No.82(1999年12月20日号)《1/2》
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独逸回覧記 No.15/美濃口坦
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強制労働補償のための基金創設
〜「遠い国の遠い出来事」ではない理由
◆グローバリゼーションの一つの側面 られた「西部劇の町」
  ◆今回の合意を評価する〜私の個人的感想
  ◆「遠い国の遠い出来事」ではない〜日本企業が訴えられる日
  ◆旧枢軸国は単なる「いじめられっ子」か?
  ◆米国式「紛争解決舞台」も悪いことばかりじゃない
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第二次大戦中ナチス統治下でおこなわれた強制労働に対する
補償基金を設けることで、ドイツ政府と、被害者団体、東欧
諸国代表者、米政府との間で合意がなされた。これは、ドイ
ツの「戦後補償」を考える上で画期的であるばかりではなく、
いま国際社会がどう動いているかを理解する上で重要な出来
事である。そして、この合意は日本にも少なからぬ影響を及
ぼすことになるかもしれない…。米国が提供する「紛争解決
舞台」とグローバル化について再考する。
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 12月16日付の『朝日新聞』に次のような記事が掲載された。

 「ナチス統治下の第2次大戦末期、ドイツの企業で強制労働をさせら
れた被害者に対する補償をめぐり、ドイツ政府とユダヤ人団体は15日
までに、総額100億マルク(5400億円)を超える基金を創設する
ことで合意した。基金には労働を強制した企業のほか、連邦・州の公的
資金も導入する。当初、民間主体で基金をつくる構想だったが、被害者
側の要求額との開きが大きいため、政府も支出に踏み切った」

 ドイツ側とユダヤ人団体をはじめとする被害者団体、東欧諸国代表
者、米政府のあいだで実現したこの合意は、まずドイツが第二次世界大
戦後実施してきたいわゆる「戦後補償」の歴史の上でも画期的な事件で
あるし、同時に国際社会がどのように展開しているかを理解するために
も大きな意味をもつ。こうして出来上がった国際社会のスタンダードが
まわりまわって、いつか日本にも影響を及ぼすことは避けられないかも
しれない。


◆グローバリゼーションの一つの側面

 中立国スイスの銀行の「休眠資産」問題と関連して、ドイツの強制労
働者補償問題について私は、一年以上も前に本項「独逸回覧記」No.1で
触れた(「ホロコースト訴訟の衝撃〜『紛争解決の舞台』はこれでいい
のか?」本誌No.54)。

 戦後西ドイツは、1950年代成立した連邦補償法によって「世界
観、宗教、人種的理由から犯されたナチ固有の不正行為犠牲者」を補償
してきた。60年代に隣国と『包括条約』を締結して、この国内法がカ
バーできなかった西側在住「ナチ固有の不正行為犠牲者」に支払った。
これは「国境を超え、この(国内)法の精神を実現する」(独大蔵省担
当官の表現)ためであった。こうして補償されたのはナチ不法行為犠牲
者となったドイツ人抵抗者やその他種々の被害者を含むが、大部分は強
制収容所から生還したユダヤ人であった。

 これは、国家が自分のおかした不法行為で迷惑をかけた私人に対して
実施した行政補償であり、その意味では戦争とは直接関係ない。だから
「戦後補償」という表現は誤解を招くと、私は当時書いた。というの
は、90年代前半、日本において、「慰安婦」問題と関連して自国の
「戦後補償」不足をドイツと比較して指摘する見解が跡を絶たなかった
からである。

 戦時下、占領地から連行して強制的に労働させることなどどこの国も
することで「『ナチ固有の不正行為』ではなく、戦争につきものの戦時
関連要件である。だから平和条約のなかで取り扱われるべき」こととし
て、戦後西ドイツは半世紀以上もその処理を拒んできた。これはもちろ
ん、第二次世界大戦中に労働を強制された千万人以上に及ぶ人々を補償
するとなると、たいへんな財政負担になるからでもある。周知のよう
に、ドイツは1990年まで分裂国家であったために講和会議も平和条
約も実現することなく終わってしまったのである。正直いって、私はド
イツが外交力を発揮して逃げ切るかと思っていた。

 ところがそうならなかったのは、「独逸回覧記」No.1に述べたよう
に、米国で第二次大戦下労働を強制された人々がドイツ企業に対して補
償を求める集団訴訟をはじめたからだ。その結果、ドイツ企業は軒並み
に「米国社会が提供する紛争解決の舞台」に引きずり出された。これも
グローバル化したドイツ系企業にとって、「米国が国外であるか、それ
とも国内であるか」といった区別が意味をなさなくなったからである。
このように国外と国内の区別が不透明になり、国家対国家の取り決めだ
けでカバーできない分野が生じるのもグローバリゼーションの一つの側
面である。

 当時書いたように、例えばフォルクスワーゲン社は米国市場という巨
大なお菓子を横目で見ながら、「人道的援護基金」を設立して、ペレス
前イスラエル首相、ヴァイツゼッカー前ドイツ大統領、フラニツキー前
オーストリア首相といった引退政治家を基金の理事にむかえて、人道的
イメージアップにつとめる。ところが、こんな年寄りの引退政治家の権
威など歯牙にもかけず、出るべきものが出て満足のいく自分の取り分が
確保されるまで引き下がらないのが米国の弁護士である。


◆避けられた「西部劇の町」

 「独逸回覧記」No.1を書いたとき、私はこのような状況を不満に思っ
て、「西部劇の町」に比較した(「米国社会がご親切にも提供してくれ
た『紛争解決の舞台』は、どこか伝統も歴史も欠如し、浅薄で、西部劇
の町を連想させる」)。この「西部劇の町」の比喩は私の悪い癖で、私
がヨーロッパに暮らしているためである。何かいやなことが大西洋の向
うで起こるとドイツ人がこの表現を使うからである。

 それでは、なぜ私は当時不満に思ったのであろうか。第一に、当時の
被害者で米国に住んでいるのはごく一部である。戦時下強制労働に従事
した人の数は千万人以上に及ぶ。現在生存者数は百万人以上と推定され
ている。彼らは高齢者で大多数が旧ソ連、東欧圏に在住している。類似
した不法行為の犠牲者でも、偶然米国に住んでいて弁護士を雇えること
ができるために補償がもらえるとなると、これは不公平である。どこか
で社会的強者が得することになってしまう。

 第二に、個々の企業に対して集団訴訟で補償を求めるとなると、半世
紀以上もつぶれずに存続し、現在もよい業績をあげている企業に
1940年代偶然に強制労働にまわされた人だけが補償をもらえること
になる。ところが、その後倒産して今存在していない企業に当時配置さ
れた人々は損をすることになる。

 第三に、訴訟とは無駄なコストの支出ではないのだろうか。モノを
売って、相手が代金を支払ってくれないのは本当に残念なことである。
この場合訴訟して勝って、訴訟費用を相手が払うことになるかもしれな
い。でもスムーズに売買が進行する場合より、たいていは損するもので
ある。ということは、あまり弁護士にお手を煩わさないほうがよいの
だ。

 ドイツ国内で東欧圏在住被害者がドイツの企業を訴えているケースも
少なくない。今回、このような被害者を代行するドイツの弁護士事務所
に米国弁護士から「被害者一人につき幾ら払うから譲って欲しい」とい
う露骨なオファーがあったといわれた。

 去年の秋から始まって今回の合意に至るまで経過を振り返ると、私が
おそれていた状況にならなかったといえる。多分多くのドイツ人関係者
が、私と同じように思い、米国方式に抵抗すべきだと考えたからであ
る。これも、国全体がすっかり仰天したスイスと異なって、ドイツには
問題に対処するノウハウが蓄積されていたからだと思われる。その結
果、次のような枠組みができた。

A:個々の企業が集団訴訟者を代行する弁護士と交渉してお金を払うの
でなく、経済界全体として基金を設立して、当時強制労働者をつかった
企業がこの基金に支払い、この基金を通して支払うこと。

B:被害者団体とドイツ企業を代行する基金という民間レベルに全部ゆ
だねるのでなく、ドイツ政府や米政府の代表者も交渉に加わってもらう
ようにしたこと。

C:単に米国の被害者団体の代表者だけでなく、東欧圏の被害者団体に
も交渉に加わってもらうこと。

 どれも報奨金目当ての米国弁護士が活躍する余地を制限するのに役立
つものである(だから彼らは文句をいっている)。

 まずBであるが、これは不安を感じたドイツ企業の国家に対する依存
心からでもある。また企業と国家の関係も、戦時下の第三帝国と現在と
ではかなり異なり、当時は国策企業的性格が強かったからで、このよう
な歴史的事情が考慮されたことでもある。

 またこの処置は現在の国際社会が動く原理の反映でもある。確かに米
国大統領クリントンにも、訴訟をする市民をとめることも、判決に影響
力を行使することもできない(これは三権分立に反する)。また政府機
関は、グローバル化して国境が不明瞭になった国際社会でもまだまだ重
要な役割を演じる。そのような意味で国際社会は、グローバルな要素と
国家対国家の関係という両方の次元を往来する複線方式で機能してい
る。ということは、要はその使い分けで、ケース・バイ・ケースで、ど
ちらでいくか、あるいはこの二つの要素をどのようにミックスするべき
か考えなければいけないことになる(グローバル化した国際社会がこの
ように複線方式で動いるからこそ、アジアでの日本軍の行状に関して
「国家同士の問題は解決している」とする日本の主張は説得力が欠ける
とされるのである)。

 Cは元強制労働者の大多数を占める東欧圏在住者に不公平にならない
処置であると同時に、米国の弁護士の影響力を削ぎ、東欧圏は物価が安
いので全体の金額を押さえるの役立ったことはいうまでもない(私は関
西人であるから、政治家がなるべく安く上げようと努力することは昔か
ら高く評価する)。

 ドイツ企業のあいだでは「払うのはよいが、問題を最終的に解決した
い」という声がはじめ強かった。一度払ったのに、また別の被害者の委
任を受けた弁護士から国際電話がかかってくるのは困るという意味であ
る。こうなってしまうと、どこの国の人でも、たかられる気持ちをもつ
のは当然で、ドイツ企業の心配もそこにあった。

 但し今回の合意でこの点も配慮されたが、この可能性を百パーセント
阻止する法的保障は存在しないとされている。とはいっても、該当者は
当然ながら高齢なのでこの種の心配はあまり現実的でないかもしれな
い。企業にとって厄介なことは、裁判官の判決より世論の動向で、消費
者不買運動である。それに対しては、米政府代のお墨付きでできあがる
基金で対処できると見られている。


◆今回の合意を評価する〜私の個人的感想

 私は取材で強制収容所にいた人々にも、また企業や農家で当時労働を
強制された人達にもお会いしている。またこのテーマに本当に長いあい
だ付き合ってきた。今から書くことは私個人の感想である。

 第一に、旧ソ連住民について。今回の合意で、冷戦のため今までむく
われることが少なかった東欧圏、特に旧ソ連に居住する元強制労働者に
援助の手がさしだされることは本当によいことだと思う。旧ソ連住民が
ドイツで働くようになったのは色々なケースがある。占領地から連行さ
れた場合も、また占領国ドイツ側の募集に応じて来た場合もあり、千差
万別である。しかしいずれにしろ「劣等民族」スラブ人に対する待遇
が、第三帝国でよかったとはお世辞にも言えないはずである。次に、彼
らの悲劇は戦後スターリン体制下の故国に戻ってからはじまる。多くの
人々は、敵国ドイツで働いたために、収容所に送られたり、色々な迫害
にあった。このような二重の苦しみを受けた人々が尊重されるのは今回
の合意のよい点である。

 第二に、ユダヤ人を巡るドイツ社会の変貌について。この感想は、私
の二人の子供が今後生きていくドイツ社会に関連する。戦後西ドイツは
それまでの反ユダヤ主義からユダヤ愛好主義に変わってしまった。もち
ろんホロコーストがあったにしても、こんな180度旋廻が不自然なこ
とはいうまでもない。他人事ながら精神衛生上悪いと、私が心配するこ
とが度々ある。というのは、ユダヤ愛好主義が「顕教」とすれば、反ユ
ダヤ主義が「密教」となって拡散する萌芽が、このドイツ社会にないこ
とはないからである。今回の合意によって、国際社会で影響力の強い米
国・イスラエル在住のユダヤ人だけに、お金が流れるという印象にブ
レーキがかかることになる。これも私にはよかったと思われる点であ
る。
 
 日本においてとんでもない誤解を招くかもしれないので、ここで「補
償」というコトバについて説明しておく。この表現はドイツ語で
「Wiedergutmachung(ヴィーダーグートマッフング)」で、法的な意味
での補償や賠償でなく、ドイツ人がこのコンテクストでつかう場合は
「人道的援助のきもち」とか「見舞金」といった程度の意味である。と
ころが、こうなると災害地に贈る義捐金と変わらなくなる。そこで、迷
惑をかけた人々が自分達と無関係でないことを表現するために「歴史的
責任」という(日本人には少々気恥ずかしくなるような)荘重な表現を
彼らは繰り返すのである。


◆「遠い国の遠い出来事」ではない〜日本企業が訴えられる日

 私は冒頭で今回の合意が日本にも影響を及ぼすことは避けられないか
もしれないと述べた。

 一年以上も前、読者に「遠い国の遠い出来事」ととられると思いなが
ら、私は「独逸回覧記」No.1でこのテーマについて書いた。ところが、
私のほうは、当時も、またスイスで「ナチの金塊」問題が浮上してきた
それ以前にも、日本と無関係な話ではないと思っていた。というのは、
グローバル化した国際社会はどこかで連動して動いているし、米国社会
が幸か不幸かこのグローバリゼーションの交差点であり原動力になって
いるので日本はその影響を避けられないからである。

 日本の新聞がどのように報道し、解説しているか知らないが、少なく
とも次のような情報は日本列島にも届いていると思われる。例えば、次
のような記事。

 「第二次世界大戦中にドイツや『同盟国』の支配地域で、強制労働や
生体実験などの対象となったすべての国籍の人々や遺族が、米国の裁判
所で企業などを対象に損害賠償請求訴訟を起こせるという法案が米上院
に提案されたことが9日、分かった。法案は『日本』と明記していない
が、日本の戦争責任を追及する在米の団体はそろって『日本企業による
強制労働や旧日本軍731部隊の人体実験は対象になる』とし、法案成
立の場合は全米で賠償請求訴訟を起こすと予告している」

 これは今年11月9日ワシントン発共同電である。私は米国のことは
詳しくないので、この法案の内容がよくわからない。この記事からは、
今までその種の「損害賠償請求訴訟を起こせなかった」印象を受ける。
ところが、少なくともスイスやドイツの例が示すように訴訟要求はすで
にに起こっているのである。また外電を見ている限り、実際「元米兵捕
虜」が幾つかの州で日本企業を相手に賠償請求訴訟をすでに起こしてい
る。

 また上記の記事には「旧日本軍731部隊の人体実験」が触れらられ
ているが、日本国家を訴えることは従来の国際法との関係で不可能と思
われる。とすると提案されている法案の内容が気になるが、米国の事情
には疎いので、これ以上のコメントは控える。

 いずれにしろ、アジア系米国市民が日本企業に対して訴訟すること
で、この一年間ドイツ企業に起こったようなことが始まってもおかしく
ないのである。


◆旧枢軸国は単なる「いじめられっ子」か?

 いったい米国で起こるこのような現象を、私たちはどのように考えた
らよいのだろうか。

 グローバル化された複線方式の国際社会で問題にされているのは、国
際法で規定されている戦争犯罪でなく、「人道に対する罪」の流れを引
く「重大なる人権侵害」のほうである。だからこそ、今回のドイツ側と
被害者団体の合意でも、捕虜になって労働を強制された兵士は除外され
ている。

 またヨーロッパ(あるいは日本)から見ると、このような米国社会は
奇妙にみえる。読者は、旧枢軸国の企業だけが米国という訴訟社会で痛
みつけられている印象を抱くかもしれないが、この点についてもすべて
の訴訟対象全体を検討してみないとはっきりしないのである。たまたま
私たちに関係する例を取ってくるからこのような印象になるわけで、も
しかしたら「クラスの皆が私を苛める」と錯覚するコドモとあまり違わ
ないことだってありうる(どこの国でもナショナリスティックな言動の
大部分は、この種のコドモの錯覚的反応、それに対する親の一方的反応
と大差ない)。私たちは、この活発な訴訟社会で、他の事件では米企業
も厄介な目にあっていることを考えるべきである。

 とはいっても、ここしばらくは、旧枢軸国の受難が----例えばアジア
系米市民が日本企業を訴えたりすることが、目立つようになるかもしれ
ない。これは考えようでは光栄なことである。最初から文句も言う気に
もなれない国家と比べて日本やドイツは期待されていることでもあるか
らだ。またこの点に国際世論の関心が集中するのも、第二次世界大戦の
国際社会での評価がある程度まで定まっていることと、現在のグローバ
ル化した国際社会が、本来旧枢軸国を屈服させることで成立した事情と
無関係でない。しかしこれもしばらくの間のことで、長期的に見ると風
向きは変わると思われる。


◆米国式「紛争解決舞台」も悪いことばかりじゃない

 また、世界中の人々が国境を超えて人権侵害を訴えることができる場
が成立するのは本来歓迎すべきことである。

 これに関連して思い浮かぶのは、第二次世界大戦下、中南米から強制
収容された日系人に対する補償問題である。吉本秀子さんがすでに本誌
No.49で詳細に論じられた(「『4分の1』が投げかけた波紋〜中南米か
ら強制収容された日系人に対する補償」)。

 敵性国家国民が収容されることは当時の欧州では珍しいことではな
かった。私が個人的に知っている例はドイツでの迫害から英国に逃げた
ユダヤ人男性である。一難去ってまた一難で、彼は逃げた先でドイツ国
籍は剥奪されていたのにもかかわらず、ドイツから来たという理由で収
容所にいれられてしまった。こんな例はたくさんあるが、欧州では補償
など問題になっていない。

 ということは、米国という奇妙な訴訟社会であるからこそ、中南米在
住の日系人補償が実現したことになる。つまり米国社会という「紛争解
決舞台」も否定的にばかり評価されるべきではないことにならないだろ
うか。

 だからこそ、私たちはこのようなグローバル化した国際社会の流れに
背を向けるべきではないと思う。また「ドイツは偉い。日本もがんば
れ」という人が出てくれば、これこそ隣の子供の成績が良いといって我
が息子の尻をたたく教育ママと変わらない。これとは反対に、よく事情
を考えずに自分の子供ばかりが苛めにあっていると嘆く親のような、ナ
ショナリスティックな反応に気をつけるべきである。

 多分私たちがしなければいけないのは、この奇妙な「紛争解決舞台」
を冷静に眺め、その問題点を少しでも改善する方向にもっていくことで
ある。今回の基金創設を私が評価できるとすれば、これによってわずか
ながらでもこの方向に動き始めたからである。■

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