さよなら、コールさん〜ドイツ総選挙が終わって
独逸回覧記 No.2/美濃口坦

欧州統合を前にしたドイツ政界の世代交代----9月のドイツ連邦議会選挙では、16年政権を維持してきたコール首相の与党が破れた。東西統一という偉業を成し遂げたコール首相の時代は終わり、また「西ドイツ」の「戦後」も終わろうとしている。

◆長期政権が終わって「並」の国へ 

 9月27日のドイツ連邦議会選挙でコール首相のキリスト教民主同盟(CDU)が大敗した。今までは、任期三年が終わった時点で世論調査がコール首相の劣勢を伝える、その後、徐々に盛り返し、最後数ヶ月で競争者を追い抜く----これが選挙上手のコール首相の勝ちパターンであった。今回は少し盛り返したものの、最後まで世論調査ではシュレーダー野党首相候補に追いつくことができなかった。 それでも、日本の知人から、「やっぱりコール首相は勝つのでしょ」という電話を何度ももらったし、ドイツ国民も、コール首相が遅くとも選挙の当日には巻き返すと思っていたのではないだろうか。選挙の二、三日前、同じ町で社民党(SPD)の選挙運動を手伝う若い女性も、路上の立ち話で、「コールが勝つに決まっている」としょげていた。もの心ついた子どもの頃から首相はコールさんであったので、彼女にはそれ以外の可能性は考えられない、私はそう思った。 

 首相がひっきりなしにかわる日本から見れば、一人の政治家が16年以上も政権の座にいることは異様なことかもしれない。でも、これはドイツでも異例なことで、もし「統一」という特別な事件がなかったら、こうまで長続きしなかったのである。 今回の敗北の原因は、かなり多数のドイツ人がコールさんの顔を見るのに飽き飽きしたこと。旧東ドイツで、悪くても議席獲得が40%前後でとまるはずの伝統ある保守政党が軒並み20%台に落込んでしまえば、もう駄目なのである。これは、旧東独の住民が「金の切れ目は縁の切れ目」とばかりにコール首相を見限ったからだ。 ドイツで、野党が選挙で与党に勝ち、その結果政権が交代するのは今回がはじめてである。この国で政権交代は、連立政権の一方の党が野党と新たに連立するかたちで実現した。与野党が選挙で攻守交代することは隣国では日常茶飯事である。今回の選挙はこの意味で、どこか御上に弱いところがあったドイツ国民が隣国並みになったということかもしれない。  

◆コールってどんな政治家?

 日本から来た人が「コール首相ってどんな政治家」という質問をよくする。長い間、私の答えはきまっていた。 「日本の保守党にいるでしょう、『人事の××』とかいってポストや利権をうまく配って、権力を築きあげる政治家が。政策とか、内容のあることいわないし…そういう意味で、ドイツでは珍しいタイプの権力志向の強い政治家」  

   彼は、所属政党キリスト教民主同盟の青年部からのたたき上げの「党人派」である。政治家以外のれっきとした職業についたことがない。この点を難じる声が昔はよく聞かれた。 コール首相の党内での掌握力は抜群で、党大会に出てくる「代議員の70パーセントを個人的に知っている」といわれる。ここで「個人的に知っている」という意味は、彼らが次にどんなポストにつきたいか「気配り」をし、アメとムチを駆使するということである。この結果、与党キリスト教民主同盟は、コール首相「選挙後援会」になりさがり、早い時期に後継者をつくることができず、今回の選挙での敗北を招いた。

◆「コール・レート」の功罪 

 コール首相は、この長い党務を通じて培われた「気配り・目配り」の能力のお陰で、壁が開いた後、国際政治家として見事に開花する。 コール首相の当時の外交顧問ホルスト・テルチクの回想録(邦訳『歴史を変えた329日』日本放送出版協会)に描かれているように、国内経済改革に失敗したゴルバチョフを見透かし、ちょっとしたすきをみつけて、誇りを傷つけないように、経済援助を申し出る。このあたりの呼吸は見事なものである。  高い買い物になったが、最終的には政治的に完全にドイツ側の条件で、統一を実現した。コール首相のこの功績は誰もが認めるところである。  

 「統一」は外交問題であると同時に、また計画・統制経済の東独を西側の市場経済体制に編入する経済改革の問題でもあった。こちらのほうは「気配り」だけでは済まない分野であるために、コール首相の判断の適切さを疑問視する声は当時から強かった。 コール首相が下し、経済の専門家が首を傾げた決断の一つは、東西ドイツ通貨同盟導入とその交換レートを、西1マルク=東1マルクもしくは2マルク、にしたことである。当時、1西マルク=7東マルク、で交換されていた。だからこそ、東ドイツ製カメラも西側で売れた。また、ベルリンの壁が開いてから西を訪れた東ドイツ国民はデパートのなかをうろうろし、欲望をそそられるだけで、あまり買うことができなかったのである。市場で7東マルクをはらうものを、この「コール・レート」のおかげで1東マルク、あるいは2東マルクで手にいれることができて、東ドイツ国民は大感激した。  そして、コール首相は東での優勢をばねに統一直後の選挙で大勝利をおさめる。「コール・レート」によって、東独の企業は完全に競争力を失い、閉鎖に追い込まれる。その結果、市場経済への移行によけいなコストがかかることになった。 また、統制経済体制下の東ドイツでは買うものが少ない以上、お金は貯めて銀行に置くしかなかった。当時GNPでは世界で11番目の東独国民全体の預金量は、もちろん日本国民「1200兆円」にかなわないにしても、相当の額であった。東独国民の預金は東独政府が国営企業に貸したりして運用していた資金でもある。国営企業が倒産していくので、統一ドイツの納税者の負担が増えることになる。東西のレートを、もし1対4で換えることにしていれば、この負担は半分以下になったのである。  当時、私は選挙区に橋を何本もつくる自民党の政治家が束になっても勝てない「スケールの大きい政治家」をコール首相に見た。 

◆同国人意識という難題〜東西統一が単純でなかった理由 

 選挙に勝ちたいために、コール首相はこんなレートにしたのだ。同時に、彼が鉄のカーテンの向う側で西ドイツの繁栄から置いてきぼりにされた「同国人」に対して、心から親切にしたいと思って、それをやったことも、また確かなのである。 そしてこの気持は、コール首相や、それより上の世代の熱心な統一賛成派に共通する、東独国民に対する「同国人意識」である。

 ところが、西ドイツの住民で、それより若くなると、この意識はかなり怪しくなる。  40年以上別々の国で、交流も制限されて暮らすということは重大な既成事実であった。私は最初「冷戦が終了し、分裂国家が元に戻るのはおめでたいこと」と、通り一遍なことを考えていた。ところが、当時色々な人に会って話を聞くと、私の頭はどんどん混乱していった。 例えば、「どうしてあんな国(=東ドイツ)といっしょにならなければならないの。同じドイツ語をはなすというだけで、オーストリア人はそんな変なことを言い出さないわ」  私の前でそういう発言をする人が、西ドイツ生まれの年頃の女性であると、自分が、いいなずけと称して勝手に結婚相手を決めてしまい、娘からなじられている時代遅れの父親、になったような気持がした。同居体験がない以上、別居(=「分裂国家」)意識も存在しない。そうなると、“よく知りもしない遠縁の息子と結婚したくない”という「娘」の主張に納得するしかないのだ。  

 ところが、西側でそんな話を聞いて、東ドイツに行き、そこでコール首相の演説に立ち会うと、私の考えは変わってしまう。私は、彼が強調する「同国人意識」と、そこから漂う温かさに私はほろりとしてしまい、今度は西ドイツに生まれただけで統一に反対する人達の冷たさをなじる気持になった。 あの時以来、「国家」とか「国民」といった概念は私の頭のなかで混乱したままである。 

◆欧州統合と「ナチ隠し」「ナチ縛り」 

 コール首相というと、ミッテラン前大統領といっしょに統一通貨ユーロの導入に踏み切り、欧州統合を一歩どころか、二歩も三歩も推し進めた政治家でもある。  コール首相は、その意識の奥底で、戦後西ドイツの政治家や知識人の欧州統合の考え方を受継いだ人だったと思う。簡単にいってしまえば、「ナチ隠し」と「ナチ縛り」の戦後西ドイツの欧州統合志向である。 戦後口うるさい隣国に囲まれて、「ドイツ人であること」は肩身の狭いことであった。気持ちよく暮らしていくために、自分に対しても、また不安と不信感を抱くお隣さんに対しても、「ヨーロッパ人であること」、「欧州統合」を強調するほうがよかったのだ。これが「ナチ隠し」の方だ。 一方、戦後西ドイツの政治家に共通するのは、自国民に対する強い不信感であった。彼らは、選挙でヒットラーを政権につかせ、戦争を始め、最後まで徹底抗戦した自国民が、そう簡単に変わると思わなかったのである。この不信感の帰結は、ドイツ国民がまた悪いことができないように欧州統合で外からしっかりと縛って欲しいという考えであった。これが「ナチ縛り」の方の欧州志向である。 どちらも、ヨーロッパでドイツが引き起こした戦争の記憶としっかりと結びついている。 だからこそ、今年のはじめ、違憲訴訟をおこした欧州通貨統合反対者に対して、コール首相は、「ユーロ導入に対する賛否は、欧州に平和が維持されるか、それとも戦争が来るかの選択である」と怒って、物議をかもした。 ユーロ導入賛成者もこの発言を時代がかったものに感じたのである。EUに関してもめることがあっても、今や「戦争か平和か」という時代ではないのである。どうやら欧州統合の機関車のほうがコールさんを追い越してしまったようだ。

◆世代交代完了  

 ドイツから見てフランスやイタリアといった隣国はとっくに「外国」ではなくなっている。現在進行中の社民党と緑の党の連立交渉で、省庁の組織替えも論じられ、欧州統合事項が外務省の管轄からはずされることが検討されている。この事情も、ドイツの新しい政治指導者たちがコールさんと異なり、現実の欧州統合を肌身で体験した世代に属することを物語る。 今度首相になるシュレーダーさんも、ラフォンテーヌ社民党党首、また緑の党のフィッシャーさんも、大学紛争・68年世代に属する。コールさんの「国際社会」はヨーロッパだけであった。米国は、この「国際社会」を大西洋の彼方から保証してくれる特別な存在であった。米国に対して、彼が見せた過剰な遠慮も戦後西ドイツの政治家らしいこの世界観に由来する。ベトナム爆撃反対にデモした人たちの「国際社会」はこれほど欧州に偏ったものでなく、よりグローバルなものではないだろうか。例えば数日前、蔵相就任が予定されているラフォンテーヌ社民党党首がテレビで、遠慮することなくIMFについて批判的見解を披露していた。 21世紀に向かって、ドイツの政界は世代交代をすませたようである。■

「ドイツ統一」に 戻る