知る権利と説明責任

美濃口坦  (メールマガジン「Navigator」の「独逸回覧記」から転載)

●ある光景その1〜講演会の場で

 私は大学卒業後、京都でドイツの文化機関に就職した。1970年代のはじめのことである。この機関は世界各地に百以上も出張所をもち、当時ドイツ文化外交の大黒柱であった。そこで私はコンサートや演劇や講演会といった文化行事のオーガナイズを担当した。催しものは、ドイツから派遣された人々のものだけでなく、ドイツ文化と関係があれば、日本人だけでおこなわれる行事もあった。

 ある時、すぐ近くにある大学を中心とする哲学者グループのイニシアチブで、「言語」をテーマにした連続講演会があった。それは、私の上司にあたるドイツ人の所長とその哲学者グループの代表者が決めた行事であった。連続講演会といっても月に二度ぐらいの割で単発の講演があり、ポスター等の行事予告の印刷物にそれらを付け加えるだけのことであった。バレー、コンサート、劇、セミナーといった手のかかる行事でないこともあって、私は最初からろくろく関係をもたなかった。私が顔を出さなかったのもそのためである。

 ある日、何かの拍子で私は講演会場をのぞいてみた。会場は地味なテーマなのにけっこう人が集り、大学の哲学の先生や、哲学に関心を抱く学生だけでなく、普通の人も来ていた。

 講演が終って質疑応答に移った。誰か年輩の聴衆の一人で、どこかの大学の先生と思しき人が質問をすると、講演をした倫理学者は頭をかきながら「__そのあたりは私のカント理解の深さが足りないところで……」

 とかいって悪びれてみせる。そんなやりとりが何度かあった。

 そのうちに前列の左に座っていた一人の若者が早口で質問した。見ると大学時代の同級生で、その後哲学の大学院に行った友人であった。講演者はその友人のほうに視線を一度向けて、また会場の中央に戻した。

 友人に対して何か回答、反応があると思っていたら、その講演者は知らん顔なのである。そしてまた誰か年輩の人が発言すると、それには回答してまた頭をかいて悪びれてみせる。

 
●私が驚いた理由〜道端の犬同然に扱われること

 私はこの光景を見て愕然とした。それまでドイツから来た学者や文化人が何度も講演した。けれど、こんな奇妙な場面は一度もなかった。誰がしようとその質問には、彼らは絶対答えた(もちろん時間の制約などで答えられないことはあったかもしれない。その時でも、回答すべきことが前提とされているからこそ、陳謝もしくは遺憾の意を何らかのかたちで表明したのである)。

 また、講演者が理解できない質問があると、聞き直し、時にはもう一度自分のことばで質問を言い換えた。こうして言い換えた質問が本当に聞きたかったことかどうか、すなわち本当に質問者の真意を正しく理解したかどうかを確かめた。また、回答してからも、聞いた人に、回答が本当に質問の答えになっているかどうか確認することも稀でなかった。

 言語によるコミュニケーションとは、テーマが難しくなればなるほど本当に厄介なのである。

 私はこのような講演後の質疑応答に慣れていたので、びっくり仰天したのである。質問をした大学院の学生をまるで道端の電信柱にオシッコしている犬を見るかのように眺め、そのまま何ごともなかったような顔をして歩き続ける……この講演者は、そんな感じであった。会場に座って「言語」について思索する哲学者たちも、この場面を変に思わない以上、同じように歩き続けたのである。

 私が勤務するドイツの文化機関が講演料を払い、ポスターをつくり、場所まで提供したのは公開講演であり、講演は質疑応答も含めて請け負ってもらったのではないのか。あの場で起こったことは、公開の原則に反する以上、これは契約違反のようなものである。主催者側は講演者に講演料の全額を払うべきではない……当時そう私は思った。

 その晩、「道端の電信柱にオシッコする犬」にされてしまった友人の下宿を訪れた。私は慰めてやりたかったのである。

 彼は本当にしょげていた。しかし別の理由からである。私は契約違反をなじったのに、彼のほうは私の見解に賛成してくれるどころか、「出過ぎたことをした」と後悔している。彼のほうが怒っている私を逆になだめ、暗に「波風を立てる」講演料カットなど考えないで欲しいという意味のことを私に言った。私もそれに応じた。

 しかし学生時代色々なことを議論できた友人が私の考えを理解しようとしてくれるどころか、私が立っている場所を避けて通ろうとしているような気がした。

 翌日私は所長に、感情を押さえて前日に起こったことを簡単に報告し、最後に、「講演者は難聴で公開講演に不適格である」と述べた。所長は私の冗談に笑った。

 
●ある光景その2〜記者会見は懇親会じゃない

 この事件を、私はその後何十年間も忘れはしなかったが、考えなかった。というのは、その後ドイツに来てこの社会で暮らしていて、記憶のなかでこの事件を「日本」という引出しにいれっぱなしにしていたからだと思う。

 ところが、数年前ミュンヘンでG7のサミットがあって、日本の首相の記者会見が開かれたが、そのときの光景を見ていて、70年代のはじめ私が京都で経験したこの場面が思い出された。講演会での質疑応答と首相の記者会見とでは一見異なるかもしれないが、事件の構造は変わらないと思ったからである。

 仕事では私は普通、ドイツの政治家の取材に回されるが、私を雇ったある日本のメディアは多くの人々をサミット取材に投入し過ぎた。その結果、私はすることがなく会場を散歩ばかりしていた。そして迷いこむように日本の首相の記者会見会場に入りこんでしまったのである。

 あれは、ドイツでの記者会見に慣れている者にとっては確かに変わった光景としかいえないと思う。以下、それを述べてみたい。

 日本人記者が開口一番「首相、遠路はるばるドイツまでいらっしゃって、この度サミットで色々ごくろうさまでした」という意味のねぎらいのコトバをかけてから質問した。後からこの記者が首相随行記者団の団長であったことを知った。彼が何やら、入賞を果たしたオリンピック選手に対するように政治家に接するのが面白かった(このようなことは礼儀正しいともいえる)。

 普通のドイツの記者会見では、集まった記者が手を挙げる。そしてあてられて質問する。それが何度か繰り返されるうちに、だんだん手をあげる人がまばらになり、思いつく質問はだいたいこんなものだと出席者の多くの人が思ったころで、「次の予定があり、もうそろそろ」となって、最後の一人か二人が質問して終了ということになる。

 ところが、この日本の首相記者会見では質問する人は前もって決まっているようであった。普通の記者会見と思って出席した外国人記者が、手を挙げても無視されるのに苛立ち、質問を大声で言いはじめた。それを外務省の役人らしき人が止めようとする。

「そんなことなら、ホテルの一室で自分の好きな記者を集めて酒を飲みながら勝手に懇談会をしていれば良いのに」と私は思った。どこの国の政治家も懇意にしている記者が何人かいて、彼らと一緒に会食することはよくあるのだ。しかし記者会見は公的空間である。それに応じたルールがある。

 こうして私は、70年代のはじめに京都で遭遇した講演会での質疑応答場面を鮮明に思い出したのである。若かった私は、公開の場という公的空間でこんなことがあってはいけないと思って憤慨した。あの時も、哲学者グループは研究会を公開の場でなく、例えばメンバーの自宅とか、料亭の離れを借りるとかして実施していてくれれば問題にならなかったのである。哲学同人雑誌の合評会で発言者に暗黙の年齢制限を設けようと、それは勝手といえるからである。

 今回も同じことだと私は思った。最大の違いは、質問できなかったのが哲学専攻の大学院生ではなく、外国人記者であったためにその記者が、「出過ぎたことをした」と言ってしょげこまないで、怒り出したことである。私は類似した光景に憤慨したが、20年あまりもドイツで暮らしたためか、その時どちらかというと、京都に戻り三条大橋から北山を見たように懐かしい気持がした。

 
●公的空間ということについて

 この数年来、日本の新聞や雑誌で「説明責任」とか「情報開示」とかいったコトバを眼にする度に、今私が述べた二つの光景を思い出す。なぜ私の頭のなかでこの二つの場面が、この問題と関連してくるかについて今から説明する。

 この二つの場面の共通点は「公的空間の私物化」ということになるのではないのだろうか。70年代のはじめ、若かった私は講演と質疑応答が実施される会場を公開の場と見なした。もちろん記者会見も公開の場なのである。これは公的コミュニケーションが行われる空間であり、コミュニケーション・ルールが遵守されなければいけないと私は考えたし、多くの人々は考えると思う。

 このルールの一つには、例えば、話す人はこの公的空間に出席した人々に何か伝達したいことがあり、そのため努力するはずであるといったことである(ディスカッションのパネラーが観客を前にして居眠りしたらルール違反である)。また質問があったら、質問者の氏素性も、また質問者に対する個人的好悪も問題にしないで回答しなければいけない。これも恐らくルールの一つと思われる。

 この空間でのコミュニケーション・ルールは話す側だけでなく、参加者全員に適用されるものである。だから観客のほうも居眠りしたらいけないだけではない。例えば質問もその正当性や的確性が、(求められば)論拠づけられうるものでなければいけない。要するにトンチンカンな質問はしてはいけないという当たり前のルールである。

 重要な点は、この公的コミュニケーションには、記者会見という口頭の場合だけでなく、書いたり、読んだりするコミュニケーションも含まれる。世論というコトバを聞いた欧米人が想像するのは、このような巨大な公的コミュニケーション空間ではないのだろうか。

 京都の哲学者グループも、またミュンヘンでの首相随行記者団もしくは記者会見の主催者も、自分たちがこのような公的空間に入ったという意識がほとんど欠如していたのである。彼らは自分たちのナカマ内の私的コミュニケーションを持ち込んだわけで、そういう意味で公的空間の私物化ということになる。

 
●知る権利に根拠を与えるもの

 公私の区別がこれほど意識されないのは、恐らくこの二つの概念が日本人の意識の上で、かなり意味論的に混乱しているからではないのだろうか。

 「公」というコトバを聞いただけで、アカガミを連想する「戦前・戦中後遺症」を煩っている人はまだ多いように思われる。反対に「公」というコトバを個人のエゴイズムを押さえる特効薬と見なす人も跡を絶たない。どちらも公私の関係を、押し合いっこ的単純な力学モデルで考えているのである。この事情も、コミュニケーションに関連して公私を区別する意識がいかに乏しいかを物語ると思う。

 「説明責任」とか「情報開示」といったことも、この公的コミュニケーション空間と関係づけることによって、本当は意味をもつことになるのではないのか。

 というのは、「説明責任」について言えば、ある問題がこのような公的コミュニケーション空間内部に位置付けられるために、説明する責任が発生する、といえる。次の「情報開示」であるが、これは例えば、工場施設の許認可という担当官庁と私企業のコミュニケーションは、従来この公的空間の外のものとされてきた。これは許認可に伴う折衝が私的空間内のコミュニケーション(例えば夫婦の寝物語もその一つ)として扱われていたことを意味する。

 ところが、今や私たちは「情報開示」で許認可についての書類を閲覧できる。その結果、今までの私的コミュニケーションが公的コミュニケーション空間に含まれることになる。こうして公的コミュニケーション空間が拡大していくことに情報公開の意味があるのではないのだろうか。

 それでは、すでに述べたように公的コミュニケーション空間を私物化した意識がない人々が「説明責任」や「情報開示」を要求したらどんなことになるのであろうか。たとえばマスコミがそうするとしたら、「国民の知る権利」とは、自分の新聞や雑誌の読者(=国民の一部)が知りたいから情報を出せということだけになってしまわないのだろうか。

 「知る権利」とは知ろうとする人たちがこの公的コミュニケーション空間の参加者になることによって発生する。ということは、この参加者には公的コミュニケーション空間のルールが適用されるのである。例えば、公開講演会で質問する人に質問の正当性や的確性の証明義務が発生するように、「知る権利」を主張するほうにも、なぜ知りたいかの「説明義務」が生れる。

 また自分だけが質問できて、他の人が質問できない状況があれば、「知る権利」を本当に行使していることになるかどうか一度は考えてみるべきだと思う。もしかしたらそれは、自分たちは自動車をもっているから、何があろうと自動車に乗ると思っているのと変わらないのではないのか(交通ルールを守らない者は、公道という公的空間を走ることを許されないし、またルールを破る運転者の行為は、公道を私物化しているに等しい)。

 「国民の知る権利」を、「知りたい(好奇心)から情報を出せ」といった一方通行的なものと見なしたり、また公的コミュニケーション空間を私物化していることに気がつかなかったりする人は、自分自身がよって立つ基盤を壊していることにならないのだろうか。というのは公的コミュニケーション空間こそ、「国民の知る権利」に根拠をあたえる唯一のものだからである。

 ミュンヘン・サミットの記者会見の場面で、「首相……ごくろうさま」という意味のコトバを聞いて、私は当時日本が懐かしいと思ったが、そんなことで済む問題ではないのかもしれない。

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