参政権の付与はやはり国防問題のみと考えています
(多分若い人が書かれた手紙だと思いました。読んでいて私には面白く、 参考になりました。一昨年「戦争論」という漫画が読まれたのですが、どのように受け取られたのかが理解できたような気がしました。)

 

私の返事

日本人の国家観は一度結婚経験の女性と結婚し
た、自信のない、嫉妬ぶかい男のようです

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参政権の付与はやはり国防問題のみと考えています

国防の義務イコール鉄砲を担ぐ事とは、ただの象徴としての言葉にすぎません。
普通、女性が国防の義務を果たしていないなどと思うでしょうか。夫の代わりに家族
を守ることも、軍需物資を作ることも戦争に参加していること変わりありません。国
を守るにも役割分担があります。ちなみに祖母は本土決戦に備え、竹槍を持った世代
です。女性としてはちょっといただけない発言ですね。

要はシンプルに、敵か味方かをはっきりさせなければいけないことが重要なのです。
敵味方の言葉が嫌いかも知れませんが、常に最悪の事態を想定するのが、危機管理で
す。
信頼ができるとかできないとかなどと言うことは、兄弟でも本当のところはわかる筈
ありません。
国籍には同じ船に乗る運命共同体の一員という意味があります。究極的に利害の一致
する者同士が信頼できるのです。他国の人は他の船に乗れてしまうのですから。

筆者はドイツにお住まいとのことですが、仮に日本とドイツが戦争状態になったと
き、ドイツ人に信頼される自信はありますか。外国人部隊でもNATOは文化的に近い共
同体ですし、加盟国が守られるのは当然です。それにNATOと戦っているわけではない
ですから、それなりに信頼できて当たり前だと思います。最終的な問題として敵対国
の人が信じられるかと言うことです。
ちなみに日本人で、日本に不利な行動をとれば厳罰です。


「平和呆け」の話がありましたが、日米安保があるから自分は武器を持たなくとも、
米国が守ってくれると思っているおめでたい人たちのことを言うのだと思います。逆
に「外国人は信頼できない」と言う人は、他人の手を借りず、自分で戦う意志のある
人とも読みとれます。日本では自衛隊の手足が縛られた状態であるし、文化的な違い
から共同体をつくることは難しい。アメリカも国益以外では動かなくなっている事を
気づかなくてはいけないと思います。

本当は「平和呆け」が問題なのではなく、日本人も在日の人も「国籍呆け」が問題な
のです。
海外に行くと命よりパスポートが大事と言う人がいるくらいで、しかも日本ほど信頼
される国籍は希です。
私も海外旅行をした折り、空港で日本人以外は別の場所につれられ、チェックを受け
るといった場面に遭いました。テロや麻薬などの問題の前に、人権などと言ってられ
ない場合があることを見せつけられると同時に、私たちは生まれながら大変な特権を
持っていること、それは日本国が保証している為であることを実感したのです。
参政権問題は日本人が希薄な、国籍意識を考え直す良い機会かもしれません。

翻ってヨーロッパでは日本と違う事情も多々あり、日本とは同様には扱えない部分が
あると思います。
私の読んだ本によると、ドイツでは戦後の人手不足を補うために、外国人労働者を受
け入れましたが、後に彼らの権利問題が持ち上がった。そのとき人種の偏見もあり、
国籍を与えることに抵抗があったドイツは妥協の産物として選挙権を与えた、という
経緯があると書かれていました。(うる覚えですが)そして今現在、失業者の多いド
イツはネオナチが台頭し、外国人に仕事を奪われたとして、危害を加える問題がある
ようです。(ご存じだとは思います)またEU諸国は、一つの国家 (緩やかな国家
連合)を目指しており、そのEU諸国内に限り、相互主義のもと加盟 国国民に対し
て、連合市民権としての地方参政権を認め合っているだけだそうです。

私たちは厳しい国籍の問いかける問題を人権や人道、国家としてのやさしさの問題と
すり替えられていることに気づかねばいけないと思います。
人権や人道と言っていられるのは、生活が豊かで平和な証拠かも知れませんが、この
先いつまでも豊かなままとは、誰も補償できません。想像するに将来、噴出するであ
ろう問題の禍根を、決して残してはいけないと思うのです。

筆者は、様々な要素を取り上げられておられるが、国民が国をつくり、守るのは大原
則。日本人には参政権問題より前に、それらの意識が希薄である問題を重視し、正し
て行かなければ、どの様な国家の問題も解決できないと思うのです。

ローマ帝国は国防を外国人傭兵に任せ、滅んだと聞きます。願わくば同じ轍を踏んで
欲しくないと思うのは、筆者も同じではないですか。

※日本には危機管理の意識がなさすぎます。常に最悪の最悪の事態を想定し対処して
おく事と、秩序ある平和な国をつくる事は同じ意味であると何故分からないのでしょ
うか。阪神大震災時に見た対応や日本人人質事件など、同じ病巣の症状で、人災によ
る部分が非常に大きいと思う。


中学生の様な文章でスミマセン  (W) このページのはじめに戻る

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日本人の国家観は一度結婚経験の女性と結婚し
た、自信のない、嫉妬ぶかい男のようです

 

Wさま
 拙稿を読み感想をいただきありがとうございました。
 
 
1)「国防の義務」 vs 「兵役の義務」
 前回の原稿でも今回の原稿でも参政権を根拠づけるのはひとえに国民であることだ
けであり、ある人が納税であろうが、国防であろうがあるいは通常国男性メンバーだ
けが果たすとされる兵役の義務であろうが、義務を果たすことは参政権をあたえる根
拠にならない述べました。国民であること、すなわち国籍を所持していることが決定
的に重要であるということで、これが議論の出発点です。
 ところが、 納税にしろ国防にしろ義務から参政権を根拠づけようとされる方がい
ます。そんなことをしたら、「外人部隊」でがんばっているドイツ人にフランス政府
は年金だけでなく選挙権まであたえなくてはいけないし、お金持ちの外国人が日本に
住んでくれて、たくさんの所得税を支払ったら、日本国家はその人に選挙権をあたえ
なければいけません。これも納得のできない話です。
  ある義務を果たしていることが参政権を根拠づけるといえば、当然この義務を果た
していない人々が参政権をもつ根拠がないということです。
 Wさんが戦争は、全面戦争になると戦闘員と非戦闘員の区別がなくなること
を指摘されましたが、その通りだと思います。ところが、この理屈で行くと、バケツ
リレーをWさんのおばあさん、私の母が始める前の戦局が険しくない状況では
彼女たちに参政権をもつ根拠がないと主張することになります。
 また国籍を保持していない外国人がバケツリレーを手をかしてくれた途端、彼等に
参政権をもつ根拠があると主張することになります。
 正直のとこころ、私のどの見解に反対されたいのか少し理解に苦しみます。
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2)
「国民とか国家が一種の運命共同体である」というお考えについて
 
 私は、ドイツでも日本でも昔強調されたこの考え方に大賛成です。但しこのとき、
ドイツでは、また日本でも昔は国籍の有無は問題にされませんでした。
 誰かが国籍を所持しているかどうかを詮索するなどはあまりに官僚的過ぎて、「運
命共同体」という考え方の荘重さにふさわしくないからです。この運命共同体を船に
喩えることもわかり安いと思います。いやなことが起こっでも、共同体のメンバーが
運命を共にし、メンバー同士の連帯性を強調する考え方です。
 
 Wさんと同じように、できるだけ多くの日本国民がこの考え方を抱いて欲し
い、そして近い将来天文学的数字に達せんとする日本国家の巨大な財政赤字を他人事
のように思わないで欲しいと、私は願っています。

 100パーセント賛成出来ないのは「要はシンプルに、敵か味方かをはっきりさせ
なければいけないことが重要なのです」のほうです。「敵か味方か」というコトバが
嫌いとかそういった問題でありません。すでにドイツの有名の法学者カール・シュ
ミットが、1932年に出た本のなかで「政治」というものを同じように定義してい
ています。
 
 私が一抹の不安を感じるのは、同質社会願望の強い日本人が共同体を再組織しよう
として、この政治概念の定義をつかいはじめると、うまく行かない気がします。
 具体的にいうと、私の世代の日本人が仕出かした「浅間山荘事件」を思い出すから
です。下手にこの定義が運用されて、Wさんやそのお友達が、「兄弟でも本当
のところはわかる筈ありません」と猜疑心に駆られたり、「究極的に利害の一致する
者同士が信頼できるのです」とか考えておられるうちに、日本人は「反日日本人」ば
かりになり、せっかくの「運命共同体」も自壊する危険があるからです。
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3)
 次に、Wさんは、

「仮に日本とドイツが戦争状態になったとき、ドイツ人に信頼される自信はあります
か。」

と私に質問されています。

 正直いって、ここの一節でWさんが何を私から知りたいのか最初よく理解で
きませんでした。二、三度読み、特に 「最終的な問題として敵対国の人が信じられ
るかと言うことです。」を読んでわかるようになりました。
 
 第二次世界大戦下、米国は日系米人(+日本人居住民)を連行・収容したのはご存
知だと思います。これは、日本人が国籍をもっていようが、なかろうが、一律に「敵
対国民」として信頼できなかったからです。
 その後日系人米軍に志願します。これこそ、まさにWさんが質問されている
ときの状況です。彼らは「私達は信頼されなかった。米国人に信頼されるようになり
たい」と考えた。そして彼らはとてつもなく勇敢に戦う。(この話は米国人がかなり
好きな話で、小説や映画でもよく取り上げられています。)

 今度は米国のほうからも考えて見なければいけないと思います。まず日系兵士は太
平洋でなくヨーロッパでの対独戦に投入されました。この決定も、日系兵士を元「敵
対国民」と見なして信頼していなかったと解釈ができます。ものごとは色々に解釈し
て、理解が深まるのです。
 このニューカマーがこれほど「信頼していただきたい」と言っている以上、この信
頼度を一番試験できる状況は、彼らの前の祖国である日本に対して戦ってもらうとき
です。このように考えて信頼できると思われる日系兵士を太平洋で投入してもよかっ
たわけです。
 
 ところが、米国人はそうしなかった。その理由もたくさんあったと思う。なかで
も、日系兵士を「肉親相食む」という状況に追いこむべきでないという配慮もあった
わけです。 日本的な言い方でいうと「武士の情」みたいなものです。この米国的
「武士の情」は米国の国家観と無関係ではありません。彼らは米国兵士になったかも
しれないが、我々は、この人間が以前日本人であった事実を認め、更にそのことを肯
定的に評価する。こんな考え方があったのではないでしょうか。
 
 この考え方は、ヨーロッパ人がよく指摘するように、この新大陸に理想郷をつくろ
うとした米国の建国神話とも関係があります。 いずれにしろ、帰化にあたり「韓国
人であることを忘れろ」という要求をする日本人の国家観と、今述べた米国の国家観
は対照的です。良いとか悪いとか言う前に、まず落ち着いてこの相異をよく理解して
ください。

 米国は、どちらかというと、「日本人であったことを忘れてはいけない、覚えてい
てくれ」といっているのです。これは、「覚えていてくれた方が、俺の国の良さがわ
かる」という自国に対する楽天的な自信があることです。だから米国人と話している
と「おめでたい」とか思うのもそのためで、彼らは比較をおそれないのです。

 それに対して日本人の国家観は一度結婚経験の女性、「バツイチ」の女性と結婚し
た、自信のない、嫉妬ぶかい男のようです。だから「前の男を忘れろ」というような
言い方するのです。もちろん、これは明治の国家が外部からの脅威にさらされて誕生
したという日本の建国神話と無関係でありません。

 また米国はこの持ち前の楽天的国家観から余裕があるために「ある人を本当に信頼
したければ、不必要にその人の信頼度を試すような状況に追い込むべきでない」とい
うリアリズムももつことができ、ヨーロッパに日系兵士を投入したとも考えられま
す。
 
 (この点、かっての日本軍は、不必要に(初年兵の)信頼度や勇気を試す儀式(一
種の「入隊式(通過儀礼)」)の連続で、戦闘開始する前に自己消耗していたところ
があったそうです。)
 
  「韓国人であること忘れて」日本人になった韓国人にとって、この嫉妬ぶかい小
心の再婚相手は厄介な同居相手であることは想像できることです。本当に日本人に
なったかどうかを猜疑心をもって見られるわけで、試されること(=通過儀礼)の繰
返しです。これもよく言われることですが、そう間違っていないと思います。
 
 このように考えると、Wさんの質問そのものが、日本人の国家観の反映みた
いなものです。自分の国家をそのように考え、ドイツ人も国家について自分達と同じ
ように考えると思っている。だからからこそ、冒頭のような質問をされるのではない
でしょうか。
  
 少なくとも現在の平均的ドイツ人は日本的国家感とほど遠いところにいる。 もし
日本と戦争になったら、私の親戚や友人が日本にいること、私が日本と精神的・情緒
的な絆をもっていること等を彼等は考え、私が厄介な状況に陥っていると思うはずで
す。
 そこで、私がWさんようであれば、ドイツ人のところに行き、「あなた達の
信頼を得たいし、信頼していただいている気持をもちたい」などと言い出したら、多
分むこうも困ると思う。もしかしたら、自分のアイデンティティを否認するオベッカ
使いと、彼らが私のことを思うかもしれません。

 ここで第二次世界大戦下の米国に戻すと、収容所から米国側が驚くほど多数の日系
人が志願したことも、彼等がとてつもなく勇敢に戦ったのも、忠誠心を疑われる状況
にあったことだけでなく、Wさんと同じような国家観を当時の日系人が抱き、
新たな祖国に投影したこともあったからだと思われます。いずれにしろ、考える度に
複雑な気持になります。

 問題は、今回の原稿でも暗示したように、このような日本人の国家観が本当に日本
社会の発展段階にあったものかどうか疑問ではないでしょうか。 大人が帰化にさい
して「韓国人であったこと忘れろ」などと不可能なことを要求していると、子供達ま
でが、帰国子女に外国の臭いが消えるまで、イジメと称する「通過儀礼」を繰返す。
(そのように、帰国した知人は私に語った。)
 
 外国人参政権が問題となれば、その外国人が戦争になったらどの方向に鉄砲を撃つ
かしか気にしない。「国家」とか「国民」が何であるか、という議論を始めた途端、
戦争状態を想定しないと国家を具体的にイメージできない。
 
 またそのとき想定される戦争とは、1945年に私達が敗北したあの戦争である。
「外国人は本当に我々と運命を共にする覚悟があるのであろうか?」などと、「一億
玉砕」寸前のようなことをおっしゃる。
 どうやら私達の国家観、それに対応する国際社会のイメージもあの時以来、固定
し、凍結したままである。そんな感じを、私は抱いています。
 やはりどこかで「敗戦コンプレックス」があるのではないでしょうか。
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4)
 「平和呆け」の定義
 Wさんは「平和呆け」について次のように書いておられます。 

「『平和呆け』の話がありましたが、日米安保があるから自分は武器を持たなくと
も、米国が守ってくれると思っているおめでたい人たちのことを言うのだと思いま
す。」

 私はそのようには考えていません。 
 まず日本は自衛隊をもち、武器をもっているわけです。次に、日米安保で、もし日
本が攻撃された場合、米軍と日本の軍隊である自衛隊が協力して防衛にあたることに
なっているからです。
 国際社会は日本をそのように見ていたわけです。 またこれが冷戦時代の現実であ
り、基本的に今でもそうです。その結果、ある種の抑止効果を生み、日本の安全に役
立ってきたわけです。
 
 この現実に気がつかない人々、すなわちWさんの定義を変更すると

 「日米安保があり、自衛隊存在して、日本と米国が協力して自国を守っていること
に気がつかない、おめでたい人々が平和呆けである」
 
 次に、

「アメリカも国益以外では動かなくなっている事を気づかなくてはいけないと思いま
す。」

 とおっしゃっておられますが、いかなる理由からそんなことを推定されるのです
か。今まで米国が自国軍隊が攻撃されて、「米国の国益はウォール・ストリートの株
価」とかいって反撃しなかったことがあったでしょうか。なぜポーランドやバルト諸
国等がNATOに加盟したいのですか。

 Wさんは「集団安全保障」がお嫌いで、多分そういうこともあって

「文化的な違いから共同体をつくることは難しい。」

と文化的側面を強調される。軍事的共同防衛が、まるで自衛隊員が今からシェクスピ
ア劇の稽古をはじめ、GIに俳句の精神を教えなければいけないかのようなことを
おっしゃる。半世紀近く「日米安保」が曲がりなりにも機能してきたことを、お忘れ
になる傾向がないでしょうか。

 もちろん米国の手助けはいらない。自前で自分の国ぐらい守りたい。Wさん
は、多分のそう考えることがりっぱである思っておられるのかもしれません。だか
ら、

「、、、逆に『外国人は信頼できない』と言う人は、他人の手を借りず、自分で戦う
意志のある人とも読みとれます。」

などと、あるいは、

「ローマ帝国は国防を外国人傭兵に任せ、滅んだと聞きます。願わくば同じ轍を踏ん
で欲しくないと思うのは、筆者も同じではないですか。」

と元気よく書いておられのです。まず誤解を招かないようにいうと、何でも自分で出
来ることを自分でするというのは良いことです。「自分の国は自分の手で守りたい」
というのも賛成することです。ところが、Wさんも時々忘れられるのですが、
自衛隊があり、すでに自分の手で守っているのです。
 
 ということは、本当の選択肢は「自分の手だけで自国を守れるか」、それとも「そ
れが不可能だから、別の方式、例えば集団安全保障とか二国間安全保障体制でやって
いくか」ではないでしょうか。
 冷戦下、西欧諸国での議論ではこの二つの可能性が選択肢としていつも意識された
のです。日本も戦後の初め頃そうでしたが、いつのまにか安全保障の議論がされなく
なってしまったのではないのでしょうか。
 
 西欧諸国はどこの国も早い時期に自分達の手だけでは守れないと思って、NATO
ができたのです。NATOにしろ、集団安全保障の根底にあるのは「文化的同一性」
でなく、自分の国は「防衛意志」や自国の軍備だけでは最早守りきれないというきび
しい現実認識です。
 
 私は安全保障の専門家でもありませんが、軍事的にみて日本は幾ら核を保有しても
守りきれないのではないのかと思っています。少々核をお見舞いされても平気なよう
な核保有国と、人口密度が高く、先進工業国家でそれだけ脆弱な日本との間に、いわ
ゆる「核の恐怖の均衡」など生まれ難いように思われます。
 
 もしある政治家が「国民の財産と生命を守ることが国家の使命」と考えられるな
ら、本当に防衛意志と軍備だけやっていけるか、冷静に考えるべきだと思います。そ
うしないと、「戦争論」ならず、「戦争ゴッコ論」になってしまうのではないでしょ
うか。このページのはじめに戻る    前のページに戻る
 
5)
「日本国籍をもつことのありがたさ」について
 
 どこかの国の飛行場で日本のパスポートを持っているために検査されなかったとい
う話は本当に面白いです。私も似たことを経験し、似たような気持を抱いたことが何
度もあります。日本は政治的にも経済的にも成功した国だと思います。そうでないと
主張することは、色々な事情からそうでない国や人々に対して恐れ多い気がします。
そうんでない国に生まれた人々と比べて、明らかに私達は恵まれていて、そのような
意味で特権を享受しているのです。
 そこまでは、多分Wさんと私も同じなのです。

 次に、それではWさんはなぜ日本で生まれ育ったありがたさをあらためて強
調されるのですか?
 
 私が想像するところでは、日本にはWさんと反対に「日本人であることにあ
りがたがらない」人々がいて、その人々に反対するためにWさんは「ありがた
さ」の方を強調されているのではないでしょうか。もちろん、それに対して「日本人
であることをありがたがらない」人々は反対の立場を主張する。これが、何度も繰返
すパターンではないのでしょうか。

 私がいつも思うのですが、日本で相対立する人々は、日本以外の国に本当に関心が
あるわけでなく、どちらの人々も外国を「引っ立て役」に利用しているだけです。
「自分の国はありがたい」と思いたいために、外国から悪い例をもってくる。「自国
はありがたくない」と思いたいために、外国から良い例をもってくる。それだけで
す。この点を残念に思います。

 他者に本当に関心を持てない人は、自分のことも知ることができないと、私は漠然
と思っています。「日本国籍のありがたさ」を感じることには異存がないのですが、
それだけでは充分でないと思います。
  
 Wさんは、

「そのとき(ドイツで外国人労働者の権利問題がもちあがったとき)人種の偏見もあ
り、国籍を与えることに抵抗があったドイツは妥協の産物として選挙権を与えた、と
いう経緯があると書かれていました。」

 と書かれておられます。 

 まずドイツには人種偏見がありますが、法律もどんどん変わり、国籍の取得は容易
になりました。また一度も「妥協の産物」として選挙権を与えた」ことはありませ
ん。ドイツで実現したのは、EU域内出身の外国人が地方自治体選挙に参加できるよ
うになったことで、これももおっしゃる通りです。これらの点は前回の原稿で触れま
した。
 
 外国人労働者と自国労働者を平等に扱おうとするために、「ネオナチ」の暴力事件
が起こるのです。ある社会で(、例えば日本のように)外国人労働者に同じ権利を与
えなければ、外国人が最初から不利な立場に置かれたままなら、彼らは競争相手にな
りません。そうするとネオナチのような事件は起こらないということです。

 Wさんがお友達と書かれた2通目の手紙も読ませていただきました。
 私が今回米国人と比較して日本人の国家観について書いたことで、この手紙に対し
て間接的に私の見解を述べたように思います。
 
 お手紙のなかで指摘されている個々の事実に関して、反論しません。
 でも、犯罪者でもなく、また本国で政治的な活動をしているわけでない、普通の
人々が在日韓国・朝鮮人の大多数を占めているのではないでしょうか。
 でも、なぜ在日にこれほど憎悪心を抱いておられるのですか。
 世界には、数多くの「少数民族」問題があります。他の種々の厄介なケースと比べ
て、在日韓国・朝鮮人も文化的にも比較的近く、共存しやすい人々はいないのです
よ。


 お手紙を読み、色々考えさせていただき本当に面白かったです。

 ではお元気で。お友達のかたにもよろしく。

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