20世紀を21世紀に伝える困難

 

エレナちゃんは隣の娘で、私が大好きな女の子である。うちの息子より二カ月早く
 生まれ、母親同士が小学校の同級生だったこともあり、二歳年下のわが娘と姉妹の
 ように育った。彼女は勉強がよくでき、バイオリンがうまい。去年コンクールに出る
 た めに毎日庭でメンデルスゾーンのバイオリン協奏曲をけいこし、私の耳を楽しませて
 くれた。
  最近、十五歳になったばかりのエレナちゃんが、しばらく前からつきあうボーイフ
 レンドと「初体験」をすませてしまった。その日、彼女は帰宅して「今日とてもいいこ
 とが> あった」と、うれしそうに母親に話したそうである。
  それを聞いて以来、エレナちゃんへの私の態度はぎこちない。相変わらず愛想よく
 あいさつする彼女は気がつかないが、「きずものになった」「女になった」「男を知
 る」 といった、ドイツで暮らすうちにすっかり忘れていた日本語が、私の脳裏によみがえ
 る。
  同時に私は自分がすっかり孤立していることに気がつく。娘も息子も、周囲のだれ
 もが「処女懐胎」なら仰天するが、「処女喪失」などを特別に思っていない。
  「影響を受けて子供たちが勉強しなくなる」ことを心配する私に、女房は「彼ら
 と、で きたらエレナちゃんもまじえて率直にあなたの心配と見解を話すべきだ」といった。
 私 もそうすべきだと思うが、どう切り出してよいかわからないのである。
  一九五〇年代のある日、日本という東の国で、白い木綿のパンツを見せて座った私
 の姉を、父が血相を変えて怒った。おびえた私には、それ以来女性の下半身が「守る
 もの」になり、その結果「攻めるもの」にもなった。
  そして七〇年代には「瀬戸の花嫁」という歌がはやり、私も「愛があるから大丈夫
 な の」と何となく思った。だからエレナちゃんを悪いと思っていない。が、それなら私
の心 配は何なのか……。
  まだそれらのことを話せないまま毎日を過ごしている。 

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