バルカンという「犯行現場」
コソボ紛争がどのような結末を迎えようが、西欧諸国にとって今回のユーゴ空爆ほど将来苦々しい思いを残す事件はないと思われる。こうなった理由の一つは、西欧人がバルカン半島の「現実を見る眼」である。
この事情を示すのは、例えばシャーピングドイツ国防相の四月末の記者会見である。この種の例を「戦争宣伝」としてかたづけるには、事態はあまりにも深刻過ぎる。
この席上、同国防相は一枚の写真を指して「このようにミロシェビッチは空爆前から冷酷にも民族虐殺を実行していた」と、怒りの声をあげた。一月に欧州安保協力機構(OSCE)停戦監視団員が撮ったその写真をテレビカメラがアップでうつす。多数の農夫の死体に混じって数人のコソボ解放軍(KLA)制服を着た若者の死体も横たる。
民族虐殺の証拠とされるこの写真は別に解釈できるはずだ。つまり、「コソボでアルバニア人による独立戦争が起こり、非戦闘員農民がそのゲリラ戦に巻添えになっている」と。
このように考えると、コソボ紛争という同一の現実について二つの見方があることになる。
一つは西欧社会大多数の見方だ。ゲリラ戦の巻き添えで住民が死ぬのも民族虐殺で、これを恐れて逃げるのも民族浄化と見る。兵士と市民を区別しないから、バルカン半島で民族・国家をめぐる戦争が勃発したという意識は希薄である。この見方によると、バルカン半島は人権侵害の「犯行現場」に単純化されてしまう。また出来事を前後の脈絡から切りとるという点では、八〇年代から西欧社会に浸透した「第二次世界大戦をアウシュビッツに単純化する歴史観」と無関係でない。だからミロシェビッチをヒトラーにたとえる欧米政治家が跡を絶たない。この見方では、ユーゴ空爆は人権侵害を阻止する「人権外交」の延長ということになる。だから大多数の著名文化人も空爆に賛成した。
第二の見方は現場の紛争当事者のそれである。国境がなくなった西欧と比べて彼らには国家・民族意識が強い。だから自分たちだけの国家を持とうする民族紛争になる。紛争はセルビア人から見ると反乱であり、アルバニア人にとっては独立戦争なのである。
西欧社会は普通この二つ見方を重ね合わせてバルカンの現実を見ている。コソボでゲリラ独立戦争が勃発したのをだれも否定しない。しかしこちらの現実はどこか重要でない二次的見方である。評価・決断となると、「バルカンは犯行現場」という見方が決定的に重要になる。
世界はいま空爆の推移に目を奪われているが、空爆開始までのコソボには、昨秋発効した停戦協定下、OSCE監視員が滞在した時期がある。このころの状況はどうであったのか。
ヴィリー・ヴィンマーOSCE議員会副会長(ドイツ連邦議会議員)は「監視団責任者が証明するように、ユーゴ側は停戦協定を遵守した。反対にコソボ解放軍は徹底的に違反し、ユーゴ軍が撤退した地域に入って挑発した。この事実に私は眼をふさぐことができない。」(ユンゲ・ヴェルトのインタヴュー)
この挑発により戦闘が起こっても散発的で、難民も戻りつつあった。
この状況を重視する人々には、西欧が、自ら苦労して実現した停戦を、結局解放軍ゲリラといっしょになって破り、戦争を拡大する結果になる空爆決定は自己矛盾としかいえない。
しかし、バルカンを「犯行現場」と考える人々には、この空爆前の状況も「犯罪がわずかに減った」程度のことである。だから一挙に解決すべきだとなる。彼らは「人道的介入」が反乱者に対する加担を意味し、ユーゴ側から、アルバニア人・西欧同盟軍による戦争と解釈されるとは夢にも思わない。だから大量の難民が出るとは予想していなかった。
バルカン半島を「犯行現場」と見る西欧は紛争の仲介者として不適格である。人権侵害だげが政治的決断の尺度となれば、犯罪をする度合の少ない弱い方、すなわち国家権力から遠い民族に加担することになる。その結果は分離主義者支持で、既存国家(ユーゴスラビア連邦)を弱め、国家の数を増やすだけになる。この解決は自ら望んだはずの「多民族共存のコソボ」(フィッシャー独外相)に矛盾するのではないか。
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