「国際社会」で「外交」は死に絶えるのか?

美濃口坦  (メールマガジン 「Navigator」の「独逸回覧記」転載)

 この記事は、「平和主義の終わり?:ドイツ軍のNATO空爆参加」の続編です。

 私は前回、「戦争」とか「平和」とかいうコトバの意味が変わってしまうことによって、いかに平和主義者が混乱してきて反戦運動が困難になるかを問題にした。平和主義者に退場して欲しくないので「平和主義の終わり」という題にして疑問符をつけた。

 こちらは復活祭の休みであったので、私はテレビの前に座ることが多かった。メディアの発達ぶりには改めて驚かされた。ヨーロッパや米国の政治家の記者会見が、生中継で全部見られるのである。彼らの発言を注意深く聞いているうちに、混乱しているのは平和主義者だけでないことに気がついた。

 ドイツでも、またフランスでも、著名知識人の大部分が「平和主義者」から「人権派」に、雪崩のように移って、NATO空爆賛成者になってしまった(私は多くのヨーロッパの知識人が参戦派になった第一次世界大戦勃発時を思い出す)。

 前回、「戦争」とか「平和」の意味が変わってしまった事情を説明するために、私は月並みな西部劇に出てきそうな町、「ユーロ市」の自警団の喩えを用いた。

 西欧社会住民の意識の上で「ヨーロッパ」というものが、単に地理的概念でなく、種々の国民国家、少数民族、また個人が、法的ルールに従って生活する空間、「一つの世界」になってしまっている・・・この点に本論の出発点がある。

 こうなると、バルカン半島のコソボ紛争も、西部の町「ユーロ市」の街外れの家の、血生臭い夫婦喧嘩以外のなにものでもなくなる。だからこそ今、多くの欧米の政治家が「二十世紀が終ろうとする現在、このヨーロッパで民族の虐殺が許されてはいけない」と言い続けているのだ。

 この状況に置かれた人々にとって、「ユーロ市の自警団」=NATOに参加して、残酷な夫婦喧嘩、すなわち「人道的破局」を阻止するために発砲することしか、選択肢が残されなくなるのだ。

 確かに空爆は「ユーロ市の自警団」の鉄砲より少々規模が大きいかもしれない。というのも、相手が西部の町の街外れの一軒屋で家族を虐待する亭主でなく、ユーゴスラビア連邦という軍事力を擁する巨大な組織だからである。

 だが本質的には、NATO空爆は、治安の悪い町の自警団のやっていることと変わらない。このように考えると、NATO空爆は「戦争」ではないことになる。

 現在コソボで起こっていることは、「人道に対する罪」とか「民族の浄化」と言うと、抽象的すぎるかもしれない。実体は放火、強盗、殺人、強姦といったありとあらゆる刑法上の犯罪が、組織的かつ大規模に実施されているのである。

 ここで重要なことは、これらの犯罪が「コソボ解放軍と称するテロリスト対策」という名目で、ユーゴスラビア連邦という国家によって実施されている点である。このように考えれば、NATO空爆は刑法的ルール違反を阻止するための国際的警察権の行使であり、正しいことになる。

 以上が、欧州版「世界の保安官」の論理である。この論理に従えば「平和」とか「戦争」も、その意味を失う。というのは、これまで「平和」と呼んできたことは、単に法的秩序が守られている状態にすぎない。また「戦争」とは、この状態を回復すること、になるからである。

 そして、このように考えることができるのは、国家を特権的な存在、国家主権を絶対的なものと見なさないからである。

 
●「世界の保安官」の誕生〜調停から参戦へ

 この欧州版「世界の保安官」の論理であるが、「欧州版」ということばが前にあり、欧州が積極的役割を演じることが新しい点である。バルカン紛争はもう十年近くも続いている。米国は、オイルの臭いのしない場所と、関係などもちたくなかった。そこで紛争に困った欧州が「世界の保安官」こと米国を呼んだというほうが実情に近い。

 「世界の保安官」の武力行使は、日本人にはお馴染みの姿である。半世紀あまり前、私たちはこの国と戦争したし、この国はその後も売れっ子タレントのように地球上至るところで活躍している。

 米国がこのように国際社会で「世界の保安官」を演ずる構図は、米国が第一次世界大戦でドイツに参戦した時に始まるとされる。ドイツが戦争の終盤で「無差別潜水艦攻撃」をした。それに対して、それまで中立を保ち、仲介の労を取ってきたウィルソン米大統領が、ドイツを「国際社会の敵」として参戦に踏み切った。これが「世界の保安官」のデビューであった。

 それまで、マキアベリの「君主論」や、クラウゼビッツの「戦争論」の冷たい合理性に慣れ親しんだヨーロッパの知識人が、こんなモラリストぶった戦争の考え方に直面して、仰天したのはいうまでもない。

 そもそも、それまで調停者で中立であった国が「国際社会」を(勝手に)代行するかたちで参戦したのは、当時とても斬新な考え方であった。それまで存在した国際社会は、少数の例外はあったかもしれないが、欧州国家同士の社交クラブのようなものであった。

 それに対して、この新しい「国際社会」とは、主権国家を含むと同時に、その上位にある存在で、地球全体にまたがる「世界は一つ」という考え方であった。

 第一次世界大戦で参戦して以来、周知のように米国はお座敷がかからない時でも、世界中いたるところで介入して、「世界の保安官(警察)」の役割を演じてきた。このような米国の戦争観は通常「介入戦争」とか「米国の聖戦思想」と呼ばれているものである。

 今まで、この米国の戦争観を説明するにあたって、私は敢えて「戦争」というコトバを使わなかった。その理由は、この戦争観の異質性をはっきりわかって欲しいからである。無論武力紛争を「戦争」と呼ぶなら、米国の戦争も含めて、歴史上起こった武力紛争は、すべて戦争になってしまうことはいうまでもない。

 第一次世界大戦の米参戦の構図は、今回のコソボ紛争でも、類似したかたちで繰り返される。ところが両者を比較すると、国際社会も百年たつうちに少し改善されたことがわかる。

 たとえば、当時は米国一国が調停にあたり、その後「国際社会」を勝手に代行した。それに対して、今回は国際社会が(とはいっても欧米とロシアであるが)紛争当事者のユーゴ側とコソボ・アルバニア人の間の調停にあたった。

 そのために接触グループを組織し、和平調停案を作成させた。こうしてできあがった調停案をもって、ロシア、米、そして中立国オーストリアの代表者が、ミロシェビッチ・ユーゴ大統領の説得にあたったのである。

 ということは、「コソボ問題」の診断と処方に関しては、国際社会内で一応見解が一致していたことになる。残念なことに、ユーゴ側はこの調停案をのまなかった。これはミロシェビッチが自国領土内で思う存分「テロリスト退治」(もしくは「民族の浄化」)をやりたかったからだと思われている。

 以上の事情からわかるように、コソボ問題の診断と処方について、ロシアと西欧社会の対立は極めて小さいといわれている。大きな対立点は「ランブイエ・パリの調停」が不調に終わった時点で、国際社会がとる処置である。

 一方が欧州版「世界の保安官」の論理に従い、「欧州の国際社会」を名乗り、NATO空爆に踏み切ってしまった。それに対して、ロシアは「内政不干渉」とか「国家主権」を尊重する立場にたって、この処置に反対している。

 
●「お国のため」ではないとしたら…

 確かに二十世紀のヨーロッパ諸国は、戦争ばかりしてきた。しかしその戦争も、あくまでも国益を主張するための戦争か、攻撃されて防衛するための戦争で、いずれにしろ「お国のためにする戦争」であった。

 何度も戦争をしたのは、国益の定義が膨張的であったからである。たとえば、(英・仏のように)遠い海外に資本投下した一企業の利益を、国民全体の利益と見なしたり、あるいは(ドイツのように)隣国に居住する少数の同国人のために国境線を変更することを目的に、昔は戦争をしたのである。

 ところが、かなり前から、そのようなことは間尺に合わなくなったので、西欧諸国はやめたのである。

 また冷戦下は、ソ連の軍事力の脅威を感じたから、ヨーロッパは防衛のために軍備をもった。それでも駒不足であると思ったから、米国をNATOという軍事同盟に組み込んだのである。欧州駐留の米軍兵士は、いざという時に「世界の保安官」が大西洋のむこうで知らん顔できないようにするために、ヨーロッパに取られた「人質」のようなものだったのである。

 (こんなことは、米軍が事を起こして戦争にまきこまれることを心配していた日本人には信じられないかもしれないが)

 いずれにしろ、冷戦を経て現在まで続いてきたヨーロッパ諸国の戦争観では、戦争とは国民同士がするものであった。それは、強弱の差はあっても、同等の立場にあるA国対B国の戦いであった。冷戦時の東西対立では、AもBも複数の国家であったが、事情は同じである。ここで国際社会を全体とすれば、A国(A国家群)もB国(B国家群)も、どちらも部分である。

 次に、もしある国、例えばA国が明白なるルール違反をし、その結果、国連の安全保障理事会も総会も、A国に対する武力制裁を決議して「戦争」がはじまったというケース考えてみる。

 このケースに従来の戦争観を適用してみる。状況は、A国という(国際社会の)小さな部分が、残りの国家群という大きな部分と戦争している、「部分同士の戦争」ということになる。現在ユーゴ国民はこのように考えて、自分達は巨大なNATO加盟国群と「戦争している」と思っている。

 ところが、同じ状況を、A国という「国際社会の部分」と、A国をも含む「国際社会という全体」が戦争していると見ることができる。この見方が国連の根底にある「世界は一つ」という考え方で、米国の戦争観が持ちこんだものである。

 「ユーロ市」自警団、あるいは西欧諸国は(国際法的手続きは怪しいが)この後者の考え方で、自分達は刑法的ルールの強制的運用をしているだけで、「戦争」などしていないと思っている。

 とするならば、一方が「戦争」していて(この場合ユーゴ側はそうとらえている)、他方は「戦争」などしていない(NATO側はそうとらえている)、という奇妙な状況が出現することになる。

 日本でこのような「戦争」の意味論的側面があまり問題にされないとすれば、それは私たちが自分たちの前の戦争を、日米対決の「太平洋戦争」として受けとったからだと思う。ところが、実際は「世界の保安官」に率いられた国際自警団こと「連合軍」に対して、日本は降伏したのである。

 次に、国民国家は戦争になれば自国の兵士の犠牲をいとわない。「お国のために」兵士をはじめ国民の一部が死ぬのはあたりまえのことであった。それに対して「世界の保安官」は「お国のため」という正当化の論拠を自国民に納得させるのが難しいために、周知のように一方ではミーハー向けの「勧善懲悪」の強調することになる。また他方では極端な自国兵士の人命尊重にもなる。こちらの結果は現在の「ハイテク戦争」である。

 しかしこれは、今にはじまったことでない。第二次世界大戦でも、豊富な資源にものをいわせた「武器・爆弾の大量使用」につながった。アフリカの砂漠で、最初は英軍と、後から米軍と戦ったロンメル軍団の一員のコトバを借りれば、「あんなものは戦争ではない」ということになる。つまり普通の国民国家がしてきた「戦争」ではないという意味である。

 
●右と左からの空爆反対

 今回の欧州版「世界の保安官」的戦争に、米国の落とす色濃い影を見たり、「米国のいいなりになっている欧州」に苛立ちを覚える人は多い。冷戦下「鉄のカーテン」のむこう側から、NATO=米国に仮想敵国を見てきた元東独共産党PDSは、連邦議会で「ドイツ軍空爆参加」決議に反対した唯一の政党である。

 世論調査によるとドイツ国民の大多数がNATO空爆を支持しているというが、面白いことに、どの世論調査でも、この空爆の支持率は、旧東独では20パーセントも低くなる。これも同じような事情からである。

 同じような反米感情から、旧西独左翼知識人も「米帝国主義・NATO空爆」に反対している(ところが、このような人々はごく少数である。詩人のエンツェンスベルガ−を筆頭に、有名左翼知識人の大多数は空爆支持である)。

 またドイツには、欧州統合など国際主義やグローバリゼーションの傾向の背後に、米国の影を見て反対する人々がいる。彼らニューライト、極右主義者も今回の空爆に反対している。

 ドイツの過去の歴史解釈については、必ずしも反戦主義的でもない彼らが平和主義者に豹変することは、空爆参加を「国権の発動としての戦争」と見ていない証拠でもある。

 (今回確かに、戦争につきもののナショナリスティクな精神の昂揚というものはまったく見られない。「仕方がない」とか「困った」というのがドイツ国民大多数の反応である)

 このように、右からも左からも反対する人々の処方は、奇妙なほど一致している。それは「バルカン半島に居住する、すべての民族の代表者が同等の立場で話し合えば、真の平和が実現するのであって、よその国は干渉してはいけない」というもので、すなわち介入反対である。

 これに対して、十年近くも血生臭い事件に接してきた大多数のドイツ人は次のように思う----「そんな夢物語みたいなことが不可能になったために、武力をもつ強者が、弱者を虐待・虐殺するという状況になったのだ」と。

 だからこの夢物語は、「民族は自分の民族性に目覚めたらすべてがうまく行く」とか「大国(例えば米帝国主義)に悪の原因がある」と同じように、処方を出す人たち自身のイデオロギーの反映と見なされ、賛同者は少ない。

 
●「保安官」に公平でありたいが

 誰でもわかるように、今までのバルカン紛争では、弱い側に立つ民族グループは、国際社会に介入して欲しいのである。反対に強い方は、介入して欲しくない。私は空爆賛成派の種々の論拠をよく吟味して、また彼らの気持も痛いほどわかるのである。

 少し前、ベルリンだったと思うが、デモか何かでドイツ在住のセルビア人とアルバニア人がけんかし、警察に逮捕された。幸い死人は出なかったそうである。

 憎悪しあう人間がナイフでももって喧嘩しはじめたら、私は110番に電話することにしている。国内社会よりもっと厄介だと思われる国際社会において、事と次第によって武力介入は不可避と思っている。私は平和主義者であったり、非暴力主義者でもない。

 私の心のなかにはどこかに「敗戦国民意識」があるせいか、「世界の保安官」を先頭に、多くの国が束になってユーゴという小国を爆撃するのを見ると不愉快になる。

 一方、もうかなり前から、私は米国という国、またこの国がした戦争を、冷静にケース・バイ・ケースで評価するようにしたいと思っている。

 たとえば、学生時代に私は、ベトナム戦争で爆撃されて逃げ惑うベトナム人に、太平洋戦争下の日本人の姿を重ね合わせた。当時、私は米軍のベトナム介入に憎悪を憶えた。ところがその後、色々な場合を考えるようになった。

 たとえば、第二次世界大戦のヨーロッパの強制収容所にいたユダヤ人にとって、米軍の爆弾の破裂は地獄の終りを予告する希望の音であったのである。また第二次大戦下、日本軍に侵略された中国人にとって、米国は頼もしい「世界の保安官」であった。

 このように、私はなるべく「世界の保安官」に公平であろうと努める。しかしそれでも、今回のNATO空爆には反対である。その理由について今から述べる。

 
●「無駄な抵抗はやめろ」は外交ではない

 冷戦下、西欧諸国は「世界の保安官」と上手におつきあいしてきたと思う。それはヨーロッパの政治家が、多かれ少なかれ米国という国をよく理解して、自分達の考え方との相違をわきまえていたからである。しかし今回は、そのおつきあいに失敗したのではないのだろうか。

 すでに述べてきたように、ヨーロッパの国や日本といった普通の国民国家の戦争観、それに対応した外交観と、この「世界の保安官」米国の論理とは、まったく異なるのである。

 恐らく、この国とつきあっていくためには、従来の戦争観・外交観と「世界の保安官」の論理を峻別し、どちらの方式でやっていくか、またどこで「世界の保安官」にご登場・ご退場願うか考えるべきであると思う。

 米国を含めて西欧の政治家は、NATO空爆の重要な目標として、次の二つをあげる。一つはコソボ・アルバニア人の「人道的破局の回避」であり、二つめは「外交的解決」である。 

 普通は、誰でも二つの目標があったら、この二つの目標が相互にどのような関係にあるかを考える(その二つが矛盾する関係にないか、とか)。だが、欧米政治家の発言に熱心に耳をかたむけて聞いたのであるが、私は彼らの頭のなかで、上記二つの「戦争目標」がどのような関係になっているのか、理解できなかった。

 これは重要で、また簡単なことである。例えば銀行でお金を引き出してデパートでセーターを買う、である。銀行でお金を引き出すこととデパートでセーターを買うことも、どちらも目標といえば目標である。この二つの目標の関係を的確に把握して、最初に銀行に行くのが普通のケース、であろう。

 私たちが従来の戦争・外交観で考えると「外交的解決」すなわち交渉が先に来て、その次により上位の目標として「人道的破局の回避」ということになる。ということは、なによりもまず何とかユーゴを交渉のテーブルにつかせなくてはいけないのである。

 外交も戦争も、コミュニケーションであり、対話なのである。威嚇といった心理的側面が大きな役割を演じる。空爆による威嚇も「これは威嚇です」といった途端、威嚇でなくなるのだ。この点はもうさんざん、ドイツで指摘されたが、今回のように始めから「空爆だけで済ませたい」といったら、威嚇の効果がないのである。

 こうなってしまったのも「世界の保安官」の論理で政治家が考えて、「ユーロ市の自警団」なってしまっているからだと私は推定する。こうなると自分たちのやっていることは「戦争」ではなく、刑法的ルールを適用しているに過ぎない。通常警官は犯罪者に対して「無駄な抵抗はやめろ」とどなるが、これは一方的要求であって、交渉でも対話でもない。

 この論理を国際関係に適用すれば、国家同士の外交交渉など、最初から不可能ということになる。だから今回「外交的解決」といった目標が宙に浮いてしまうのである。

 欧米の政治家がミロシェビッチ=ユーゴ連邦大統領を「戦争犯罪人」呼ばわりしたり、またハーグの「戦争犯罪人裁判所」が起訴の準備をしたりしている状況も、自分から外交交渉を不可能にすることにはならないだろうか。

 
●「壁際の犯罪」:冷戦下の外交努力の記憶が風化するとき

 話が少しそれる。東西ドイツ統一後しばらくして「壁際の犯罪」の裁判がはじまった。そのときにも私は類似した疑問をもった。

 冷戦時代、東から「ベルリンの壁」を超えて逃げようとする試みが跡を絶たなかった。成功する人もいれば、逃亡しようとしたところを東ドイツの国境警備に見つけられ、撃たれて死んだ人もたくさんいた。

 統一後、このように「壁際」で撃たれて死んだ人の遺族が、撃った国境警備員を訴えて裁判になった。これが「壁際の犯罪」である。小物ばかり挙げるのもまずいので大物も、という具合に、訴追は旧東独政治指導者にまで及んだ。小物であろうが、大物であろうが、こんなことが裁判になることに対する苛立ちを、私は覚えた。

 「もし彼ら旧東独政治指導者が『ベルリンの壁』が開くころ、将来逮捕されて監獄行きと知っていたら、あんなに簡単に権力を手放しただろうか?」これが当時私が憶えた疑問である。

 彼らは当時、秘密警察や軍隊の権力機構をも握っていたので、抵抗して血生臭い内乱状態を起こそうと思えばできたのである。ところが、幸いなことに「無血革命」になって、冷戦が終了した。このことを多くの人が喜んだのである。

 それではなぜ、東側の政治家が抵抗しなかったのであろうか? それは彼らが西欧的価値観に対して「無駄な抵抗」をやめたのだろうか? 私はそう思わない。

 人間の価値観など、そう容易に変わるものではない。あのころ、東と西に分断されていた欧州には、何か別のおおらかな雰囲気というか、あるいは相互尊重精神のようなものがあったからだと思う。だから血生臭い内乱状況も起こらなかったのではないのだろうか。

 重要な点は、このような雰囲気は、「世界の保安官」の論理と相容れない、辛抱強い外交努力によって築きあげられたものである。

 当時「壁際の犯罪」の刑事裁判を推し進める人々に、私は傲慢さを感じた。同時に、冷戦時代の記憶が、人々の頭のなかで消えてしまったことに驚いた。

 
●意識のなかに残る冷戦構造

 今回のNATO空爆に対しても、私は「壁際の犯罪」裁判当時と類似した苛立ちを覚える。

 それでは、本当に冷戦構造はなくなったのであろうか? もちろんかつての「東西の対立」は存在しない。とはいってもそれは、以前東側に住んでいた人々の意識のなかには存在しているのである。

 旧東ドイツの人々は、今回の空爆についてかなり異なった評価をする。これも人々の意識が、そう簡単に変わらないことを示す。

 またミグ29戦闘機がNATO軍に撃墜されたら、設計したロシア人技師はこれを見て複雑な気持になると思う。

 NATO空爆に怒るモスクワ市民も「冷戦後遺症」かもしれない。ランブイエで「接触グループ」に加わって調停にあたったロシア外交官と、これらモスクワ市民の間の「情報ギャップは大きい」というのも正しい。

 とはいっても「後遺症」であろうが、「情報ギャップ」であろうが、そのように感じ、考える人も厳然とした現実なのである。政治や外交はこの事情を無視してはいけないと私は思う。

 私たちは「冷戦が終った」という。そしてあたかもスィッチをひねれば別の番組になるテレビのように、時代が変わったように話す。多くの人々が考えないが、核兵器もミサイルも冷戦時代と同じように(冷戦時ほどではないが)現在も大量に存在しているのである。

 何が変わったかというと、西欧とロシアの間の政治・外交関係が変わったのである。だから、以前と比べて安全になったと私たちは思うことができるのである。

 私はどうしてもこのように考えてしまう。だからこそ、少し前の過去の記憶を喪失して「人権派ユーロ市民」になり、政治とか外交の意味を忘れてしまった人々を私は理解できないでいる。

 
●コソボのリアリティ、「ヨーロッパ」のリアリティ

 この数年来、西欧の政治家も知識人も熱に浮かされたように「ヨーロッパ」というコトバを繰り返してきた。今や二言めに出てくるセリフは、「我々のヨーロッパに起こる民族の虐殺を許してはいけない」

 いったい彼らの「ヨーロッパ」とは何なのだろうか? もしかしたら、彼らの「ヨーロッパ」とは、頭のなかに存在する観念に過ぎないのではないだろうか。彼らの「ヨーロッパ」は、コソボに本当に住んでいるアルバニア人とは、あまり関係ないのかもしれない。その印象を私は禁じえない。

 今回のNATO空爆決定の合理性を疑うのは、本当のところ私の能力をはるかに超えるような気がする。もちろん、私の手元にある情報や知識は限定されている。バルカン半島など、私の領域外である。それでも敢えて試みる。

 去年10月、NATOが「安保理決議に応じなければ2週間以内に空爆」と警告して空爆が始まりそうな気配があった。その当時、現場コソボで取材したジャーナリストが次のように書いている。

 「少し前まで、NATOの一撃を待ち望むところがあったコソボの住民も、事態が慌しく展開していくのを重苦しい気持で見守っている。コソボ・アルバニア人政治指導者の一人が『NATOがあまりに強気で、よく考えもせず戦争に突入し、その結果がブーメランのように私たちに戻ってくるのがとても心配だ』と語った。普通のコソボ住民は、空爆より国際的平和維持部隊を望んでいる。というのは、空爆がはじまって自分たちが人質になることをおそれているからだ」(「シュピーゲル」98年42号)

 「人道的破局を回避する」といって空爆をはじめた政治家や、それに賛成する知識人たちは、現場のコソボ・アルバニア人のこのような不安を考えたのであろうか? 私は本当に疑問に思う。

 
●監視団は全くの無力ではなかった

 今やミロシェビッチは、「国際社会」の声も無視して「民族の虐殺」を続けるヒットラーの親戚扱いである。本当に彼は「国際社会」を完全に無視していたのであろうか?

 今回の空爆が始まる前まで、「国際社会」を代表して欧州安保協力機構(OSCE)監視団がコソボに行っていた。セルビア人はこの監視団を無視するようなことをたくさんしたかもしれない。

 とはいっても、監視団は少しは機能していたのである。その証拠は緒方貞子・国連難民高等弁務官(UNHCR)の次のインタビュー発言である。 「難民の大量流出は空爆が引き金になったと見ますか、ユーゴ側が以前から準備していたと見ますか」という記者の問いに、緒方弁務官は次のように答えている。

 「空爆というよりも、(住民追放のようなことを)監視する国際的な存在がなくなったことが大きく影響していると思う」(「コソボ難民90万人視野/緒方・国連難民高等弁務官に聞く」1999年4月6日付『朝日新聞』夕刊)

 責任ある立場に立つこの人から「NATO空爆が引き金になった」とする発言はもちろん引き出せない。それでも彼女のこの発言から確実にいえることは、監視団がある程度、あるいは少しは機能していたことである。

 少しでも合理的に思考するなら、A「国際監視団の下で不都合が多発する、改善されるべき状況」か、B「空爆によって、紛争調停機関の『国際社会』が『コソボ解放軍』(KLA)に加担したとセルビア側から見なされる状況」が、当時の選択枝であったことになる。

 Aの選択枝をとり、しばらくこの状態のままにして置く。そして交渉を再開する。これも充分可能だったのである。

 しかし周知のように、Bの選択枝がとられ、「国際社会+コソボ解放軍」対セルビア、という戦争の構図になったのである。その後何が起こったかは、メディアが報道する通りである。

 冷戦時代、また欧州統合の過程でも辛抱強く交渉してきたヨーロッパの政治家たちは、腰のピストルにすぐ手がいく「西部劇保安官」とのつきあいかたを、すっかり誤ってしまったようである。

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