不公平なインフレの犠牲になった日本人美濃口坦 (メールマガジン「Navigator」から転載) この秋、ティートマイヤー=ドイツ連銀総裁は、どこへ行こうと受ける質問は同じである・・・「利下げは?」。というのは、ロシア通貨危機、南米通貨危機、ウォールストリートで株価が下がり、ドイツも成長率予測を下方修正する……こうなると、いつものことながら、ドイツの中央銀行、独連銀に対する利下げ要求の合唱になる。 しかし、ドイツ連邦銀行は昔から「迫り来る世界恐慌に対して米・欧州連動切下げか」といった、どちらかというと「米国メディアと株屋さんの連動」を示すような見出しには、反応しない。 少し前にフランクフルトで開かれた、ティートマイヤー連銀総裁と経済記者の集まりに出た知人のドイツ人記者が、次のような発言を耳にした。「…通貨供給量に必要以上に手をくわえるのは問題が多い。その事後処理で、日本も現在あんなに苦しんでいるのではないのか」 ティートマイヤー総裁がそう言った途端、それまで食い下がっていた記者もあっさり引き下がった。独連銀総裁のこの「日本カード」は強力で、ちらっと見せられるだけで、経済記者の頭のなかにあった「世界恐慌」とか「デフレスパイラル」とかいった刺激的コトバも、色褪せてしまったそうだ。 ドイツ連邦銀行は日本人に馴染みがないかもしれない。また、アイデア豊富で新手の頼母子講を編み出し、ノーベル賞に輝く米国人エコノミストから見たら、バカの一つ覚えのようにインフレを怖れているドイツ連邦銀行(ブンデスバンク)など、博物館入りの存在かもしれない。 しかし、「通貨価値の確保」を最優先の目的とし、政治からの独立が「権限の行使にあたって、(ドイツ)政府の指図を受けない」と法的に定められた、ドイツの中央銀行のシステムは、安定国際基軸通貨ユーロを目指す欧州中央銀行に踏襲された。 この事情は、『アエラ』(1996年第4号)「ドイツの敵は今もインフレ」のなかで長谷川煕記者が書いたように、「ユーロ通貨圏をつくり、ブンデスバンク(独連銀)の反インフレ理念と手法をそこに貫徹させようと、EU各国が決意したのも、その路線にこそ、欧州の未来を託さなくてはならない、と各国政策関係者が思っている」からであり、単にドイツが欧州の経済大国という理由からだけではない。 ドイツに対して批判的で口うるさい隣国が、本当に独連銀通貨政策に納得したからでもある。 「通貨価値の安定」と、「政治からの独立」を二本柱にするドイツ連銀方式は、長谷川記者が上記の記事のなかで説くように、天文学的インフレと第三帝国という、ドイツ国民の悲惨な体験が反映して、良い意味でも悪い意味でも戦後の西ドイツ文化の所産である。 今回のテーマは、少し趣向を変えて日本の金融危機である。この問題について、ドイツの金融関係者や知日派経済関係者と話したし、また経済記者をはじめ多くの日本人と議論した。日本人と話しているときの方が話がかみ合わず、私は大きな認識のギャップと、日本人の危機感の欠如を感じた。これは、私が貨幣価値の安定を至上目標とする「ドイツ連銀文化」のなかで長く暮らし過ぎたからかもしれない。 冒頭のティートマイヤー発言だが、彼の言わんとすることは、関係者には周知のことだ。1986年初頭から、日本の中央銀行はラディカルな金融緩和政策をとった。公定歩合はどんどん引き下げられ、1987年には2.5%という当時では史上最低の水準に達する。また、マネーサプライの増加率も繰り返して上げられ、87年度から90年度までの4年間に、10%を上回る高い率で上昇した。 その結果は誰もが知っている。この日銀&大蔵省の金融緩和政策が過剰流動性を引き起こし、土地も株価も高騰する。87年1月、東証一部上場株の時価総額が300兆円だったのが、89年の年末に、平均株価が3万8900円の最高値をつけ、600兆円になった。 この事情を日本側の通貨専門家に解説してもらうと、「経済のバブル化は要するに、日本の産業界にニュー・オポチュニティ(新しい機会)を生かす活力がないからですよ。だからお金が余っちゃうわけよ。金融緩和と低金利政策だから、しっかりした企業家がおればどんどん新しい産業が伸びて安い金利コストで研究開発もできるわけです。……余っている金だけ使って利益を上げたいというので、株を買ったり、土地を買ったり、非合理なことをするわけです。今日の不幸を円高不況におびえてのドル買い支えによる過剰流動性と規制のせいにするのはおかしいですよ」(『This is 読売』1998年4月号。「20世紀の証言−ニクソン・ショックこう乗り切った」) こう発言するのは、細見元大蔵省財務官で、ニクソンショックのときに大蔵省で活躍した人だそうだ。彼は、80年代後半の大蔵省&日銀専門官僚の通貨・金融政策上の決定とは関係ない。引用したのは、この発言が大蔵省の役人の考え方を示すと、私に思われたからである。 ここで重要なことは、この元大蔵官僚が居直っている以上に、間接的にも、次の点を認めている点である。すなわち、「後輩」にあたる大蔵省・日銀の通貨金融政策の専門官僚が、実態経済の成長以上に金融を緩和して、マネーサプライの蛇口を開きっぱなしにして、その結果「バブル」と呼ばれる資産インフレを引き起こした、という点を。 当時の過剰流動性がバブルの引き金になったことは、これまで何度も指摘された。恐らくここまで読まれた方は、「こんな古い話を持ち出して」とか「そんなことはわかっている」と思われるかもしれない(私と議論した日本人の多くはそう反応した)。 だが、ちょっと待ってほしい。「わかる」といっても、色々なわかり方があるのではないのだろうか。「バブル」と来て、「過剰流動性」にマルをつける。このマルペケ式で「わかった」ことになり、無事大学の入学試験に合格して大蔵省や日銀に就職できるかもしれない。でも本当の厄介な問題はこの後に始まる。 話は簡単である。通貨や金融政策の専門家が専門家にあるまじきチョンボをした。というのは、本当は、実体経済に合せて金融の緩和や引締めをしなければいけないのに、そうしないで日本にインフレを起こした。 このインフレは、普通のインフレとはかなり趣きを異にする。普通のインフレでは物価が高騰する。だから皆が怒る。通貨価値が下がり、銀行の預金だけで、資産をもたない階層が被害を受ける。一方裕福な資産家は損をしないで、貧富の格差が拡大する。この意味でインフレは不公平で、反社会的である。 しかし、80年代後半の「豊かな日本」で起こったインフレは話がまったく逆になった。物価上昇圧は不動産、株、絵画といったものに集中した。だから「資産インフレ」と呼ばれる。マイホームを手にすることができずに、銀行にお金を預けていた人は被害を受けなかった。このような人たちは多数派で、「いい気味」とか「自分たちとは無関係」と思ったにちがいない。 とはいっても、日本の通貨専門家のとんでもないミスで、実態経済の成長以上に通貨が流れてしまって、インフレになったのである。資産インフレであろうがなかろうが、インフレはインフレである。そしてインフレを「起こされた」国民が被害なしにすむわけがない。預金は保護されても、税金で取られれば同じことになる。 70年代の「狂乱物価」のときは、インフレ圧がトイレットペーパーをはじめ数多くの商品に分散した。今回はその圧力が一部に集中し、資産インフレを起こし、その反動としての資産デフレで、日本の金融界が抱えている不良債権になったのである。 インフレを「起こされた」以上、一銀行の経営姿勢だけの問題ではないし、規模からいっても、多くの専門家が指摘するように、問題は、公的資金の導入によってしか解決できない性格のものである。 この点、日本国民は、キツネウドンに2万円も3万円も払うようにならなくて済んだことを幸いに思い、同時に、通貨政策上の失敗が引き起こした被害の甚大さに覚悟を決め、政治的責任の所在を選挙の投票行動で明らかにすべきである。重要なことは、「問題解決」をできるだけ安く上げることである(これについては最後に述べる)。 資産インフレの反動で、資産デフレが起こり、これがかなり長いあいだ経済の一分野に密封されていた。この解決のチャンスを逃し、デフレが今や境界線を越えて広がりつつある。信用膨張があれば、その後に当然信用収縮が来て、「貸し渋り」になる。雨が降れば道路が濡れるのと同じで、本当に有効な対策など何もないのだ。 公定歩合の利下げをしても反応しない「流動性の罠」に陥った日本経済。これは、とんでもない「バイアグラ老人」だ。自分がヨイヨイになっているのにも気がつかず「夢よ今一度」とばかりバイアグラ(景気対策)を飲み続ける。全然効かない。 薬局への借金は増えるばかりだ(バブルあとの92年8月から95年9月まで出された6回の経済対策の事業規模は合計66兆5700億円。そして98年、4月と11月に出された二つの経済対策の事業規模は合計40兆5500億円。95年までの66兆円の方はほとんど効果がなかったので、国民一人当たりのバイアグラ借金は50万円なり)。 これが、ドイツ連銀的「通貨価値安定文化圏」に長年暮らす私が見た、日本経済のすがたである。 今まで私と話した日本人はこのようには思わない。「バブル」がはじけて大不況になったとか、「右肩上がり」の経済が終わったとか、しょんぼりする。でも本当は「右肩上がり」がとっくに終わっていたから、「バブル」になったのではないのだろうか。 とにかく、上記のように通貨政策上の失策で奇妙なインフレが「起こされた」という認識が希薄である(「金融と財政の制度的分離」を要求する人もそうだ。口で言うほど、頭のなかではこの二つのことが分かれていない人が多い)。 なぜその希薄さを指摘するかというと、通貨政策上の失策、という認識はもつことは絶対に重要だからである。というのは、この認識をもつかもたないかによって、問題に対処する心構えも処方も異なってくるからだ。これが先に触れた認識のギャップである。 貨幣は経済活動の根幹である。その機能も信用というメンタルなものの上に乗っかっている(だからこそ昔から貨幣論は哲学的になる)。貨幣は価値の単位で、秤のようなものである。封建時代、領主が細工した秤でインチキをして農民からよけいに作物をせしめたら、「一揆」か「反乱」ものであった。それなのに……。 20世紀後半、国家や国民の意味が変わりつつある。国家とは何かとなると、どこでも国論を割ってしまう。何とか大多数の国民が賛成できる国家の意味付けといえば、国庫と呼ばれる「巨大ながま口」を共有する「納税者共同体」と、通貨を共有する「通貨共同体」という考え方しか残っていない。この日本国民の「円共同体」経済活動の根幹にひびが入ってしまった。それなのに……。 このように、「ドイツ・マルク共同体」に長年暮らした日本人は考える。ところが、私と話をする「在日日本人」は、「バブルがはじけてバン、その後困ってビッグバン。ホントに日本はいそがしい」と駄洒落までとばして、「在外日本人」の私の心配をはぐらかす。いずれにしろ「インフレを起こされた」ことは重要でないようだ。 日銀&大蔵省の専門官僚、また政治家といった責任者が大規模な公的資金導入を持ち出すことは失敗を告白するに等しい。そこで「危機の切り売り」で国民を慣らしていく方法をとった。これがよく指摘される「小出し」戦術で、第一の「問題の先送り」である。責任を逃れるために「投機はいかん」、「貸し渋りはけしからん」とか言っておけばよい。 ドイツのように「お説教」は日曜教会に限定されていないので、日本のマスコミには「拝金思想に侵された戦後精神の荒廃」とか「第二の敗戦」とかと、嘆く説教師には事欠かない。そしていつの間にか「国民も投機して悪かった」ということになる。これこそ平成版「一億総懺悔」ではないのだろうか。どうやらこのシナリオで最後まで行きそうな感じがする。 次に気になるのは、ある日から日本人が異句同音に使いだした「バブル」というコトバである。このコトバは強烈な詩的イメージを含むが、このイメージによって、多くのエコノミストたちは、経済現象も因果関係が絡み合って発展していく歴史的なものという平凡だが、重要な視点を失ってしまった。これが私の根本的疑問である。 この結果、皆が「平成大不況」と呼んで、どこかで周期的なもの、すなわち「景気」の問題と見なしてしまった。ドイツくんだりまで来て「日本はバブルの事後処理に手間取って……」というエコノミスト。この手の発言が、まるで花見で散らかった公園の後片付けをしているかのようになされる。 周期的なものとしてとらえたら、いつか「春は来る」と考えてしまう。土地も株価もいつか上昇すると期待する。これが第二の「問題の先送り」で、だから銀行も不良債権をじっと抱えて償却しなかったのである。 景気の問題と見なすエコノミストたちは、この第二の「問題の先送り」に関して責任があるはずなのに、これを棚にあげて「先送りしてはいけない」と叫ぶ。そして成熟社会では効果のないことがわかっている景気刺激策が繰り返される。 日本国民が大きな原っぱに集合して、一万円札を山と積み、それに火をつけて、「春よ来い、早く来い」と合唱する。早とちりの兜町うぐいすが鳴き出す。今までこれの繰り返しであったのではないのだろうか。私は遠くにいて、そんな場面を連想してしまう。 それでは、なぜ日銀&大蔵省の「専門」官僚が80年代後半、通貨政策上のミスをしたのだろうか。彼らが日本企業に対する「恩着せがましさ」からだけで、こんな失敗をしでかしたとは、私は思わない。よく指摘される厄介な日米関係とか、そのほか色々な事情があったことも認める。 しかし一番大きな理由は、80年代に到達していた日本経済の発展段階について、彼らが誤認していた点にあると思う。当時も(また今も)日本人は買いたいものは多かれ少なかれ所有しており、日本経済はとっくの間に低成長の成熟段階に入っていたのである。「金持ち国日本」の意味はこの点にあったのだ。 彼ら日銀&大蔵省はこの事実を軽視して、経済成長力を過信していた。極端な金融緩和政策で通貨量・信用膨張を引き起こしても、何とか実態経済の方がこれに合わせて追いかけて成長し、深刻な問題にならないだろう----このように専門官僚は甘く考えた。 とすると、当時の日本の過ちとは、自国経済の成熟度に則して通貨政策を切り替えることができなかったことである。これは「成長経済神話」が日本でいかに多くの人々の意識を支配したかを物語る。多くの人が「金持国になった」と言いながら、その意味を考えずに、見果てぬ夢を見続けたかったのだ。 その結果「成熟社会」にあるまじきインフレを起こし、私たちは現在の危機に陥った。ところがこの危機から脱出しようとしている現在も、私たちは成長経済の見果てぬ夢の続きを見ようとしているのではないだろうか。日本の政治家やエコノミストの言動や政策を見ていると、私はこの印象を禁じ得ない。 少し前に「金融再生関連法案」が成立した。これに対して、欧州のメディアは日本政府の実行力に疑問を抱きながらも肯定的に評価した。これは公的資金の注入枠としての60兆円という巨額な数字が効いたからである。 重要なことは、この法案を運用して、金融界の整理・補強をいかに迅速に、またコストをかけないで実施するかである。この整理終了後の金融界の姿について「国際的に活躍できる大銀行2行か3行で、後は地方銀行と特化した銀行。いずれにしろ銀行の数が少なくなる」といわれる。 多分この点では大きな意見の相違はないかもしれない。とすると「迅速」な処理とは、この最後の姿を目指して強引に整理・編成をすすめていくことを意味する。今までのように、半年毎に「市場の判定」で金融機関に退場していただくという方式は、国民の最終的コスト負担を増大させるだけであることはいうまでもない。 少し事情は異なるが、統一後ドイツが旧東独国営企業の処理をしたとき、はじめは準「護送船団」方式で、公的資金の注入による経営改善・再建が試みられた。ところが、少数の例外を除いて、この方式は税金の無駄使いであることがわかったために、早い時期に放棄された。結局、持参金をつけて西側の企業に引き取ってもらうか、もらい手がない企業はどんどん閉鎖していくか、コスト的にそのどちらかしかないのである。 もし当時、破綻同然の企業に長々と営業を続けてもらったり、経営改善・再建のために公的資金の注入などしていたら、ドイツは財政赤字で欧州通貨統合に参加できず、その結果、欧州通貨統合が実現しなかったはずである。 そしてこの財政赤字問題こそ、日本国民にとって後門の虎である。現在でも債務残高の国内総生産(GDP)比は百%を超えている。借金は時間とともに、雪の斜面を転がり落ちる雪だるまのようにどんどん大きくなる。 マサチューセッツ工科大学教授でドイツ人エコノミストのR.ドーンブッシュが講演し、それが報道された。彼は、日本はこのまま行くと「債務残高のGDP比率が350%まで増大し、これに比べると120%で欧州の問題国イタリアはこの上もない健全財政国家だ」と述べている(SueddeutscheZeitung、1998年9月5日付)。 債務残高のGDP比率が350パーセント(!)とは、借金を目減りさせるために今一度インフレを起こす道しか残されていない国であるか、あるいは国家財政が破綻してしまった国で、いずれにしろメーカーがモノ作りに励むことのできる社会ではない。もしその時がきたなら、2、3年前の「空洞化」論議が高校生の“模擬討論会”であったことに気がつくはずだ。企業にくっついて国民皆が日本列島脱出などできっこないのである。 土俵のたわらに足がかかっている日本国民には「破綻しかかった銀行にも、健全な銀行にも公的資金を注入する」といった奇妙な実験や、「商品券」を配るサンタクロースごっこをする余裕など、絶対にないはずである。 日本の蔵相が「金融界のソフトランディングの必要性」を強調したという。とんでもない話だ。ハードランディングかソフトランディングかを考えなければならないのは今や日本国民の方である。 |
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