなことをやりました。北朝鮮は援助を求めないわけではないけれども、表にわかるように頭を下げることはしない。私はいまだに本当にすごいことをやったなと思います。北朝鮮が表立って外に援助を求めるようになるなんて、ぼくは95年まで信じられなかったですね。もちろん援助を求めないわけではない。ずっと援助漬けで来た人たちですが、それは隠している。裏でコソコソとやってもらって胸を張るというのが彼らのやり方です。表に出て頭を下げてもらうといういままで考えられなかったことが起きたわけです。だけど、それだけの決断をしてやったことの結果、この数年、国際社会から援助をもらうということがかなり制度化してきています。いまはだんだん先細りになってきていますが、とりわけ大きいのはアメリカからの援助です。いま北朝鮮は東アジアにおいてアメリカの最大の援助享受国です。こんなこと・・があの時点で考えられたか。さらに、食糧が外から来るようになったことに加え、過去2年、穀物生産が少し回復してきています。微増でしょうが、その点は大きいと思います。
  それから、農業政策も少し変わってきていまして、いくらかプラグマティックになってきています。親父に比べればいいだろうと私は思っています。例えば主体農法という言葉を使いながら主体農法の換骨奪胎を完全に図っています。何かというと、主体農法は一言でいえば素人農法だと言うべきです。いま金正日がやっていることは、農業は農民に聞けということ、つまり専門家の意見を取り入れる。何をやり出すか。例えば二毛作をやる。いまジャガイモに非常に力を入れていて、ジャガイモ農業革命といってジャガイモ革命をやっていますが、これなどはえらいものだと私は思います。ただ、これもそう簡単にはいきませんが、それでも食糧についてもそこそこやってきて、多少成果も上がっている。
  それともう一つ、あんまり触れられないんですが、触れたほうがいいだろうと思うのは、餓死者がかなり出たことです。わかりませんけれど、ミニマムで見ても数十万の人が亡くなっている。多ければひょっとすると数百万人に及ぶ人が亡くなった。食い扶持が減ったということです。スリムダウンしたんですから、その分、食糧が楽になるということがあるわけです。これはなかなか言いにくいというか、言うのに抵抗があることですが、実は大きい。死んだことがよかったのかもしれないということもあるわけです。それも見なければいけないはずです。それが食糧問題がちょっとひと息ついたということにつながっている。
  経済についてもどうかと見ると、今年に入って目覚しいのは、革命的経済政策というのが出てきました。すごい名前ですが、新しい政策です。父親が生きていた最後の年、93年12月から革命的経済戦略というのがありましたが、この戦略がうまくいかなかった。今回新たに革命的経済政策というのを出してきました。何かというと、大きな差は一つは実利の重視性です。インセンティブの投入について非常に明確に出してきました。これがこのまま行ってしまうと本当に改革に行ってしまうかもしれないということがあるんですが、まあ、行かないでしょう。それともう一つは品質の向上です。質を下げてはいけない、むしろ質を上げなければいけないということです。これは結果として国民、人民生活の向上につながって画期的転換となっています。北朝鮮は画期というのが好きですけれど、そういう政策が出てきました。
  93年、父親は最後のところでプラグマティックにやろうとして革命的経済戦略を打ち出しました。実情に合わせようと考えて、重工業ではなく軽工業、農業、貿易などをやって何とかしようとしたわけです。それはそのときの実情からいえばよく合っている。冷戦後、特にソ連の援助が減り、さらにはバーター貿易ができなくなったという現実に対応していこうとしたわけです。しかし、そのときに実利を重視するという話は全然ありませんでした。ましてや貿易をやるといっても、量だけつくれば売れるというふうなとんでもないことを考えていたところがあった。しかし質が上がられなければ売れるわけがない。その点は今年出てきたものでは変わっている。実利を考える、重視する。そして品質の向上を図らなければいけない。こういった政策が出ていること自体、北朝鮮の経済がちょっとひと息ついているということだろうと思います。これを背景に去年、積極的な外交が出てきたんだろうと思います。