「核の恐怖」が共鳴しない構造
−ドイツの原子力関係者は「臨界事故」をどのように見たか−

ドイツで東海村の「臨界事故」のニュースはとても大きく扱われた。その第一報は第
一面トップで、自国作家ギュンター・グラスのノーベル賞受賞もすっかり影がうすく
なった。直後、以前原発の取材で知り合った原子力関係者の何人かが私に心配の電話
をよこした。事件はかなり前のことであるが、ドイツのマスコミや原子力関係者がこ
の事件をどのように見たかについて書く。というのは、彼らの見解のなかに私たちが
議論すべき点が含まれていると思われるからである。

◆ 「被爆国民に、、、、、、」

「臨界事故」直後の記者会見でトリッティン独環境相は、 
 「…原爆投下後五〇年の年に私は日本を訪れ、被爆者と話した。…原爆の被害を受
けた国民が今また放射能の危険に曝されていると思うと私はたまらない気持がする」
と一語一語噛みしめるように語った。出席記者は「『ドイツ脱原発』に対する事故の
影響」という場違いな質問はできなかったという。
この「被爆国民」に対する同情が「被爆国民にもかかわらず」という苛立ちに変わる
のにさほど時間がかからない。「作業員のバケツ使用」など事故のお粗末さが詳細に
報道される。また日本駐在ドイツ人記者の眼には日本人がのんき過ぎて、原子力でな
く「化学工場の事故」に反応しているように映る。その結果「被爆国民なのにどうし
てこんな平静でいられるのだろうか」という疑問に変わり、「被爆国民だから二度と
被害に遭わないと信じいるから」という説も出たくらいだ。

日本の読者はこのようなドイツ人の反応を奇妙に感じるかもしれない。彼らが日本に
ついて書くといつも西欧社会にできあがった固定観念がどこかで混じるのだが、私が
ここで問題にするのは、ドイツと日本の原子力観の相異についてである。
なぜドイツ人ジャーナリストが「臨界事故」に対する日本人の反応をのんきだと感じ
たのだろうか。それは、彼らの頭のなかに「チェルノブイリ」原発事故に対するヨー
ロッパ人の反応があって、それと比較したからである。確かに今回放射能の強い核分
裂生成物(死の灰)は大量に放出されなかった。「チェルノブイリ」当時、西欧諸国
に「死の灰」を含む雨が降ったが、被害は当時言われたように「将来癌になる率が
少々高くなる程度で統計学的数字に化けてしまう程度」であった。ところが「臨界事
故」は遠い外国でなく自国内で、それも東京の眼と鼻の先で起こった。彼ら外国人
ジャーナリストから見れば日本社会に「チェルノブイリ」程度の衝撃が走ってもよい
ことになる。

逆に日本人から見れば「チェルノブイリ」に対してヨーロッパ人は過剰反応したとい
える。当時の野党第一党の社民党が、日本なら「国家百年の計」といわれるのに、原
発推進から「脱原発」に一八〇度の転回したのもこの例といえる。当時私の近所でも
数人の母親が「死の灰」の雨が降った日に牛を偶然放牧せず、その後も牧草をあたえ
なかった農家を見つけ、当番を決め汚染されていない牛乳を共同購入することになっ
た。私はそのような母親の集りに一度女房の代理で出掛けたことがある。そこでよせ
ばいいのに「それはそうと、私が小学校のときにビキニ環礁水爆実験でストロンチウ
ムの雨が降りましたよ。雨が降ると外で遊んでいけないといわれた。子供なんていう
こときかないでしょ。でも私は今もこんなに元気で、、、」とやってしまった。あの
時の母親達の冷たい視線と気詰まりな雰囲気を忘れることができない。もちろん私が
場違いな「冗談」をいったのは日本人としてドイツ社会の反応が過剰と感じたから
だ。

◆「核の恐怖」が共鳴しない構造

「チェルノブイリ」以前からヨーロッパ人の原子力観は私たちと違っていた。彼らは
原発を「原爆とワットの蒸気機関がくっついたもの」と見なし、原爆と原発をどこか
同じ世界に位置付けているのではないのだろうか。だから、彼らが「核(=原爆)の
恐怖」と原発事故の恐怖を重ね合わせるために「チェルノブイリ」原発事故にあのよ
うに(過剰)反応したのである。
私たちのほうは原爆と原発を同じ世界に属するものでなく、別々の世界に位置づけて
いる。この事情は、「原爆投下」という事件の日本国民の受取り方が終末論的構造を
もっていたことで強められた。広島と長崎で起きたことは私たちの意識の上で「この
世の地獄」であった。だからこそ、この「この世の地獄」を世界中の人々が正視すれ
ば「世界平和」が実現すると考えた。核兵器がもう一度使用されることになれば、こ
の世は生きるに値しないと私たちが思ったのもこの終末論的構造のためである。だか
らこそ私たち(少なくとも子供の私)は「核のシェルター」に逃げ込んで缶詰ごはん
を食べて生き残ろうする西洋の政治家を内心軽蔑した。私たちが被爆国民としてこの
ように考えたので、「核の恐怖」が国民意識の上で「ヒロシマとナガサキ」の終末論
的構造のなかに封じ込められてしまったとしても、それは当然といえる。だからこ
そ、私たちはヨーロッパ人のように戦争に使用される「原爆」と、平和な日常で電気
を供給する「原発」とを同一世界に置き、相互に関係があるなどと考えることなど到
底できない。原子力事故が起きて、もし私たちが「化学工場の事故」に反応するよう
な印象をあたえるなら、それは私たちの意識の上で(ヨーロッパ人に対するように)
「核の恐怖」が共鳴しないからである。
原発に批判的な日本人が「『チェルノブイリ』でヨーロッパ人の原発観が変わった」
と(少し羨ましそうに)発言するたびに、私は複雑に気持になる。というのは、当時
風が運悪く反対方向に吹き、その結果ヨーロッパと同じくらいの「死の灰」を含む雨
が日本に降ったとしても、「チェルノブイリ」的衝撃が日本社会を走ったかは疑問で
ある。もしかしたら、「人迷惑も好い加減しろ」と怒るだけで終ったかもしれないの
だ。
読者のなかには、日本はどんどん変化し「ヒロシマとナガサキ」の昔話と無関係だと
言われる人がいるかもしれない。しかし原子力平和利用と関連して「核の恐怖」が共
鳴しない意識やそれに対応する世論の構造は、そう簡単に変わらないのではないのだ
ろうか。原子力事故が自国メディアと欧米メディアでどのように描かれるかを一度比
較したらよいかもしれない。日本では今回の事故の呼名として「臨界事故」がいち早
く定着した。ドイツの新聞では隅っこの解説記事に一度しか出てこない「臨界」とい
うコトバで、平均的日本の読者は物理の授業時間を思い出すかもしれない。でも核分
裂がコントロール不能な危険状況に陥ったとはあまり考えないのではないのか。こう
して「原爆」との連想が働かなくなるのも「核の恐怖」が共鳴しない構造の例といえ
ないことはないのである。

◆「安全管理文化が異なる」

次に指摘されたのは、日本で原子力安全管理が民間業者の自主性にすっかり委ねられ
「管轄官庁のコントロールがないように見える」点である。この側面はメディアだけ
でなく、それ以上に原子力関係者が心配した。彼らは他国の事故にコメントなどした
がらないが、私は名前を出さない約束をし率直な意見を聞くようにした。「」内は彼
らが話したことであある。

最初にドイツの事情を述べる。
日本と異なり、連邦制分権国家ドイツでは州の環境省が原子力施設の建設・操業の許
認可権をもっている。許認可権をもつ役所が、認可通りに操業されているかを監視
し、そうでない場合に認可を取り消して操業をやめさせる権限と責任をもっているこ
とはいうまでもない。
東海村で事故を起こした工場に類似した業務を営む北ドイツのニーダ−ザクセン州リ
ンゲンにある核燃料工場を例にとる。ニーダ−ザクセン州環境省安全監視課の操業監
視官が抜き打ちを含めて月に二回は立入り検査に入る。

「うちの工場を担当している監視官は全部で四人いるが、彼らはスペシャリストで工
場の隅から隅まで知っているし、作業行程を熟知している。彼らは長いチェックリス
トをもち、予告なしに来ることもあるが、来たら一日中工場内を点検するのが普通
だ」(同工場幹部)

燃料工場より大規模で複雑な原発では立入り検査の回数が二倍近くに増える。バイエ
ルン州を例にとれば、環境省原子力安全課の監視官が抜き打ちを含めて一九九八年に
一基につき平均五〇回も立ち入り検査に入っている。
 重要な点はこれら監視官が原子物理学・工学を勉強し、専門的知識を身につけてい
ることである。ドイツの大学生が30歳近くまで大学にいるので、彼らは日本でいえ
ば大学院ドクターコースに相当する理論的知識を身につけ、更に実地経験を経たスペ
シャリストということになる。
 公的サイドからのコントロールはこれだけではない。原発や核燃料加工生産施設が
ある州の環境省はどこでも「技術監視協会」に委託して、そこのエンジニアに立ち入
り検査・点検を実施させている。この「技術監視協会」だが、日本には類似した組織
がないので説明すると、前世紀末にできたこの組織はドイツ各地にあって多数のエン
ジニアをかかえ、委託を受けて技術に関連する安全基準の検査にあたる公益団体であ
る。
 上記北ドイツの燃料工場ではこの「技術監視協会」のエンジニアが点検する立会い
検査が年に四回ある。原発に関しては、またバイエルン州を例にとるが、「技術監視
協会」のエンジニアの立ち入り検査が一九九八年度で約二千日に達したそうである。
この州には全部で五基の原発があるので一基平均エンジニアの検査が四百日になる。
こうなると一年三百六十五日を越えてしまうが、これはエンジニアが二人で一基を点
検すると二日分として計算されているからである。
「管轄官庁のコントロール」に関してドイツの原子力関係者の誰もが強調するのはコ
ントロール側の専門能力である。「臨界」事故に関連して、科技庁でなく資源エネル
ギー庁の管轄下にある原発の安全性が日本で強調された。確かに原発の近くには役人
が常駐しているかもしれない。この常駐者は本当に検査能力を備えたスペシャリスト
なのだろうか。日本と関係のあるドイツ原子力関係者のなかにこの点を疑問視する人
がいたことを付け加える。

ドイツの原子力関係者は「日本の原子力施設の安全性が管轄官庁の立ち入り検査と
いったコントロールの原理でなく、別の原理、すなわち担当官庁と事業者の信頼関係
の原則によって保障されている」と見なしている。彼らの尺度では、日本の役人が立
ち入っても、それは「ドイツ的な意味での検査・点検というコントロールでなく、こ
の相互信頼の絆を強めるのに役立っているに過ぎない」ことになる。このように原理
的に異なるとことから、彼らはを日本とドイツとの「安全管理文化の相異」を強調す
る。この見解が間違っていないのは管轄官庁責任者の次の発言からもうかがうことが
できる。

《…「マニュアル通りに行われないことも起こり得ると、想定しておかなければなら
ない」。JCO東海事業所を監督する科学技術庁の有馬朗人長官は3日、出演したテ
レビ番組で厳しい表情を浮かべ、こう語った。…》(朝日新聞十月四日付朝刊) 
 
というのは、彼は役所が認可した製造行程通りに万事が進むと信じていたこと、すな
わち安全管理が「信頼の原則」で機能していることを自ら認めているからである。
  
◆原子力行政は「一人二役」から「二人三脚」へ

ドイツの原子力関係者が「文化の相違」に話しをもっていくのは適切でない。原子力
分野では検査・点検といったコンロールがあまりないかもしれないが、周知のように
日本のお役人も点検は決して嫌いでない。とすると、なぜ原子力関係で事故の予防の
ために検査をしないし、またしなければいけないという発想も希薄なのかという問題
になる。これには幾つも理由があると思われる。この事情は「被爆国民」として「核
の恐怖」が共鳴しないこととも無関係でない。
ドイツ原子力関係者が注目するのは、日本の原子力行政の制度的在り方である。周知
のように、商業炉の原発は資源エネルギー庁が、実験段階の原子力施設は科学技術庁
が各々許認可権をもっている。どちらも推進官庁を兼ねる。このように同一官庁が推
進機能もつと同時に建設・操業の許認可と安全性監視の権限をもつ「一人二役」を演
じる点に、彼らは大きな問題を見る。
原子力平和利用揺籃期には、どこの国も原子力行政は「一人二役」でやっていた。地
方分権国家ドイツでは許認可権が州の省庁にあり、どこの州でも昔は推進役の経済省
が担当していた。一番早いのはバイエルン州で、許認可権が一九七〇年に州経済省か
ら新設された州環境省に移行した。この結果経済省は推進の旗振りに、逆に環境省は
安全性コントロールに専心する「二人三脚」方式になる。原発のある他の州でもこの
管轄権の移行が八0年代に終了した。またこれら州の許認可をコントロールする中央
の連邦政府でこの権限が内務省から創設された環境省に移されるのはチェルノブイリ
の原発事故の後である。
原子力行政で推進と認可を兼任する「一人二役」の官庁が分離されて「二人三脚」に
移行するのは当時の国際的傾向であった。原発大国フランスも米国もまた他の先進国
も、時期もきっかけも異なるかもしれないが、「一人二役」から「二人三脚」への道
を歩んだのに、日本だけがそうしなかっただけの話しである。
推進機能と監視機能を兼任することは自分の息子の入学試験を採点するようなもの
で、「癒着」構造になりやすい。「臨界事故」をきっかけに、この「癒着構造」を避
けるために日本も「二人三脚」に移ったほうがいいのは明白である。「『次の機会』
を待ってから」などという人のために独連邦環境大臣の諮問機関であるドイツ原子炉
安全委員会のミヒャエル・ザイラー委員の次の発言を引用する。

「統計をとったわけではないが、原子力関係事故は原子力行政で推進機能と安全性監
視機能を同一の官庁庁にもたせている国のほうが多いと思う」

役人が反対するのはどこでも同じであろうが、狭い東京で机ごと担当官が別の省庁に
引越しするのは「ベルリン遷都」と比べてずっと安上がりである。また官僚はどこへ
行っても変わらないと思う人々には、以前プルサーマル燃料会社の社長を務めドイツ
「核燃料サイクル」の重要な推進論者アレクサンダー・ヴァリコフ元連邦議員の次の
発言を引用しておく。

「原子力行政で推進機能と安全性監視機能を別々の省庁に管轄させるほうが理屈に
あっているので『チェルノブイリ』当時私も賛成した。また省庁が変わると不思議な
もので、役人は別のメンタリティを身につける」
  
信頼関係だけで物事が運べば安上がりで、それに越したことはない。しかしこれも事
と場合による。ドイツの役人は無情にも「電力事業者は儲けているからかまわない」
というが、原発操業者は立入り検査の度に「検査料」とししてふんだくられるのであ
る。このコストが電気料金に転嫁されことはいうまでもない。一方、国際比較で日本
の電気料金は高い方に属する。現在欧州環境派はエネルギー税導入でエネルギーコス
トを上げ、その消費を減らそうと意図する。その彼らが「尊敬すると同時に政策効果
に自信を失う」ほど日本の電気料金は安くないのである。つまり「財政赤字」を増や
すことなく安全性管理の改善は可能である。

「信頼の原則」のもう一つの欠点は「原子力差別」につながることである。国民が事
故の度に「信頼を裏切られた」と怒り、原子力関係者は肩身の狭い思いをする。だん
だんこの分野が日陰の存在になり、優秀な後身も育たなくなる。これこそ安全性に
とって最悪の事態である。廃棄物処理を考えれば、一度はじめた原子力は「はてしな
き物語」だ。日本国民は原子力の安全性問題とほぼ永遠に直面していかなければいけ
ない。このことを私たちは考えるべきで、原発に反対することによってこの問題が解
決できるという幻想を絶対抱くべきでないと思う。

「被爆国民」にとって「原子力平和利用」が特別に輝かしいものであったことは想像
しやすい。私は昭和二〇年代の終り京都で「原子力平和利用展」を見て、子供心に広
島と長崎で死んだ人々の魂が救われるような気持がしたのを今でも覚えている。
それだけに、日本の原子力安全性は重要問題である。ドイツほど検査・点検しろと主
張する気は毛頭ないが、事故が起こりにくい制度やシステムを考えるべきではないの
だろうか。■


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